第169話 白い波と青い海、空に馳せる夢 上
まだジルベルトがARKHEDの契約を交わしてしていない頃。
それは彼の故郷、少ない陸地で海原が広がる星、メルジーネでの話。
観測装置であるアリーチェは強い力に惹かれてその星に降り立ったが、その力を持つ者、ジルベルトの願いは戦うためのものではなく、願いを口に出そうとしなかった。
彼の想い人であり、相思相愛だと思われていた女性、セラフィーナ。
重い病に侵されている彼女が願うのは心から愛している者、ジルベルトに他の女性を好きになって欲しいという理解し難いものであった。
「私はね、長く生きられない。ううん……。これ以上長くは生きたくない」
「何を言っているの? そんな事、彼が悲しむわ」
「うん……。だから内緒だよ」
「……秘密にしておくことは構わないのだけれど――――」
「ありがとう、旅人さん」
セラフィーナはずっとこの想いを誰かに明かしたくてたまらなかったのだろう。
自分を慕う子ども達に話す訳にもいかず、優しくしてくれる神父やシスターにも心配は掛けさせたくはない。
ジルベルトに明かすのは以ての外で、出会ったばかりの、深い仲でない旅人である少女ならば構わないと、そう判断して打ち明けたのだろう。
「ジルはね、朝から晩まで働いて働いて、この孤児院の運営費と私の治療費とを稼いでいるの。自分にはほとんどお金を使わなくて、本当はやりたいことがあるのに無理をして……」
「これ以上迷惑は掛けたくない。そう言いたいのね」
「うん……」
セラフィーナに尽くすジルベルトの姿を女に縛られているのだと内心嘲笑いもした。
だが、尽くされる方も現状に心を痛めているようで。
このままではいけないと気付いていて、どうにかしたいと願っていたようだ。
合理的に考えれば明日の命が知れないセラフィーナに時間を費やすのは無駄と断言できる。
けれどもジルベルトの想いはそう簡単に割り切れるものではない。
「アナタ。彼がアナタの事をどれだけ想っているのか分からないの? 今日出会ったばかりのアタシでも分かるくらいなのに……」
「分かっているよ。分かっているからこそ、この先が怖いの……」
深く愛してくれるからこそ、この先には不安が付き纏う。
セラフィーナが危惧していた事。それは自分が死んでしまった時の後の事だった。
強く想っているジルベルトがセラフィーナを失えばどうなるのか。
それは容易に想像できる。
彼女の為に日々を過ごすジルベルトにとって、セラフィーナを失うという事は生きがいをなくすような事で、憔悴しきった姿が目に浮かぶようだ。
残された者が如何にしてもう届かぬ想いに引きずられるか。
分からない訳でもないが、だからといって今、その想いを否定したり無かった事にするのは正しいとは言えない。
長い年月、病弱なセラフィーナの傍に居て支えてきたジルベルト。
彼ならばいつかそうなる事も覚悟していて、それでも傍に居る事を決めているのではと、出会って間もない少女ですらも分かっている。
けれどもだからこそ、このままでは駄目なのだと、セラフィーナは強く願う。
「ジルはきっと、生涯誰も好きになる事が無く、ここで生きていくつもりなんだと思う。私は彼の可能性を潰したくない……。これ以上ここに縛りつけたくは無いの」
「本当に、彼が他の女性を愛しても許せるの?」
「ええ……。そうなって欲しいと、心から願うわ」
それがジルベルトの為になると強く信じているようだが、覚悟は足りていない。
やはり他の誰かを愛する彼の姿は見たくないようで、瞳には迷いの色が滲んでいた。
自分の本当の気持ちを押し殺してまでも愛する人の幸せを願うセラフィーナ。
彼女の想いもまた、ジルベルトと並ぶほどに強いものであったが、やはり観測対象としては不適格である。
少女の使命の範疇外となると、セラフィーナ達の事情に踏み込む必要はない筈だが、この二人は見ていてどうにももどかしく感じ、つい口を出してしまった。
「アナタは馬鹿ね」
「え……? た、確かに、頭はあまりよくない方だけど……」
「そういった意味の馬鹿ではないわよ。ちゃんとした覚悟もないなら、先の事を考えて身を引くなんて言うより、少しでも長く生きられるよう努力をしなさい」
「……で、でも――――」
「アナタ、度々寝床を抜け出しては彼や神父に心配を掛けさせているのでしょう」
「そ、それは……。だって、一人だけ部屋で何もせずにいるのは気が引けるし……」
「アナタは何もしない事が皆の為になるのよ。大人しくして、身体を休める事に専念なさい」
「うぅ……。分かったわ」
納得がいかないようだが、皆に心配をかけている自覚はあるらしく、セラフィーナはしぶしぶ了承した。
言葉では了解したものの、彼女が大人しくしているのはせいぜい二、三日だろう。
そう少女が予測できるのには訳があった。
それは三日後に町全体がお祭りムードに、収穫祭が催されるからだ。
「さぁ、あなたの願いは充分に聞いたから、もう寝ましょう」
「えぇ……。ちょっと待って、あと一つだけ。ね? お願い」
「……全く、言った傍から。まだ何かあるの?」
「うん……。あのね――――」
仮に自分が死んでしまったら、その時は貴女にジルベルトの事を頼みたいの、と。
セラフィーナは信じ難い事を言いだした。
出会って間もない自分を選ぶなど何故にと驚く少女に対し、どれほどジルベルトが素敵な男性なのかアピールポイントを披露するセラフィーナ。
彼女の言う通り、ジルベルトは気さくで優しく、よく働き、背が高くて顔も整っている。
途中から恋人を自慢する惚気のようになっていたが、それで少女が惚れる筈がない。
「寝言は寝てから言いなさい」
「むー。酷いなぁ。私は本気なのに」
「大体なんでアタシなのよ」
「えー? だって、旅人さんは話を聞いてくれたし、彼を何処にでも連れだしてくれそうだし、何より――――」
「何より?」
「可愛くて、私より胸が大きいから……」
「は……?」
容姿はともかく何故バストのサイズが関係あるのかと少女は訝しむ。
するとセラフィーナはぷくっと頬を膨らまして先程これ以上無い程に褒め称えたジルベルトの欠点を述べる。
それは実に下らない内容で、少女を呆れさせた。
「ジルったらね、その……、胸の大きい人が好みの様なの」
「……言っている意味がよく分からないわ。だってアナタは――――」
やせ細っているセラフィーナには当然のように凹凸の無い身体つきで、胸元には山が無く、谷間も出来ずに平原が広がっている。
ズバリその点を言おうとするとセラフィーナはまた頬を膨らましてねめつけ、たじろぐ少女はそれ以上突っ込みを入れられなかった。
「ジルと一緒にね、たまに町に買出しに行ったりする時とか、礼拝を訪れている人の中にね、大きな胸の人が居ると、彼、チラチラと見ていて、鼻の下を伸ばしているのよ」
「……」
「それに、ジルが仕事に出ている間、ベッドの下の箱からその……、えっちい本が出てきて、その本に載っている女性はみんな胸が大きくて……」
「……」
「一度問い詰めたの。胸の大きい女の子の方が好きなんじゃないかって。最初はそんなことは無い、私が一番だと言ってくれたけど、えっちい本を処分しようとしたら土下座して謝ってきて、自分の性癖を認めたのよ!」
その時の事をよほど腹に据えかねていたのか、思い起こしたセラフィーナはぷんぷんと怒っている。
一方で痴話喧嘩を聞かされた少女はウンザリとした表情で何も言わずにそのまま背を向け、ワザとらしく寝息を立て、寝るからもう構うなといったポーズで意志表示をする。
まだ納得はいかないと、ジルベルトの悪口と彼と貴女ならお似合いだとか色々と背中に向かって言ってきていたが、全てスルーすると諦めてしまったようだ。
暫く経った後に少女の背後から聞こえてきたのは穏やかな寝息で、話したい事を沢山話せたセラフィーナは安らかな寝顔をしていた。
その時はまだ、この先どうなるかなど予想もつかなくて。
ただ自身の使命が知られていなければ良いのだと安心しきっていて、観測装置である少女は初めて誰かと共に夜を過ごしていた。
ぬるま湯のようで気持ちが悪いとさえ思った環境も、今では心が落ち着くようで、穏やかな時に身を委ねてしまった。
それでも彼女の中には何よりも大事な使命があって、いつまでもこの場に留まる訳にはいかない。
明日の朝にはここを立ち去ろうと決めていたが、思惑通りに事は進まないもので。
少女はセラフィーナにすっかり気に入られてしまい、泣きついてきた彼女を無下にも出来ず、結局収穫祭が終わるまでここで厄介になる事となってしまった。
祭りの日の朝。
町から離れた小高い丘の上にも喧騒は聞こえてきて、通りには大勢の人が行き交う姿が見られて、まだ会場に着いていないのにも拘らず、その賑わいには誰もが浮足立ってしまう程であった。
何時もならジルベルトは漁に出て、神父は子ども達に教鞭を振るい、シスター達は炊事や洗濯をするのだが、今日に限っては皆休みを取り、町へと繰り出す。
「それじゃ、また後で」
「ジル坊、セラフィーナと旅人さんの事を頼んだよ」
「ああ、分かっている」
人がごった返す中、神父とシスター達は子ども達のお守を引き受け、昼から海沿いで行われるARKSレースの時間まで自由に行動する事となった。
ジルベルトはセラフィーナと旅人……観測装置である少女と共に祭りを見て回っている。
「わぁ……! 見て見て、あっち! あんな大きな豚が丸ごと焼かれて……! あっちは美味しそうなクレープが……! ねぇ、早く行こうよ……!」
食欲をそそられる薫り漂う屋台が立ち並ぶ石畳の大通り。
収穫祭だけあって大地の恵みをふんだんに使った料理の数々は味だけでなく見た目も楽しませてくれる。
子どものようにはしゃぐセラフィーナは小走りで駆け出し、ジルベルトを慌てさせた。
二人の話によると、今回のお祭りはいつも以上に規模が大きく、出店の数もこれまでとは比べ物にならないくらいらしい。
というのも、今回は三日間続けてARKS関連のイベントがあり、その効果なのだろう。
屋台にもARKS関連の商品が、戦闘機形態を模した風船や、飴細工が並んでいる。
「悪かったな。付き合わせて」
先に先にと歩くセラフィーナより数歩離れて歩くジルベルトと少女。
せっかくの祭りをセラフィーナに付き合わせる形になって申し訳ないと謝るジルベルトだが、少女にとっては自分の方が悪いことをしたと思い謝り返す。
「いいえ、アタシの方こそ、二人きりで祭りを楽しむ機会を奪って悪かったわね」
「そ、それは……」
「まさか、気が付いていないと思っていたの?」
「あー……、いや、まぁ、そうだよな」
頬を赤らめつつもセラフィーナとの関係を認めたジルベルト。
まだ恥ずかしいのか、後ろ頭を掻いて視線を明後日の方へと向けて皆には言わないでくれと頼み込む。
言わずとも皆、神父だけでなく子ども達にも気づかれているだろうという突っ込みは野暮であるからしないとして、初心な態度を見ていると微笑ましくもあるが、同時にウンザリともさせられる。
お熱い様子にごちそうさまだと内心毒づいていた所、咳ばらいをしたジルベルトは見世物小屋にてふわふわとした毛むくじゃらの小動物に興味津々で檻に張り付いているセラフィーナを見つめながら、隣に居る少女へと礼を述べた。
「寧ろアンタが居てくれてありがたい」
「……アタシが?」
「ああ。この町は今でこそ賑わっているが、普段はただの漁港で、若者には見向きもされなくてな。セラ位の歳になると皆ここから離れた都市部に行ってしまうんだ」
「同年代の友人は居ない……、という事ね」
「そうだ。だから同じ女で、一緒に居られて嬉しいんだろうさ」
「そう……」
セラフィーナが少女に教会への滞在を強く願ったのはそれが原因なのだろう。
腑に落ちた少女だが、彼女の使命を果たす為には早々にここから、この星から立ち去らなくてはならない。
どう言って別れを告げるべきか考えていた少女だが、考え込んでいた様子をジルベルトは別の意味で捉えたらしい。
「あ、まさか、同年代だと思っていたが、ひょっとして凄い年上だったとかってことは無いよな。他の星では幼い見た目なのに年寄りだったり、長命だったりするらしいが……」
「もうっ! ジル! 女性に歳を尋ねるなんて失礼だよ!」
「セ、セラ、お前何時の間に――――」
いつの間にか戻ってきたセラフィーナは少女の代わりに不躾な質問をしたジルベルトを叱る。
ジルベルトは悪かったと謝り、少女は全く意に介していないと言い、彼は胸を撫で下ろした。
失礼だと注意したセラフィーナは簡単に許すなど甘いと言うが、彼女も少女の歳が気になっている素振りである。
クスっと笑った少女は仕方がないわねと言い、自身の年齢を明かす。
と言っても彼女が生を受けたのは遥か昔で、エルンストの手によって作り出された観測装置である少女には誕生日や年齢というものが定かでない。
そこで普通の人の成長具合を考慮して偽りの歳を述べる。
するとセラフィーナと同い年だったらしく、彼女は大いに喜んでいた。
その後三人は屋台を見て回り、チープだが何故か食欲をそそられるものを食べ、そしてARKSのレースが行われる会場へと向かった。




