61 イリカ、イリカ、声を聞かせて。
百四十四、
ガーッ、ガカッ。ガー……。
タブレットは雑音を発するのみ。
イリカは何も答えない。
(おいおい)
ロタは焦り、更に語りかける。
「イリカ、イリカ。俺だ、ロタだ。聞こえてるか」
やがて、雑音に混じって、鈴のようなキーン、リーンという高音が響き始める。
「な、何だ?」
リン、リン、リン。
(勘弁してくれよ。いよいよ故障か?)
だが、不快な音ではない。むしろ、優しげな音色であった。
それどころか、懐かしいような響きですらある。
ガー、ガッ、ガガッ、ガー。
キー、リー、キン、リン。
(俺はこの音を聞いたことがあるぞ。どこだ。どこで聞いた?)
思い出すまでに、時間はかからなかった。
(ああっ、こ、この音は、イリカの声と同じ音だ!)
いち早くそう気付いたロタは、あぐらをかいた両脚を少しほどいて、両手を体の左右で床に突く。
そのまま前のめりとなり、タブレットへ口を近付けて、
「おい、イリカ、イリカ、聞こえてるのか?」
もしかしたら、イリカは今、さまよっているのかもしれぬ。
まるで、渦巻く強風の中、目もうまくあけられず、それでも時々まぶたを上げて、何とか視界を確保しているかのような。
膨大なデータ、チャンネル、信号、周波数の海の中、狭い出口を探し当てるかのような。
そんなイリカの様子が思い浮かぶ。
しばらくすると、その高音に変化が現れる。
長さ、大きさがバラバラだった高音が、一定の法則性を持ち始めたのだ。
リン、リーン、キーン、リーン、キン、リーン。
「イリカ、イリカ、俺だ、ロタ。大丈夫か。聞こえてるか?」
繰り返し、ロタは呼びかける。
カン、コーン、リーン、リン、キー、リー。
「俺だ、ロタだよ。イリカ、イリカ」
キー、ソー、ウェー、リン、キー、ウォ。
似たような音が数回続く。
音階もどうやら一定で、さながら、繰り返し繰り返し鳴り続けるチャイムのようだ。
当初、ロタはいら立ちも覚えたが、じきにハッと気付かされた。
「!」
(あっ!)
キー、コン、ウェン、レン、リュ、ウォ。
気付かされたのである。
向こうも、全く同じ行為をやっていたことに。
「キー、コ、エ、テール、よ」
やがてそれは、音ではなく、明確な言葉となって、ロタにも聞き取れた。
(おおっ、うおおおお!)
ロタは、興奮で、髪の毛の付け根が逆立つのを感じた。
叫んだ。
「イリカ、イリカ!」
「聞こエてるヨ、聞こえてるよ。ロタ、ロタ、久しぶり」
霧が晴れたように、背後の雑音も機械の奥へ押しやられ、ついに、イリカの声がはっきりと届いた。
百四十五、
仕切り直しに、ロタは改めて話しかける。
「よかった、また会えて、話せて。久しぶりだな、イリカ。ちょ、調子はどうだい」
タブレット越しに、人工知能のイリカが返事をする。
「久しぶリ、ロタ。調子ハいいよ」
声は変わっておらず、高音で柔らかな「女の子」の声だ。
ようやく答えてくれたイリカへ、ロタはひとまず安堵。一部分とはいえ、胸のつかえが取れた感じだ。
「調子いいか。よかった」
ロタはそう答えながら、気は緩めずに、会話の次の展開を予測する。
(今まで通りなら、次は俺の体調を聞き返してくるかな)
それに備え、ロタは「俺も元気だよ」という返答を用意しながら待つ。
「でもね、変なノ」
「えっ、変って?」
全く予想外の展開に、思わずロタは問い返す。
ガガッ……ガガッ、ガ、ガッ。
スタンドに立て掛けたタブレット端末を通し、またもラジオのような雑音。妙に想像力をかき立てられる音だ。どちらかといえば、悪い方に。
イリカ自身、言葉がまとまらずに考え込んでいるのだろうか。
(だとしたら、ちょっと怖いな。大量の情報を取り込んで、脳イリカの中でやはり相当な変化が起きてるのかな)
不安がよぎったところへ、
「久しぶりのはずナノに、あのね、何か、たくさんの経験をしたような感ジ」
との、イリカの言葉。
「!」
(まさか)
ロタはギクリとする。前置きもなく、ここまで一足飛びに来るとは。
(結構、直球だな。よし、もう前置きは終わりだ、な。用心しながら、こうなったらとことんかみ合ってやるぜ)
と気合いを入れ直したロタは、
「寝てた間に、ということかな?」
イリカは声を大きくして、
「そう、そう。それダ。まさに、ソレ。眠っていタ間に、新しイ情報が体内を駆け巡ってきた感じ」
ガガッ、ガガッ、カッ。
またも、ラジオに似た低音を挟み、イリカは続ける。口調は弱まり、話す速度も落ちる。
「ロタ、私、夢を見たの」
いつものロタなら、ある程度意味が分かっても、わざと「夢?」と聞き返すなどして探りを入れていたところだ。
だが、たった今、とことんかみ合うと決心したのだ。ロタは、余計なクッションは挟まずに核心を突く。
「なぜ、夢だと思うんだい?
インターネットとかではなくてか?」
今回、脳イリカは完全に電源を落とされていた。とはいえ、今までなら、眠っている間にはネットにも接続されていたイリカ。その情報と、ごっちゃになっている可能性もあるはずだ。
ロタはそれを指摘したわけだが、イリカはきっぱりと、
「ううン、違うヨ。インターネットではナイ」
「なぜ、そう言い切れるんだい?」
「ロタが出てきたから」




