新しい任務
参謀は「ちょっとそこの書簡取って」くらいの気軽さで「君がその辺の女官たちと話したことを教えてほしいんだ」と言った。
「え?」
思ってもいなかった「頼み」に目を瞬かせる。参謀はそんな私に「雑談してくるくらいでいいから」と付け加えた。益々目が点に近づく。
「女官たちの口に上るようなことは、私たちの耳にはほとんど届かないんだ。だが、彼女の話には大事な情報が含まれていると確信していてね」
「確信、ですか」
参謀は「うん」とさも当然といった面持ちで頷いた。
(そうか。先輩女官たちに絡まれないようにしたのは、私が逃げ回るばかりでは、雑談もできないから、と)
参謀が先輩たちを大人しくさせた理由は理解できた。しかし、本当に有益は得られるのだろうか。
私は女官たちの間で繰り広げられる会話がどんなものだったかと思い出してみた。
『溌官吏、最近何だか素敵じゃない? 何だか身ぎれいになられたっていうか』
『嫌~! また後宮の方で揉めてる~! 私西宮の方には行きたくないわ!』
『ちょっと、聞いた? 最近女官長のところによく来てた官吏、あれ言い寄ってたらしいわよ』
(こういうことを話してほしいということでいいのだろうか)
私は確認のために、参謀へ記憶にある会話の例を示した。すると参謀は「そういうやつでいい」と笑う。本当にそういうやつでいいらしい。
「面白い話があったら教えてね」
「……分かりました」
と言ったものの。つまり、直接的な表現はされなかったけれど。これは。
「諜報では?」
家に帰った私は部屋で帳簿の確認をしていた劉燕に向かって首を傾げた。どうしてここに来て話しているかと言うと、今日の件のことが何となくもやもやしたので、彼に話せばすっきりするかと思ったのである。
話を聞き終えた劉燕は、手を止めて柔らかい表情で「そうかもね」と頷いた。
「女官の私に、女官の情報を持ってこいって言ってるってことだよね」
「そういうことになるね」
「私の立場は?」
眉を顰める私を、劉燕がおかしそうに眺める。
「どういうことを聞き出してこい、と言わないあたり、流石だねえ。お前は命令で参謀室と女官棟を行き来している。仕事中に女官棟の方で面白い話を聞いた。仲良しな参謀にも聞かせた。参謀が知っていても不自然じゃない」
「そういう運びか……」
「きっとあの人の中では、そこでしか得難い情報が混ざってるんだろうね」
(ふうん……。身内の女官たちを探ってこいという意味かと思ったけど、そこまで私が構えなくていいのか)
とりあえず、溜飲が下がった。
「ありがとう」
「いえいえ。何かあったら言いにおいで」
劉燕は不敵に笑いながら私の頭を撫でた。
(む)
いけない、またしても小さい子にするような扱いをされている。
私はやめるようにという意思を込めて、彼の手を自分の手で押し避けた。
「何、どうしたんだい」
普段は大人しくされるがままになっている私の抵抗じみた行動に、劉燕がきょとんとした。
(反抗ではない)
私は「子ども扱いしてくれるな」という旨のことを彼にやんわりと告げた。
「私ももう大人なので。いつまでも膝に乗せられたり、頭をいい子いい子されたりしているのはどうかと思って」
「……へえ?」
途端の劉燕の目が怪しく細められた。経験的に「まずい」と脳が警報を鳴らしたのと同時に、劉燕の手が伸びた。すばやく私の後頭部へ手が回り、逃げる体制を取る前に確保される。
目の奥が笑っていない劉燕の顔が近づいた。
「誰かに何か言われたかい?」
聞き方こそ優しいが、恐らく気持ちは全然優しくない。こういうときはそういうときなのである。そして、そういうときはごまかしたり嘘を吐いてはいけない。
私は誠心誠意「いいえ」と答えた。
「じゃあ何かを見てそう思った?」
「いや」
私は動かない頭部を僅かにふりふりしながら否定を表現した。
「強いて言えば、劉燕と姫榕が原因ですかね」
「……」
「私には、自分があまり大人びていないという自覚が自然と発生していてですね、その原因を探ったときに、二人が子ども扱いするのが一因としてあるのではないかと考えた訳です」
無意識に口調が丁寧になる。何が劉燕の気に障ったのかさっぱり分からない。「何言ってんだ子供だろ」と思われているのだったらそれはそれで私も心外なのだが。
しかし杞憂だったのか、私の主張を聞いた劉燕は「成程」と納得顔で頷いた。
(おや、理解が得られ……)
「だそうだよ、姫榕」
(姫榕?)
頭を固定されていた上に、姫榕が完璧に気配を消していたので、この場に姫榕がいるとは全く気付けなかった。
「姫よ……」
面倒なことになりそうという嫌な予感と共に振り返る。劉燕は私の後頭部からするりと手を離した。
同時に、背後からがしりと腕を回される。片腕が腰を捕らえ、反対の手が私の顎を掴んだ。
(うわーー!)
姫榕の顔が近く寄せられる。しかもこちらもあまり機嫌が思わしくない。何だと言うんだ、二人とも。
「何だその嫌そうな顔は」
「む……」
姫榕が気だるげかつ責めるような口調で問う。しかし、私は顎を持たれているのでまともに答えることはできない。もごもごと口を動かそうとするも、言葉にならなかった。
姫榕は別に私の音声による返事が欲しいのではないらしく、「朱春」と首を傾ける。
「子ども扱いが不服なら、大人の扱いをしてやるが」
「!」
言葉と共に、私を抱く力が強められる。先日も抱えられたところだが、あの時と触れ方が何か違う。具体的に何がどうとは言えないが、絶対的に何かが違う気がした。
私の中で激震が走った。いけない、とんでもない、勘弁して、とお断り文句が怒涛の勢いで頭の中を流れていく。
「――! ――!」
あらん限りの力で身を捩る。水揚げされた魚のように、私は姫榕の腕の中で動き回った。
後ろで劉燕の「あっはっは」と笑う声が聞こえる。びちびちと暴れていると、ようやく姫榕は私を解放した。力の差が圧倒的過ぎる。息の切れ始めている私に対し、姫榕はしれっとした顔をしていた。
解放と共に逃亡へ移った私の背に、姫榕の声が飛ぶ。
「好きな方を選んでいいぞ」
「子供で!」
即答した。そして私は走って逃げた。怖い。恐ろし過ぎる。何がって、姫榕はからかってあんなことを言ったのではないと肌感覚で分かるからである。
(大人を選んだら……大変ことになる!)
頭を撫でられる代わりに、あんなことをされてはたまったものではない。どういう気持ちでいればいいのか全く不明である。
(姫榕と劉燕め~~……!)
私は二人の育て親を恨めしく思った。教育に悪いのではないか。強く叫びたいけれど、何の抵抗にもならない。今頃二人で「全く朱春は」とか言っているだろう。
結局私は自分を信じて大人っぽくなるしかないのだ、とよく分かった一夜だった。
・・・・・・
「全く朱春は」
劉燕はわざとらしく肩を竦めた。
「困ったもんだね。こっちの気も知らないで。まさかいい奴ができたのかと思ったよ」
「ふ。顔に出そうなものだが」
「意外とね」
劉燕の瞳が姫榕の薄く笑う顔を映す。
「……で、あいつはお前に何だと?」
「今日あっちの職場で参謀殿から新しい命令が下ったんだって」
さっきまでのことなどなかったかのように話し始める姫榕に、劉燕は内心で呆れながら朱春から聞いた話を始めた。姫榕は「そんなことか」とつまらなそうに視線を外に投げた。
「参謀殿ならわざわざ頼むまでもなく、誘導もできただろうに」
「ねえ。いやはや律儀な御方だと思って」
「それともうちのが手強いか」
「うちの子も、自慢の子ですから」
「違いない」
姫榕と劉燕はそれぞれ笑みを含んだ息を漏らした。今頃紅龍楼の厨房で、自分たちの悪口を叩いている彼女のことを思い浮かべて。
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