正直に白状して下さい
「私の画集を返してくれませんかね?」
物凄く不機嫌そうな声とともに少女が城内にある執務室の一つに入ると、その主である王弟殿下は執務どころかなぜか床にマットを敷き、上半身裸で筋トレをしている真っ最中だった。
無駄な贅肉のない引き締められた肉体に浮かんでは筋肉の割れ目に沿って流れていく汗に少女の視線がついつい釘付けになる。
「……やばい。ところどころ古傷ありながらも成熟した肉体をさらけ出す、年月を重ね大人の色気がついたイケメンとかごっつあんです以外の何物でもない。ダビデ像よりやばい。自分の語彙力足りなさすぎてもっとやばい」
「なんだ、お前か。ノックくらいしろ」
「なんでデジカメやスマホがない世界に来たんだ私。決定的瞬間が激写できないではないか。イケメンパラダイスな世界で心の煩悩に打ち勝てというのか神よ。私ゃ修行僧かっ。そんなん出来るくらいなら処女作描いてこの世界に来てないわっ!」
「なぜ人の執務室に来て勝手に喚き散らして地団駄踏んでいる?」
乙女の前で平然と肉体美を晒し続ける王弟殿下に、少女はビシッと空席のままのデスクを指差した。視線がついつい王弟殿下の肉体に向いてしまっているが。
「私も聞きたい。なんで執務室で腹筋なんかやっているの? 普通書類の山と格闘する場所であって、自分の筋肉の限界と格闘する場所じゃないと思う」
「時間が空いたからだ。書類ならもうそこに積んである」
デスクの端に綺麗に重ねられている書類の一番上にサインと印鑑が押されているのが見えて、少女は立ちくらみを起こしそうになった。
「くっ……てっきり戦は得意だけど事務仕事は超苦手タイプかと思っていたのに」
「内容確認してサインと印鑑押すだけの仕事が苦手とか書類読めない平民くらいなものだろう」
「反論できない正論言われた……」
勝負していないのになんだか負けたような気分になって少女は肩を落とした。
「それで、要件は?」
「人の画集盗んだ犯人を問い詰めに来たの」
「地団駄踏んでいたのは?」
「目の前に輝かしいものがあっただけよ」
「金銀財宝なぞ執務室に置いてあるわけないだろうに」
「私にとってはそれ以上の価値だったの。王弟殿下が汗を拭いて服を着るまでは」
「女というのはよくわからんな。異世界の住人というものだからか?」
呆れた様子の王弟殿下に、少女の眉がキリッと吊り上がった。
「こっちこそわからないわよ。なんで勝手に無断で人の部屋から在庫の画集持っていくのよ! ちゃんとあげたでしょ!」
「追加で頼んだのに一向に持ってこないからだ」
「生産体制が追いついていなくてまだ用意できないって何度も言ったよね!?」
「だからあるところから貰ってきた」
「警備していた兵士を何人も倒して堂々と人の部屋からものを盗むのが普通の感覚なのかこの世界はぁ!」
「私より弱いのが悪い」
「無慈悲!」
何ヶ月か前にも他国の幼い王に部屋にあった本を盗まれたことを思い出しながら少女は頭を抱えた。あのときの反省を踏まえて警備をつけてもらったのにこれでは意味がない。守るべき立場の人からひどい理由で病院送りにされた兵士さんたちに心の中で合掌する。
ふと部屋の本棚の一部に画集が何冊も置いてあるのが見えて少女は目を見開いた。
「あんなに置いてあるなら私の部屋から盗むことなくない?」
王弟殿下の顔色が悪くなったかと思うと、すわ忍者かといわんばかりの早業で本棚にある画集を背にして少女を睨みつけた。
「私の私物を盗むというのか!」
その言葉にカチンと来た少女の目が据わる。
「人の私物を盗んだ人に言われたくないですぅ。取り戻すだけですぅ」
「だめだダメダだめだっ! これは気分転換の閲覧用、これは万が一汚れたときの控え用、あとはすべてこの部屋に訪れた人へ兄上の素晴らしさを説明するとともに渡すための布教用なのだ!」
「じゃあ私は布教されましたということでっ!」
サッと両手を伸ばして少女が本棚から画集を取り返そうとすると、王弟殿下は咄嗟にその片腕を掴み上げた。
「話がまだだ! まだ私はお前に兄上の素晴らしさを何も教えておらんぞ!」
「王様のことなんてネタ作りのために過去に様々な人から話を聞きましたっ! 王様の英雄譚を描いた私に怖いものはない! だから今の私に知らないことなんて――ないっ」
「ぐっ」
男の急所を蹴り上げようとして、それを察した王弟殿下の拘束が甘くなると、少女はするりと身を捻って抜け出した。そして隙をついて本棚にあるたくさんの画集の一つを掴む。
「画集、ゲットだ――」
ぜ、と宣言しようとしたところで掴んだ画集の隙間からポロッと何かがこぼれ落ちた。
「ん? 何これ? 大きさ的にポストカードか何か?」
「ぽすとかーど? ――あ、そ、それは――!」
なぜか慌てだした王弟殿下がその落ちたものに手を伸ばすより先に、少女が拾って表面を見たほうが早かった。
紙切れだった。すでに茶色く古びていてかなり昔の紙ようだ。大きさ的にポストカードくらいだろうか。何も写っていない面を見て、少女はその紙をひっくり返したとたん息を呑んだ。
「うわぁお……」
少女が思わず感嘆の声を漏らしたのも無理はない。それほどまでにその小さな紙に描かれている絵が美しかったからだ。
月明かりに照らされながらドレスを着て椅子に座った女性と、なぜかパジャマを着て女性の膝にもたれかかるようにして眠っている少年が描かれている。ドレスは派手でもないが地味でもない。だがそれに月光が加わりうまいこと女性の美しさを引き立てていた。衣装と背景を変えれば妖精とその子供として見れるくらいに。
だがその写っている女性の顔を見て、少女は首を傾げた。
「なんでこの女性、不機嫌そうな顔しているの? 普通、こういう状況って穏やかに微笑むような顔じゃない?」
「あ、いや、それは――」
「しかもこの顔、先代の王妃様? ――じゃなさそうね。顔は似てるけど前に見た先代王妃の絵より座高が高いし、肩幅広いし、胸ないし、顔がまだ年若い上にちょっと眉が太くて輪郭もはっきりしすぎているような……」
そこまで観察しながら呟いて、少女はハッと何かに気がついた。
「まさか……これ女装!? 女装でしょ! 誰かが先代王妃様の姿をしているんだ!」
「う、いや――」
「でも誰か女装しているの? 王妃様に似ているのは確か王弟殿下と上の兄たちだけ――」
「あー……うー……」
さきほどから何か言いづらそうに唸り声を出すばかりの王弟殿下に、少女は何かを悟ったのか、急にニヤついた顔で王弟殿下にすりよった。女装絵をヒラヒラと折れない程度に軽く振り続けたまま。
「王弟殿下ぁ? ご存知ですよね?」
「ぐ、な、何がだ……」
「このパジャマ姿の子供、これ王弟殿下の幼い頃ですよねぇ? ご兄弟で一人だけ一回り年下ですものねぇ?」
「尋ね方がなんか怪しいぞお前……」
「となるとこの女装男子は上の兄たちの誰かとなるわけで」
王弟殿下の愚痴も軽く受け流し、少女は自身の顎に手を添えた。
「あの頭よりも先に口が動く王弟殿下が唸り声を上げてまで正体をバラせない人物となると――」
少女の口元が三日月のように釣り上がった。
明くる日の謁見の間にて。
「というわけで正直に白状して下さい王様!」
例の女装カードを突きつけたまま胸を張って仁王立ちする少女に、玉座に偉そうにふんぞり返って座っている少々お歳を召したイケメン王様はこめかみに何本もの血管を浮かび上がらせながら、少女の背後で縮こまっている王弟殿下を射殺すがごとく鋭い眼差しで睨みつけた。
「ぶっコロ――」
なにか言いかけた陛下の口を宰相は咄嗟に遮る。
「陛下、本音は心の中で。不言実行でお願いします」
「ここじゃなければいいのか?」
「証拠が残らなければ後でご随意に」
まったく止める気がない宰相に、少女に嫌々連行された王弟殿下は慌てて声を上げた。
「おい宰相、兄上を煽るな!」
「王弟殿下が私の執務室から盗んだものをお忘れで?」
「うぐっ」
高みから氷のように凍てついた瞳で王弟殿下を見下ろす宰相に王弟殿下は言葉を詰まらせた。どうやら王弟殿下は少女のものだけでは足らず、宰相からも画集を盗んでいた。
「王様!」
少女はダンッと力強く足で床を叩くと、うっすら目元に涙を浮かべて声を張り上げた。
「私がオカマバーやニューハーフのお店に行こうって何度誘っても、女装してくださいって散々頭下げても一度も首を縦に振らなかったくせに! 若い頃すでにしてたなんて酷い!」
「あのコルセットとやらは死ぬかと思った――ではなく、酷いってなんだ!? 泣きたいのはこっちだ! 最近の我の扱いのほうがよっぽど酷いぞ!」
最近ではなく前々からでは? と宰相は思ったが口には出さなかった。
「さぁ、素直に告っちゃいなさい!」
「くそっ、告白を迫られるなら別の理由がよかった!」
頭を抱えながらよくわからないことを喚く王様に、少女は内心頭を捻りながらも負けじと睨み返す。
王弟殿下は感心しているのか呆れているのかなんとも複雑な表情で王様に一歩も引けを取らない少女を見つめた。
「あの兄上にそんなことお願いしてよく無事でいられるなお前……」
「彼女以外なら即刻頭と胴体が離れておりますよ王弟殿下」
「だろうな」
宰相の言葉に王弟殿下は納得した様子で何度も頷いた。
「そんなに嫌ならなんで女装した姿絵まで残っているの?」
少女の疑問に王様はキッと王弟殿下を睨む。刺すような視線を受けて王弟殿下は顔を強張らせた。
「我は巻き込まれただけだ」
「巻き込まれた?」
王様は話す気になったのか、諦めたかのように小さく息をついた。
「あの時は我の母――先代王妃が亡くなってまだ間もない頃だ。次期国王といえども我もまだ成人前。一学生として遠く離れた学び舎で他の学生と共に学業に勤しんでいた時に乳母から連絡が届いたのだ」
呼ばれて戻ってみると、まだ幼かった王弟殿下が母親恋しさに情緒不安定になっていた。突然泣き喚いたり、昼でも夜でも徘徊したり、笑顔がなくなっていたり、ときどき一日部屋に籠もりっぱなしになったりして乳母も手を焼いているという。
「乳母も医師と相談しつつ元の元気な状態に戻そうといろいろと試したそうだがどれも今ひとつでな。そこで歳は離れているが実の兄弟である我らにお鉢が回ってきたのだ」
「我ら? ――あ、もう二人のお兄さんたちか」
「同じ学び舎にいたのでな」
ふと王様がどこか懐かしむかのような表情になったのはほんの一瞬だった。
「我は城にいれば次期国王として多忙の身になってしまうから、弟二人にこいつを任せていたのだが、どうやらそれでも無理だったようでな」
隙間時間でいいから協力しろ、会いに行ってやれとは言われていた。だが実の兄弟とはいえ数度顔を見ただけでまともに会話すらしたことがない弟に当時の若い王様はどう接すればいいかすらわからない状態だった。だから返事はするものの、忙しさを盾に歳の離れた末の弟を避けていた。
二人が無理なら自分が会いに行っても何も状況は変わらないだろうと本気で思っていた。
そこまで語って王様は肩を落とし、とても大きな溜息をついた。
「それが誤算だったのだ……」
ある日の夜中に突然、何者かに寝室に押し入られたかと思ったらあれよあれよという間に若い頃の王様を拘束した。
「賊でも侵入したのかと生きた心地がしなかったが、やったのは真ん中の弟二人でな」
「言っても駄目なら強行だ!」と言って呆然とする若い頃の王様にメイクを施し、ドレスを無理やり着せられた。
寝込みを襲われて混乱するわ、真夜中だから睡眠不足だわ、人生初コルセットのせいで苦しくて吐きそうだわで若い頃の王様は超絶不機嫌だった。そこに現れたのが、同じく寝ているところを無理やり起こされ寝ぼけ眼で部屋に入ってきた末の幼い弟、現在の王弟殿下である。
幼い弟は女装した若い頃の王様を見た途端、一気に目が覚めたという。
「母上が会いに来てくれたのかと思った」
幼い弟が喜び勇んで懐に抱きついたら、体はがっちりと硬いわ、頭を撫でられる手はゴツゴツした感じがした。記憶にあるものとは違う感触に幼子が驚いて顔を見上げると、笑顔どころか悪魔かと言わんばかりの不機嫌な顔がすぐ目の前にあって怖くなり思わず号泣してしまう。
自分の膝の上で泣きわめく弟に、当時の王様は具合の悪さも吹っ飛んで慌てて慰めていたという。女装姿のままで。
絵はその様子が可笑しくて、弟二人が絵師を夜中に無理やり呼んで描かせたものだった。
「こやつが泣き叫んだからこれで終わったかと思ったら、その後も度々女装した我と会いたいと注文してきてな」
王様の呆れた声に王弟殿下は少し照れくさそうに口を開いた。
「母上ではないというのはすぐにわかった。けど翌日一番上の兄と知って、実の兄弟なのに会話すらしたことがなかった人とこうして触れ合い、しかも慰めてもらえたことがことのほか嬉しかったんだ。会って会話できればよかったから本当は女装までする必要はなかったけども」
その台詞に王様が驚いて声を荒げた。
「なら早く言え! 我はてっきり母恋しさかと!」
憤る王様に、王弟殿下は真摯な眼差しで王様を見上げた。
「その格好を解いたらまた会話すらなくなると本気で思っていたのです、幼い私は」
「ぬ……」
その返答に王様は声を詰まらせた。事実そうするつもりだったし、末の弟の症状が改善してくると若い頃の王様は逃げるように学び舎に戻ってしまった。
「人恋しさのときはこうしてこの絵を見ていると心が落ち着くんです」
少女から紙を受け取ると、絵を覗き込む王弟殿下の頬がかすかに緩む。
「母上と兄上がそばにいるようで寂しさも消えたのです。兄上からは捨てるよう散々言われましたが私にはどうしてもできなかった」
「王弟殿下……」
うなだれる王弟殿下に部屋の空気がどこかしんみりしたものになる。するとそんな空気を断ち切るかのように王様の鋭い声が謁見の間に響き渡った。
「弟よ」
王様は椅子から立ち上がると、ゆっくりと移動し王弟殿下の前に立った。そしてうつむく王弟殿下の左肩に優しく右手を置いた。
うつむいたまま肩をかすかに震わせる王弟殿下に、王様は安心させるかのように優しく微笑む。
「あの時は幼いそなたに寂しい思いをさせて済まなかった。まだ歳若く思慮に欠けていたとはいえ、我も配慮が足りなかった。許せ」
「兄上――!」
その言葉が嬉しくて喜び勇んで顔を上げた王弟殿下は、ふと引っ張られる感覚がして自分の手元に視線を向けた。その先には王様の左手が女装絵をしっかり握っているのが見えて王弟殿下はものすごく嫌な予感を覚えた。
「だからこれ返せ。な?」
そう言った王様の目が本気と書いてマジと読めたので、王弟殿下は思わず断末魔のごとき悲鳴を上げた。
「いやです! 私の貴重な心の拠り所なのですよ!」
「家庭を持つ身でありながら女々しいこと言うでない! というかいい歳してこんなものを拠り所にするな!」
女装絵を取り返そうと王様と王弟殿下がもつれ合う。お互い必死で真剣だ。
結婚して子供までいるいい歳こいた兄弟が小さな絵一枚を奪い合う姿に宰相以下、家臣一同はなんとも言えない、どこか諦めた様子で二人を見守っている。そんな中で一人少女だけは王様たちをチラチラ観察しながら真剣な眼差しで事細かにメモをとっていた。
そんな微妙な空気を周囲が醸し出していることに気づいていない二人は絵を引っ張り合いながら口でも攻防を続けていた。
「ええい、いい加減に離さんかっ!」
「兄上のお願いでもこれだけはー! これだけはー!」
「そもそもお前がこんなもの持っていたから、あやつに我の女装姿を見られたではないか! 何度請われても断固拒否し続けていたのに!」
王様がメモをとり続けている少女をビシッと指し示すと、それに気づいた少女が手を止め王様に向けて親指を立て明るい笑顔でウィンクを決めた。
「ネタはバッチリです! 次回作が決まりました!」
そのときの王様の顔と言ったら爆しょ――いえ、全知全能の神に世界が滅亡すると予言を聞いたかのような絶望的な表情で崩れ落ちていきました。
と、後に宰相は何かをこらえるかのように肩を震わせながらそう語った。
後日、王様の黒歴史が本として身内から世界に広まり、女帝の国では若い男性向けの女装雑誌が出るほど女装ブームが起こったという。




