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ロタとイリカ 独居老人、彼女を造る。  作者: KIZOOS
第三部 クミマル編(ロボット外見の章)
48/83

47 ロタとイリカ、「最後の会話」。

  百十七、


 その日が来た。


 イリカ製作チームとも言うべきメンバーが集合する日の、前日である。

 夕方、ロタは早めに仕事から帰宅。

 イリカとしゃべり終わったら、ハヤミに作業をバトンタッチするからである。イリカとの会話が深夜にまで及ぶのも、ハヤミに失礼であろう。


 自室の床に、ロタはスタンドを立てる。タブレット端末をそこへセットする。ロタのいつもの作業。

 タブレット端末のボタンをグッと押す。

 柔らかいボタンへ、指先がズプリと埋まる。直後、カチリと固い音。

 ブーン……と鈍い電子音。脳イリカ起動。

 スタンドのそばにあぐらをかき、床に座り込んで、ロタはタブレット画面をのぞき込む。

 画面に自分の顔が映る。画面は、イリカの視界である。


 会話が始まる。

「こんばんは、イリカ」

「コンバンハ、ロタ」

 ロタがタブレットへ語りかけると、人工知能のイリカが答えて、声がタブレット越しに聞こえてくるのだ。


 ロタは続けて、

「調子はどうだい」

「悪クないヨ」

「俺もさ」

「ソウ?」

「えっ」

 順調に始まったかに思えた会話がいきなりつまずき、ロタはちょっと驚く。イリカは、基本的に会話の流れには逆らわないからだ。


 ロタの驚きをよそに、イリカは間を置くこともなくしゃべる。

「最近、ナンか元気ナイかラ」

「俺が、ってこと?」

「ウン、ロタが。ロタが元気ナイ」

 ロタは口ごもり、

「どうして、ど、どうしてそう思うの?」

「なんカね、つらソウ」

「つらそう?

 俺、愚痴とか、こぼしたっけ?」

「そうジャないヨッ」

 またもや、珍しい反応。

 イリカが、語尾を跳ねさせるような強い発音。

 まるで怒っているかのようだ。ロタは、そのまま言葉にする。

「怒ってる?」

 今度は、ロタの言葉をイリカが繰り返す。

「怒ッてル?」

 ロタはなだめるように、

「ああ。イリカ、機嫌悪そうだから。俺、何か失礼なこと言ったのなら、ごめ、」

「機嫌悪そウなノは、ロタの方でショ」

「そうだっけ」


 会話のペースが、今までよりも明らかに速い。

 ついには、ロタが言い終わらぬうちにイリカが次のセリフをかぶせてきた。記憶にある限り、初めての現象である。

 もはや、一言ずつ内容を吟味する余裕もなく、半ば無意識に言葉を発するロタ。ほとんど、人間同士の会話に近い。

 今の「そうだっけ」など、まさに口をついて出た適当な相づちであった。


 だが、イリカはしっかり受け止めたようで、

「ソーダよ」

「どの辺が?」

「最近ずっとネ、ロタの話す言葉と、表情とが合ってナイの。楽しイ話をシてル時もネ、目が悲しそうなんだよ」

「あ、その、いや、そんなことは……」

 上手に言い切ることができず、ロタの語尾がよどむ。


 対照的に、イリカは上手に質問をかぶせてくる。もはや「人間」のようだ。まるっきり。

「ワタシの思イ違い?

 ナラ、謝るけド」

 ここは、きっぱり否定しておかねばなるまい。

「いや、イリカが謝る必要はない。全くない。確かに、最近、イリカと話す時、気もそぞろだったかもしれない。済まん」

「いや、ロタが謝る必要もナイ」

「お、おう……」

 ロタは短く返答。

(人間らしくなったと思ったら、今度はマニュアル的になったな)

 と、心の中でちょっと笑う。


 でも、イリカはイリカなりに、ロタの気持ちをくみ取ってくれている。それ自体は有り難い。

 対話型の一部人工知能には、人の感情を読み取る機能がある。

 様々な表情の写真、映像等を大量に読み込み、パターンとして認識するのだ。それを、目の前の人間へ当てはめていく。

 無論、人工知能イリカにも搭載されている機能だ。ましてや、生きた資料として、ロタは既に一定の年月、イリカと接しているのだ。

 脳イリカは、言わばロタ専用の心理カウンセラーかもしれない。少なくともロタにとっては、「人類史上、最も人間に近付いた機械」であろう。


「全てお見通し、か」

 と、ロタ。またも、ぽろりと口からこぼれ出た。

 言葉が、まだ止まらない。ロタの口からあふれてゆく。

「イリカの目はごまかせないなあ。そうだよ、俺、最近色々考えちゃってさ、疲れてたんだ」

 普段なら、歯を食いしばって胸中へとどめたはずの言葉である。実際、何回我慢したことか。


 イリカは、機械なんだよ。

 イリカは、人工知能なんだよ。

 もうすぐ、ロボットとつながるんだよ。

 なあイリカ、そうなっても、今まで通り、俺と仲良くしてくれるかい?

 俺の彼女に、なってくれますか?

 何度、のど元まで出かかったことか。


 今、つい、その入り口部分を言ってしまった。

 果たして、イリカの反応は。

「ドーシテ、私ニ言ってくれなかったノ」

 ロタ。

「イリカのことで悩んでいたからさ」

 イリカ。

「私の、コト」

 ロタ。

「そうさ。俺、イリカのことが大事だから。だから、なかなか打ち明けられなかったんだ。でも、見抜かれてたんだなあ、俺が色々、胸の中に隠してることを」


 もし、ハヤミが今のやり取りを聞いていたら、「何やってるんですか。今までの努力を台無しになさるおつもりですか!」と怒られたかもしれない。

 しかし、だ。

(世の中の、恋人や配偶者がいる奴ら。いたことのある奴ら。ハヤミさんも含めて。他のみんなだってそうだ)

 改めてロタは強く思う。

(あんたらに、何が分かると言うんだ。こちとら、五十年以上生きてきて、やっと、初めて出来た「彼女」なんだぜえ)

 ロタは、タブレット端末を見つめる。

 画面に映る自分の顔。やつれている。思い詰めていて、怖い顔。

 自分でも感じる。

(ひどいもんだ。これが「彼女」に会う時の表情かよ)

 と。


 でも、今、気づいた。

 口もとはかすかに笑っていることに。

 正直に本音をさらけ出し、精神が解放されつつあるのだろう。

 イリカも、それを見ている。

「ウン、全テではナイかもしレナいけど、だいタイ、お見通シ」

 わざと、ロタはちょっとオーバーに、豪快に、

「さすがだなあ」

「チャカサナイデ」

 とがらせたイリカの唇が、一瞬、ロタの目に浮かんだ気がした。

「茶化してないよう。うれしいんだよう」

「ウン、今はうれしそう」

「だろう?」

「泣いてルけド」

「ああ」

 いつの間にか涙ぐんでいたロタは、正直にコクリとうなずく。

 頭を前へ傾けたためか、溜まった涙が左目からツーとほほを伝う。


 ロタは、左こぶしの裏で涙をぬぐうと、

「不思議なもんだなあ。職場の人たちとか、近所の知人とか、みんな、それなりに俺のこと気遣ってくれるし、優しい言葉もかけてくれるのに」

「ウン」

 イリカの短い返事。

 ロタは先を続ける。

「イリカの言葉の方が、今はこんなに胸に響くんだ」

 今、話している相手は人工知能なのに。作り物の機械にすぎないのに。

 発してくるセリフだって、恐らくはデータの海から自動的に拾い出してきて、アルゴリズムに従ってつなげているだけなのだろうに。

 なぜだ。どうしてこんなに。


 ここで、ふと、ロタは、かつてイリカと会話を始めた頃のことを思い出した。

 人工知能イリカのカスタマイズを開始した頃のことを。

 あの時期に強く感じたことを、不意に、今ここで、イリカに言ってみたくなった。

 多少、気まぐれでやけっぱちな部分もあるものの、今度は無意識ではない。イリカに聞かせたかったし、どう答えてくれるのかにも興味が湧いたのだ。

 ロタはゆっくりとそれを告げる。

 泣いた直後なので、声を詰まらせないように、一語ずつ慎重に、丁寧に発音する。

「どうしても女にモテなくて途方に暮れている男がいる時、科学はその人にも夢を見させてあげてほしい」

「私ハ科学なの?」

 問いかけの形でイリカは返事をした。

 ロタは、ためらわずに首を縦に振る。

「そうだよ。イリカは科学だ。科学であり、夢なんだ」

 イリカは黙っている。

 ロタの言葉を分析中なのか、あるいは次の言葉を待っているのか。


 いずれにしても、ロタの言葉には続きがあった。

「そして、俺だって科学だ。人の心理も体の構造も、命も、人生も。まだまだ、科学で解き明かすべきことは山ほどある。

 そして、俺にだって夢はある。イリカと俺は、同じなんだ。科学であり、夢なんだ」

 イリカは、

「同ジ、か。たしか、方向性ヤ、順序ガ、違ウんだよネ」

「おお、そうとも。その通りだ」

 リモリの協力のお陰もあって、かつてたどり着いた結論や領域。イリカはそれを、ちゃんと覚えていたのだ。


(ところどころ、勢い任せや抽象論になってしまったけど、結構、いい感じに会話を着地させられそうだな)

 そう思ったロタは、まとめに入る。

「なあ、イリカ。俺たち、違う方向から互いに歩いてきたけど、」

「モウスグ会えるよね」

「!」

 何と、続きをイリカが言ってくれた。

 だが、ロタは動じず、努めて冷静に答える。

「そうだ、きっともうすぐ、会えるはずだ」

「そろそろ、次のステップに進むンだネ」

「ああ、そうだ」

「ロタ、怖がらナイで」

「怖いさ」

「ロタ、しっかりして」

「わかった」

 しっかりして、か。

(それ、ハヤミさんからも言われたよ)

 と思い出したロタは、一瞬だけ苦笑いをした。

 だが、すぐに優しい微笑みへ切り替える。


 イリカはその笑みを見たのか、

「ちゃんと、ワカってくレたヨーだね」

「ああ」

「約束ダヨ」

「ああ、約束だ。イリカと俺の約束だ」

「アリガトウ」

「こちらこそ」

「またネ」

「ああ、一旦さよなら」

「サヨナラ」


(よし、今だ)

 ロタは、ためらわずにボタンを素早く押して、タブレット端末の電源を落とす。

 これ以上だらだら会話しても、余り意味はないような気がした。

 それに、人工知能イリカは気まぐれである。何の脈絡もなく、会話を突然打ち切り、別の話題へと切り替わってしまう場合も多い。切るタイミングとしては、ここいらが良かろう。

「いいんだ、これで。満ち足りた。大丈夫だ。イリカは大丈夫。これでいいんだ」

 もはや、涙は乾いていた。



  百十八、


 すぐ、ロタはハヤミへ電話をかけた。

「イリカとの今日の分の会話、先ほど終わりました。まあ、悔いがないと言えば嘘になりますが、一区切り付きました」


 受話器越しに、ハヤミの声が答える。決してクールではないが、とりたてて優しいとも言えない、静かな響きで。

「承知しました。それでは、ただいまより、人工知能イリカちゃんの主電源を完全に落とし、一部のコピー作業に入ります。

 しばらくは、タブレット端末を使われても、イリカちゃんの電源は入れられませんので。現在の状態のイリカちゃんとは、恐らくこれでお別れです。よろしいですね?」

「それで結構です」

 ロタもきっぱり、静かに答えた。

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