第0話『酸っぱいいちごの思い出』
大きな大きな森に囲まれた、小さな小さな村。
その村の中心から少し離れた場所に、十歳の頃の私が住んでいた家が、ぽつんと建っていた。
玄関の横には、小さな鉢が三つ置いてある。
そのうちの一つだけ、まだ青いいちごの実をつけた苗が植えられていた。
あの日の私は、いつものように水やりをするつもりで、ジョウロに水を入れて家を出た。
そこで——、
「……え、誰?」
鉢の前に、知らないお姉さんがうつ伏せで倒れていて、
「ご飯……恵んで、ください……」
か細い声と共に、ぐぅ、と大きな音が鳴った。
* * *
朝日が差し込むリビングに、四角い木のテーブルが置かれている。
その周りを囲うように、大きさの違う三つの椅子が並んでいた。
一番小さな椅子に座る私は、テーブルの上に並ぶ食器がすべて空になっていることを確認して、それから対面の一番大きな椅子に目を向けた。
「——ふっかーつ! ありがとう、親切な君。おかげでお腹いっぱいになったよー!」
「あ、はい……どういたしまして」
用意したご飯を平らげたお姉さんは、お腹をポンと叩きながら、にこりと笑った。
「あ、お代は後でいただきますね」
「ぅえっ?! お金とるの?! あ、いやまあ……お礼はしようと思っていたけども!」
慌ててポケットをあさり始めたお姉さんを、私は少し警戒しながら観察した。
身長は、百六十センチ以上ありそう。
見開かれた赤い瞳には、猫のように鋭い瞳孔が見える。
騒ぐたびに開かれる口元に、人のものより長く、鋭い犬歯があった。
肩口で切り揃えられたプラチナブロンドの髪と、陶器みたいに白い肌は、まるで人形のようにとてもきれい。
けれど服装は、サイズの合っていない無地の白いパーカーに、青い短パンだけ。
どこかちぐはぐな外見に、情けない印象を受けた。
私の視線に気づいたお姉さんが、顔を上げる。
「お、もしかして僕のことが気になる感じ?」
「いえ、別に。ただ、村の外から人が来るのは、珍しいなと思って」
「ふふん。そんなに気になるなら、僕がここに来た理由を教えてあげよう」
「いや、だから気になってないです」
「僕は今日、『巨大イチゴの採集』って依頼を受けて、この森まで来たのだよ!」
私の声など聞こえていないかのように、お姉さんは一人で話し始めた。
「でも、ぜーんぜん見つからなくてねぇ。森の中を探し回っていたら、超デッカい蜘蛛の……いや、牛かな? とにかく、変な魔物に追いかけられてさ。やーっといちごの匂いがしたと思ったら、まだ青くて小さいやつで……そんなこんなで、今に至るのだよ」
「巨大いちごなんて、この村にはないと思います。私が育てているものか、同じようなのしか……」
「そんな……! でも、ほらこの紙見てよ! 『巨大イチゴ』って! ほら!」
お姉さんは、ポケットから、くしゃくしゃに丸められた紙を取り出した。
受け取って広げると、たしかに『巨大イチ〇゛の採集』と、大きく書かれていた。
最後の一文字は、つぶれていてはっきり読めないけど。
私は依頼詳細の欄まで一通り読んでから、紙を返した。
「これ、この村にはいないですよ」
「なんてこったー……また振り出しに戻った……ってコト……?」
お姉さんは、がっくりとテーブルに突っ伏した。
そのまま、指で『の』の字を書きながら、ぶつぶつと呟き始める。
「また失敗かなぁ……もう都市を出て、静かな田舎に住みたいなぁ……ねえ君。僕をこの家で養ってくれない?」
「嫌です」
「即答! 冷たくフラれて、僕は傷心だよ……」
騒ぐお姉さんを無視して、私は席を立った。
テーブルの上を片付けるため、皿を重ねていく。
体を伸ばしていると、お姉さんも少しだけ手伝ってくれた。
一通り回収して、リビング横のキッチンへ運ぶ。
コーヒーメーカーのスイッチを押しながら、振り返った。
「あ。コーヒーとか、飲みますか?」
「うう……ありがとう。コーヒーより、あまーいミルクがいい……」
「大人なのに……少し、待っててください」
冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いだ。
角砂糖を一つ入れて、マドラー代わりのスプーンを添える。
それを、まだテーブルに突っ伏しているお姉さんの前に置いた。
「ありがと。君、やっぱり優しいね」
「いえ、別に……」
顔を上げたお姉さんは、スプーンを手に取り、コップの中身をくるくるとかき混ぜた。
一口飲み、白くなった口元を艶っぽく舐め取る。
それから、隣に立ったままの私を見上げた。
「そんな優しい君に、一つお願いしてもいーい?」
「聞くだけなら」
「この牛乳、温めてくれないかなーなんて。砂糖が溶けづらくて……」
「……はぁ」
ため息をついて、差し出されたコップに両手を向ける。
「おお? もしかして、君……」
「黙ってて」
手のひらに意識を集中させる。
そこにある感触を、少しずつ、粘土をこねるように熱へ変えていく。
十数秒ほど続けると、冷たかった牛乳から、うっすら湯気が立ち始めた。
「これくらいでいい?」
「おおー! ありがとう! ちょうどいい!」
嬉しそうな笑顔から目を逸らし、私は自分の椅子へ座った。
「まさか、助けてくれた女の子が『魔女』だったなんて!」
「……それ、飲み終わったら帰ってね」
「ええー、つれないなぁ……あ、飲み終わったらってことは、飲み終わらなければ残ってていいってこと?!」
「違う。帰って」
睨むと、お姉さんはけらけらと笑って、いたずらっぽく睨み返してきた。
「そう言われてもなー。ほら、お代もまだ渡していないしー? 食い逃げしていいってことー?」
「ぅ、……いじわる」
「えっへへー、ごめんごめん。でもおねがーい。もう少しだけ、居させてほしいなー?」
残っていた牛乳を飲み干して、キッチンのコーヒーメーカーを見ながら、
「コーヒーができるまで、お話しよ。それくらいなら、いいでしょ?」
そう言って、また一人で喋り始めた。
「ふぁああ、もうこんな時間かー」
「コーヒーができるまでって言ってたのに……」
「いやいや、これに関しては、もてなしてくれてた君も共犯だよね?!」
外は既に真っ暗になっていた。
お姉さんは何時間も、一人でペラペラと話していた。
最近のガラケーがカメラ性能ばっかり上がってるとか、最新ゲーム機のグラフィックがどうとか、実は自分は吸血鬼だとか。
私はたまに頷く程度だった。
時折お菓子を出したり、お昼ご飯を用意したり、両親はずっと前に亡くなったことを話したりしたけど。
お姉さんは流石に喋り疲れたようで、テーブル横の床に寝そべっていた。
首をもたげ、椅子で本を読む私を見た。
「読書家だねー。そんな分厚い本、読んでて疲れない?」
「別に、慣れてるし。それに、これはお父さんがいつも読んでいたやつだから、あんまり面白くないけど読むの」
「面白くないんかーい!」
ページをめくる手を止め、壁に掛けられた時計を見た。
読みかけのページに栞を挟み、読んでいた天文学の専門書を本棚へ戻す。
キッチンへ行こうと、寝転がっているお姉さんのそばを通りかけて、足を止めた。
「ねえ、お姉さん。もう、こんな時間だし……」
「ん。んー、そうだね、そろそろ……」
お姉さんが、体をゆっくりと起こし、
「晩ご飯にする?」「帰ろうかな!」
二人の声が重なった。
「え?」「え?」
お互いに、不思議そうな顔を見合わせた。
「も、もう暗いよ? 危ないし、明日帰った方が……」
「それは平気! 僕は吸血鬼だからね。むしろ夜の方が安全まであるのだ!」
「え。それ嘘じゃなかったの?」
「そんな嘘つかないよ!」
お姉さんは、あははと笑いながら立ち上がり、体を伸ばした。
私に向き直り、頭に手を置く。
「ずいぶんとお世話になっちゃったし、何よりそろそろ依頼に戻らないとだし、やっぱり行かないと」
「……そっか」
「どうしたー? 僕とさよならするのが悲しいかー?!」
頭をわしゃわしゃと撫でられながら、
「ねえ。行く前に、さっき見せてくれた紙、出してくれる?」
「紙? 依頼書のこと? いいけど、なんで?」
「いいから。出して」
お姉さんは、きょとんとしながら、ポケットからしわだらけの紙を取り出した。
こちらにも見えるように、それを広げる。
「これでいい?」
「そしたら、書かれてる内容、読んでみて」
「はいはい、えーっと……『巨大イチゴの採集』?」
「違う違う。それより下の、詳細情報って書かれた長い文章のところ」
「あ、ここか。ええと何々……『この依頼の目標は、巨大イチ……ボ? 肉の採集である……イチボ肉とは、牛型魔物の腰から尻にかけて採れる希少な赤身部位のこと。森に生息する巨大牛型魔物、牛鬼を討伐し、この肉を手に入れることが目標である』……ええと……え? イチボ?」
「そ。『イチゴ』じゃなくて『イチボ』。それと、あなたが追いかけられたっていう、蜘蛛みたいな、牛みたいな魔物が牛鬼」
お姉さんは、口を開けたまま固まった。
数秒後、
「——初耳なんだけど?!」
絶叫が、リビングに響いた。
「紙がくしゃくしゃだったから、『ボ』が読めなかったんだけど……詳細欄にはちゃんと書いてあったよ」
「僕は、ターゲットを見つけたのに、みすみす見逃していた……ってコト……」
お姉さんは床にへたり込み、また『の』の字を書き始めた。
『の』を六個書いたところで、顔を上げる。
「いや! ターゲットが分かったなら余裕じゃん! 教えてくれてありがと! やっぱり優しいんだね、君!」
キラキラした笑顔を向けられて、
「……ふふ、どういたしまして」
私も少しだけ笑ってしまった。
「よーし。今度こそ、本当に出発だ!」
お姉さんはまた立ち上がり、今度こそ玄関へ向かった。
「——あ、そうだ」
ドアに手をかけたところで振り返る。
「僕の名前はエリス。覚えておいてよ!」
「ええ……名乗るの遅くない?」
「タイミングがなかったんだもーん」
「ふふふっ……私は、ライラ。ちゃんと覚えておいてね。エリスお姉さん」
お姉さん——エリスさんは、ニイっと長い犬歯を見せて笑った。
それから、ガラリとドアを開けて、
「それじゃ、またね! ライラ!」
その姿は一瞬で、夜の闇へ消えていった。
* * *
夜が明けた村には、うっすらと霧がかかっていた。
昨日の騒がしさが嘘だったように、村は静かだった。
眠い目をこすりながら、私はその日も、日課の水やりをしようとジョウロへ水を入れた。
玄関を開けたところで——、
「ライラ! ごめん助けて!」
「ひゃあっ?!」
白いパーカーを血で真っ赤に濡らしたエリスさんが、そこに立っていた。
私は驚いて、ジョウロをその場に取り落とす。
後ずさりながら、震える声で訊ねた。
「え、大丈夫……? ケガ、したの?」
「だいじょうばない! ケガはしてない! これは倒した牛鬼の返り血を浴びただけ!」
「ええっと……倒せたなら、おめでとう?」
「おめでたくないよー! お尻がどこかわかんないの! だって体、蜘蛛なんだよあれ! 糸出るところを採ればいいの? わかんない!」
血生臭くて物々しい姿のまま、バタバタと手を振って騒ぎ出した。
見た目はずっと怖くなったのに、中身は昨日の頼りないお姉さんのままで、
「ふふ……あははっ」
「笑い事じゃないよー! これじゃあ依頼失敗しちゃう!」
「あははっ! ごめ、ごめんっ……ふふっ」
「もー、だから、笑い事じゃないんだってばー!」
ひとしきり笑った後、エリスさんは恨めしそうに頬を膨らませて、腕を組んでいた。
「ごめんってば」
「ふーんだ」
「もう……しょうがないから、ついてって教えてあげる。これで許して?」
「え」
「だって、エリスさんどうせまた戻ってきて、わかんないよーって言うでしょ」
「む。それはたしかに?」
「だから、都市で依頼を達成するまで、私がついていってあげる」
そう言うと、エリスさんは慌てて両手を振った。
「いやいやいや、流石にそこまでは大丈夫だよ! ほら、村の人とか心配するでしょ!」
「んー。それは、たぶん大丈夫。この村の人たち、私のことは興味ないだろうし」
「そう、なの? まあー、可愛げない子だもんね?」
「うわ、そういうこと言うんだ。さいてー……ね。いいでしょ?」
エリスさんは、数秒「うーん」「でもー」と悩んで、
「やっぱり、教えてくれるだけで——」
「お代、まだもらってないし。それとも、エリスさんは子供相手に食い逃げするつもり?」
重ねるように返した言葉に、エリスさんは諦めたように笑った。
それから、私へ手を差し出す。
「……ずるいなぁ」
「交渉、成立?」
「成立。よろしくね、ライラ」
その手を取ると、優しく握り返してくれた。
「ねえ、エリスさん。出発前に、このいちご、食べない?」
いつも水をあげていた鉢を指した。
小さくて青かった実は、ほんの少しだけ赤くなっていた。
「ええー、まだほとんど青いじゃんか」
「でも、都市まで行って戻ってきたら、枯れちゃうかも」
「そうかな?」
「そうだよ」
鉢を手に取り、二つの青い果実を摘んだ。
そして、
「これからしばらく、よろしくね。エリスさん」
「こっちこそ。ライラ」
少し酸っぱいその実を、二人で一緒に食べた。
それから私たちは、牛鬼の亡骸からイチボ肉を回収した。
なんとか都市までたどり着き、無事に依頼を達成した。
初めて訪れた都市を、私のわがままで観光して回った。
ゴミ屋敷だったエリスさんの家を、二人で大掃除した。
一緒にご飯を食べて。
一緒に眠って。
そして気づけば——。
十五年後の今も、一緒に都市で暮らしているなんて、ね。




