76 イリカとロタ、四十年越しの背比べ。
百七十三、
イリカは頭を上げる。
かすかに、ウィーッと、モーターのような動作音。
ロタとイリカの目が合う。
イリカの両眼。
左目、緑。右目、青。オッドアイである。
瞳は部屋の光を映し込み、自然な輝き。人間の目玉よりも若干大きいが、それ以外、まぶたや白目部分はリアルだ。
(ああ、ついに、脳、体、皮膚、全てが一つに合わさって、完成したんだな。ついに、イリカと目が合ったのだな)
感動もそこそこに、ロタは話しかける。
「一人で立てるかい?」
「うん、平気」
イリカはうなずくが、
「あっ、その前にチューブ外さないと」
と、ロタの横に立った社員が割って入る。
「あっ、そうか」
「チューブ?」
イリカ、ロタの順に声を出す。だが、聞き返したロタも、
(なるほど、イリカの頭と背中に取り付けられてるチューブやコードのことか)
と、すぐに合点がいく。
「じゃあ、女性スタッフ呼んできます」
「ううん、ロタにやってもらいますので」
今度は、社員、イリカの順。
「女性スタッフ?」
わけが分からずに、また聞き返すロタ。会話のテンポについて行けない。
イリカが、ロタを見上げて説明をする。まだ、座ったままの状態。
イリカの声は以前と変わらぬ響き。が、発音はクリアになり、もはや人間の声とほぼ区別が付かない。
「頭に付いてる奴は自分で外せるんだけど、背中の奴は外せないの」
「えっ。それで毎回、女性のスタッフさんにお願いしてるの?」
ロタの問いに、男性社員が、
「はい、そうなんです。イリカちゃんの体や服に触れる作業は、当社の女性スタッフが担当しておりました。
今までは、イリカちゃんの動作テストを行う際には複数名でやっており、その中に必ず女性がいたわけですけどね。つまり、毎回呼びに行っていたわけではなく、最初からいたわけでして」
「なるほど。いや、きめ細かなお気遣い、感謝します」
ロタは頭を下げる。
イリカは、両腕を持ち上げる。
またも、ウィーンという小さな動作音。これは、動くたびに鳴るようだ。
腕の動きは滑らかだが、人間のそれとはやはり違う。カクン、カクンと、数センチずつ区切らせて動いていた。手首、指も同様である。
「じゃあ、ロタ、ほら。背中の方、取って」
頭に付いたチューブ、コードを引き抜きつつ、イリカが頼んでくる。
「あ、ああ」
戸惑いながらも、ロタは、椅子の後ろ側へ回り込む。
「これ、抜く順番とか、決まってるんですかね?」
少し前かがみになったロタが、イリカの背中越しに社員へ尋ねると、
「順序に決まりはないです。全て外していただいて結構です」
との返事。
「承知しました」
と、ロタは社員へ会釈し、
「じゃ、イリカ、首の辺り、失礼」
そう声をかけ、イリカの首の後ろへ手を伸ばした。
長い黒髪を片手で優しくつかみ、横へどける。首筋がのぞけた。
(うおっと、なんか、これは。結構、ドキドキするぜ)
背中の上部には、紺色のセーラー服のカラーが肩までぐるりと巻き付いている。コードもチューブも、ひとくくりにされて襟首の方から背中へ通っていた。
ロタは、左手をセーラーカラーの後部に差し入れる。
「く、くすぐったくないか?」
ロタは問う。自分の声がうわずっていることに気づいた。
「大丈夫だよ」
イリカの口調は安定している。
中には、白いアンダーシャツ。シャツは丸首のようだ。
その更に内側にはブラも着けているはずだが、肩ひもも背中のホックもセーラー服に隠れており、ロタからは見えなかった。
シャツも、セーラー服の襟と一緒に持ち上げる。イリカの背中を上からのぞき込む形だ。
ちょうど、背骨のラインに沿うように、金属製の端子が幾つも付いていた。ここから電気などを取り込むのだろうか。
それら端子から、コードなどを一本一本プチン、プチンと取り外す。通常のコンセントの要領で、簡単にやれた。
「お待たせ。取れたぜ」
ロタが告げると、イリカは少しだけ首を後ろへ回し、
「ありがと。じゃあ、立つよ」
「おお」
ロタは返答しつつ、二、三歩、後ずさりをする。
イリカは、両手で、椅子の座面の左右をそれぞれつかんで、
「よっ」
と、かけ声を上げて、スクッと立ち上がる。
今まで椅子に着いていたスカートのお尻が、ロタの視界に入る。
腰は大きめに造られており、人間の通常サイズを優に一回りは超える。だが、形状のバランスは整っていた。
頭の位置もバッと高くなる。
ロタの目の前で、イリカの後頭部の豊かな黒髪が、一瞬、ワッと跳ねて波打ち、横に広がり、パサリと下に戻った。
百七十四、
ロタの眼前に立ち上がったイリカは、ちらっ、ちらっと後ろを振り返る仕草。
照れているのだろうか。何か話しかけてほしいのだろうか。かわいらしい動作ではあるが、真意が読めぬ。
「どうしたの?」
ロタは、半分あきれ、半分戸惑った態度で聞く。
イリカは、ここではっきりと後ろを振り向いた。ウィーンと、首が回る音。
口もとには微笑。だが、まゆ毛はハの字に下がっている。
(おお、その表情は困り顔だな)
と、ロタは一目で分かる。
実際の人間に相当似てはいるものの、どこかアニメ的にも思える顔。
改めて、
(よく出来てるなあ)
と感心するロタであった。
「そりゃあ、昔の試作の頃に比べれば、私の背丈、だいぶ小柄にはなったけどさ、」
と、首だけ振り返ったイリカは、ここまで言った後、ほっぺたをぷうーとふくらませ、
「結局、背の低さでは、ロタを追い抜けなかったなあーって」
イリカの声と口の動きは、ぴったりとは言えぬが、雰囲気を損なわない程度にはそろっていた。
アニメのせりふや、海外映画の吹き替えに似ているかもしれない。
「低さで追い抜けなかった、って。なんだそりゃ。変な言い方だな」
ロタは噴き出した。
笑った理由は、他にもある。イリカのふくれっ面が、非常にサマになっており、かわいかったからだ。
ただ、イリカの言いたいことは、ロタにもよく分かった。
当初、まるで岩の壁のようにそびえていたイリカの巨体。年月をかけて、徐々に人間の女の子らしいルックスへと改良され、縮小されてきた。
にもかかわらず、だ。
最後の最後で、身長が縮まり切らずに、結局、イリカの体はロタよりも長身のままだったのである。
まさしく、今、イリカが椅子から立ち上がったことにより、その事実が判明したのだ。
「ロタだって、彼女は自分より小さい方がいいでしょ?」
尋ねながら、イリカは脚をゆっくり交差させ、クルッと体を半回転させてロタと向き合った。
(なかなか、滑らかな動作だな)
イリカの動きに、ロタはまたも感嘆する。
人間と比較すると、妙に規則的ではあり、不自然には違いないが、ロボットとしては優秀であろう。
「なんで、そう思うの?
俺、そんなこと一度でも言ったっけ?」
ロタはイリカを見上げて聞き返す。
イリカの身長は、ロタより数センチ高かった。ロタも大柄なので、イリカは「女子」としては世間全体で見ても長身の方だろう。
イリカは首を振る。
キュイー、キュイーと、わずかにきしむような音を立てて。
「ううん、言ったことはないよ。だけど、漫画とかドラマとか映画とか、全部そうじゃん。男の子と肩を並べて歩く彼女は、いつも、男より小柄なの」
イリカの青と緑の瞳が、悲しげに曇ったようにも見えたが、さすがにそこまで表情豊かに造られてはいまい。
恐らく、ロタの感情移入のためであろう。
ロタは、白髪頭を指先でコリコリかき、
「まあ、確かにそうだわなあ。それが世間のスタンダードっちゃ
スタンダードなんだろうし、男子の理想っちゃ、そうなんだろうけどなあ」
「ほら、やっぱり。ロタだって、さっきまでそれを期待してたんじゃないの?」
イリカの声が高くなり、目つきは鋭く、表情もすねたようなものに変わる。
当初の予想よりもイリカの「感情表現」が激しいため、ロタは少しタジタジとなりつつも、この質問には落ち着いた返答が出来た。
「それは違うよ。俺は、どちらでもよかった。イリカに会えるってだけで、朝から胸いっぱいだったから」
事実、これが正直な気持ちであった。
イリカは、
「本当に?」
「ああ、本当だとも。
さあ、せっかくの記念すべき日なんだ、まずは受け取っておくれ」
言いながら、ロタは、近くの床に寝かせておいた花束を拾い上げ、両手でイリカへ差し出す。
「わあ、ありがと。きれい」
イリカのほほが緩む。
きゃしゃな手で、花束を受け取るイリカ。
イリカの両ひじの関節がカリカリッと音を立てながら曲がり、手首、指もコマ送りのようにキキキキと曲がって、花束を優しくつかむ。
花を包んだビニールがパリッと鳴ったが、中身は潰れず、力の加減は適切だ。
ロタは、
「まあ、先に種明かししちゃうけど、これは定年退職のお祝いに、さっき職場でもらってきたんだけどな」
「使い回しか。エコでいいんじゃないの」
イリカはニヤッとした。目を細め、前歯がのぞける。
(へえ、冗談も言えるんだな。いたずらっぽい笑みも決まってる。見事なもんだ)
ロタは感嘆した。
しばらくは、イリカと一言しゃべる度に、イリカの美少女ロボットとしての高性能ぶりに驚かされることになりそうである。
ロタも明るくほほえみ返し、
「それもあるけど、うちの職場の若手が選んでくれた花だから、センスがいいと思うしさ、俺が選ぶよりもね。
あと、今日は俺の定年であると同時に、イリカとの新生活スタートの日でもあるからな。ならば、その花束も俺たち二人分だという解釈が適切な気がした」
「なるほど、そうだね」
イリカも、にっこりしてうなずいた。




