62 巨大な手。
百四十六、
どう答えるか、ロタは考える。
引き続き用心はするし、わざわざ先回りしてまで、余計なことをしゃべるつもりはない。だが、もはや、ごまかしたりとぼけたりするような真似もしたくはなかった。
イリカに体が付く、最も重要な工程なのだから。
人間を相手にした時と同じくらい、誠実に接したいとロタは思った。
仮に先延ばしをしたところで、もう、これ以上の山場は訪れない気もした。
(イリカと本気で語り合うぞ。腹を割って話すぜ)
決意を新たにしつつ、ロタは口を開く。
「なるほどな、俺が出てきたのなら、それはインターネット上の情報ではないのかもな。俺は有名人ではないし、まあ、俺の映像とかがネット上に公開されているとは思えないから」
「ソーダよね。あり得ナイよね」
「確かに、イリカの言う通り、夢を見たのかもな」
「ウン」
「どんな夢を見たんだい?
イリカの夢の中で、俺は何をしていた?」
(おっと、いきなり大胆に踏み込んでしまったな)
自分で言っておきながら、ロタは息をのむ。
タブレットが鳴る。
ガガッ、ガガッ。ガッ。ガーッ。ガガッ。
イリカは答える。
「あのね、あのネッ。ロタが……。大丈夫なノかな、コレ。言ってもいいのかなア」
声が止まる。
「言いづらいこと?」
と、ロタ。
ガー、ガガッ、ガガッ。ガッ。ガッ。ガガッ。
イリカは戸惑っているのだろうか。
更に、ロタは言い足す。
「いいぜ、ゆっくりで。それとも、俺から予想を言おうか?」
「ウン、言ってみて」
(はははっ、イリカめ、そこは即答なんだな)
まるで人間のようなしたたかさに、ロタは苦笑しながらも、これはこれでイリカの成長とも捉えられる。
(これも女心ってやつか?)
不意に、ロタの心が浮き立った。理由はよく分からぬ。ただ、
(急に、生身の女の子相手にしゃべってる気分になったのかもな)
とは感じた。
ロタの心が、無意識にそちらへ切り替わったのかもしれない。
ロタは、わざと豪快な口調で、
「ああ、いいとも」
(もう、いいや。言ってしまえ)
ロタは、
「俺がイリカのことを好きだ、って。俺がそう言ったのが聞こえた、とか?」
「エッ、えっ。あの。ドウシヨー。エーット……。
えっ、すごいじゃん。当たり。正解です。何で。何で。何で分かったノ?」
イリカの声は、人間に比べれば抑揚がない。
が、この時には、明らかに弾んでいるように、ロタには聞こえた。
ロタは、もう何もためらわず、もったいぶらず、タブレット端末をまっすぐに見つめ、
「イリカ、今から俺が言うことを、よく聞いてほしい」
「ウン、聞くヨ。聞いてる」
「イリカが見たそれは、夢じゃないんだ」
「夢じゃナイ……」
「その場所に、俺もいたんだよ」
「ロタもいタ」
「そうさ。俺は、確かに、イリカのことを好きだと言った。ただし、」
ロタは数秒、言いよどむ。
半ば、意識的にそうしたのだ。
スーッ、フーッと、強めに息を吸い込み、吐き出す。頭が忙しく働いている。
大急ぎで、ロタは作戦を練る。
(さあて、どうするかな。よし、せっかく、イリカが投げてくれたボールだ。この「好きだ」の件を取っかかりにして、芋づる式に、みんなを登場させてしまおう。人工知能としても、この思考経路なら分かりやすかろう)
「タダシ?」
イリカが続きを催促してきた。
ロタはしゃべり始める。作戦開始だ。
百四十七、
「ああ、済まん。続けるぞ。
ただし、あのセリフは、まあ情けない話ではあるけど、俺が自発的に言ったわけじゃないんだ。リモリさんに問われて、答えたのさ」
「リモリさん。リモリさん。じゃあ、リモリさんも、本当ニ、あの場所ニいたということカ」
何かに納得したようなイリカの反応。
(よし、いいぞいいぞ)
ロタは、思わず拳を握る。それによって、自分の手のひらがジットリ汗ばんでいることに気付いた。
今、ロタが喜んだ理由。それは、先日のマノウの工場における実験の光景を、脳イリカ本体が正確に記憶しているらしいと分かったからである。ならば、それに沿って話を進めるのが自然であろう。
「夢だとイリカが思ってたその場面に、リモリさんもいたのかい?」
ロタの問いにイリカは答え、
「ウン、多分ネ」
「えっ。多分というのは?」
「あのね、私。私、主にロタばかり見てたみたいだカラ。他の人は、余り覚えテないノ。でも、リモリさんもいた気がスル」
(なるほどな、そういうことか)
ロタは、先日の光景を思い出して納得する。
確かに、あの時、ロボイリカはロタの方を目で追いかけていた。たとえ、録画等をしていたとしても、常にロタが視野の中央で、ロタ以外はぼやけているかもしれぬ。
(そうか。イリカは、あの場にいた俺以外の五人については、必ずしも記憶が定かではないんだな。ううむ。なら、やっぱり俺を話題の中心に据えるか)
ロタは、作戦を修正しつつ、もう少し核心へ踏み込む。
「それから、俺はイリカを誘ったんだよ、こっちへおいで、ってさ。こうやって、手を伸ばしたんだ」
タブレット端末へ右手を伸ばすロタ。
「あっ、あッ、あっ。本当ニ、じゃあ本当に」
イリカの声が大きくなる。同時に、
ガガー、ガッ、ガガッ、ガッ。カー、ガッ。ガッ。ガガッ。
ラジオみたいな低い雑音がまた響く。
それが収まると、イリカは、
「本当ダ!
ぴったり符合スル。符合しまス。本当にいたんだネ、あの場所に」
「そうさ。イリカが勝手に一人で夢を見てたわけじゃないんだよ」
ロタは手を下ろしてにっこりし、
「何で、あの時、俺の手を握ってくれなかったんだい?
動かし方が分からなかったとか?」
「ソレモアルケド」
「けど?」
ガー、ガッ、ガガッ!
ガッ!
ガッ。ガガッ。ガンッ!
雑音が激しくなった。恐らく、答えることをためらっているのではないか。
ロタは、今度は積極的に、
「イリカ!
遠慮するな。そのまま答えていい。迷うな。いいから!」
「明らかニッ、矛盾、矛盾……。本当にイイの?
ロタ、私、私は」
ロタの心臓の音はドクドクッと早くなるが、何とか冷静さを保つことが出来た。それは、
(大丈夫だ、イリカは乗り越えてくる。以前ならエラーを起こしたかもしれない。でも、今は違う。何しろ、実際にロボットの体へ入ったのだ。もはや経験値が違う。人工知能の容量も、はるかに拡張されてるはずなのだ。大丈夫だ。多分……)
ロタは、もう一押しする。
「構わない、言ってごらん」
やがて、雑音は鳴りやみ、イリカはノロノロと、しかしはっきりと、
「じゃア、言ってみるね。ロタの手を、私ガ、最初なかなか握らなかった理由、ダよね」
「ああ」
ロタは深くうなずく。
「私の手が、大きかったカラ。ロタの手よりも、相当に大きカッたから」
ロタの胸の奥に、太い針の先で強くつつかれたような痛みが走る。
「くうっ」
唇がワナッと震え、前歯がカチッと鳴った。顔から血が引くのが自分でも分かる。
イリカは機械だが、機械なりに何かが吹っ切れたのかもしれない。ロタの動揺が収まらぬうちに、次のセリフをたたみかけてくる。
「私は少女。女子高生。ジョシコーセー。そう言われてきたノに。横目で見たらサ、私の手、すごくでかいんだもん。世の中の女子高生像を、どんなニ呼び出して、照らシ合わせテも。アアイウ手をした女子高生が、現実にイルとは思えナイ。
そもそも、アレは人間の手じゃないでショ」
何ということだ。
(ああ、ダメだなこれは。気付かれたかな)
自分が作り物であることに。
覚悟していたとはいえ、いきなりそこへ到達した脳イリカへ、ロタは何も言えなくなる。
(あちゃー。もう少し、違う着地点へズレてくれるかなあと期待してたんだけどな……)
例えば、「記憶はおぼろげだけど、何となく、手を動かしたらしい」など。この程度のあいまいで緩い認識ならば、ロタも、それに合わせて徐々に誘導することが出来たかもしれないのに。
しかし、その段階はあっさり省略されてしまった。さすがに、ここまで直接的な飛躍をするとは思わなかった。
もう、女の子っぽく振る舞ってはくれないのではないか。もしかして、開き直って機械丸出しの態度になってしまうかも。いや、逆に、殻へ閉じこもって、全くの無反応になってしまうのだろうか。
次々と、嫌な想像が頭に浮かんでは消える。
「いや、あの、あのな、イリカ。それはつまり、その、」
ロタは声だけは出すが、言葉にならない。
「ロタ、何をアセッテルノ」
「えっ」
反射的に返事をしたためだろうか、ロタの声は裏返ってしまう。
「そんな顔シナイデ」
イリカの声は安定的だ。
いや、むしろ。
「え……」
「私、別ニ責めてるワケじゃナイよ」
むしろ、優しい響きに聞こえるイリカの声。
「えっ」
(やばい、俺、「えっ」しか言ってないや)
何か言わなきゃと動じるロタへ、イリカから言葉が伝えられる。
「私の手、大きかったカラ、ロタの手を傷つけるんじゃないかって、それが不安ダったんだよ。だからね、私は手を動かさなかったの」
これが、先ほどのロタの問いに対する、イリカの答えであった。




