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なろうフェス用に書きました。
「では改めて」
水に落ちたインクみたいに、静かな部屋に声だけが広がった。
「この結婚は契約です」
筆を持ち、向かい合った緑青色の目が冷たく光っていた。
「夫婦生活は不要。公の場では伴侶として振る舞ってもらいますが、それ以外の時間はどう過ごしていただいても自由です。もし恋人を持ちたければ持っても結構。ただし、恥ずかしくない振る舞いだけは心がけるように」
血の通わないその物言いに、身がすくむ思いがする。
「……わかりました。」
互いの前に置かれた紙にサインをしてから、相手へ。また同じように書き込んで、それから。
「それでは。あとは部屋でもどこででもご自由に過ごしてください」
そう言って踵を返した相手の金髪を見ながら、つい三日前のことを思い出してため息をついた。
✳︎
「ーー嫁げ」
「は?」
執務室に呼ばれて開口一番。父の口から飛び出してきた突飛な命令に、思わず聞き返した。
「父上、いまなんと?」
「言い間違えた」
こほんと咳払いをした父に、ほっと胸を撫で下ろす。
やっぱり聞き間違いに違いない。でなければおかしーー
「シグルディス伯爵のところと政略結婚してきてくれ」
「はあ!?」
裏返った声が出た。
慌てて父との間にある机に両手をついて身を乗り出す。
「なぜですか!?」
すると、こっちの勢いに押されたように、父が少し胸を反らせた。絵本の泥棒みたいに口の周りを囲む黒い髭を撫でて、居心地が悪そうに視線を泳がせる。
「いやー、その、あのな。親父の代からの事業が順調で、俺の代で男爵の爵位をもらっただろ?だが、一代男爵だから、爵位は継げないだろ。せっかく看板に【男爵印の~】とかつけられるようになったのにだ。――で、俺が死んだらどうしよっかなーと思ってたところで、先方が、うちの子を結婚相手に出してくれたら、事業への資金援助もするし後ろ盾にもなるって言ってくださってな」
「それ、ほぼ子供を売ってるようなものでは!?」
思わず声が大きくなった。
すると、父もムッとした顔をする。
「だから、最初から【政略結婚】だと正直に言ってるだろ!」
「いや、正直に言えばいいってものじゃ――」
「とにかく条件がいいんだ!」
「でも!」
それ以上は、耐えられなかった。
これが、親が子に向ける発言かと。
突然、顔も知らないどこぞのお貴族様と結婚しろ。家の会社のために。しかも文句も言うな、だなんて。
それに――
自分の胸を手のひらで叩き、叫ぶ。
「俺は男だぞ!?」
しん、と一拍。
「問題ない!」
「何がです!?」
つい素っ頓狂な声が出た。
「おっさんだか実は美青年だか知らんが、俺は、そういう展開は望んでないんですよ!」
「は? 何を言っている!?」
父が金切り声に近い声を出した。
それからまた一拍置いて、妙に勢いをなくした困惑顔で言った。
「息子よ……お相手は女性だぞ……?」
「は……、え?」
途端に、呆けた声が出た俺。呆れた顔の父。
急に、気が抜けたみたいに、部屋の中が静まり返る。
「でも伯爵って」
「そこの一人娘とだ」
「……」
顔から火が出そうに熱い。
「別に男が相手なんて言ってないだろう」
「それは……いきなり、父上が『嫁げ』とか言うからです」
「言い間違えたと言ったろうが」
背もたれにでっぷりともたれ直し、しれっとした態度で、机の引き出しから葉巻を出して咥える父――改め、くそおやじ。その横顔を近距離からうっかり張り倒したくなる衝動を、なんとか抑える。
「……話は聞けるな?」
「……とりあえずは」
そう答えて、近くのソファに座り込んだ。
✳︎
俺の名前はルーカス・フォンタナ。
人から良く言われる言葉は「寝ぐせついてますよ」。
ごく普通の、光の当たり加減によっては茶色にも見える黒いくせ毛と目。
ひいひいひいひいひいじいちゃんくらいの代からこの国でフォンタナ工房なんてものを継いできた由緒ある家系(笑)に生まれた、健やかな成人男子だ。
決して、目立つ容姿も特技も趣味もあるわけじゃない。
ただひとつ他人と違うところがあるとすれば
俺には前世の記憶があるということだ。
けど、それを話したことがあるのも、この世ではたった一人だけで、その人ももういないから今回のことには関係ないはずだ。
(だから、何でかわからないんだよなあ。俺が指名されたの)
「本来ならもっと準備に時間をもらえてもよかったんだが」
くそおやじは執務机の椅子に、俺はソファに座ったまま話していた。
「なるべく早く、と。そういうご意向でな。」
「俺みたいなのと、すぐにでも一緒になりたいって? よっぽどのワケありなんですね」
つい口をはさんだら、思ったより拗ねたみたいな声がでた。
だが、それには、たしなめられも同調もされない。
「理由はある。いろいろな」
ただそれだけだった。
で、そこから先の説明は、俺は、ほぉんと思いながら話半分に聞き流していた。
だから、あまり詳しいことは覚えていない。
ただ、とりあえず、くだんの伯爵家は、おやじの事業への援助を約束したうえで、経営権もこちらのまま、従業員の数も待遇も変えないでいてくれるという話だった。改めて聞いても、ただの買収や吸収合併と比べれば、確かに、完全に破格の取引だというのは俺にもわかった。
その代わりに、「俺」ひとりが売られるだけで。
そしてそれを問題と思っているのも「俺」だけ。
だから――
「いやっ、でも、うちが儲かりだしたのは俺のアイディアから作ったものがヒットしまくったからですよね? そんな俺をそんなあっさり手放すんですか」
抗議のつもりで、一応は、聞いてみた。
これは俺にとっての【伝家の宝刀】みたいなもので、昔からしたいことや欲しいものがあるときに言うと大抵の要求が通る必殺の言葉だ。
だが返答はあっさり。
「そうだ。お前の異次元めいた商品の発想。あれには本当に助けられたと思う。ただの小さな工房だったうちが、俺が爵位をいただけるまで大きく飛躍したのは、お前の考えた商品からだ。お前のアイディアを聞いて、親父が形にし、俺が売り始めた。――それは否定せん」
「じゃあ」
「だがなあ」
くそおやじは、やれやれと言ったふうに眉間に指をあてると、こう言い切った。
「お前、とんでもなく不器用じゃないか」
そして続ける。
「事業がどれほど大きくなっても、もとは人に必要とされるものを作って売る――それが代々ものづくりを続けてきたうちの根っこだ。その跡取りが、設計図は気が付くと斜めになる。縫製させるとガタガタ、あげく針を飛ばす。鋼・ガラスは割りまくる。なんてことを繰り返されるのはな……」
「ぐ……」
急にまじめに言われた……。
くそ悔しい。が、反論もできない。
例にあげられたのは、例えでもなんでもなく本当のことだし……。
(だって仕方ないだろ。【扇風機】って装置を知ってても、必要な部品や組み立て方まで知るわけない。ましてや、物なんてなんでも買えば揃うような世界で)
何とか言おうとして口を開きかける。でも何を言えばいいのか――
「まあ、心配するな」
俺が言うより先に、向こうが言った。
「幸い、手先の器用な息子ならいるからな」
「え」
同時に、部屋の扉が外側からノックされる。
「入れ」
短い返事に、扉が開く。入って来た顔を見て、唇の端が引きつる。
「お、おまえ」
「やあ。久しぶり、兄さん」
弟が帽子をとり、きっちりと腰を折る会釈をしていた。
「あ、ああ。おかえり」
こちらも立ち上がって迎えるポーズはする。
「お前、叔父さんとこで修行してたんじゃ……いつから帰ってたんだよ」
「ついさっきだ。父上から手紙をもらっていて、急いで来た」
そう言いながらまっすぐに歩いてきて、くそおやじに挨拶をしてから、弟は俺のほうを向く。
「なあ、兄さん――驚いたよ」
そう言いながら、じっと見てくる目。口の端がほんのり笑っている。
ーー最悪だ。
すると、くそおやじが執務机の向こうから出て来て、弟の横に並んだ。俺たち兄弟より低い背で、弟の肩に手を置いて晴れやかに言う。
「うちの事業は、次男のエミルが問題なく継げる! ルーカス、お前はうちのことなんて心配せず、嫁いできてくれたらそれだけで大丈夫だ!」
めまいがした。
また「嫁げ」って言ったし。 ん? 「嫁ぐ」って、「稼ぐ」って字と似てるな……。
「いやあ……急に兄さんが結婚するって、手紙で読んだときはびっくりしたけど、式に参列したくて急いで帰ってきたんだ」
現実逃避しかける俺の唇がピックピクしてる横で、エミルは目を細め、もう完全に決まったこととして話していて……
ああ、と思う。
(――詰んだな、これ)
俺は、遠く、窓の外の青さに目を向けた。
そして、その翌日。
目的の屋敷の前で馬車を降りて、空を仰いだ時。青は、嫌になるくらい同じだった。
逆転!




