59 ロタとリモリ、青春時代とイリカの今後。
百四十、
ロタとリモリは、再び横に並んで歩く。
時折、足下で草や小石がサクッ、カリッと鳴る。
山や畑が取り巻く中、途切れ途切れに夜道を外灯が照らす。その合間の暗闇は、月光が淡く埋めていた。満月前後の、やや欠けた白い月。
「文化祭、か。言われてみればだね」
ロタが、リモリの言葉を繰り返す。
本日、皆が工場に集まって作業をした様子を、リモリがそう例えたのである。
「何か思い出、ある?」
リモリの問いに、ロタは、
「私の学生時代ということ?」
「そうです」
「んー。まあ、それなりには。もう、三十年以上も前だけどなあ」
「クラスの出し物、何やりましたか」
「高校時代は、一年が縁日、二年が迷路、三年が喫茶店」
「わー、なんか、超普通」
リモリの率直過ぎるコメントに、ロタは苦笑いしつつも、
「まあな。ありがちだわな。リモリさんは?」
「あんまり、覚えてないんですよねー」
「ええっ、だって二年前とかでしょうに」
「さすがに高三はね。演劇やりましたよ」
「普通ですなあ」
ロタがおどけると、リモリも噴き出して、
「そうね。当時流行ったアニメがあって、そのパロディー。もっとも、ネタはネットで拾った」
「ネットかあ。そうか、今の若い人はインターネットがあるんだよな。便利だな」
「うん。けど、一、二年生はよく覚えてないや。部活と掛け持ちしてたしね」
「何やってたの?」
「バスケ。文化祭準備期間も、普通に練習ありましたし。あと、私、図書委員だったんだ。図書委員も文化祭で古本売ったの」
「そりゃ忙しいね」
「うん。あと、私、彼氏もいたしさ」
ロタが顔を右へ向けると、ニヤッとしたリモリがロタを見上げていた。
「そうだったね。去年の春、言ってましたよね」
と、ロタ。リモリは、
「うん。イリカちゃんと話した時にね」
「いいなあ。うらやましいぜ」
「そうかな?」
ロタは、しみじみと首を三回ほど縦に振って、
「そりゃそうよ。恋人がいて、スポーツもして、絵に描いたような青春じゃないの。クラスの出し物なんか、そりゃ忘れちゃうかもな。充実してたってことだよ」
リモリは顔の前で左手をパタパタと振り、
「いやいや、クラスなんか、って。そっちはそっちで大切でしたよ」
「そうか。悪い」
失言を、ロタは軽くわびる。
「逆にさ、三十年も前なのに、スラスラ答えられるロタさんもすごいよ」
「ああ、それは自分でも思う。俺、よっぽど未練があるんだろうよ」
「青春に?」
「そう、青春に」
ロタの言葉を最後に、しばし黙る二人。
歩く道が曲がりくねっていたため、空の方角が変わり、不意に月が真正面に見えた。
リモリが大きめのモーションでロタへ首を回したので、その気配にロタもリモリの方を見る。
「三十年前、彼女さえいたなら、ロタさんの人生に後悔はなかった?」
丸い瞳と、さらりと揺れたリモリの茶髪が、月光に光る。
(きれいだな、リモリさん)
ロタは、唇の先でフッと細いため息をつく。
(きっと、うれしくて有頂天になってただろうなあ)
と思う。
もし、現在のロタが二十歳前後でリモリと同世代だったなら、だ。
でも、実際にはそうではないのだし、それに、ロタは今から、現実的な質問に答えなければならない。うまくいかないものである。
(やれやれ。人生のタイミングというか。せっかく、よさげな場面なのに。一致しないもんだ、な)
ロタは寂しく苦笑した。
百四十一、
次に、ロタはどう返答したものか迷う。今度は、リモリのせりふにロタが困惑する番だった。
「ええと、いや。どうだろ。彼女さえ、と言われても……」
「一概に言えないか。ごめん」
ロタはフォローするように、
「いや、分かる分かる、言いたいことは。何となくね。
んー。それこそ、さっきのデスクワークと町工場の話じゃないけどさ。幻想もあるのかもな。隣の芝生の青さにすぎないのかもしれんわな。
けど、まあ。あの頃は、多分、人生で一番、女の子のことばかり考えてた時期だからね。あの当時、女の子と一緒に帰ったり、教室で女の子と二人、遅くまで話し込んだり。例えば、一回でもそういう思い出があったなら、その後の人生、随分違ったんじゃないかなあと思うんだよね」
「そんなんでいいんだ?」
「ああ。ゼロ回と一回の差は大きいよ。あと、男って、案外素朴なのさ」
リモリは含み笑いで、
「ロマンチストとも言う」
ロタもほほえんで、
「かもな」
だが、リモリはここで、不意に困ったように首をかしげる。
偶然、この瞬間、ロタはリモリを見たため、リモリの無言の動作に対する質問をした。
「どうしたの?」
リモリはロタをちらりと見上げ、
「なんか、すごいなあって」
「すごい?」
リモリは首肯し、強調するようにもう一回繰り返す。
「すごい。だって、ロタさん、もう五十代でしょ。高校卒業されて、三十年以上も、そういう想いが続いてたわけでしょ。すごいことですよ」
「そうか」
「うん。でね、今思ったのは、ロタさんのその熱い気持ちに、私たち、ちゃんと応えられるのかなあって」
「どういうこと?」
「ごめんね、急に。だってさ、ロボットのイリカちゃんは、今日、ようやく手に皮膚が付いたばかりでしょ。それも、人間にしてはまだまだ大きい手だよね。
ましてや、これから顔やら脚やら、全身を造っていかなきゃいけないわけだからさ。あんまり、リアルには造れないかもしれないじゃん。
果たして、ロタさんの憧れにどこまで近付けるんだろうって、心配になってきちゃった」
(なんだ、そんなことか)
ロタはハハッと声を立てて笑い、
「ああ、それなら心配ないよ」
「そうなの?」
リモリは瞳を見開く。ひどく意外そうである。
重いことを聞かれたのにあっさり即答したロタに、意表を突かれたらしい。
ロタは順を追って説明してゆく。
「これは、ロボイリカが徐々に仕上がってきた今だからこそ、改めて気付かされたことなんだけどさ」
「うん」
ロタの横を歩きつつ、リモリが相づちを打つ。
いつしか、道は下り坂に差し掛かっていた。
二人は、草や小石で足を滑らせないように、一歩ずつ、強めに地面を踏んで歩いた。
この道こそ、先ほどリモリが言っていた、自宅へつながる下り坂かもしれぬ。だとすれば、この散歩もそろそろ終了だ。
(これが最後の話題かな。ちょうどいい感じに、会話を終わらせられるかもな)
などと計算しつつ、ロタは話を進め、
「もし仮に、あくまで仮に、だよ。現在の俺が、あるいは今後還暦を過ぎた俺が、もし本当に、現役女子高生を恋人にしたとしたら、どうなると思う?」
一瞬、リモリは「えっ」と口をあけ、返答に詰まるが、すぐ話が見えたらしく、ニヤリとして、
「普通に犯罪かな」
辛らつなコメントだが、ロタも同意し、
「だろう?
初老の俺と、制服の女子高生が恋人として並んで歩いてたらヤバいだろ。相当、グロテスクな光景だわな。街でそれをやったら、通報されかねんぜ」
「確かに」
「だけどね、」
と、ロタは続けて、
「それがロボットだったら、どうだろう。そこそこリアルだけども、一目でロボットだと分かる外見なら。
みんな、笑って許してくれると思うんだよね。たとえ、そのロボットが明らかに女子高生の格好をしていたとしても」
「なるほどなあ。そういうことか。それは考え付かなかったな」
リモリはフフッと噴き出しつつも、しきりに感心したように二、三度大きくうなずいた。
ロタはさらに、
「街のみんなも、俺を見て、ああ、あのおじいさんは寂しい人生だったんだろうな、老後にささやかな埋め合わせをしてるんだろうなって、察してくれると思うんだよな。
中には俺を馬鹿にしてくる人もいるはずだし、気持ち悪がる人もいるだろうけど、まあ、大半は同情してくれるんじゃないの」
「その意味でも、イリカちゃんが余りリアル過ぎてもいけないわけか」
「いけないということはないだろうけどな。いつかリモリさんから言われた通り、イリカの気持ちみたいな物も大事だから。
リアルに仕上がるように粘りつつも、最終的にはそれなりのリアルさに落ち着きました、というのがいいのかも。落としどころとしてはね。
で、今日の実験を見た限り、何だかんだで、そこがゴールになるような予感がしたんだよ。正直、俺は今、結構ホッとしてるんだ」
ロタの本心であった。
ただし、リモリと今、ここまで話したからこそ、自分の気持ちを言葉ではっきり意識できたのだ。
やがて、下り坂も終わった。
そこから先は、道が二手に分かれていた。
リモリは、左の脇道の方を指差して、
「じゃあ、私、こっちだから。送っていただいて、ありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったですよ。じゃあ、また」
「人工知能のイリカちゃん、安定した方向に変わってたらいいね」
「リモリさんも、そう願っててください」
「もちろん」
こうして、二人は別れた。
直進して少し歩くと、リモリから教えてもらった通り、バス停留所があった。
ベンチ一つと、上部が円形の、標識型バス停ポール。暗闇にぽつりという感じではあったが、そばには外灯もあり、怖さはない。
一人で座り、しばらく待つと、駅行きのバスが来た。
ロタは、駅前のホテルへチェックインし、こうして、長い一日が終わったのだった。




