29 ヒロインに、体が付いた日。
七十八、
ロボットは、工場の壁際の方まで、一定の速度でゆっくり歩いていった。
遠ざかる金属製の背中を見ているロタ、マノウ、リモリの三人。
ロボが脚を曲げ、持ち上げ、伸ばし、下ろすたびに立てる、
ギギギギ、ギギギギッ、カシーン。
ギギギギ、ギギギギッ、カシーン。
という音も、今や大分離れて聞こえる。
やがて、リモリが手元のコントローラーを操作し、ロボを停止させた。
今度は座らせず、立たせたまま止める。
轟音は収まり、グィーン……と音が鳴る。モーターが回転をゆるめたのだろうか。
続いて、ガタンと、レバーが下がったような音。
これで電源が完全に切れたようだ。
音が突然消えたので、しばらくは耳に妙な感覚が残る。
今までずっとうるさかったため、場がしんとなり、異様に静まり返ったかのようだ。
「ロタさん、大丈夫でしたか。ごめんなさい、私の操作ミスだったかも」
リモリが心配そうにロタの方へ寄ってきた。
右手の中指を見ようとしていたロタは、予想外のリモリの接近に慌て、パッと手を下ろし、
「あっ、いや、大丈夫です。まあ、リモリさんのせいじゃないですよ。勝手に支えた私の方が悪いし。
ちょっと、手、洗ってきますね。マノウさん、外の水道、お借りしてよろしいですか。出入り口にありましたよね」
マノウは、
「あの、いえ、外じゃなくて、奥の台所の流しをお使いください」
リモリも、
「そうですよ。外の水道は、靴とか台車とか洗う奴だし」
「水はきれいでしょ?」
「それはまあ、もちろん」
と、うなずくリモリに、ロタは、
「じゃあ、外のをお借りします。ちょっと行ってきます」
一人になりたかったのだ。
「手を洗う」は口実であり、本当の目的は、右手中指のやけどを冷やすことだった。
さっきロボットに触れた時、むき出しの部品の辺りへ指がかかってしまったため、軽いやけどを負ったのである。マノウたちには気付かれていないので、黙ってそのまま済ませたかった。
軽傷だし、自分の行為が原因だし、余計な気を遣わせたくなかったわけである。
あるいは、
(せっかく、いい関係になれたのに、これぐらいのことで責任問題が発生して、厄介事になるのも面倒だからな)
といった、より生臭い部分での本音もあった。
この辺りは、長いサラリーマン生活で培った直観だ。
ロタは外へ出る。日差しが高くなっていた。
工場外の水道の蛇口をひねり、水を細く流し、しばし指を冷やす。
幸い、皮膚が少し赤くなっているだけで、余り目立たない。痛みも小さい。
「ちょっとばかり軽率だったなあ。馬鹿だった。これぐらいで済んでよかったぜ」
ロタはつぶやく。
だが、
(俺がイリカを守ったぞ)
という自負も多少はあった。
もっとも、仮にあのまま転倒させ、どこかが壊れていたとしても、すぐに修理できたのかもしれない。
が、たとえそうだとしても、自分の「彼女」が目の前で転ぶところは見たくなかった気がする。
七十九、
そのあと、休憩時間も挟み、また同じ場所へ集合。工場内にて、停止させたロボットのそばで。
なお、ロボットは椅子に座らせてある。
先ほどの大きな椅子を持ってきて、数秒だけ電源を入れ、再び座らせたのだ。
そのそばに集まり、簡易テーブルを並べ、ロタ、マノウ、リモリが話し合う。
三人ともパイプ椅子に座り、顔を見合わせながら、雑談風の打ち合わせである。
「頭や上半身には、重りを詰めてあります」
と、目の前に座るロボットを片手で示しながらマノウが説明をする。
「重り、ですか?」
ロタが首をかしげる。
マノウが続ける。
「はい。いずれ、人工知能を入れるためのスペースとして」
「ああ、なるほど。空洞にしておくわけにはいかないですよね。後々のことを考え、近い重さにしておくというわけですか」
「さようでございます。人工知能本体がどれほどの重さになるかは分からないわけですが、サーバーや何やらで相当なものとなるでしょうから」
ロタは、
「昨年の夏にアームを見せていただきましたが、あれは取り付けてあるのでしょうか?」
ロボットの腕を見てみると、人の腕と呼ぶにはまだまだ太いが、昨夏のロボットアームよりは人間に近付いた気がする。
ひじの関節から先は細くなっているし、手の指も多少はリアルに造形されている。
マノウとリモリがそろってうなずいた。
口を開いたのはマノウである。
「はい、取り付けてございます。この腕は、あの時お見せしたロボットアームを改良した物です。今のところ、腕、そして脚も、動力は油圧式と電動式の折衷型ですが、最終的には未定です。
腕は、まだ独立した動きは出来ません。物をつかんだり離したりは、先ほどのコントローラーで一回一回命令せねばならず、歩行と同時に行うことはまだ出来ません」
「それ以前の課題も山積みですけどね」
と、リモリが大人びた声で口を挟む。
「それ以前?」
聞き返すロタへ、リモリが小さく首を縦に振り、
「うん。体を細くして、音も静かにして、歩き方も安定させてさ。
顔だって、ちゃんとしなくちゃ。皮膚は別の業者が造るにしても、輪郭くらいはさ。手だって、脚だってね。
ほんと、まだまだですよ、まだまだ」
椅子に掛けたまま、リモリは体の位置をずらす。
上半身をぐるりと横に、ロボの方へ回し、いつくしむように、頭から足先までを順繰りに眺め回す。
まるで、同じ女の子として、全身のパーツ一つ一つを自分の肉体と見比べているかのようで、どこかなまめかしさも感じさせ、ロタは思わず目を伏せる。
「頑張りますよ」
マノウの声に、ロタは顔を上げる。
ロボットを見つめるマノウの眼差しは、真剣過ぎて怖いくらいだ。プロとして、今後の工程を考え続けているに違いない。
「何とぞ、よろしくお願いします」
改めて、頭を下げるロタであった。
八十、
ロタはこの地でもう一泊し、ホテルから工場へ通い、ロボットのイリカと並んで歩いたり、背比べをしたりした。それはマノウたちによって映像に記録され、今後の製作資料として残された。
ハヤミが設計した人工知能イリカは、ロタの声や生い立ち、嗜好をインプットして造られている。
それと同じく、マノウが設計中のロボットイリカも、今度はロタの身長や体の動きへ特化させることが必要。横に並んで歩いた時などの、違和感を減らしていくわけである。
なお、滞在中、人工知能イリカには、このロボットは一切見せず、話題にもしなかった。幾ら何でも早過ぎるだろうと。
ただ、全くの別室にて、昨夏と同じように、人工知能イリカを起動して呼び出し、タブレット端末を通して、「四人」でおしゃべりを楽しむ機会を設けた。
そう、今回はマノウも参加したのだ。
イリカが聞き取れるのはロタの声だけ。
よって、前回同様、リモリ、そしてマノウのせりふはロタが復唱した。
ロボットの件は話題に出せない以上、会話は当たり障りのない雑談に終始した。とはいえ、イリカにとっては刺激になったようだし、マノウ、リモリ側としても、今後の製作への参考となっていた。
相変わらず、イリカとの会話はしょっちゅう食い違いを起こしたものの、マノウとリモリは、そんなイリカのことも既によく知っている。焦ったり困惑したりする様子もなく、上手に受け流し、次の話題につないでいた。
そうして、滞在最終日の午前。
いよいよ、一旦別れる時が来た。
ロタは既にホテルをチェックアウトしており、帰りの列車へ乗る前に、最後にもう一度工場へ寄った形。ロタの足下には大きな旅行かばん。
ロタは、ロボットへ、正面からいきなり抱き付いた。
ロボットは、工場内の椅子に座らされた状態。だいぶ前に電源を切ってあるため、すっかり冷え切っている。
「きゃあ!」
ロタの突然の行動に、リモリが照れたような悲鳴を上げた。ただ、茶化す感じではない。
リモリと並んで立っていたマノウも、喉の奥で驚きの声。
無理もない。
奇異な行動ではあったのだから。
ロタは中腰で前のめり姿勢となり、ロボットの肩に両腕を回し、ゴツゴツした金属の平たい胸に鼻を押し付け、しっかり抱き締める。
ボディーは冷たいし、部品のでこぼこや、配線の尖りが服越しに伝わってきて少々痛い。
体格差もあり、でかい機械の塊に中年男がぶら下がっているようにしか見えないかもしれない。
マノウとリモリの目には、無様で、痛々しい場面に映っていたかもしれない。
だが、この三日間で、ロタはこのロボットにも、人工知能と同様の愛着を覚え始めていたのだ。
自分の彼女として。イリカとしてだ。
あとは、もう一つ大切なこと。
それは、試作とはいえイリカに体が出来たことだ。
もう、さわれるのだ。
撫でることも、手を握ることも、こうして、抱き締めることも出来る。
「イリカ。なあ、イリカよう」
と、無機質なロボットを抱き締めたまま、ロタは呼びかけ、
「次来る時は、もっと美人になってるんだぜえ」
と笑った後、体を離した。
「それは約束しますよ」
「私も」
ロタの背後からマノウが、続いてリモリが、しっかりした口調でそう告げた。