↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/22

第7話 夜空色の美貌と注がれる好奇の視線

 ガルディニア帝国の大広間を飾る眩いばかりのシャンデリアが、万華鏡のような光を床の白大理石に投げかけていた。


 今宵、催されるのは、皇帝ヴァルハイトの手によって国境から招き入れられた一人の令嬢のための歓迎晩餐会。帝国の政財界を動かす有力貴族、軍の重鎮、各省庁の首脳陣が一堂に会し、会場は独特の熱気と微かな緊張感に満たされていた。


「聞いたか? 陛下が直々にエスコートして宮殿へ連れ帰ったという令嬢の話を」


「ああ……シルヴェニア王国のローゼンバーグ公爵家の娘らしいな。あろうことか『無能』として国を追放されたとか」


「そんな者を我が帝国の『国家最高顧問』に据えるなど、正気の沙汰とは思えん。いくら陛下のお考えとはいえ、飾り物の姫を囲うための名目に過ぎぬのではないか?」


 会場のあちこちで、グラスを片手にした貴族たちがひそひそと囁き合っている。


 特に、実務を司る保守派の重鎮―――財務大臣を務めるフランツ公爵を中心としたグループの視線は厳しかった。


 エレノアの故郷であるシルヴェニア王国と異なり、長年、実力主義と厳しい統制によって発展してきたガルディニア帝国において、他国の追放令嬢がいきなり最高顧問の座に就くなど、到底承服できるものではなかったからだ。


 その時、会場の最奥に位置する重厚な二重扉が静かに開かれ、儀典官の朗々とした声が響き渡った。


「―――皇帝陛下、並びに国家最高顧問エレノア・ローゼンバーグ様、ご入場!」


 一瞬にして、大広間の喧騒が弾けたように静まり返った。


 全員の視線が、大階段の頂点へと注がれる。


 そこに立つのは、漆黒の礼装に身を包んだ絶対の君主、ヴァルハイト。そして―――彼の差し出した腕に、静かにその小さな手を添えている一人の美女だった。


「―――っ!?」


 あちこちで息をのむ音が漏れた。


 エレノアが纏っていたのは、まるで静かな夜空をそのまま切り取ったかのような、深みのある濃紺のシルクドレスだった。動きに合わせて優美な光沢を放ち、胸元には夜空に輝く一等星のごとき最高級ダイヤモンドのネックレスが煌めいている。


 かつて隣国のシルヴェニア王国で「地味で華がない」と蔑まれ、泥のように働かされていた影は、そこには微塵もなかった。 過酷な労働から解放され、皇帝の過保護なまでの愛によって潤いを取り戻した肌は白磁のように滑らかで、透き通るような美しさを誇っている。束ねられた濃紺の髪と、知性を秘めた深い紺碧の瞳が、ドレスの輝きと完璧に調和していた。


 注がれる好奇の視線は、かつての王宮と場所が変わっても慣れるものではない……。


 エレノアは、隣を歩くヴァルハイトの腕に添えた手に、わずかに力を込めた。胸の鼓動が早鐘のように鳴り響いている。


 大階段を降りる一歩一歩に、会場中の数百の視線が突き刺さるのを感じていた。賞賛、驚嘆、そして―――隠しきれない疑念と警戒の視線。


「安心しなさい、エレノア」


 耳元で、ヴァルハイトの低く甘い声が囁かれた。一人称を「私」と改めた彼の口調は、公の場にふさわしい尊厳に満ちているが、エレノアへ向けられた眼差しには惜しみない情愛が宿っている。


「君の美しさに、彼らは言葉を失っているだけだ。何も恐れることはない。私が常に君の隣にいる」


「……はい、ヴァルハイト様。感謝いたします」


 エレノアはそっと息を吐き出し、胸を張った。


 前夜、彼が手ずからホットミルクを飲ませ、優しく抱きしめてくれた温もりが頭をよぎる。自分を心から信じ、守ろうとしてくれる彼に、決して恥をかかせるわけにはいかない。


 階段を降りきると、さっそく帝国の重鎮たちが挨拶のために歩み寄ってきた。その先頭に立つのは、険しい目つきをした白髪の老貴族―――財務大臣フランツ公爵であった。


「陛下、本日の晩餐会、実におめでたく存じます。……そして、こちらが新たな『国家最高顧問』であられますか」


 フランツ公爵は恭しく一礼してみせたが、その瞳には冷ややかな探るような光が宿っていた。


「わたくしは財務大臣を務めますフランツと申します。エレノア様、我が帝国の壮麗なる宮殿はいかがでしょう? 王国の田舎屋敷とは、少々勝手が違いましょうが……」


 あからさまな皮肉と蔑みを含んだ言葉。周囲の貴族たちが固唾をのんで見守る中、エレノアの表情は一切崩れなかった。


(フランツ公爵……帝国東部の開発予算の割り当てに頭を悩ませ、直近では鉱山からの減税要求と魔導インフラの維持費の板挟みになっている方ね)


 昨夜、ヴァルハイトに叱られるまで頭に叩き込んだ資料のデータが、エレノアの頭脳のなかで瞬時に組み上がっていく。


 エレノアは隙のない完璧な角度でドレスの裾をわずかに持ち上げ、品格に満ちた優美なカーテシーを披露した。


「初めまして、フランツ公爵。温かいお言葉をありがとうございます。ガルディニア帝国の宮殿は誠に素晴らしく、また陛下や参列者の皆さまのお心配りには深く感謝しております」


 鈴を転がすような洗練された声に、フランツ公爵がわずかに眉を動かす。エレノアはさらに言葉を続けた。


「公爵閣下が長年にわたり、帝国の厳格な財政規律を維持し、特に昨今の東部鉱山地帯における税収の変動にも迅速に対処されているお噂は、かねがね伺っております。国家の根幹を支えるそのご尽力には、心より敬意を表します」


「なに……!?」


 フランツ公爵の顔色が一瞬で変わった。


 単なる表面上の挨拶ではない。公爵が今まさに最も頭を悩ませている極秘に近い財政課題を、この若い令嬢は完璧に把握した上で、さらりと敬意へと変換して返してきたのだ。


「ま、まさか……我が帝国の内政事情をそこまでご存知とは……」


「最高顧問として陛下にお仕えする以上、帝国の現状を把握しておくのは当然の嗜みにすぎません」


 エレノアは控えめでありながら、凛とした微笑みを浮かべた。その立ち居振る舞いには、かつて「無能」と追放された影などどこにもなく、一国の最高機関を率いる者にふさわしい圧倒的な気品と知性が漂っていた。


 周囲で様子を伺っていた貴族たちの間から、驚きと感嘆のざわめきが広がる。


「見たか……? あのフランツ公爵を、一言で黙らせたぞ」


「ただの飾り物だと思ったが……本当に、帝国の財務状況を頭に入れていたのか―――」


 冷ややかだった探るような視線が、瞬く間に敬意と恐れを含んだものへと塗り替えられていく。


 ヴァルハイトは、完璧な淑女として立ち回るエレノアの横顔を、誇らしげに、そしてたまらなく愛おしそうに見つめていた。そっと彼女の腰に手を引き寄せ、さらに距離を縮める。


「見事だ、エレノア。……だが、あまり無理をして私を驚かせるなと言ったはずだぞ?」


 耳元で囁かれたヴァルハイトの言葉に、エレノアの頬が、かすかに赤く染まる。


「ヴァルハイト様……。私、ちゃんと出来ていましたでしょうか……?」


「完璧だ。さすがは、私の自慢の―――最高顧問だな」


 ヴァルハイトは、自らエレノアに与えた役職の名を告げる前に、かすかに逡巡をみせたあと、唇が甘くほころび、アイスブルーの瞳が熱く揺れる。

 

 帝国の夜会という戦場で、エレノアは最初の一歩をたしかに踏み出したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。