66 イリカの目、髪の毛、唇。
百五十五、
ソファーに座ったロタは、テーブル上に載った「顔」を見つめる。イリカの顔である。
正確に言えば、美少女ロボット・イリカを今後仕上げていく際、この模型をお手本、原型とするわけである。
模型は、首のつけ根まで造られており、下部には小さなクッション状の布が敷かれている。
模型の目は、見開かれている。眼球も造形されている。
実際の医療現場で用いられる義眼を使用。クミマルが調達し、改造した物だ。
右目、青。左目、緑。これは、マノウが造ったロボイリカに寄せられている。
本来、左右の目の色を変えた理由は、故障箇所を見付けやすくするため。つまり、あくまで試作段階における仮の色だったのだ。だが、そのうち愛着が湧いたので、この色は引き継がれることとなった。
「目の大きさは、実際の人間の目より明らかに大きいですよね」
ロタが指摘すると、クミマルは首を縦に振り、
「ええ。こちらは、マノウさんにも相談して決めた大きさなんですよ」
「と言いますと?」
「ロボイリカちゃんの目は、まだ、かなり大きいでしょ?」
「そうですね」
と、ロタは記憶をたぐる。
マノウの工場に置かれている試作ロボットのことである。
例の初合体実験の後は、腕や胴体などにも徐々に人工皮膚が付けられていき、同時に、全身もスリムになり続けている。
変化が早いため、もはや「試作第二号、第三号」などという呼び方は廃止されていた。ナンバリングが追い付かないからである。
ただ、首から上は、サイズこそ縮小されたものの、未だに基本的な外見は変わっていない。現在も、ロボイリカの頭には髪の毛はなく、金色の丸い頭。目は、電球のようにボコッと飛び出ている。
クミマルは今、ロボットのその目のことを言ったのだ。
続けて、
「ロボイリカちゃんのあの目は、もちろん、今後も小さくなるわ。でもね、マノウさんの話だと、人間並みに小さくするのはちょっと難しいんだって。そうおっしゃってたんですよ。
理由は、飾りの目ではないから。カメラやセンサーも内蔵されてるので、どうしても一定程度のサイズは必要だろう、って」
ロタも納得し、
「なるほど。それで、この頭部模型も、それに合わせて目を大きめにしてあるわけか」
ここで、ロタは、先ほど「ボツ」にした左端の模型を見やり、
「あっ、こちらのリアルタイプの方も、言われてみれば、目は、気持ち、大きめには造られてるんですね」
「よくお気づきになりましたね。実は、そうなんですよ」
クミマルが顔をほころばせる。
なお、右端の「アニメ顔」の模型は、ロボイリカ以前に、元々、目が非常に大きいのは言うまでもない。
さて、再び真ん中の模型を見ながら、ロタは更に感想を述べていく。
「現実にこういう顔の女の子がいるかといえば、そこは微妙かもしれません。でも、あり得なくもない気はします」
「そうですわね。その御感想はうれしいですよ。まさしく、その境目を調整しましたから」
「街ですれ違っても、向かいの人にギリギリ振り向かれない程度の自然さ」
ロタはそう評した。本音である。
「よかったです」
クミマルは、瞳を横線のように細めた。
首から上の模型は、両眼こそ大きめではあるが、それ以外は相当にリアルで、耳、鼻の構造も、服売場などで見かける普通のマネキン人形より細部まで作り込まれている。
まゆ毛は茶色で、細く、横へスッと引かれている。現代風である。顔のしわは、先ほどのリアルタイプに比べれば少ない。
「少し、触ってみても結構ですわよ」
クミマルが柔和に勧める。
ロタはフッと笑い声を立てる。照れ笑いと苦笑いの中間くらいか。
「女の子の顔ですからね」
「まあ、お気持ちは分かりますよ。でも、試作の模型段階の今こそ、色々触って、お確かめくださいな」
と、更にクミマルは促す。
(何だか、品定めをしてるみたいで好かんなあ)
一瞬、そうも思いかけたロタだが、すぐに打ち消し、
(いやいや、仮にも自分の彼女を機械で造ってるってのに、何を今さら、意味なく紳士ぶってるんだ俺は)
と我に返る。
「んー、それもそうかもしれませんな。では……」
ロタは手を伸ばし、「採用」となった真ん中の頭部模型に触る。
(うわっ)
髪のやわらかな手触りに動じてしまう。
模型の頭を右手で撫でると、ゾクリと全身へ小さな震えが走る。情けない話だが、ドキドキしてくる。
ロタの口から、無意識に声が出る。
「そういや……」
「はい?」
キョトンとしたクミマルが尋ねてくる。
「あっ、いや、何でも。失礼」
ロタは、咳払いでごまかす。
心の中で、最後まで言う。
(そういや、俺は今まで、女の子や女性の頭を撫でたことなど一度もないな。髪に触れたこともない)
さすがに恥ずかしく、また、変に同情や気遣いをされても困るため、黙っていた。
ロタは、気まずさを隠すように、
「こ、この髪の毛は本物?
いや、まさかね」
「ポリエステル繊維です」
「ポリエステル?」
クミマルはうなずいて、
「ええ。てかりが少なくて、自然でしょ?」
「そ、そうですな」
ロタは、模型に取り付けられた「髪」を数本、指でつまみ、毛先まで優しくしごくように下ろした。
色は黒。見た目も手触りも、本物の髪の毛と変わらぬ感じである。
「他にはアクリル系繊維もありまして、人毛に最も近い外見という評価もあります。様々勘案して、私はポリエステルにしましたけど。個人的には、洗髪とかもしやすい気がしますのでね。どちらも合成繊維でして、医療用ウィッグにもよく使われてますわ」
と、クミマルが説明をした。
ロタは更に質問を挟み、
「私は詳しくないのですが、本物の髪の毛が使われる場合もあるんですよね」
「ええ、あります。人工毛とミックスされた物もありますし、天然素材も幾つか。希望や用途に合わせてという感じですね」
「なるほど」
ロタは、模型の前髪を整えてみる。前髪は、まゆ毛に届くくらいである。
おでこが露出したので、今度は、右の手のひらをそこへ当てる。まるで、相手の熱を測るかのように。
人工皮膚のひたい。ひんやりしている。
続いて、模型の顔の左ほおへ右手を滑らせ、手の側面であごの辺りまで撫でる。
最後に、唇の端にも指先でこっそり触る。素材を工夫してあるのだろう、ぷるんとうるおいを感じさせる手触りであった。
「顔の皮膚はひんやりしていますが、触った感じはリアルですね。非常によく出来てると思います」
「ありがとうございます」
ロタの感想に、クミマルは会釈。
「特に、この前髪の生え際などは……」
と述べながら、頭部模型のひたいへ再び右手を伸ばしたロタは、
「うわあっ!」
不意に、太い声で悲鳴を上げる。
「ああ、大丈夫ですよ」
クミマルは冷静に応じた。
今、ロタの右手が、頭部の模型の左目をかすめたのである。その瞬間、左目が閉じたのだ。それで、ロタは驚き声を上げてしまったわけである。
「す、済みません、叫んじゃって。まっ、まさか、目の開閉も出来るなんて」
ロタは謝ると、改めて、模型の顔をまじまじと見つめる。
左目を閉じた顔。まぶたも精巧に造形されている。緑の目に、ふわりとかぶさっている。
例えば、腹話術の人形とか、子供用の人形でも、目の開閉が可能な物がある。それを更に作り込んだような仕上がり。
クミマルは、
「ちょっと懐かしいわね。以前、私たち全員がそろってさ、人工知能とロボットを初めて接続した時を思い出すわ。ほら、あの時も、ロボイリカちゃんはウインクしましたよね。偶然だけど、あれも左側の目でしたよね」
ロタも、
「まさしく、私もそれを今、思い出していました」
もっとも、この模型は無表情のため、ウインクをしている雰囲気にも見えないが。
「両目を閉じた顔も、御覧になりますか?」
クミマルが、やわらかな口調で聞いてきた。
「ええと、はい、じゃあ」
ロタがあいまいに返答すると、
「では、ちょっと失礼しまして」
クミマルは、左手の太い指で、模型の右のまぶたを、上から下へ軽く撫でる。
こうして、青い右目も隠れた。
両目を閉じた状態も、美しかった。長いまつげも際立つ。
(そうか、いずれ完成したら、イリカはこういう顔で眠るんだな)
ロタはそんなことを思った。




