第161話 青色のカプセル剤 上
明け方にジルベルトの部屋から出てきた鳴鳥を冷やかすような真似はせず、マリアンは焦りを見せながら落ち着いて聞くようにと言った。
彼から聞かされたことはつい数時間前までは考えられなかった事で。
鳴鳥は簡単に受け入れられず、否定を口にした。
「嘘……、ですよね」
「私も嘘であって欲しいわ。でもついさっき、おかしいと思ってヘニング団長に問い合わせたのよ。その結果が……。取り敢えず、鳴鳥もラウンジに来て」
「わ、分かりました……」
ドクドクと早鐘が鳴る心臓。
寝間着のままであることも、髪が乱れている事も気にする余裕が無い位に鳴鳥は焦りを感じていて、嘘であってほしいと何度も願った。
駆けつけたラウンジには皆が揃っていて、鳴鳥の姿を見て皆が辛そうにしている。
皆がそこに揃っているように見えたが見回してもある者の姿が無い。
嫌な予感は予感だけで済まず、モニターに映るヘニングも残念そうな顔をしていた。
「ナトリ君。朝早くからすまないね」
「……い、いえ。こちらこそ、お待たせしたようで、それにこの様な恰好ですみません。それで、お話って言うのは……」
「辞令を言い渡す為にね。今日は朝早くから集まって貰ったんだ」
「辞令……」
「ああ。今日から君達の部隊の隊長は、クランド君に任せる事となった」
「え……?」
それならばこれまで部隊長だった者はどうなるのか。
先程マリアンから聞かされたことも相まって鳴鳥は取り乱すようにしてモニターに近づく。
何故何も言わずに去ってしまったのか、今彼は何処で何をしているのか、思いつく限りの疑問は口からついて出た。
目上の者に対して普段は気を付けている所作もままならない状態であったが、ヘニングは気に留める事も無く、逆に申し訳なさそうにして答えた。
「ジルベルト君は本日付で特務部の別部隊へ移動となって、任務に就いて貰っているよ。君達へは自分から話をしておくと言ったんだがね、どうやら戻ってきた時には説教が必要なようだ」
「……戻ってくる。戻ってくるのは何時になるんですか!?」
「それは……――――」
困ったように口端を緩めたヘニングは再度申し訳ないと断りを入れ、帰還は未定だと言った。
彼が嘘を吐く筈は無く、真実を知らされた鳴鳥は力なくその場に崩れるようにして倒れかかり、咄嗟に久城が支える。
自分の力では立つこともままならぬ鳴鳥の瞳は焦点が定まっておらず、現実を受け入れられないようであった。
打ちのめされてしまった彼女の代わりにマリアン達がヘニングを問い詰めるが、詳しいことは何一つわからない。
唯一つ分かっていることはジルベルトがこの船を降りて別部隊の所属となって、戻ってくる保証はないとの事だった。
皆から責め立てられていたヘニングだが、彼が悪いわけではない。
マリアン達の気持ちも何時もなら嬉しく思う所だが、今の鳴鳥には皆の声が届いていない。
話を早々と切り上げようとしたヘニングだが、通信を切る前に鳴鳥へと重要な用件を伝える。
このような時に済まないと前置きをして伝えた内容は、セリアが会いたがっているとの事で。
彼女と話をする場を設けさせて貰うそうだが、とても今の状況では無理であるだろうと判断し、落ち着いたら連絡を寄越すようにとの事であった。
鳴鳥は話が全く耳に入っていないようでいて、彼女を支える久城が責任をもって任せて欲しいとヘニングに返事をして通信は終わった。
その後、鳴鳥は久城に支えられたまま自室に戻る。
心ここにあらずといった様子の鳴鳥に対して久城は気遣いの言葉を掛けるが、言葉は右から左へ聞き流してしまっている。
今はそっとしておくしかないだろうという結論に行き着いた久城はゆっくり休むようにと言い、部屋を後にした。
ベッドに身を沈めている鳴鳥はぐちゃぐちゃになった頭の中を必死に整理しようとする。
どうしてジルベルトは何も言わずに去ってしまったのか、何か自分が彼に愛想をつかされてしまう事をしてしまったのか。
考えても考えても答えは出なかった。
居なくなってしまった事が受け入れられずにいると昨晩の事が夢のようで、それでもまだ身体には彼が愛してくれた跡が残っているようで。
不思議と涙は出なかったが、ぽっかりと心に穴が開いてしまったような空虚感を覚えた。
黒い墨を撒いたかのような宇宙に彩られるのは星雲と煌めく星々で。
美しい情景はジルベルトにとって見慣れた光景であって、今更目を奪われることは無い。
彼は自動操縦にしたARKHEDの内部照明を落とし、座席を倒して目を瞑る。
瞼の裏に映るのは愛しく想う者の姿で、それは中々振り切れるものでは無かった。
決して離れたかった訳ではない。今でもこれで良かったのかと後悔は付きまとう。
それでも愛しく想う者の元から去るのを決めたのは、このままではいられないと分かっていたからだった。
何も告げずにアルヴァルディを発ったジルベルト。
彼が何故、誰もが咎めるような選択をしたのか。それは数日前に遡る。
僅かな希望を頼りにセリアと会う事を願ったジルベルト。
渦中の人物である彼女との時間を設けるにあたって、いくらARKHED契約者としても中々日程は決まらなかった。
ヘニングの尽力もあり、やっとの事で得られた機会。
しかしそれは残された希望をも打ち砕くようなものであった。
「――――……方法は……無い」
「ええ。残念だけれど、今の所、貴方が知っている方法以外では枷は外せないわ」
「そう……、ですか……」
全身の力が抜けるような虚脱感。
こういった結果になる事も覚悟はしていた筈であった。
それでも現実は受け止めきれず、ショックは隠し切れない。
もう希望は無い。ならばどうするのか、問いは無限に浮かぶが答えは出ない。
一度は落ちた視線。そのまま足元を見続けるしかないのだと、もう前を向いてはいられないと諦めきっていた。
けれどもセリアは再び上を向くことが出来るような事実を聞かせる。
「現段階では、方法は無いに等しい。でも、エルンストならば……観測装置を作り出した彼ならば可能かもしれない」
「……本当かっ!?」
「まず間違いないわ。だけど……」
最初にその可能性を示さなかったのはそれなりの理由があるからで、現に今もセリアの表情は浮かない。
ジルベルトの落胆のしようにやむなく告げたようだが、やはり迷いがあるのだろう。
一方で彼は藁にも縋りたい所なのだろう。
エルンストと対峙をした時には手酷くやられたが、次こそはと彼へ対する敵愾心を強めていた。
希望を見出したジルベルトを再び突き放すような真似はしてはならないと、セリアは多少焦りつつ前言に付け加えた。
「エルンストが枷の解き方を知っていたとしても、素直に従うとは思えない。彼が己の利益にならない事をする筈がないわ」
「奴を叩きのめせば……、あるいは……」
「彼は己が身に危機が起きても動じない。そして彼の命を奪ってしまえばそれこそ手の施しようが無くなるかもしれない」
「……そう……か。……どちらにせよ、八方塞がりと言う訳か」
最後の希望にも見込みは無い。
乾いた笑いが出てきそうになったジルベルトに対し、セリアは申し訳なさそうな顔をしていた。
自分達、セリアとエルンストやマギイストの民のせいで、こうして苦しむ者達が居て。
ただの謝罪の言葉では到底足りなくて、セリアはこれ以上言葉を掛けられずにいた。
この際ジルベルトには早めに話しておいた方が良いだろうと思い至ったセリアは更に過酷な現状を示す。
「……星団連合としてはエルンストの身柄の保証は出来ないとの事です。私も、それは致し方ないことだと諦めています」
「……貴女も覚悟を決めているのですね」
「ですが、全面的に争う前に、まだ彼に私の声が届くのなら、彼と共にマギイストの侵略を阻止するという道もあるかもしれない」
それは更に小さな希望。
保証は無い賭けのようであって、確実性は無い。
それでもジルベルトはその選択肢を選んだ。
その結果、愛しく想う者の元を離れることになったとしても、その選択肢を選ばずにはいられなかった。
ジルベルトが操縦するARKHEDはアストリアから遠く辺境の地へ。
宙域を航行する真紅のボディに黒いラインが入った商船を模した星団連合軍所属の船に着船し、降り立った。
憔悴しきった鳴鳥が部屋に籠りきりの日々は三日、四日と続く。
アルヴァルディの皆は入れ代わり立ち代わりで様子を窺いに来るが、心だけでなく身体もやつれていき、見るに堪えない姿になる。
食事もまともに取れない状況では入院もやむなしと結論を出そうとしていたマリアン達だが、その前にと久城が手を挙げて意見を述べた。
「鳴鳥、君にお客さんが来ているのだけれど」
私室のインターフォンの映像に映っているのは久城で、彼は来客が訪れたのだと鳴鳥に伝える。
話を聞きつけたのはソフィーリヤか、はたまたアリーチェか。
そう考えた鳴鳥はどちらの人物にも今の自分の姿を見て欲しくは無く、断りを入れようと震える声で言いかけた。
けれども来客者は意外な者達で、賑やかな声とその顔触れに驚いて目を見開いた。
「なっちん? 具合悪いそうだけど大丈夫?」
「メリエル、病人相手に声が大きすぎるわよ」
「あ……! そっかそっか、ゴメンね!」
「ナトリ、わたくしは美味しいハーブティーの茶葉とお菓子を持ってまいりましたのよ。これで病気も良くなる筈ですわ」
扉を挟んだ向こうに居るのはメリエルとマイアとヴィオレーヌで、彼女達は見舞いに来てくれたようだ。
久しぶりに会えたことが嬉しくて、それでも今のこの姿を見られるのは恥ずかしくて。
だがここで彼女達を追い返す訳にもいかなくて、躊躇いつつも鳴鳥は扉の開閉スイッチに手を翳し、彼女達を招き入れ、そしてボロボロと涙を流しながらヨロヨロと覚束ない足取りで歩み寄って抱き着いた。
ぐずぐずと泣いていた鳴鳥が泣き止むまでメリエルはふかふかの胸元を貸してくれて、マイアはよしよしと撫でてくれて、ヴィオレーヌはホッと落ち着くようなハーブティーを淹れてくれた。
落ち着くまで何も聞かずにいてくれた皆に鳴鳥は礼を言うが、当然のようになんてことは無いと返してくれる。
ようやくまともに話せそうになったが、何処から話して良いのやら戸惑い、そしてその前に何故皆が訪ねて来てくれたのかと問いかけた。
「実はあのクランドってイケメンから連絡を貰ってね。なっちんが何やら大変な状態だからって言われて、こうしちゃいられないと思って来たわけだよ」
「久城センパイが……。皆、わざわざありがとう……。それから、ごめんなさい」
「わざわざだなんて。私達は会いたくて来たのだから、謝る必要は無いわ」
「そうですわよ。友人を心配する気持ちは素直に受け取るべきですわ」
「マイア……、レーヌ……」
「それにしても巻き毛からなっちんに対して友達って言葉が出るなんてねぇ~」
「んま! 何ですの!? ゆゆゆ友人と言って差支えがありまして?! それからその妙な仇名をいい加減におやめになって下さいまし!」
「あ~はいはい。巻き毛ちゃんはなっちんとお友達ですもんねー」
「引っかかる物言いですわね。まったくこれだから庶民の出は――――」
「なにおー!? 誘ってあげた事に感謝もせずに良い度胸だなー!」
「ちょっと二人とも、病人を目の前にして喧嘩をしないの。ナトリ、騒がしくてごめんなさいね」
皆の優しさが嬉しくて、懐かしく感じるやり取りを見て、数日ぶりに鳴鳥は笑ってまた涙を流した。
泣きながらであるが、ここに来て初めて鳴鳥の笑顔を見られたメリエル達はホッと胸を撫で下ろしたようで、ヴィオレーヌの持参したお菓子とハーブティーでささやかな茶会を開いた。




