第8章
昨日、不思議な夢を見たの。
また、あの夢かい?
ううん。違う・・・あれじゃないです。
じゃあ、どんなのだい?
ん・・・。やっぱり話すのやめときます。
どうして? 話を切りだしといて内緒はないだろ?
うーん。
結局、白状してしまった。
自己分析では、他愛ないやきもちの象徴夢。
わたしが口ごもっているのを見て、里見先輩は大体どんな内容か見当がついたようだった。あんまり嘘が上手くないわたしにくわえて、彼はやたらと勘が良い。
あのね、先輩と誰かが話してる夢。
誰かって、この場合は女性だろ。
別に女の人だなんて言ってません。
ふむ。
相手の人、男性だったかも知れないし。
趣味を言わせてもらえれば、僕は多数派だ。
よくわかんないけど、相手の人、黒い影みたいで何だか怖かった。
・・・フロイト先生は知ってるよね?
知ってますっ。だから話すの嫌だったのに・・・。
分析してあげようか?
結構ですっ。
里見先輩はわたしのむくれる顔を見て、大きな声で笑った。
民研の男性陣からは「理屈っぽいお転婆」と揶揄されるわたしだけれど、里見先輩の前では出来の悪い生徒のようなまるっきり隙だらけの子供に戻ってしまう。
フロイト的な夢の解釈によれば、姿の見えない恋敵が怖いのは当然のことだし、男性かも知れないっていうのは彼の言う「夢の作業」によるシンボルの変換にあたる。無論、里見先輩も同様の分析をしているはずだ。
で、僕とその影とは、どんな話をしてたの?
うーん。話はよく聞こえなかったけれど、夢の中の里見先輩、何だか普段と違ってた。
違ってたって?
うん。・・・例えば、コメツキムシみたいに頷いてばかりいたわ。先輩らしくないなって、変に思ったのを覚えてるもの。――どうかした?
・・・いや、何でもない。
ねえ、わかってくれた? わたしの想い。
覚えず涙が流れていた。
入院して以来、わたしは以前からの習慣のように、気がつけば、里見先輩と交わした会話を心の中で再現している。
それが彼の死を認めようとする心の現れなのか、あるいはその逆なのか、今のわたしには判断できない。
一体、わたしの脳は何をしているのだろう。修復なのか、確認なのか、あるいは本当に壊れかけているのだろうか。
こんな自分でもわからない脳の働きを、機械に読みとらそうなんてやっぱり現代医学の傲慢だ。
何かの本で読んだことがある。
人間の脳の仕組みが本当に解明できるものならば、人間は知性など持ってはいなかっただろう――。
・・・あれは確か『カード・ミステリー』の中の一節だ。「なかなか面白い童話があるよ」と里見先輩に教えられて読んだ『ソフィーの世界』で有名なヨースタイン・ゴルデルの作品である。
でも――。
やがてそれも過去の言葉となるのだろう。
大脳生理学などの脳の不思議を解明する学問は近年凄まじい進歩を見せ、その最前線は脳の持つ神秘の領域を少しずつ狭めつつある。
しかし、それは個人という意識の居場所を奪う行為になりはしまいか。知ってはならないこと、知らなくても良いことがこの世にはある。
仮想現実の理もそのひとつだ。
脳の仕組みが解明され、子宮のように優しく保護してくれた仮想現実世界を失うとき、何気ない言葉は心を砕く凶器となり、世界はそのままの姿で剣の荒野へ変化する。
思考するが故に必要な精神的な適応が許されなくなったとき、果たして人間は人間でいられるのだろうか?
わたしは小さく溜め息をついた。
憂鬱な方向にばかり飛躍する自分の思考に我ながら嫌気がさす。
気分転換のつもりで病室の窓の外をそっと見ると、ずいぶん暗くなっているのに、そこには「知る権利」で武装した報道関係者がまだ粘っていた。
それを見て、ますます気が重くなった。
――ったく、もう。
何が「知る権利」なのだろう?
何が「報道の自由」なのだろう?
見知らぬ街の、見知らぬ他人の、その痴情のもつれや事件を知って、果たしてどれだけの人間が得をするというのか。
当事者の人権を無視した興味本位の報道が生むのは、せいぜいつまらぬ模倣犯くらいだ。
以前、民研の活動が地元の新聞に取りあげられたことがある。取材を受けたときはそれなりに緊張していたので気にはならなかったけど、できあがった記事を読んで驚いた。
代表者の宿老さんが熱心に話していた民俗学や考現学の魅力がその記事には全く取りあげられていなかった。書かれていたのは、地道な文献調査やフィールドワークの合間に息抜きとして行っている百話会や妖怪展のことだけだったのだ。
これじゃまるでオカルト研究会みたいですよねと、部員の一人が嘆いたのを記憶している。
地方の田舎町で起こった他愛のない窃盗事件でさえ、それを完全に報道しきるのには膨大な時間と綿密な調査が必要だ。加害者と被害者、そして彼らに関係する家族や知人、その一人一人の歴史や人間性を精緻に伝えても、まだ真実の報道には程遠い。犯人や被害者の好きだった食べ物、初恋の思い出や、小学校のときの遠足や運動会でのエピソード。
確かに番組の放送時間や紙面の問題もあるだろう。
休むことなく発生する事件や事故。それらを限られた枠の中でそれを大衆に知らせねばならない報道の使命。
彼らは日常に忙殺されている。
しかし、報道とは取材者の創作活動ではない。彼らは、一つの事件を扱うとき、そこに生きている人間が関わっているという事実を忘れてはいないか。彼らの紡ぐ言葉の一字一句に傷つき喜ぶ生きた人間がいることを忘れてはいないか。
わたしはカーテンを隙間なく閉めると、ベッドに戻った。
消灯時間にはまだ間があったが、母はすでにホテルに帰っていた。
早めにホテルに戻って休んだらどうかというわたしの提案に、母はさして渋りもせずに同意した。彼女にとっては、父という保護者のいない不慣れな土地での行動が相当の負担になっているのだろう。実際、母は少しやつれて見えた。
千波さんも今夜は来ていない。夕食を持ってきてくれた別の看護婦さんに、彼女のことを聞くと、ちょうどシフトの変わり目だそうで、一日休暇を取った後、明後日から昼勤になるのだそうだ。
わたしは母を帰したことを後悔した。なりをひそめていた不安や恐怖が少しずつ増加してきている。
誰でもいいから話し相手が欲しい。
わたしは病室を出て給湯室で顔を洗うと、その帰りにナースセンターに立ち寄った。
「こんばんわ」
外科病棟のナースセンターには、三人の看護婦さんが詰めていた。一人はさっき夕食を下げに来てくれた人だ。名前は・・・確か、吉川さんっていったっけ?
「あら、柳瀬さん。どうかしたの?」
吉川さんが答えてくれる。
「何だか眠れなくって。少しお話ししてもよいですか?」
「構わないわよ」
わたしは何か共通の話題を見つけようと、ナースセンターの中を見回した。机の片隅に放り出されている女性週刊誌にふと目を向けると、その表紙には、わたしも知っている俳優の離婚記事の見出しが大きく印刷されていた。
来週のこの雑誌には今回の事件ことも大きく取りあげられるんだろうな、と心の中でぼやきながら、話を振った。
「この俳優さん、離婚したんですか?」
「そうそう、わたしも突然だったんで驚いたわ」
吉川さんはわざわざその週刊誌の該当のページを開いてわたしに見せてくれた。
「ふうん。事の発端は借金問題ねえ」
「全部で二億円とか書いてるでしょう」
「うん。だけど、どうやったら、こんな借金作れるんだろう? いくら贅沢な生活がしたくても、わたしだったら、貯金がなくなる前に節約始めるけどなあ」
「それがきっとできなくなるのよ。それにいったん名前が売れちゃうと世間の目もあるしねえ。担保がなくても名前だけで大きなお金を貸してくれる人も現れるだろうし」
「そっか・・・」
しばらくの間、わたしと吉川さんは個人的には何の面識もないその俳優の離婚騒動についてそれぞれの感想を言い合った。
十数分後――。
ちりちりとした気持ちの悪い不安は完全とはいえなかったが、いくらか消えかけていた。わたしは彼女に話し相手になってくれた礼を言うと、病室に戻った。
わたしを癒したのは何だろう?
仕事の合間に話に付き合ってくれた吉川さんの優しさか。それとも実際には会ったこともない見知らぬ世界に住む俳優の人生の僅かな断片か。
報道の目的がやっとわかった。
人間の脳は自らの生み出す仮想現実の中だけで処理できなくなった負の感情を、外界から仕入れる情報で幻惑しているのだろう。
だから――。
人気作家の紡ぎ出す優れた虚構の話よりも、どこにでも転がっていそうな実在の誰かが経験した痴情の顛末。その方がはるかに面白い。
それはその下世話な話にノンフィクションのラベルが貼られているからだ。鼻持ちならないどこかのライターが真実と謳っただけの、ただそれだけの信頼性の低い保証なのに、人はその報道を信じようとする。
そして、それを自らの仮想現実に取り込んでは、己が人生や境遇と比較する。あるいは、自分が正義と信じる理想のもとに審判を下す。
そうすることで、人は自らの仮想現実世界の安寧を保とうとするのだ。
何という下劣で、そして人間的な行為だろう。
「人はこれからますます駄目になってゆくよ」
里見先輩はずっと前にそう言って嘆いた。
動物の行動は全て遺伝子に支配されているという学説がある。
それを唱えた学者は言う。
「生物の進化の究極は、その遺伝子の支配からの脱出にある」と。
ヒューマニズムという言葉が持つ心地よい響きは、その遺伝子が主人公の進化論の出現によって、凍りついた。
従来、ヒューマニズムとして賛美されていた家族や同族への愛は実は原始的な生物にもある本能と同じレベルのものであり、人間だけが持つ高度な思考機械である脳が生み出す人間的感情は恐ろしく非生物的なものだ。
複製されることだけを願う遺伝子の支配から脱しつつある真の人間的な行為は、例えば、子殺しのようなものに代表される。
それについて、わたしは必死に反論を試みたけれど、そういうわたしの中にも忌まわしい人間性が眠っていた。
テレビの画面を通じてしか面識のない他人の不幸を歓迎し、己の不安から目を逸らそうと画策する心の動きが。
――人は本当に駄目になってゆくのかなあ。
里見先輩の言葉の真偽をぼんやりと考えるうちに、いつのまにか、わたしは眠りに落ちていた。




