23 クレープ巻き巻き、イリカ談義。
六十六、
うなぎの次はケーキである。
今度は独立した店舗ではなく、繁華街を少し歩いた先にある、銀色の高層ビル一階。
真夏といえど、既に外は暗い。
街灯、ビル灯り、車のヘッドライト。歩道には人通り。
光や声でにぎやかな観光地。夏休みの駅前。
ビルを入ると、真正面に広い壁。壁をくり抜いた大きな穴を挟む、両開きの扉。これは本物の扉ではなく、巨大な装飾である。
扉は開け放たれている。まるで映画のセットだ。天井までそびえており、西洋の城門のよう。
「こっちはこっちですごいね。一流ホテルみたい」
笑って見上げるロタ。
「遊園地とも言う」
リモリも笑う。
「来たことあるんだよね?」
と、娘を振り返るマノウに、リモリはうなずいて、
「たまにね。高校の頃に友達と。でも高いからさあ。いつもケーキ一個とか。
でも、今日はいっぱいいただくよ」
と、ロタへ視線を移してニヤリ。
「いいですとも。どうぞどうぞ」
笑顔は浮かべながらも、茶化さずロタは答えた。今夜はリモリが主役なのだ。
華やかな照明で昼のように明るい店内には、カラフルなシャンデリア。音響は、ノリの良いクラシック曲。
店内は広く、部屋全体を容易には見渡せない。空席もちらほらと目には付くが、にぎわっている。
スイーツの店でもあり、女性客が多いようだ。また、リモリも含め、この店目当ての客が積極的に来店している印象で、通りすがりにたまたま入ったらしき客は余り見当たらない。
四人がけの席へ案内される。
赤いチェック柄のテーブルクロス。アンティークな、高い背もたれのデザインチェア。
メニューと水を持ってきたウェイトレスも、本格的なかっちりした服装。
パティシエ帽というのか、白いハンチングを頭にかぶり、首にはネッカチーフタイ。
腰から下は黒いロング丈エプロン。
三人でメニューを選ぶ。
マノウは自分のペースで食べたいからと、まとめて最初に持ってきてもらい、ゆっくり飲食する形式。甘い物が嫌いというわけではないらしく、抹茶パフェとカプチーノを注文。
リモリとロタは、一品食べては、次の品を運んできてもらう形式にした。
メニューを開き、向かいのロタにリモリが尋ねる。
「ロタさん、まず何食べます?」
「何かお薦めがあれば。こういう店、余り来ないので」
「じゃあ、クレープにしよう。後でケーキ盛り合わせも」
やがて、クレープが来た。
ロタは、巻かれたクレープを想像していたが、出てきたのは、皿に広げられた大きなクリーム色の皮一枚。扇形。皮の上には、アイスクリーム、カットフルーツ、絞られた生クリームが横一列に載っている。
華やかな眺めだが、ロタは戸惑う。
「えっ、どうやって食べるんだ、これ」
「私はこうやってます」
リモリは、フォークとナイフで、端からくるくると皮を巻いてゆき、上に載ったアイスクリームなどを器用に包み込んでしまった。細長い筒のように。
「ね。あとは、これを端っこから切ってくわけ」
「なるほど。見事なもんだ」
ロタも慎重に真似をし、一応、それらしくはできた。
リモリは、クレープを細く切って口に運びつつ、
「イリカちゃんも、手の動き、これぐらいできたらいいですよね」
「まあ、イリカは食事しないけど」
リモリは隣のマノウを見て、
「そういうのって、もう決めてあるんだね」
マノウはカプチーノのカップを置き、
「うん。その辺は、ロタさんと直接お会いする前から、既にメールとかで話し合ってるからね」
「でも、料理作ってくれるかもよ」
リモリは少しからかうように、しかし優しい笑い方で言った。
それを聞いてロタもほほえむ。
(そういえば、女の子の手料理、俺、食べたことないなあ)
そんなことが、ロタの頭をふとよぎった。
マノウは、何も持たない両手をテーブル上に出し、フォークやナイフを持つようなジェスチャーをしながら、ううんと小さくうなり、首をかしげ、
「今、リモリがやった動作、クレープを巻くのは難しいかもしれない。我が社のロボットアームで実現可能なのは、切るまででしょうかね」
技術者の鋭い目に変わっていた。
対するリモリは目を細めて、
「お父さんの頑張りどころだよね」
ロタも、
「イリカと並んで台所に立つのもいいな。イリカが料理を切る。で、俺は挟んだり巻いたり、細かい作業をすればいいよね」
と、未来を夢見るように言うのだった。
六十七、
ロタの話に、リモリも乗る。
「いいじゃん。で、二人で食卓へ……」
と、ここでリモリは目を見開いて、何かに気付いたような口調で続ける。
「でもさ、ロタさん」
「何?」
口へ運びかけた最初のクレープ一切れを、途中で止めながらロタが問う。
リモリは、
「もし、イリカちゃんが食事しないんだったら、どうしたって、自分が人間じゃないことには気付くよね?」
ロタは、クレープの刺さったフォークに目を移し、食べずに皿へカチャリと戻し、
「多分ね」
「多分って?」
リモリの食事の手も止まる。
「要するにさ、イリカがロボットとして最終的に完成した時点で、イリカ自身が、つまり人工知能がどこまで賢くなってるか、だと思うよ」
言い終わると、ロタは今度こそクレープを口へ入れる。
クリームとフルーツの固まりが歯でつぶれると、甘みと酸味、水分が広がる。おいしい。
「おっ、意外と甘くないね。ヘルシーなのかな」
リモリは、ロタが述べた味への感想は聞き流し、
「どういう意味?
食事は、それこそ日常的な習慣ですよね。ごまかしようがない気がするんですけど。
食事をしない自分と、目の前で食事するロタさんを見比べたら、イリカちゃんもさすがにおかしいと思うんじゃないの?」
リモリの目は、もっと真面目に説明してよ、と軽く抗議しているようにも見えた。
(ああ、そうか、この辺のことは、リモリさんもよく分かってないのか。なるほどな)
ロタはそのことに改めて気付かされた。
そこで、リモリに対して順を追って解説してゆく。
マノウも興味深そうに聞いている。
「リモリさん、済まない。別にふざけてるつもりはないんです。
この件は、俺もずっと考え続けてきたし、折に触れてハヤミさんとも話し合ってるから、まあ御心配なく。
というか、実は心配しても仕方ない部分もあるんですよね」
「不確定要素が多い、と?」
マノウが尋ねてきた。
ロタは、
「そうです。人工知能というのは独自にネットワークを構築し、人間には全く想像の付かない経路で結論を出します。ブラックボックスと呼ばれるゆえんですよね。
仮に、自分だけが食事を取らない体でも、それはそれで、イリカなりに納得してしまうかもしれない。我々には想像も付かない理由で」
「しなかったら?」
すかさず、リモリの質問が飛ぶ。
ただ、目つきの鋭さは和らいでいた。手元も、クレープ切り分け作業を再開している。
ロタは答えてゆく。
「それはその都度、試すしかないよ。今日は食欲がないみたいだね、と言えばおさまるかも。
または、食べる動作を真似させるとか。例えば、料理を食器で口元まで運ばせ、口を数回動かす仕草をさせれば、それで納得するように訓練したりプログラムしたりする。
あるいは、イリカ専用のガムを作る案もある」
「えっ、ガ、ガム?」
リモリが、まゆを上げて聞き返してくる。
ロタは答える。
「うん、ガム。これはドワキのアイデアなんだが、ね。
特殊なプラスチックかゴム素材の、柔らかいガムみたいな物を作るわけだね。
イリカは、俺と食事する時は、それを口の中へ入れて、一定時間かむんだよ。もちろん飲み込まずにね。その動作をもってして、疑似的に食事を取ったとみなすわけだ。人工知能がそれで納得してくれれば解決だよね。
もっと原始的な強硬手段もあり得るわな。
例えば、イリカには食事場面を見せないとか。究極的には、俺の食事中にはイリカの電源を切るとかね」
「えーっ、何もそこまでして……」
と、リモリはあきれたような表情をしたが、新たなクレープを食べながら、
「いや、でも、そうか。ん?
テレビみたいな物なのか?
ロボットと暮らすっていうのは、突き詰めれば、」
リモリは頭の回転が早い。今の説明で、ぴんときたようだ。
ロタもクレープを飲み込んで、
「そう。つまりは、そういうことなんですよ。夢がないかもしれないけどさ。でも、そういうことなの。
素人の俺が言うのもおこがましいけれど、結局は、部品を、機械を、コツコツ組み上げていくしかないんですよね。人工知能にせよ、ロボットにせよね。
で、少しでも人間っぽい動作をしてくれたら、よしよしって、小さな満足感を得ると。多分、その繰り返しでしかない。
これを受け入れる覚悟がないのなら、ロボットを恋人にしようなどと思ってはいけないんだよ」
「で、ロタさんには、その覚悟が出来てるってわけだ?」
リモリが、クレープのひとかたまりを豪快にほおばりつつ、片手で口元を隠しながら言った。もはや、しゃべり方は完全に雑談口調へ戻っている。
ロタはうなずいた。
やや傾いた雑なうなずきではあったものの、態度に迷いはない。
「そうだね。最初、この計画に取りかかるまでは随分悩んだけど。
生まれてからずっと女性に縁がなかった俺が、それでも恋愛気分を味わいたいのなら、この辺りが妥当なラインなんだろうってね。
もちろん、曲がりなりにも生命や人格のような存在を作り出すわけだから、ところどころは、人間相手か、それ以上の心遣いが必要だ。それは、今日、まさにあなたから教えられたことですよ」
ロタは、今日の昼の、リモリとイリカとの対話を思い出しながら言った。
「うん……」
リモリは一応うなずいたが、自分の皿の上に視線を落とし、考え込むポーズ。恐らく、リモリも今、同じ場面を思い出しているはずだが。
十九歳の女の子にとっては、そもそも、大金を投じて恋人ロボットを造りたがる金持ち男がいる、という時点で、もしかしたら「キモい、あり得ない」と感じるのではないだろうか。
それでも、プロとして、女の子として、真剣にぶつかってきてくれたリモリ。が、やはり、イリカにせよ、ロタにせよ、ちょっと自分の理解を超える存在だったのでは。
(リモリさんにとっちゃ、昼にはイリカと対話して、夜にはこうやって俺と対話して。変な奴らに囲まれた困惑の一日だったかもなあ)
と、ロタは感謝しながらも気の毒がる。
「リモリ……?」
マノウが、心配そうに娘の顔をのぞき込む。
リモリは顔を上げ、横の父親、続いて向かいのロタを見て、フーッと長めのため息をつき、
「何か、色々あって今日は疲れちゃったよ。まあ楽しかったといえば楽しかったけど。
何だかなあ。世の中、色々な人がいて、色々な考え方があるんだなあ。
ケーキ頼もっか」
「そうだね。どんどん召し上がってくださいな」
と、ロタ。
リモリは少々驚いた顔で、
「えっ、ロタさんも食べるんですよね?」
「もちろんもちろん」
顔を見合わせて笑う二人を、マノウもホッとしたようにほほえんで眺めていた。




