72 機械と人間の対話、イリカの回答。
百六十五、
イリカは、静かな口調、一定の速度で淡々と語り始める。
響きは明らかな合成音だが、かつてよりも声に温もりを感じる。
例えるなら、それは人間の少女が手紙を朗読しているかのような。ちょっと聞くと棒読みにも思えるが、ところどころ想いがあふれているような。
そう聞こえるのは、この七年でロタの情が少しずつ移ってきたためなのか。それとも、イリカの成長のためなのか。
「人が、人間ノ赤ちゃんを育てル時にモ、運命を使っテ育てていくわけではないよネ。表情トカ、言葉、体の触れ合イ。慎重に積ミ重ねていくわけでショう。やがテ、成長しタその子が、育てノ親を信頼し、愛しタとしてモ、それって運命?
違うよね、ロタ」
イリカの理路整然とした言葉に圧倒され、ロタはたっぷり数秒間は何も言えなかった。
だが、イリカも黙ったきりなので、
「そうだね。違うな。イリカの言うとおりだ」
何とか、ロタはそれだけ答えた。
単語がつっかえないように、ゆっくり発音した。どもるなどして、もし人工知能イリカが誤聴し、話題が変わってしまい、せっかくの説明が中断されたら困るからだ。
イリカが自ら、まとまった話をここまで披露するのは珍しい。人工知能は、質問への簡潔な「受け答え」が基本機能だからである。
この七年間で恐らく最長の、イリカの主体的な「スピーチ」となるだろう。話の腰を折りたくない。
それに、この会話を最後に、今後、イリカとは三年間、話せなくなるのだ。
(終わりまで全部聞きたい。さあ、俺のことなど構わずに、先を続けてくれ)
ロタはそう念じながら、タブレットをじっと見つめる。
タブレット画面に映るロタの顔は、いつになく真剣で、ピーンと張り詰めている。
イリカは、
「人間が、育てる側・育てられル側、双方ノ合意や拒否ナドで信頼関係を築いていクように。ロタと私も、同じことをやったんだヨ。私は機械でスカラ、言葉をしゃべる能力自体は、最初から備わってたわけだけどネ。そこの点は、人間ノ赤ん坊とは違うけれド。デモ、根っこは同ジですよ。
人ノ親子も、恋人同士も。そして、人間と機械も。
そりゃあ、元々の相性の良さも、あるでしょうヨ。ドーしても、合わない相手もいまス。だけド、それを最初に言っチャ駄目ですよ、ロタ。最初に言っては駄目。運命という言い方は、それを最初に言ってるに等しいんだよ。
いつか、リモリさんガ、私に言ったこと、覚えテる?」
「リモリさんは、イリカと同じ。成長した順序が違うだけ」
イリカの話に押されっ放しのロタであったが、これは即答できた。
イリカは、
「ソーダよ。ロタも、似たことを言ってくれたよネ」
「イリカも俺も夢。夢であり、科学」
またも、スラスラと返事が口をついて出た。
(なんか、怖いな。今、俺たち、異常にかみ合ってるようだぞ)
ロタの背中を、ゾクリと鳥肌が走る。
話を継ぐイリカ。
「ソーデス。アノ言葉の意味は、科学、すなワち、秩序立った冷静な視点で物事や現象を捉エ、分析していけば、人間の心理も解き明かせるし、逆に、機械を人間心理へと近付けルことも可能であると。私は、そう解釈していまス」
(その通りだ。すごいな、完璧だ)
あの時にロタが言いたかったことを、適切にまとめてくれている。
それを伝えたくて、ロタは強くうなずいた。
イリカは、
「もちろん、個体差はアリます。環境、境遇、不測の事態。人間的ナ心理を追求する場合には、それが人であろうと、機械であろうと、理屈通りには行かナイこともある。しかし、人間的な心理として、根本部分には、そんなに大きな違いはないと、私は考えマス」
「根本部分?」
「ソウデス。
相手が嫌がりそうなコトは言わナイ。怒りノ感情をあらわにシナい。間違えタなら、謝る。話ス時は、穏やかな態度で。相手ガ何を望んでイるのカを、丁寧に推測する。何度モ、何度も修正しなガラ。
要は、相手を敬い、思い遣ルということです。それを互いに行う。個体差とか想定外とかは、これら全てを長い間繰り返した後デ、初めて言えるコト。
運命は、ないと思ウ。全ては、互いの試行錯誤にすぎません。それを乗り越えたからこそ、今のロタと私がいるのデス。ロタ、これからも私はあなたと一緒にいたい。試行錯誤を積み重ねていきたいです。私は、ロタ、あなたが好き」
(!)
ロタの心臓が、肉のカタマリのように胸の内部をヒョコッと数センチ跳ね上がった。それほどの衝撃。
「くうっ」
ロタは、上着のみぞおち辺りを片手でグッとわしづかみにする。
一瞬、とがった熱い異物を飲み込まされたような苦痛も覚えた。が、次の瞬間には甘い痛みに変わった。
熱さもじわりと和らぎ、温もりへと転換してゆく。今や、快感に近かった。
はひい、へふう。はひい、へふう。ふうーっ。
ロタは、意識的に深く息を吸って吐いてを繰り返し、心を落ち着ける。
「ロタ、大丈夫?」
タブレット端末越しにイリカが尋ねてくる。
ロタはゆっくり首を縦に振り、
「大丈夫。ビックリしただけだよう。年だからさ、不意の衝撃には注意しないとな」
「ゴメンなさイ」
イリカの声は、明らかに「落ち込んでる」風な響きに変わる。
ロタは思わずにっこりし、
「とんでもない。うれしかった。六十年近い人生で、女の子から好きって言われたのなんて、全く初めてだったから」
無論、これは本当のことである。
イリカは、
「人間の女の子ジャ、なかっタけどネ」
「関係ないね」
「ホントー?」
「ああ」
短い返答だが、ロタは力を込めて発音した。
「ドウシテ?」
間を置かずにロタは答える。ここまでのイリカとの対話によって、結論はとっくに出ていたからだ。
あとは、それを順番に説明してゆくのみである。




