違和感
夜。
王都の一角。
人目につかない、静かな石造りの建物。
「ーー例の剣は?」
低く、感情の薄い声が響いた。
姿は見えない。
だが、その場の空気を支配しているのは、間違いなく"そちら"だった。
「‥‥‥ええ」
ヴェルナーは、わずかに頭を下げる。
「あの鍛冶屋にありました」
「トリスタン、と呼ばれる男の元に」
一瞬の沈黙。
「確か、か?」
問いは短い。
だが、否定を許さない重さがあった。
ヴェルナーは、薄く笑う。
「ええ。間違いありません」
「"あの反応"は‥‥‥ただの剣ではない」
ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。
「少なくともーー」
「"眠っている類"のものです」
再び、沈黙。
「‥‥‥ならば、手に入るのだな?」
ヴェルナーは一瞬だけ、目を細めた。
「もちろんですとも」
その声音には、自信しかない。
「いずれーー必ず」
わずかに間を置き、続ける。
「こちらに来るように"仕向けます"」
その言葉に、空気がわずかに揺れた。
「‥‥‥よい」
短い返答。
それだけで、"許可"は下りた。
「期待しているぞ、ヴェルナー」
気配が、消える。
完全な静寂。
ヴェルナーは、ゆっくりと顔を上げた。
消えた気配の余韻が、まだ空気に残っている。
やがて、小さく息を吐く。
「‥‥‥‥さて」
口元に、わずかな笑み。
視線が、わずかに窓の外に向けられる。
王都の灯りが、遠く瞬いていた。
「どこまで耐えられますかねぇ」
「職人殿」
誰に聞かせるでもない呟き。
「あなたの"こだわり"が、どこまで通じるのか」
口元の笑みが、わずかに深くなる。
「少し、試させてもらいましょうか」
その指が、机の上を軽く叩いた。
コン、と乾いた音。
するとーー
扉の向こうで、気配がひとつ動く。
「お呼びでしょうか」
低い声。
影の中に控えていた男が、静かに姿を現した。
ヴェルナーは振り返らない。
「ひとつ、仕事があります」
「例の鍛冶屋だ」
短い指示。
だが、それだけで十分だった。
「‥‥‥‥排除、ですか?」
わずかな間。
ヴェルナーは、ほんの少しだけ考えるように沈黙する。
「いえ」
ゆっくりと、首を横に振った。
「まだ早い」
その声には、確かな意図があった。
「刺激しすぎると、折れる前に壊れてしまう」
「それでは、意味がない」
影の男は黙って頷く。
「では‥‥‥監視を?」
「それも一つですが」
ヴェルナーは、わずかに目を細めた。
「"困ること"が起きる程度でいい」
「ほんの少しだけーー不自由にしてやれ」
静かな言葉。
だが、その内容は明確だった。
「商売は、環境で決まるものですからねぇ」
「材料が届かない」
「客が来ない」
「妙な噂が立つ」
「そういう些細なことが、積み重なればーー」
言葉を切る。
「人は、選択を誤る」
影の男は、深く頭を下げた。
「承知しました」
気配が、ずっと消える。
再び、静寂。
ヴェルナーは窓の外を見たまま、呟いた。
「‥‥‥焦る必要はない」
「どうせ、最後には」
その視線が、どこか遠くを射抜く。
「こちらに来る」
確信に満ちた声音だった。
***
数日後。
蓮たちは、再びあの鍛冶屋を訪れていた。
「‥‥‥やってる、よな?」
蓮が看板を見上げる。
前と変わらず、今でも外れそうな扉。
だがーー
なぜか、前よりも静かだった。
「入ります」
アーサーは迷わず扉を押す。
ギィ、と鈍い音。
中は、やはり薄暗い。
だがーー
(‥‥‥‥少ない?)
蓮は違和感に気づく。
前に見た時よりも、明らかに武器の数が減っている。
「‥‥‥来たのか」
奥から、トリスタンの声。
姿を現した彼は、相変わらずの無精髭。
だがーー
どこか、機嫌が悪そうだった。
「また来ました」
アーサーは頭を下げる。
トリスタンは一瞬だけ、視線を向けーー
すぐに逸らした。
「‥‥‥‥好きに見ろ」
ぶっきらぼうな一言。
だが、その声音にはわずかな苛立ちが混じっている。
(‥‥‥なんか違うな)
蓮は内心で呟く。
店内を見渡す。
やはり、前よりも"空いている"。
「材料が入らねぇんだよ」
ぼそり、とトリスタンが呟いた。
「運ぶ連中が、急に腰引きやがってな」
それだけ言って、酒をあおる。
蓮の眉が、わずかに動く。
(‥‥‥やっぱりか)
視線を感じる。
外。
誰かが、こちらを見ている気配。
「‥‥‥‥アーサー」
小さく声をかける。
だがーー
返事はない。
アーサーは、またあの剣を見ていた。
前よりも強く。
まるでーー引き寄せられるように。
(‥‥‥まずいな、これ)
蓮は小さく舌打ちする。
外の気配が、消えた。
だがーー
嫌な予感だけが、残る。
***
それから、さらに数日。
鍛冶屋の空気は、明らかに変わっていた。
「‥‥‥‥ちっ」
トリスタンが舌打ちする。
炉には火が入っていない。
「今日は‥‥‥やってないんですか?」
アーサーが遠慮がちに問いかける。
「材料がねぇ」
短い返答。
店の奥を見れば、空になった棚がいくつもあった。
「炭も鉱石も‥‥‥全部止まりやがった」
吐き捨てるような声。
蓮は腕を組む。
(露骨すぎるだろ‥‥‥)
「偶然じゃないな」
ぽつりと呟く。
トリスタンは答えない。
だが、その沈黙が答えだった。
「他の店から仕入れるとかは?」
「無理だな」
即答だった。
「どこも同じだ」
酒をあおる。
「"扱うな"って話が回っている」
空気が、わずかに重くなる。
マーリンが顔をしかめた。
「それって‥‥‥‥」
「まぁ、そういうことだ」
トリスタンは興味なさそうに言う。
だが、その手にはーー
わずかに強く酒瓶を握っていた。
外から、笑い声が聞こえる。
ちらりと視線を向けるとーー
店の前に、数人の男が立っていた。
こちらを見て、にやにやと笑っている。
「‥‥‥感じ悪い」
マーリンが小さく呟く。
男たちは、わざとらしく声を張る。
「こんな店で武器買う奴いるのかよ」
「やめとけやめとけ、呪われるぞ」
くぐもった笑い。
蓮のこめかみに、血が上る。
「‥‥‥あいつら」
一歩、外に出ようとする。
「やめとけ」
トリスタンの声が止めた。
「相手にするな。いつものことだ」
「どうせ、そのうち消える」
その言葉には、どこか諦めが混じっていた。
アーサーは、何も言わない。
ただーー
あの剣を見ていた。
前よりも、強く。
まるで、引き寄せられるように。
「こんなところさっさと潰れてしまえ!!」
男たちは聞こえるように叫ぶ。
(‥‥‥まただ)
蓮は舌打ちをする。
外の連中のやり口に、腹の奥がじわりと煮える。
外の男たちは、しばらくして去っていった。
だがーー
空気に残った"嫌な感じ"だけは、消えなかった。
アーサーは、剣を見つめたまま動かない。
「‥‥‥そんなに気になるのか?」
蓮が声をかける。
「はい」
迷いのない返答だった。
蓮は眉をひそめる。
「そこまで心持っていかれる剣って‥‥‥‥」
一瞬、言葉を選ぶ。
「"魔剣"とかじゃないだろうな」
その時だった。
ーーぴたり。
音が、消えた。
空気が止まり、呼吸の感覚すら遠のく。
誰も、動かない。
そしてーー
「‥‥‥違う」
低く、静かな声。
すぐ近くで囁かれたような、錯覚。
「‥‥‥‥え?」
蓮が固まる。
マーリンも、アーサーも動かない。
「‥‥‥‥今の声、誰だ?」
誰も答えない。
ただ一つだけ。
アーサーの視線の先。
あの剣だけがーー
わずかに、震えていた。




