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浮気相手の子を「育てろ」と押しつけられたので、罪のない少女は丁重に育てつつ、夫だけを優雅に制裁することにしました  作者: 真義あさひ


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3/6

「傷つくのはこの子ではない。あなただけ」

 手紙を送って三日が過ぎた。


 その三日のあいだ、私は何ひとつ特別なことはしなかった。

 やったのは、リーゼに屋敷を案内し、仕立て屋を呼んで採寸させ、彼女の部屋を整えたことぐらい。

 日当たりのよい、薔薇園を見下ろせる一室を選んだ。執事は客間を推奨したが、私は当主夫妻の子供のための部屋を最初から使わせることにした。

 リーゼは可愛い女の子だが、夫にはあまり似ていない。しかしあの榛色の目と、目の形が夫とまったく同じなため、親子なのは間違いなかったから。


 孤児院の硬い寝台しか知らなかった子が、初めて羽根布団に沈んだ夜、声を殺して泣いていたことを、私は侍女から聞いて知っている。

 でも何も言わなかった。そういう涙は、そっとしておくものだ。


 夫のジェラルドはといえば、その三日間を上機嫌で過ごしていた。

 妻が嫡子の件をすんなり受け入れた。彼はそう解釈したらしい。

 リーゼに新しいドレスを与え、部屋を用意してやる私の姿を見て、「お前も存外、物分かりがいいではないか」などと、満足げに笑っていた。


 私は微笑み返し、否定はしなかった。


 獲物が罠の真ん中で寛いでいるのを、わざわざ教えてやる猟師はいない。





 四日目の朝、表がにわかに騒がしくなった。


 窓から見下ろすと、見覚えのある馬車が、門をくぐってくるところだった。

 黒塗りの車体に、金で縁取られた紋章。剣と月桂樹を組み合わせた、あの意匠。

 ——公爵家の、先触れなしの来訪である。


 ジェラルドが血相を変えて私の部屋に飛び込んできた。


「エ、エレオノーラ! 公爵家の馬車が……なぜ、こんな急に……!」

「あら」


 私は鏡台の前で髪に櫛を入れながら、振り返りもせずに答えた。

 鏡の中で、淡い金の髪が朝の光を弾いている。母譲りの灰青色の瞳。背ばかり高くて、笑わない女。

 社交界では陰で「氷の伯爵令嬢」と呼ばれているそうだ。結構なことだと思う。氷であるから、大抵は今回みたいに取り乱さずにいられる。


「お祖父様が、可愛い孫娘の屋敷を訪ねてくださっただけでしょう。何をそんなに慌てていらっしゃるの?」

「し、しかし」

「それとも」


 私は櫛を置き、ゆっくりと立ち上がった。


「何か、お祖父様に見られて困ることでも、おありなのかしら」


 ジェラルドの顔から、四日分の上機嫌が音もなく剥がれ落ちていった。




 私の母方の祖父、アルブレヒト公爵は、御歳七十を越えて白髪頭になってなお、かくしゃくとした人だった。

 応接間に通された公爵は、私が膝を折って挨拶するより先に、ただ一言、こう言った。


「エレオノーラ。手紙は読んだ」


 端的で、必要最低限でありながら、十分な一言だった。


 公爵の視線が私の傍らに立つリーゼへと移る。

 リーゼは怯えながらも、私が前夜に教えたとおり、ぎこちなく、けれど精一杯の礼をした。

 スカートの裾をつまみ、腰を落とす。頭は過度に下げない。孤児院の子が、たった一晩で覚えた淑女のカーテシーは不恰好だったけど……


 公爵はその所作をじっと見つめ、それから、ふっと相好を崩した。


「……良くできておる。善い」


 たった一言だったけれど、それが意味するところを私は正確に理解した。

 リーゼのカーテシーはマナー講師なら不合格レベルだ。しかし祖父は今、この子を「家の敵」とは見なさない、と決めたのだ。

 罪は子供にはない。私が手紙に書いた通りに、この老公爵は判じてくれた。

 リーゼの背を支えていた私の手に、彼女の安堵が伝わってきた。


 そして祖父の目が、部屋の隅で凍りついている男へと向けられた。


「ジェラルド子爵」


 声の温度がリーゼに対するものとは、明らかに変わった。


「儂の孫娘と縁を結ぶにあたり、貴公が交わした書面を、憶えておいでかな。よもや、忘れたとは言うまいな」

「こ、公爵閣下、それは、その……」

「答えずともよい」


 公爵は、皺の刻まれた手を、ゆるりと上げた。


「貴公が忘れていようと、書面は残っておる。契約書とはそういうものだ。儂はこの後、娘婿の伯爵——エレオノーラの父の元へも訪れ、話をする。三家で交わした約定がいかに扱われたか。その一点について、な」


 ジェラルドはもう言葉を発せなかった。

 ただ、青ざめた顔で、助けを求めるように私を見た。


 七年。七年だ。七年、私を見くびり続けてきたこの男が、初めて、私に縋るような目を向けてきた。


 私は何も言わなかった。助け舟? 出すわけがない。

 その代わり、リーゼの肩にそっと手を添えて、彼女を祖父の前へ半歩だけ進めさせた。


「お祖父様。この子、リーゼと申します。聖アグネス孤児院で、私の旧友のスノーフレークが育てた子です。賢く、心根の優しい子ですわ」

「ほう。あのスノーフレーク嬢の」


 祖父の顔がまた和らいだ。

 学生だった頃、スノーフレークを連れて、何度か祖父の公爵領に滞在したことがある。私の親友として紹介したこともあり、祖父は彼女を丁重に扱ってくれていた。


「では、安心だな。あれの育てた子なら、間違いはあるまい」


 ——ご覧なさい、ジェラルド。


 私は、心の中で静かに語りかけた。


 あなたが考えなしに連れてきたこの子は、今、公爵家にすら歓迎されている。

 傷つくのはこの子ではない。あなただけ。あなた、ただ一人なのよ。


 広間に午後の陽光が差し込んでいた。リーゼの栗色の髪がその光を受けて、柔らかく輝いているのが私は美しいと思った。




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