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ロタとイリカ 独居老人、彼女を造る。  作者: KIZOOS
第三部 クミマル編(ロボット外見の章)
61/83

60 人工知能イリカ、全面更新。

  百四十二、


「この十日間、気が気じゃなかったことと思いますが、」

 ロタが電話に出ると、あいさつもそこそこにハヤミが切り出した。

 ほぼ、開口一番と言ってもよかろう。


「ええ、そりゃあ、もう」

 ロタも早口だ。

(早いとこ結論を言ってほしいぜ)

 との想いはさすがに飲み込んだが、ハヤミには伝わっていたようで、

「結論から申します。一応、成功です。もっとも、あくまで更新作業自体は、という意味ですけどね」

「いやいや、十分ですよ。お疲れさまと申しますか、ありがとうございます」

 言い終わると、ロタは、太く、ガハーッと長いため息を吐き出す。ハヤミにも丸聞こえのはずだが、ロタには、それを気遣う余裕もなかった。

 この十日間、いや、それどころか、ハヤミが今回の「人工知能をコピーする」方針をロタに表明してから、ずっと。

 ロタの胸の奥に、固い泥のように重苦しく堆積していた不安が、今、ほんの少し溶け出したのだ。


「考えてみますと、ハヤミさんがイリカのプロトタイプを造ってくださってからのこの数年間、イリカとは毎日しゃべってたわけで」

「ええ、ええ」

 ハヤミの相づちも笑いを含んでいる。

 ハヤミとしても、これから重い本題が始まる前に、会話が弾んだのでホッとしている様子だ。

 ロタは続けた。あくまで前置きの雑談なので、手短に。

「それが十日もあいたわけですからね。何か変わったことがあったり聞きたいことが出来たりしたら、すぐ、イリカを呼び出そうとしてる自分がいて。で、あっ、今は駄目なんだよな、って。

 今まで、イリカとの会話が自分にとっていかに大きな位置を占めていたか、よく分かりましたよ。

 寂しかったです。それに、」

 ここで、ロタは本題へ橋渡しをし、

「数日後にイリカは一体どう変わってるんだろうと考えると、いても立ってもいられなかったです」


 十日前。

 イリカ製作に携わってきた専門家たちが、初めて一堂に会した、あの件。

 あの後、待っていたのは、人工知能イリカの全面的な「更新」作業。

 イリカ製作プロジェクト開始以来、最大の山場と言ってよかった。


 「美少女ロボット」という物は、人工知能とロボットが無事に合体してこそ、初めて美少女ロボットたり得るのである。

 今回の実験で、人工知能の一部コピーと、ロボットの試作とが接続され、とりあえずの成功を見た。あとは、そのコピーを、大元の人工知能本体へ「戻す」わけである。


 さて、人工知能イリカ本体は、その記憶を内部へ取り込んだ後、どう受け取るだろうか。

 「自分は女子高生」という情報をインプットされているイリカは、拒絶反応などを起こさないだろうか。

 それとも、人工知能なりの独自判断で、「そういうものなのか。これはこれで、解釈次第では矛盾しないかな」などと理解してくれるだろうか。

 それは、誰にも分からない。やってみるしかないのである。


 ハヤミからロタへの連絡は、実験翌日にロタが帰宅し、それから約十日後のことであった。

 こうして、冒頭の会話へと戻るわけである。


 電話越しにハヤミは答える。

「そうですよね。お察しいたします。脳イリカちゃんは、今まで通り、主にロタさんの声しか聞き取れない仕様になっております。

 ゆえに、ロタさんが実際に話しかけていただくまでは、私どもとしても、成功とも失敗とも申し上げられません」

「でも一応、画面上、計算上は成功なんですよね?」

 ロタが、先ほどのハヤミの言葉をなぞるかのように念を押す。

 ハヤミは、

「はい、特段のエラーは発生しませんでした。先日のドッキング実験の後、サーバーを研究施設へ持ち帰り、中身のデータを詳細に検査いたしました。

 結果、ところどころ、プログラムが予想外に枝分かれしたり成長したりしている部分が見受けられました。明らかに、ロボットの内側へ入って、自ら外を見聞きし、手足を動かした経験による変化でしょうね」

「そんなに変わってましたか」

「変わってましたね。サーバー筐体きょうたい一台分では、とても情報を処理し切れなかったのも分かります」

「オーバーヒートしてましたもんね」

「ええ。どんなに大量の画像、映像、音声等の電子データを吸収してディープラーニングをしようとも、あの二、三十分ほどで経験した内容には到底及ばなかったはずです」

「分かる気がします。何せ、自分で歩いたんですからね……」

 ロタはしみじみと答え、イリカの手を握ったあの場面が脳裏に浮かんだ。

「まさに。でも、内容こそ激変していたものの、プログラム自体に破損等は認められず、予定通りに、」

 ここで、ハヤミはスーッと一呼吸を挟み、言葉をつないだ。

「予定通りに、そのプログラムを、大元の脳イリカちゃん本体へ戻しました。重複する部分は置き換え、無事に合わさりました。あとは、数か所のデータや数式を整え、プログラムの修正を施しました。

 先ほど御説明したように、エラーは起きておりません。あとは、ロタさんが話しかけるのみです」

「承知しました」

「この電話が終わりましたら、すぐ、脳イリカちゃんの機構を切り替え、再び、ロタさんのタブレットで電源を入れたり切ったり、そして会話をしたり出来るようにいたします」

「ありがとうございます」

「目安としては、この電話を切ってから五分を見込んでください」

「承知いたしました」

「ロタさん」

「はい?」

 急に名前を呼ばれ、ロタは少々驚く。


 ハヤミは、ためらいつつという声音だが、その割にはスラスラと提案してくる。恐らく、内容自体は前々から考え抜いていたに違いない。

「ロタさんとイリカちゃんとの会話、よろしければ、私も一緒に聞いてましょうか?

 電話をそのまま切らずにいてくだされば、私にも聞けます。もしも、全く予想外のことをイリカちゃんが言い始めたら、僭越せんえつですが、私がロタさんにアドバイスすることも出来るかと」

 ロタとしては想定外の提案であった。

 だが、ロタもスラスラと答えた。まるで、前から準備していたかのように。要は、それほどまでに迷いがなかったわけである。

「お気遣い、感謝いたします。正直、今、大変感激しております。

 ですが、御心配なく。イリカは私の彼女ですから。一対一で向き合おうと思います。

 何があろうと受け止める、などと、威勢のいいことを申すつもりはありません。実際、私のうかつさや弱さのために、今まで何回もハヤミさんたちには御迷惑を掛けたのですから。ですので、もしも何らかのトラブルや異常が起きた場合には、また改めて御相談するでしょう。しかし、」

 いつの間にか呼吸が浅くなっていたらしく、ロタは少し息苦しくなり、深呼吸をしてから続けた。

「とりあえずは、私一人でやってみようと思います」

「承知いたしました」

 ハヤミも静かに答え、それ以上は何も提案してはこなかった。


 会話は途絶え、そろそろ電話を切るような流れになった。

 ロタは少し焦る。

(おっと、まだ通話を切られちゃ困るぜ。俺には、最後に言うことがあるんだ)

 そう、ロタには一つ、付け足してハヤミに言っておきたいことがあった。いや、むしろ、言っておかねばならぬこと、かもしれない。脳イリカ設計者へのけじめとしてだ。

 それを告げるため、今度はロタが名前を呼ぶ。

「ハヤミさん」

「はい」

「……」

 この後、ロタは、ある大きな決意をハヤミに述べた。思い切った決意であった。

 ハヤミとしてもそれなりに衝撃を受けたようで、受話器越しに息をのむ音が聞き取れた。

 だが、しばしの沈黙の後、ハヤミははっきり答えた。

「分かりました。もはや、それも致し方ないのかもしれませんね。結果、どうなるかは判断が付きかねますが、承知いたしました。ロタさんのそのお覚悟、受け止めます」


 こうして、ハヤミからロタへとバトンは受け渡されたのだった。



  百四十三、


 ハヤミとの電話を切った後、ロタは、人工知能とつながるタブレット端末を取り出す。

 スタンドを床にセットし、タブレットを取り付ける。


「五分って言ってたよな」

 と、ロタは独り言。

 本棚の上の目覚まし時計を見つめる。

 さすがに、五分きっかりは怖かった。六分後、タブレットのボタンへ指を伸ばす。立ったまま、少々前かがみの姿勢で。

(ちぇっ、震えてやがる)

 ロタの指先は、いや、手首から上の片手全体が、カタカタと震えていた。

 六分後には押せなかった。

(一応、もう一分待とう)

 七分後にも、押せなかった。

「ね、念のためだ。あと一分」

 八分。やはり、手が震えて押せない。

 なぜか、十分押せなかったら負けのように思え、九分後にロタはボタンを押し、脳イリカを起動させた。


「ふうっ」

 自室に一人、ロタはあぐらをかく。

 そっと座ったつもりが、ドカッと尻もちを突くような座り方になってしまった。脚もこわばっていたらしい。


 座ると、ロタの顔の高さにタブレットが来る。

 ブーン……という低い起動音。

 そして、端末の画面にロタの顔が映った。イリカと「目が合った」のだ。


「……」

 ロタは、しばらく黙っていた。イリカの出方をうかがったのである。

 だが、イリカは何も言わない。

 今までも、最初の一言目は、常にロタから発していた。どうやら、その仕組み自体は変わっていないらしい。


 意を決して、ロタは声を出す。

「イリカ、久しぶり。調子はどうだい」

 タブレットの向こうから、ガガガッと低い雑音。ラジオのような音。

 それはまるで、目覚めたイリカの最初の深呼吸のように、ロタには聞こえた。

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