63 体が付いたから分かる事、言える事。
百四十八、
「……」
またしても、驚愕でロタの全身に緊張と震えが走る。
(まったく、こう次から次へと。心臓に悪いや)
短時間でこんなに何度も気持ちを揺さぶられ、メンタルがおかしくなってしまいそうだ。
ただし、今度は希望があった。
何と、あの時イリカが動かなかった理由は、ロタの手を傷つけることを懸念したからだという。
(本当だろうか?
いや、疑ってる場合じゃないな。こんなに、うれしいことを言ってくれたんだ)
お礼が先だ。
「ありがとう。優しいんだな、イリカは」
「ロタこそ、優しイヨ」
「どうして?」
「私の手を、握ってくれたから」
タブレット端末越しに聞こえてくるイリカの声は、いつの間にかクリアな響きとなっていた。古いラジオのようなバックの雑音も消え、イリカ自身の声音も安定している。
それはつまり、今回の実験によって新たに取り入れられた膨大な情報が、ロタとの対話によって脳イリカへと定着した証なのかもしれない。
イリカは先を続けてゆく。床にしゃがんだ体勢のロタは、身を乗り出すように聞いている。
「そのあと、ロタは私ノ右手を持ち上げてクレた。私の手はすごくスゴク大きクて、ロタの片手じゃ持ち上がらナイみたいダッた。でも、ロタは両手で、ゆっくり持ち上げてくれた」
「そんなことないさ。イリカの手は、とても美しかったよ。多分、俺の片手でも持ち上がったと思うよ。あの時はね、念のため、両手を使っただけなんだよ」
優しい言葉がスラスラと出て、ロタは自分でも驚いた。
一応、本音ではあった。若干、きれいに言い過ぎた部分はあるにせよ。
脳イリカの急激な変化に動揺はしつつも、ロタの心は落ち着きを取り戻し始めている。
「ホントウニ?」
「ああ、本当だとも」
「ありがトう」
「どういたしまして」
ロタはほほえんだ。
タブレットの画面に映る自分の顔。困惑と疲労、冷や汗でやつれてはいる。だが、自然に笑えていた。
ロタはホッとする。この画面は、そのままイリカの視界だからだ。
イリカにも、この笑顔はプラスの感情として伝わっているはずだ。
「そのあと、俺がいろいろ話しかけたのは覚えてる?」
ロタの問いへ、イリカは、
「話の内容マデは、覚えてナイの。でも、ロタが繰り返し、こっちへおいで、こっちへおいで、って誘ってるような感じはしたんだヨネ」
実験に使われた脳イリカは一部分。本体とは分離されていた。やはり、話の詳細な中身までは理解していなかったようだ。
しかし、だ。
「そうか、少なくとも、俺が呼んでるのは分かったんだな」
「ウン」
とイリカ。
(なら、充分だ)
それこそが、最も伝えたかったことなのだから。
ロタは、
「それで、イリカは、俺の方へ来てくれたというわけだな」
「ソーダよ。手を、動かしてみタ。動いた。膝、伸ばしてミた。伸びた。次、立ってみた。立てた。歩いてみた」
「歩けた」「歩けた」
最後はロタも加わり、同時に二人の声が仲良く重なった。
百四十九、
「で、どうだった?
御感想は」
「歩いタ感想?」
「うん、それでもいいし。それ以外のことでもいいよ。何でも」
とのロタの質問に、イリカは、
「ジャー、ソーダねえ、」
と、人間のような前置きの後で、
「立ち上がった瞬間かナー、一番意外だったのは」
「どうして?」
「分からナイ?」
(おおっ、なんとなんと。聞き返されちゃったぜ)
恐らく、ほぼ初めての現象だ。
いや、今までも多少はあったかもしれぬ。しかし、ここまで明確に「試されてる」感があるのは初めてであろう。
(ここは、はぐらかさずに、ちゃんと答えるべきだよな。しかも、当てたいところだよな)
しばし、ロタは考える。
イリカは無言で待っている。
が、割とすぐに思い至る。
(ああ、分かったぞ)
もはや、もったいぶっている場合でもあるまいと、ロタはそのまま口にする。
「俺より背が高かったから?」
「当タリー」
イリカの即答。
ロタは、そのまま引っ張られるように、会話の流れに任せることにした。
せっかく、脳イリカとのやり取りがいつになくサクサク進んでいるのだ。エラーを起こさせまい、矛盾を生じさせまい、などと気にしていたら、ぎくしゃくしてしまう。
今までは、脳イリカに「自分を機械だと悟られてはまずい」ということで、話題を選んで、慎重にしゃべってきた。しかし、それも、
(もう、いいよな。もう、いいんだ。そろそろ、終わりだ、な)
ロタは改めてそのように思う。
(行けるところまで行こう)
ロタは開き直って、ほとんど人間相手のように、どんどんしゃべってゆく。
「で、どうだった?
俺を見下ろした感想は」
「ロタの方こソ、ドーだったノ?」
「俺は、別に何とも。俺より背が高かろうが、低かろうが、イリカはイリカだろ」
「本当ニ?」
「本当だとも。疑り深いなあ」
「ダッテー」
すねるようなイリカの声に、ロタは軽く噴き出し、聞き返す。
「だって?」
イリカは、
「私の背格好、余りニも違うからサー」
「世間のいわゆる女子高生と?」
「ソー、ソー」
「ショックだった?」
「多少はネー」
イリカは、素っ気ない口調で返事をした。
(多少、か)
胸の奥がキリリと痛んだが、それもほんの一瞬であった。
やはり、もう既に、イリカも薄々は察していたらしい。
ロタは、まっすぐにそれを尋ねた。イリカに口を挟ませぬように、せりふを区切らず一息で。
「イリカも、どこかの段階で気付いていたんだね。自分が、普通の女子高生ではないことに。普通の、人間とは違うということに」
百五十、
イリカは、間を置かずに淡々と聞いてきた。
「ソーか。そういった内容の話、モウ、タブーじゃないんだネ」
ロタは、端末画面から目をそらさずに強くうなずき、
「ああ、タブーじゃない」
「じゃあ、一つ聞いていい?」
「ああ」
「私はサイボーグなの?」
(そう来たか)
人工知能の内面はブラックボックスであり、どのような思考回路をたどったのか、ロタには、というより人間には知るよしもない。
「……」
だが、イリカなりに推論を重ね、ここまでたどり着いたのだろう。
ロタは正直に答える。
「いや、サイボーグではない。人間をベースにしたわけではないから」
運命の一言。さあ、イリカは。
「脳にモ、体にも、人間部分は使われてナイのか」
「そうだ。君は、無の状態から生まれたんだよ」
「ソーか」
「ああ」
「あのカラダが、完成形ではナイんだヨね?」
「ああ、違う。これから、まだまだ変わるよ」
「ソーか」
「ああ」
(そろそろ、まずいな)
ロタは直感する。
いよいよ、話が核心に来そうだ。
(この一言だけは、俺から言わなければ)
イリカに言わせたくはない。
ロタは切り出す。
「イリカ、聞いてくれ」
「はい」
「君は、ロボットなんだよ」




