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第155話 真紅のゼーレクリスタル 上

 ジンジンと痛む頬を押さえる鳴鳥。

 湿布薬を貼って痛みは和らいでいる筈だが、ズキズキとした痛みがまだ残っている。

 それは胸の痛みで。何故心を痛めているのかというと、先程のアリーチェの姿が忘れられないからで。

 彼女に叩かれたというのに、自分が被害者だと鳴鳥は思えなかった。

 ジルベルトとのデートを終えてアルヴァルディに戻った鳴鳥。

 幸せな時を過ごして、この先もずっと今日みたいな時を過ごせるのだと信じて疑わなかった。

 けれども彼女の前に現れたアリーチェは現実を示す。

 ラウンジでマリアンに手当てをしてもらった鳴鳥は礼を言うが、その表情は浮かない。


「まったく。いくら船長の事を好いているからって、女の子の顔を叩くのは無いわよねぇ」

「い、いえ……。今回の事は私が悪いんです。以前アリーチェさんと、ジルベルトさんの事を好きにならないって口約束を交わしていて、私はそれを破った訳ですから……」

「何よそれ。誰かを好きになるのに許しなんて必要ないわよ。第一、船長が選んだのは貴女なのでしょう? だとしたらナトリが気に病む事は何一つないわ」

「マリアンさん……」

「そうっス! ナトリさんは何も悪く無いっス!」

「そうよねぇ、コンラード」


 ゴゴゴと音が聞こえてきそうな程の怒りのオーラを纏ったマリアン。

 彼が見下ろす先には床の上で正座をさせられたコンラードが居て、まるで蛇に睨まれた蛙のように恐怖に竦み、震え上がっていた。

 アリーチェに鳴鳥とジルベルトの関係を明かしてしまったのはコンラードのようで、彼はマリアンによって制裁を受けていた。

 確かに口を滑らせた彼も悪いが、相手はあのアリーチェであって、迫られれば吐かざるを得ないだろう。

 肩を落として身を小さくしているコンラードに鳴鳥は気にしないで欲しいと声を掛ける。


「いずれは知られる事だったので、コンラードさんも悪くはありませんよ」

「ナトリさん……っ!」

「もう! 駄目よ、ナトリ。この子を甘やかしちゃ」

「そういう訳では……。何にせよ、皆さんを巻き込んでしまってすみません……」


 全ての責は自分にあるのだと言い張る鳴鳥だが、マリアン達は納得いかない。

 だがここで責任の所在を論じていても事態は何も変わらない。

 一先ず手当が済んだ所で鳴鳥は部屋で休むようにとマリアンに勧められ、彼に付き添われて自室に戻る。

 ラウンジに残された者達はどうしたものかと頭を悩ませているが結局の所、当事者であるジルベルトがどうにかするしかないと思い至り、彼がアリーチェを宥めさせて戻ってくるのを待った。






 必要最低限のシックな色合いのインテリアが置かれた個室。

 煙草の匂いが染み付いたその部屋はジルベルトの私室で、ソファーに座る彼は眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。

 それは彼の隣に座るアリーチェのせいで、彼女は鳴鳥を叩いて以降、今までずっと泣きじゃくっていた。

 早く彼女を泣き止ませるならば抱きしめてしまうという手もあるが、今のジルベルトには心に決めた者が居て、裏切る事など出来ない。

 淹れたコーヒーが冷めきった頃、ようやく嗚咽が治まったようで、アリーチェはポツリポツリと言葉を口にする。


「――――……して。……どうしてあの子なの?」

「……ナトリの事か?」

「そうよ……! どうしてあの子を選んだの!?」

「それは――――」


 当人を前にしている訳ではないが、やはり胸の内を曝け出すのは躊躇われる。

 どう答えるべきか考えあぐねていたジルベルトだが、適当な答えではアリーチェは納得しないだろうと思い至り、たどたどしくだが想いを明かした。


「最初は……なんというか、危なっかしくて放っておけない存在だった」


 困っている人が居ると放っておけなくて、我が身を省みずに突き進んで。

 常に誰かの為を思っている鳴鳥の姿は危うくもあるが眩しく映って。

 涙脆くて弱いかと思いきや、辛い局面に立たされても立ち直る強さがあって。

 最初は庇護欲であると決めつけていたが、鳴鳥が他の男と親しくしているとイラつく自分が居て。

 気持ちに気づき始めてからはどうせ自分では幸せにする事など出来やしないと分かっていて、そもそも自分などを好いてくれる筈は無いと思っていた。

 鳴鳥がARKHED(アルケード)を手放してしまい、アルヴァルディを去らなくてはいけなくなった時、彼女は嘘のように思えるような気持ちを打ち明けてくれた。

 けれども自分ではやはり気持ちには応えられないと突き放し、その時改めて自分の想いに気づき、そして己の枷を呪った。


「――――その後再会して、今に至る訳だが、……上手く言葉にできないが、俺にはアイツが必要なんだ」

「……」


 誰かを想う気持ちを言葉にするのは難しい。

 上手く伝わったか気になる所であるが、ジルベルトが話している間にアリーチェは静かに聞いていて、口を挟むことは無かった。

 そんな彼女だが、全てを聞き終えた所で何故だか自嘲気味に笑い出し、ジルベルトに問いかけてくる。

 それは問い詰めるような形で、しかも彼女はジルベルトが驚くことを口にした。


「そんなに好きなんだ……。でも、いいの? 枷がある身で、このままあの子の傍に居られるの?」

「……アリーチェ、お前……っ」

「ずっと我慢し続けられる? また同じことを繰り返すんじゃないの?」

「……知っていたのか? 俺の枷の事を……」

「ええ。でも、知っていた……と言うより、思い出したのは最近の事だけどね」


 ジルベルトはアリーチェに枷について明かした覚えは無い。

 他の誰かが彼女に教えたという事も考えられないが、そもそも彼女は思い出したと妙な事を言っている。

 何故知っているのだとジルベルトは問いたげであったが、その前にアリーチェが行動を起こし、ジルベルトは目を見開いて驚き身を引く。

 彼女は上着を脱いだかと思うと下に着ていたビスチェのファスナーを下して胸元を露わにした。


「ねぇ、ジル。アタシが相手なら我慢はする事ないんだよ?」

「アリーチェ……っ! おま……何を言って――――」

「アタシなら何だってしてあげられるし、何をしても構わない」

「馬鹿な事を言うな! 冗談にしてはタチが悪すぎるぞ」

「冗談なんかじゃないっ!」


 目のやり場に困っていたせいか、ジルベルトはソファーに容易く押し倒され、アリーチェはその上にのしかかる。

 何時も強引なやり方で愛情表現をしてきたアリーチェだが、今日はどこか様子がおかしい。

 その身を武器として迫るなど彼女らしくは無いのだが、突然の事でジルベルトは頭が回らなくなり、冷静に諭して落ち着かせることが出来なかった。

 どう対応してよいか戸惑うジルベルトに対してアリーチェは無抵抗なのを良い事に大胆に迫り、更に距離を詰めてくる。

 あと数センチ、ほんの僅かで唇と唇が触れあいそうになり、ハッと我に返るジルベルトはアリーチェの両肩を掴んで引き離し、自らも横たえていた身体を起こした。


「悪いがお前の気持ちには応じることは出来ない」

「……このままずっと、あの子にも我慢を強いるつもり?」

「ナトリには話してある。アイツはそれで良いと言ってくれて、寧ろガードが固くて助かっている」

「……何よそれ。アタシの付け入る隙は全然無いんじゃない」

「……すまない。お前の事が嫌いって訳じゃないんだ。ただ、傍に在りたいと思うのはアイツの……ナトリの隣なんだ」

「……だったら。だったら枷を無くしてしまえば良いじゃない」

「何を言い出す。それが出来たら苦労は――――」

「方法ならあるわ」


 そこまで鳴鳥の事を愛しているならば、枷を外してしまえば良いという彼女だが、そのような事はあり得ないと、ジルベルトは否定した。

 それは彼も願っていた事で。これまで枷のせいで大切な者を傷つけ、そして自分も傷つき、今もなおその呪いを恐れている。

 本当にそのような奇跡が起きるのなら是非とも教えて欲しいと半ば自暴自棄になりながら言うが、アリーチェはもう一度頷いて、再び瞳に涙を浮かべながら訴える。

 それは彼女自身が何者であるかの話で、ジルベルトは驚き目を見開いた。


「――――そんな……まさか……」

「嘘なんかじゃないわ。アタシは全部思い出したの……。嘘かどうか、それは明日の招集の場で分かる筈だわ」

「いや……、でも……、そんな事が……」

「アタシは観測装置オブザーベイションシステム。エルンストが欲望を満たす為に作られた存在で、本当の名……と言うよりも認識コードはセスデクオク、68番という意味よ」


 自分の正体を明かしたアリーチェ。

 彼女は自身が人ではないと言い、そしてセルべリア達と同じ存在なのだと言った。

 いきなり突拍子の無い話を聞かされてジルベルトは更に動揺し、なかなか話の内容を受け入れられないようであった。

 にわかには信じ難い話であるが、アリーチェの表情は真剣で、嘘を言っているようではない。

 彼女は観測装置オブザーベイションシステムの役割……強い願いを持つ者と接触し、願いを叶え、ARKHED(アルケード)を与え、枷を填めて観測すると説明したが、何故その事がジルベルトの枷と関係あるのか、疑問に思うよりも嫌な予感を覚えた。


「アタシはジルの……、貴方の観測装置オブザーベイションシステムなの」


 話の流れから覚悟はしていた。けれどもその事実は易々と受け止めきれるものでは無い。

 互いに押し黙って、ジルベルトは頭の中を整理するようにこれまで聞いた事を反芻させ、アリーチェは彼がどう判断を下すのか、刑を言い渡される罪人のように震えながら待っていた。

 程なくして溜息を吐いたジルベルトはアリーチェを責める事も無く、罵る事も無く、彼女を気遣うように言葉を発した。


「……今まで辛かっただろう」

「そんな……っ! アタシの事よりもジルの方がずっと――――」

「俺は……。俺のこの力は自らが望んだことだ。その結果が枷だするならば、相応の罰だと……。いいや、これぐらいでは贖えないな」

「違うわ! ジルが星を滅ぼした事だって、ARKHED(アルケード)さえ無ければ――――」

「ともかく、この事でお前は悩んでいて、姿を現さなかったんだな」

「それは……、その……」


 ただでさえ雲を掴むような話をされたというのに、ジルベルトはアリーチェの事を気遣い、そして自分を責めることは無いのだと諭す。

 やはり彼は、アリーチェが思った通りの言葉をくれて、咎める事など無かった。

 赦して貰えた事をアリーチェは素直に嬉しく感じるが、ジルベルトの優しさに甘える訳にはいかない。

 これまで彼を苦しめてきた罪は償わなければならないとアリーチェは話を進める。


「ありがとう……、ジル。やっぱりジルは優しくて……強くて……。そんなアナタを……好きになれて良かったと思うわ」

「……アリーチェ。その、お前の事は恨んでなどいないが、お前の想いを受け入れる訳には――――」

「ううん。それはもういいの。自分でも分かっているのよ。あの子の方がアナタの傍に相応しいって。……でも、一つだけ確認をしたいの」

「ん? 何だ。遠慮せずに言ってみろ」

「あの子を選んだのは……、セラフィーナに似ているからなの……?」


 どんな問いを掛けられてもこれ以上驚くことは無い。

 そうジルベルトは高をくくっていたが、アリーチェの問いに口をつぐんで表情を強張らせる。

 何故その名を、その者を知っているのかという疑問は先ほどアリーチェが言っていた通り、彼女が全てを思い出した結果で、観測装置オブザーベイションシステムである彼女はARKHED(アルケード)を得る前のジルベルトに接触しているからである。

 かつてジルベルトはアリーチェに指摘された通りにセラフィーナと鳴鳥を重ねて見た事がある。

 けれども彼女と過ごすうちに違いが明らかになり、自分が決して失った者の姿を鳴鳥に見たのではないと言い切れる。


「……さっき、あれだけ熱い想いを語ったのだから、それは無いわよね」

「あ、ああ……。ナトリとセラは全く違う。セラは大人しくて、向こう見ずな性格ではない」

「そうかしら。あの子はアナタの事となると周りが見えなくなるようだったけど」

「いや、違う。それに、背丈も体型も……――――」

「アタシは本質的な事を言っているのだけど……。まぁ、感じ方はそれぞれだし、ジルがそう言うのなら、そういう事にしておくわ」


 安心したように、ホッと息を吐くアリーチェ。

 これで彼女の話は全てかと思われたが、驚くべき事実の数々に大事な事を失念していた。

 それはジルベルトの枷を外す方法で、アリーチェはその方法を知っていると言った。

 ジルベルトに力と枷を与えた観測装置オブザーベイションシステムであるからして、アリーチェが外す方法を知っていても当然なのだが、その内容を聞いたジルベルトは酷く後悔し、そして己に掛けられた呪いを更に忌む事になる。


「馬鹿を言うな……! そんな事出来る訳――――」

「じゃないとアナタの枷……、呪いは一生消えない。だからアタシは確かめたかったの。どれ程あの子の事を想っているのか、それは過去に失った者への執着ではないのかを」

「頼む……、嘘だと言ってくれ……」

「嘘だったらどんなにいいか……。だから言ったのよ、アタシを選べば全て問題ない。でもアナタはあの子を選んだ。そう……、選んだからにはその覚悟をアタシに見せて」


 取り乱した様子は無く、真っ直ぐな瞳でアリーチェは言う。

 何故落ち着いていられるのか、不思議なくらいに彼女は落ち着き払っていて、ジルベルトの方がひどく動揺している。

 それは覚悟の違いで、ジルベルトには覚悟を決めるどころか答えを出す事すらできなくなった。




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