77【最終話】 美少女ロボットと暮らす新生活。
百七十五、
そのあと、一連の手続きを済ませ、ロタは、イリカを家へと連れ帰る。
社員に車で送ってもらった。おかげで、イリカを通行人に見られずに済んだ。
イリカは、現代科学を結集させた超高性能アンドロイドではあるが、さすがに、本当の人間のようには見えない。街を歩かせた場合、人ごみへ紛れるのは難しい。
今後、外出方法は要検討だ。ともあれ、初日は無事クリア。
イリカの歩行は、安定していた。三秒ごとに、二歩、進むくらいの速度。
膝を曲げ伸ばしして、足を踏み出すたびに小さな動作音が立つし、肩も不自然な左右の揺れを見せる。並んで歩いたら違和感があり、人間と歩いている気分にはなれぬ。
だが、ロタは満足だった。自分の隣に、長い髪で、スカートを履いた、かわいい「女の子」がいる。自分の「彼女」として。長年、望み続けた場面。
(うれしいな。これだよ、これ)
横を歩くセーラー服姿のイリカを何度も振り向き、会社の廊下を歩きながら、ロタは幸せをかみしめる。
地下の駐車場へ。
美少女ロボット・イリカは、二足歩行を保つために、腰から下はサイズが大きめ。自動車に乗せるのにも工夫が必要だった。
全身は、車の後部座席の一人分にどうにか収まる大きさ。
車のドアをあけ、ロタが先に乗り、中腰のイリカの両腕をつかんで車内へ引っ張り込む。
イリカの重量は相当なものだが、イリカ自らも積極的に車へと入ってきたので、負担はなし。途中で、イリカの腰をロタは抱え、背中をシートへ着けさせた。
続いて、シートベルトを締めてやろうとしたら、
「それは自分で出来るよ」
と、イリカ。
「おお、悪い悪い。じゃ、任せた」
ロタは手を放す。
動作は段階的で遅めではあったものの、関節をキキキキッときしませながら、腕や指を曲げ伸ばしして、イリカはシートベルトを締めた。
イリカの座高は普通の人間並みではあるのだが、狭いシートに腰かける際の体勢が若干不自然であるため、頭が車の天井に触れそうになっていた。
(やっぱり、体積がすごいんだなあ)
と、左に座っているイリカをロタはしみじみ眺める。
そんな視線に気付いてか、イリカは、
「どうかしたの?」
ロタは、横目でイリカを見上げ、
「いや、ちょっと窮屈そうだなあって」
「それは大丈夫だよ」
ロタは一旦うなずいてから、
「だけど、こうやって一緒に車に乗れたのはうれしいな」
「私も」
と、イリカは、ロタの言葉にほほえんだ。
社員の運転で、車はロタの家へと走る。
途中、信号待ちの時、社員がバックミラー越しに話しかけてきた。
「さっき、ロタさんとイリカちゃんの会話をお聞きしていて、驚きましたよ。余りにもスムーズにやり取りが進むので」
「そうですかね」
ロタが聞き返すと、社員は、
「はい。私どもの場合ですと、質問を何回か言い直したり繰り返したりすることも多くて」
「済みません。まあ、私はロボットですのでね。人間相手にしゃべるのとは、勝手が違うかも。ある程度の、慣れは要るのでしょう」
と、イリカが妙に客観的なコメントをしたので、ロタは少し笑ってしまったが、「いえいえ、そんな」と、恐縮したように社員が首を振る姿がミラーに映る。
「俺たちは、もう、長い付き合いだもんな」
「そうだよね。お互いの呼吸とかリズムとか、染みついてるからね」
ロタ、イリカの順番でそう述べて、二人で横目を合わせる。
「お見事です」
強くうなずきながら、社員は、青信号へとアクセルを踏んだ。
百七十六、
やがて、ロタの自宅に到着。
ロタとイリカを自動車から下ろすと、社員は帰っていった。
「ようこそ、我が家へ。今日からは、イリカと俺と、二人の家だよ」
言いながら、ロタは玄関のドアをあける。
「お邪魔しまーす。どうも、よろしくー」
陽気に答え、イリカも中へ入る。
庭付きの、そこそこ広めの二階建て。
ドアを閉め、先に靴を脱いだロタは、
「イリカ。もしも、靴、脱ぐのが大変なら、とりあえず土足のままで上がっていいぜ。イリカの部屋は、入って真正面、直進してすぐ奥だし」
イリカは、
「ありがと。でも、心配しないで。靴は自分で脱げるから。ただ、危ないから下がって。人間の脱ぎ方とはちょっと違うから」
「あ、ああ」
ドアの方向を見ていたロタは、そのまま、イリカと向き合った状態で廊下を後ずさりする。
「よっ」
と、かけ声を上げ、イリカは両脚を前へと曲げて、膝を突いてきた。
ガクンと、イリカの全身がこちらへ倒れ込むように折れてくる。玄関の段差へ膝を突き、正座をするような姿勢。
トスッと、床に軽い振動。
イリカの足は、いまだに、靴を脱ぐ低い場所(土間・たたき)にある。
(なるほど。人間とは逆向きか。ドアを背にして座るんだな)
膝を突いたイリカを見下ろし、ロタは納得する。
イリカはウィーンと首を後ろへ回し、手を靴のかかとへ差し入れ、まず左のローファーを脱いで、左足を玄関の段差へ持ち上げた。
右の靴も同様に脱ぐ。
最後は、玄関にしゃがみ込んだポーズになり、膝を伸ばして立ち上がったのだった。
こうして、ロタの家に正式に「上がり込んだ」イリカ。
「なんか、改めて、ようこそ、って感じだわなあ」
イリカを見上げ、ロタはしみじみと。
「そうだね。お世話になります」
ぺこりと頭を下げるイリカへ、
「こちらこそですよ」
と、ロタも会釈を返すのだった。
イリカは、白いソックスを履いている。制服や靴と同じく、ソックスもイリカ専用の特注品。かなり大きなサイズ。ロタの足より軽く一回り以上は大きい。だが、かつてのあの巨大さを思えば、むしろ、よくぞここまで縮小してくれた。
「じゃ、とりあえず、イリカの部屋へ案内するか」
と、ロタが、イリカを振り向きつつ廊下を直進すると、
「お願いします。楽しみー」
イリカもにっこりして、一歩一歩ついてくる。
百七十七、
ドアをあけると、その部屋は、相当な資金を投じて大々的に改装したことが一目で分かる眺めであった。広さは八畳ほど。
防音などを施した厚い壁や天井。床も、重量に耐えられる造り。
片隅には、ラックに積まれた大型サーバーが数段。イリカの人工知能の一部である。
そう、結局、人工知能を収めた機械は縮小し切れず、イリカの頭部や体内に収容できたのは一部であったのだ。
ロボット本体に入り切らなかった残りは、ロタの家へ設置されたわけである。輸送や工事は、半年ほど前に実施。もちろん、ハヤミが主導した。
「すごい。ハヤミさんの研究施設並みの設備だね」
部屋を見たイリカの感想である。
「まあ、それは褒め過ぎだろうけどな」
ロタが答える。
「随分、お金掛かってるよね。ロタ、財産残ってるの?」
イリカの所帯じみた発言にロタは苦笑するが、表情は明るい。
「ああ。実は心配ないんだよ。
イリカ。君の開発の過程で、ハヤミさんも、マノウさんも、クミマルさんも、想定以上に利益を得たんだよ。論文とか特許とかでね。新しい学説や技術がたくさん生み出されたんだ。波及効果というやつだわな。
当初の契約では、それらは全額彼らの取り分になるはずだったんだが、さすがに高額になり過ぎたらしい。で、何割かは俺にも還元していただけることになったんだ」
「いい方々だね」
「そうだな。きっと、みんなイリカのことが好きなんだよ。君は、愛されてるのさ」
「ロタもね」
と、イリカが緑と青の大きな瞳でロタを見つめて、ほほえんだ。
「かもな。多少はな」
ロタは素直にうなずく。
ロボット相手に謙遜しても仕方あるまいし、ロタとて、この十年間、彼らと丁寧に付き合ってきた自負もある。
ロタは説明を締めくくり、
「まあ、おかげで、預金の大半はイリカ製作に使ってしまったけれど、幸い、退職金は手つかずで残ったんだよ。それに、今後のメンテナンス費用も、原則、向こう持ちと決まった」
「老後は安泰だねえ」
イリカは、目をスッと細めてニヤリとした。
「ひとまずはね」
部屋の中央には、イリカ用の大きな椅子が設置されている。銀色。背もたれにも、足もとの周囲にも、様々な機械類が集中している。映画に出てくる、宇宙船の運転席のようだ。
イリカが活動をしない時間には、基本的にこの椅子に座ることになっている。充電や異常箇所の検査等もここで行う。
イリカはその椅子に近づいて、
「じゃあ、ロタ、早速だけど、少し休ませて。私、そろそろバッテリー残量が三割を切りそうだから」
ロタは、
「おお、そうかそうか。今日は、結構歩いたからな」
と、驚きもせず淡々と述べる。
二足歩行ロボットは、電力消費が激しい。立っているだけでも姿勢制御が必要で、バッテリーはどんどん減る。まして、歩けばなおさらのことだ。この知識は、ロタも既に持っている。
椅子に座ったイリカは、慣れた手つきで周辺のコードなどを自分の体につなぐ。自らに内蔵されている電池へ、充電をするためだ。
この椅子の使用法も、イリカにはあらかじめインプットされていたらしい。
イリカは上目づかいに、
「ロタ。じゃあ、私、しばらく寝るね。フル充電されたら、今夜はロタの退職祝いをしようよ」
ロタはほほえんで、
「ありがとう。イリカは食事は出来ないけど、おしゃべりとか、付き合っておくれ。何しろ今日は、イリカがうちに来た記念日でもあるからね」
「うん。あと、料理とか、少しは手伝わせて。私の手は、余り複雑な動きは出来ないけれど、切り分けや盛り付けぐらいならやれるから」
「分かった。それじゃ、お惣菜とかをたくさん買ってくるよ。一緒に皿に盛り付けようぜ」
「うん」
それから、イリカは目を閉じ、うつむいた。そのまま静止。充電モード、スリープモードに入ったわけである。
(なんか、来て早々、割とあっさり眠ってしまったな)
ロタは、心の内で率直な感想をもらす。
人工知能のイリカが単体で独立していた頃は、ロタの好きな時に呼び出せたし、長時間の会話も出来た。
しかし、人工知能とロボットとが合体した今、もはやそれは不可能である。ロボットが不調になれば、会話もしにくくなる。
(なるほど。「体がある」って、つまりはこういうことなのだなあ)
今さらながら、ロタは実感した。
性格も精神も、体がなければ成り立たない。心と体は密接に連動しており、切り離せない。
人間の場合それは当然のことだが、今や、イリカもその領域へ届きつつあるようだ。
(本当に長かったよなあ、ここまで。そして、また長い道のりが始まるらしいな)
ロタは、気持ちを新たにする。
これからは、イリカの電池の残りなども考慮しながら、会話をせねばなるまい。
例えば、一緒に映画などを見たい場合には、ここの部屋にて、常にイリカへ充電しつつ行うなど。
あるいは、外へ出かける際には、きりのいいタイミングでこまめに充電し、デートが盛り上がっている最中にイリカがバッテリー切れとならぬよう注意するなど。
(大変そうだぜ。でも、まあ、いいか。これも恋愛関係の、一つの形かもしれないな。いつか、理想の方法も見つかるだろう)
「大事にしますから」
ここからは、ロタは声に出した。
「ドワキ、ハヤミさん、マノウさん、リモリさん、クミマルさん。皆様が力の限り、心を込めて造り上げた、私の彼女ですからね」
すやすやと眠るイリカを見届け、ロタはくるりと背を向け、イリカの部屋を後にする。
ロタは、自分の部屋へ行って、とりあえずネクタイをほどく。
「サラリーマン生活、これにて終了!」
そして。
ようやく叶った、彼女がいる毎日。
「よし、まずは着替えて、お惣菜の買い出しだな」
ロタはつぶやく。
今日から、待ちに待った、夢にまで見た第二の青春が始まる。
【完】