番外編 婿の名前を思い出せない 前編
エレオノーラさんのリーゼの婿への話。
前後編でさくっと。
私、元子爵夫人エレオノーラが子爵家を出て、随分と長い年月が経った。
今日は神殿の女性信徒たちの集まりだ。
座談会のテーマは何でも良いと言われたので、私はニーズの多い「貴族家庭の複雑さ」をテーマにして、自分自身の過去を雑談的に話すことにした。
「そうですわねえ。昔を振り返って、少し彼の話をしてみましょうか。亡き夫の庶子で、私の義娘リーゼの選んだ夫——あの婿のこと」
☆ ☆ ☆
婿の最初の失態は、親友スノーフレークの一件だった。
リースト伯爵メガエリス卿が、私に相談があると子爵家を訪れたときのことだ。
そのとき婿は、応接間に通されたメガエリス卿の麗しい容姿と、彼が私に向ける真剣な様子だけを見て、勝手な結論に飛びついたらしい。
「困りますね、義母上。逢い引きをなさるなら、子爵家の外でお願いしたい」
開口一番、そう言ってきたことは、前にも話した通りだ。
あのときは、まだ可愛げがあった。ただの早とちりだと言えなくもなかったから。
けれど二度目の訪問のとき、婿はもっと愚かなことをした。
メガエリス卿が来訪した日、応接間の外に彼はこっそりと身を潜めていたらしい。私とメガエリス卿の会話を、盗み聞きするために。
それに気づいたメガエリス卿は、懐から音を遮る魔導具を取り出し、応接間をまるごと防音してしまった。
話が終わって玄関先まで彼を見送りに出た私は、心から詫びるしかなかった。
「……家の者が、不躾な真似を。申し訳ございません」
幸いにしてメガエリス卿は笑って不問にしてくれたが、私は居た堪れなくて彼の顔が見れなかった。
これは私の恥ではなく、リーゼの婿としての——ひいてはこの子爵家の恥だ。
その日の夜、リーゼに報告すると彼女も額を押さえて嘆いていた。
「あの人は、どうして……。……正義感の強い方ですが、お義母様に関してはどうもおかしな勘違いを解いてくれなくて」
「リーゼ。婿様は私のこと以外はよくできた方よ。……ひとまずは、静観しましょう」
我が子爵家は領地の畜産業が主な産業だ。婿は生ハムを中心とした畜産加工品の品質向上に尽力してくれている。
その甲斐あって二人の結婚から短期で増収見込みが立っており、業績は無視できなかった。
「ただ……彼には流通は任せないほうがいいかもしれないわ」
婿入り先の姑相手に、態度が悪い。
恐らくその言動は家の中だけでなく、外でもいつ彼の口から飛び出すかわからない危うさがあった。
流通担当ともなれば、他領の貴族や商人たちとの縁も増える。さすがにあの婿にそれらの人脈を与える気は、私にはなかった。
☆ ☆ ☆
座談会の参加者たちから悲鳴が上がった。
「あのリースト伯爵メガエリス様相手にそんな真似を!?」
「どうなんですの、リースト伯爵令息夫人!?」
参加者たちの視線が一斉に、少しぽっちゃりめの焦茶の髪の若い婦人に向いた。
美人というより、中型犬のような愛嬌のある、おっとりしたご婦人だ。
彼女ブリジットこそ、メガエリスさんと私の親友スノーフレークの長男、カイル君のご令室なのだ。
「そうですわねえ。このお話は初めて伺いましたけど、義父なら普通にやりそうですわ。気配りの細やかな方ですから、エレオノーラ様のお家にお邪魔してすぐ、異変に気づかれたのでしょう」
ブリジット夫人はかなり言葉を選んで言ってくれたが、あのとき後から調べると、婿は客間の隣にいて、来客の話が聞こえやすい壁の薄い場所に待機していたそうなのだ。執事が申し訳なさそうに報告しに来ていた。
メガエリスさん、客間に入るなり隣の部屋に人がいることに気づいて、しかも聞き耳を立ててることまで看破するって。
……魔道騎士団長様、半端ないわ……
「私としては、昼間から自宅の客間で来客と何をすると疑われたのか、小一時間は問い詰めたかったですね」
「お叱りにならなかったのですか? エレオノーラ神官様」
「ええ。だって下衆の勘繰りですよ? 相手にする価値もなかったのです」
仕事はできるし、義娘リーゼとの仲も良かった。そんな婿だが、思っていたほど人間ができてないと知った出来事でもあった。
婿はこの調子で、何ひとつ事実確認をしていない私の妄想を抱いては、一方的に私を攻撃し続けたわけだ。
☆ ☆ ☆
次の失態は、親友スノーフレークの結婚式にまつわるものだった。
スノーフレークとメガエリス卿の婚礼はごく内輪の、慎ましいものだった。
参列したのは彼女の実家の弟と、孤児院時代に彼女の世話になっていた義娘のリーゼ、それに私だけ。
けれど、その席に時の国王ヴァシレウス陛下が臨席されていたことを、婿は後になって知った。
「なぜ、私を連れて行ってくださらなかったのですか! ヴァシレウス大王陛下がご臨席だったと、後になって聞いて!」
息巻いて詰め寄ってきた婿に、私はあきれるより先に溜め息が出た。
「連れて行くわけがないでしょう」
私はにべもなく答えた。
「あなたは花嫁の親族でも、花婿の縁者でもないもの。呼ばれる理由がどこにあって? それに——私自身、陛下がいらっしゃるとは当日まで知らなかったのよ。知っていたところで、あなたを連れていく話にはならないけれど」
婿はぐっと言葉に詰まった。悔しそうに、納得のいかない顔で。
その隣で、リーゼが静かに夫を見ていた。
何も言わなかったけれど、その眼差しには「またなのか」という色が浮かんでいた。
私の義娘は聡い子だ。夫の品格をこうして日々正確に、黙って採点している。
そして婿は妻のその視線に気づけていない。
国王の臨席に婿が驚くこと自体は無理もない。
けれど、そこで真っ先に出た言葉が「なぜ私を連れて行かなかったのか」という不満だったことに、リーゼは夫の底の浅さを見た様子だった。
(可哀想に。これでも二人は恋愛結婚だったのにね)
王都の学園に入学して二年の頃、恋人ができたと嬉しそうに報告してくれた彼女の愛らしい照れた顔を私は思い出した。
自分の両親の不幸を見ているから、婚約や結婚に慎重だったけど、同学年の伯爵令息と親しくなった彼女の後押しをしたのは私だ。
ああ、本当に人生は複雑な縁が絡み合って、ままならない。
☆ ☆ ☆
「ヴァシレウス様とまみえる機会は確かに貴重ではありますが……ねえ?」
「ええ。仲の悪い姑相手によく言えるなって思いますわね」
参加者の婦人たちが顔を見合わせている。
「エレオノーラ神官様は、子爵家では婿殿とどのように関わっておられましたの?」
「ほとんど業務連絡のみのやり取りでしたね。娘との結婚後は本当に私への態度の悪い男でしたから、娘がいない場所で同室になることも避けておりました」
「それは大変賢うございますね」
「社交パーティーでも、娘がいなければ必ず友人たちと居るようにしてましたから」
「あ、エレオノーラ様はご実家やお祖父様は高位貴族と伺ってます」
「ええ。だから〝子爵家の婿〟からは声をかけられなかったわけ」
私みたいに元々の友人や、実家や祖父の公爵家の縁戚だと別だけれど、爵位が下の者から上の者へ話しかけるって、やっぱりマナー的に不味いことが多いのよ。
「その、婿殿にはご自身の人脈を紹介したりは……?」
若いお嬢様が恐る恐る質問してきた。
私はとても良い笑顔で言った。
「あり得ません。私の家族も友人たちも、私を無下にする男との縁を望みませんでしたから」




