一人で戦いに行きます
静まりかえって詮議の間は
「父上・・母上・・・兄上・・・」
幼い紫翠の泣き声だけが響いていた。
焦点の合っていない目で何かを探すように両手を宙に伸ばすその姿は、民の姿と変わらない。
書簡を三老に渡し、竜将軍は宙に浮いた手を握りに紫翠の前に膝をついた。
淀んだ瞳が虚ろげに竜将軍を捕らえた。
「・・・・しょ・・ぐ・・ん・・」
宙にさまよった手が竜将軍の衣服を掴んだ。
幼子の力とは思えぬほどギュッと握られ、爪が肉に刺さっている。
「う・ぁ・・ああああああああああ!!」
紫翠は大勢の人の前であったが防波堤の壊れた川のように一気にその激情を爆発させた。
縋り付いて泣く少女に頭を撫でても背を撫でても留まることはなく、時がこの少女を癒すのを待つしかなかった。
泣き声が少し小さくなり始めた頃
「・・・それでどうする?藍光は滅んだ。同盟はもう無い。」
吐き捨てるように言いはなった王に竜将軍は撫でていた手を止めて振り返ってしまった。
腕置きに肘をつき、手で頬を支えまるで茶番劇を見るかのようにこちらを見てくる視線に竜将軍としてではなく神楽としてゾッとした。
この人は誰だろう。
この玉座に座る人は誰?
幼い頃共に遊んだ閃がそこにはおらず、冷酷にこちらを見てくる人がいた。
凍える風が吹き抜けたわけでもないのに、竜将軍は背筋が凍った。
初めて見る温度のない閃の表情。
はっきりと藍光を見捨てた表情に人としての情が全くなかった。
「陛下?」
訝しげに竜将軍が呟く。
「露国については偵察を送れ。それとその者達を放り出せ。邪魔だ。」
吐き捨てるように閃が言い放つと、見て分かるほど紫翠が震えた。
「!!陛下!!!」
今にも退室しそうな閃。
気怠げに何だ?という視線は見たことがない。
「藍光をいえ・・民を見捨てるのですか?」
震えないように声を発したつもりだが、尻すぼみな声になってしまった。
「・・藍光は他国だ。それより既にない国のことなどどうでも良い。それに分かっているはずだ。兵を出して救いに行くことは慈善活動ではない。利益を生み出さないことをしても自国に損失になるだけだ。そいつらが璉国に何を生み出すというのだ?それもこの時期になど、馬鹿げている。」
吐き捨てるように答える王の姿に呆然とした。
確かに軍を動かすことは莫大な金がいる。慈善活動で戦争を行う奴なんていない。この時期に兵士として人をかり出すことは収穫時にとってはかなりの痛手であることは分かっている。
分かっているが、あの閃が・・幼き頃命の尊さを共に学んだ閃は何処に行ったのだろう。
あんなに冷たい目をした閃を私は知らない。
「皆ご苦労であった。帰るが良い。」
早々に玉座から立ち上がり背を向けて歩き出す閃。
ギュッと握られた服を掴む手紫翠の顔は死人のように真っ白で、先ほどから地に頭を付けて頭を垂れている陽月は怒りでフルフルと震えている。
それを面白そうに見ている官吏達。
「・・・ます・・・」
ポツリと静寂した空間に音が響く。
発信源である竜将軍は真っ直ぐに王を睨みつけ、
「私が・・・藍光に参ります。」
はっきりと竜が王に刃向かった。
目に見えるほど王の様子がおかしい。
「くっくっく・・・」
状態を少し曲げて肩を振るわせて笑う王の姿は狂気を感じさせて嫌な汗が背中を伝っていく。
だが、官吏達や将軍達は息を呑んで二人の言動を見つめていた。
「そなたが行くだと?馬鹿げている。・・・軍の大将が何の益もない国を守りに行くのか?ましてやこの時期に兵を率いて?馬鹿げている。」
くくくっと暗い笑みを浮かべて言う王にいつもの閃とは何かが違っていた。見えない壁が存在して二人を別ったような気がする。
だがここで王と心が離れてはいけない。王が壊れてしまえば国が壊れるのは簡単だ。
「陛下!!私は救いを求める者を見捨てることは出来ません。益があろうとなかろうと必死になって手を伸ばす者達を見殺しには出来ない。」
「だがそなたは国の重責だ。国のことを思い国のために尽くす。益がないことをするなど王の傍に立つ者としてはあるまじき行為ではないか?」
「確かに今軍を動かすわけにはいきません。軍ではなく私単騎で藍光に参ります。」
正面からぶつかり合う王と竜将軍に官吏達は好機の目を寄せた。
滅多なことではこの二人の意見は反することはなかったが、こうも正面からぶつかり合う論争は初めてだった。
誰もがこの二人の論争の結末を今か今かと待ち望み固唾を飲んで見守っていた。
その空間の中で
「くくっく・・竜将軍そなたその女に惚れたか?妻にでもするつもりか?出来もせぬくせに。」
王の笑い声と侮蔑の言葉が零れた。
「陛下!!」
慌てたように竜将軍が取りなしたが
「オイ女!!竜将軍に縋っても妻にも愛人にもなれはしない。抱いてはくれんぞ!!無駄なことを考えるより身の振り方を考えておけ。」
王は言葉を止めなかった。
ギュッと腕に痛みを覚えた。振り向くと大きく開かれた紫翠の瞳からボロボロと大粒の涙が流れた。声もなくただひたすらにボロボロと泣き続ける紫翠にズキリと胸が痛んだ。
決して気づかなかったわけではない。
彼女が竜将軍を見つめる目は王女の目ではなく、一人の女性として恋する人の目であった。
「今はその様な話をしているのではありません。陛下話をそらさないでください。どうか出陣を許可ください。」
答えを濁しているのは自分も同じではないかと思いながらも神楽は必死にしがみつくこの少女を守るために、声を張り上げた。
その必死の叫びに閃は歩く足を止めて考えるように動作をした後、
ふっと鼻で笑ったような蔑んだ笑みを浮かべた。
「そうかそこまで言うのなら、許可しよう。されど一兵たりとも連れて行くことは許さぬ。たった一人で国を救えるのなら救ってみろ」
明らかに無謀としか言えない命令だったが、竜将軍は腕に縋り付く紫翠に一度目を向けて、その手をゆっくりと剥がし、王に両手を組んだ手を向けて頭を垂れて
「心得ました」
そうはっきり王に向かって答えた。
大変遅くなって申し訳ありません。私情で少しバタバタしてしまい、全く執筆できてません。
亀より遅い更新になりますので気長にお待ちください。