第一針『ソナタの‡ツギハギ‡』
時は昭和六十年、春の終わり。心地の良い春風が頬を撫で、初夏の香りを運んでくる。
処は青森県『禍歹匕之梺町』。
豊かな自然、小高い山々に囲まれた“禍つ死〟が蔓延る梺の町。
古くからの言い伝えでは此の町を囲う『禍津山』が死を運んでくるのだと云うが、真偽は不明だ。
現代人の間では妖怪『マガツさん』なるものが弱者の命を刈り取っているなどという怪談話に変遷している。
“子らよ、強くあれ〟──且つて、此の町の開祖が遺した言葉だと、両親や祖父母、将又その祖先達が口を揃えて口伝してきた。
其れは禍津山が運ぶ死に呑まれぬ為か、あるいは──
「──ツギハギだらけ……だな」
町を一望出来る小高い丘『禍津日丘』に少年がポツンと一人、蒼空のバックに自身の左腕を見つめていた。
ツギハギだらけの痛ましい腕──いや、全身が継ぎ目だらけの少年だ。
カラダだけではない。制服も継ぎ目で覆われている。左目は灰色で右目は濡羽色で光を乱反射している。少し長めの髪もカラスの如く濡羽色だ。
こんな見てくれ故に小さな子供達の間では「マガツさんが山から下りて来たぞー!」などと煽られるのが日課となっている。
『対話じゃよ、対話。何事も対話が大事なのじゃ、ソナタ──』
──お師匠が、口癖の様に言っていた。
バラバラにされたオレのカラダを繋ぎ合わせ、身を護る術を教えてくれた武道家であり、闇医者であり、滋賀県で名の知れた任侠グループ『薬斉組』大親分のイクミ師匠。
“継ぎ目〟を優しく撫でて、いつも言ってくれたんだ。言わんとしていたことが、ぼんやりとだが解りかけてる……気がする。
このカラダには“オレ以外〟のツギハギも混じってる。それも“いわく付き〟だとお師匠は言っていた。
大昔、闇の道を歩んだ名も無き偉人だったり、物の怪だったり──
「まっ、いっか。痛みも何もない。でもちゃんと感覚はある。大したもんだよなぁ──」
「ソナタ」
「──エミリカ、前から言おうと思ってたんだが……パンツ見えてるぞ。あと、気配殺すなよ、ビビるから」
“エミリカ〟と呼ばれたセーラー服の少女が“ソナタ〟と呼ばれ、寝そべりながら天を仰ぐ少年を真上から覗き込む。
「良いわよ、タイツ越しですもの。気配を殺してるつもりも無くてよ」
「あのなぁ、も少し自分を大事に──ッぶねぇッ‼」
「あらっ──」
エミリカの顔面目掛け、燕の様なものが凄まじい速度で飛んできた。
ソナタは勢い良く飛び上がると、身を挺して少女を庇う。
「な、なんだよ、今の? 黒い……鉄骨? なんでこんな何もないところに鉄骨が?」
回復後、ソナタの動体視力は飛躍的に上昇していた。其れは野良猫をも凌ぐ程の視力だ。
彼が燕ではなく鉄骨と言うのだから、鉄骨なのだろう。
「ソナタ」
「なんだよ?」
「いつまでそうしてるのかしら。赤ちゃんができてしまうわ」
「赤──ッ⁉」
何処か無感情で無機質な少女に覆い被さった少年は、これまた勢い良くガバッと距離を取る。
“諏皇魅慧深璃華〟──大きな財力と権力、そして黒い噂を持つ『諏皇魅財閥』の令嬢であり、ソナタの恋人である。
彼女はこの春、此の梺町に家族と使用人と共に引っ越してきた。
何処か近寄り難く、何を考えているのか分からない高嶺の花と言うべき少女だ。気兼ねなく話しかけるのは物怖じしないソナタくらいしか居なかった。
気が付けば、自然と恋仲に陥っていた。
「あら、顔が真っ赤よ」
「あ、あ、あ、朝焼けだよっ!」
「もうすぐ九時よ」
“靈㸚蘇拿佗〟──幼くして両親を亡くし、喧嘩別れした祖父をも亡くし、正真正銘の天涯孤独となった少年。
『魂蕊高校』に通う、今年の春に十七歳を迎える高校二年生だ。エミリカは早生まれの為、既に十七歳を迎えている。
ツギハギだらけの悍ましい風貌の為、彼に好んで近付く者もまた、極少数だ。
エミリカの父親は帝王学を叩き込まれたが故に、何処の馬の骨とも知れぬソナタとの交際を強く反対している。
対するエミリカは徹底して弾丸の如く論破し、常々父の神経を逆撫でしてきた。
母は無気力に自身の長く綺麗に整った爪を眺めたり、ワインをあおりながらぼんやりとテレビを見つめる毎日だ。娘の交際に関しても、家庭内暴力に対しても無関心で、娘が殴られて尚視界にすら入れる事は無い。
「やべっ、もうそんな時間──あっ、エミリカ、お前また──」
「気にしないで。いつもの事よ」
少年は少女の制服の首元を捲り、青痣を発見する。
とても機能している家庭とは言い難く、母の手料理の味すらも知らない少女は“劇物〟と呼ぶに相応しい重箱を毎日愛する恋人の為に持参する。
幸いな事に、ソナタの舌は美味なもの程不味く感じ、不味いもの程旨く感じる“ツギハギ〟だ。
それ故にこの世界には美味を感じられる食べ物が殆ど存在せず、エミリカの劇物を欠片も残さず「ウメェウメェ!」と完食する。
其の舌は先端が二又に分かれ、時折黒紫色に変色するという。ソナタ自身は“舌蛇〟と呼んでいる。
「ほら、学校に行くわよ。また遅刻してしまうわ」
「あ、ああ。重箱、持つぜ」
「あら、いつも気が利くのね」
「へへっ。なんたって、カ・レ・シ、だからなっ!」
「うふふ。そうね」
エミリカは風と共に振り返り、背後に聳え立つ忌まわしき山々を見つめた。
彼女を避けるかの如く山に向かい、突風が吹き荒ぶ。
「ん、どした?」
「──いいえ、何でもないわ。行きましょ、ソナタ」
「……? おう」
あの時、山から誰かの呼びかけが聴こえた様な気がしたんだ。
聞き覚えの無い声。でも何処か、懐かしいような──
『其方のツギハギと対話せよ──』
「いでっ‼」
「あら、どうしたのかしら?」
「急に左腕が──」
「今まで痛んでなかったのでしょう? 不思議ね」
「あ、ああ……」
少女は少年の痛ましい左腕の継ぎ目を優しく撫でる。
且つて、師がやってくれた様に──
「お師匠……、無事帰れたかなぁ」
「“ホワイト・ジャック〟と呼ばれているお医者様ね。凄い人に治療……いえ、蘇生してもらったものだわ」
“ホワイト・ジャック〟──当時、都市伝説と化していた闇医者である薬斉イクミの通り名だ。
『ホワイト』とは白色を指す言葉ではなく、『ホワイ』と『ワイト』、つまり『何故』と『屍』を継ぎ接ぎにした造語である。
何故なら彼は闇医者の側ら、亡骸を幽世に送る準備として骸にそれまであった人生の全てを一から語り聞かせる『骸語』という稀有な生業を兼業していたからだ。
「武術と医術を組み合わせた術法を使って手術していたんだと。オレには想像もつかねぇや」
「“格闘医術〟ね。私も話では聞いた事があるわ」
「そっか。オマエんトコの財閥は──」
「ええ……、極道との繋がりもあるもの。必然的に闇医者である彼の逸話は耳に飛び込んできたわ」
「やっべ! いよいよ遅刻確定だぞ! 近道すっぞ、エミリカ‼」
「パルクールコースね。良いわ、賭けましょう」
「賭けェ?」
「私が勝ったら……そうね、“ここ〟に口付けをしてちょうだい」
「くくく口にィ⁉」
エミリカは不器用で悪戯な笑顔で、唇を指差して見せた。目は殆ど笑っていない。
「だってアナタ、未だに口にしてくれないじゃない。恋人の契りを結んでから一月は過ぎようと言うのに」
「わわ……わーったよ! でも、今回もオレの勝ち──えっ?」
「お先に失礼するわ、ソナタ」
吹き荒ぶ突風に乗り、エミリカは既に七メートルは差をつけていた。
「なーーっ⁉ ずるいぞ、エミリカーーッ‼」
「勝てば良かろうなのだわ」
所は変わり、二人が通う『魂蕊高校』。
既に殆どの生徒達は自身の教室へと入っており、時間にルーズな学生達が駆け足で閉まりゆく校門に滑り込む。
「たるんどるぞ、お前たち‼ こりゃあ夏休みは補習だなぁ、ガハハッ!」
ゴリラの様な、サイの様な、絵に描いたかの様なガタイの良い体育教師『五里貞三』が竹刀を振り回して高笑いを披露している。
まるでくノ一の如く校門をフワリと飛び越える財閥令嬢の足が貞三の平たい顔面を踏みつけた。
「へぶっ⁉」
「あら、御免あそばせ」
「諏皇魅ー! またお前かー‼」
「だって素敵な“踏み台〟なんですもの」
「なんだとーー⁉ へぶっ‼」
再び貞三の顔面が踏みつけられ、大きな足跡が残った。靴のサイズは二十九センチと言ったところか。
「待てよ、エミリカー!」
「ターマーザーリーー‼」
「おわっ⁉」
「待つのは……キサマだーーッ‼」
「ッぶね! 毎朝毎朝可愛い生徒を竹刀で斬ろうとすんじゃあねぇよ、バカ教師!」
「ドコに“可愛い生徒〟が居ると抜かすか、バカ生徒ッ‼」
いつもの日常風景である。此の学校の朝の名物と言えよう。
息を切らした短ランの少年が少し変わったセーラー服の少女に歩み寄る。
「それじゃ、約束は放課後にお願いするわね」
「なっ──ノーカンだよ、ノーカン! あのゴリラが居なけりゃオレが勝ってたんだ!」
「見苦しいわよ、ソナタ。いっぱしの漢なら覚悟を決めなさい」
「わ、わーったよ……」
「あら、予鈴だわ。急ぎましょ」
「お、おう」
足早に教室へと向かう二人をよそに、ベキバキと惨たらしい竹刀が折られる音が木霊している。
先の体育教師が悪い笑みを見せる。
「タァマザリィ……おぼえておけよォ……」
所は変わり、二年三組の教室。ホームルームの準備を始める生徒と三角眼鏡の女教師。チャイムギリギリで教室に入るソナタとエミリカ。
「こほんっ。早く席に着きなさい」
「「はーーい」」
二人は運命的にも、窓際の一番後ろの席で隣同士だ。
エミリカが来るまでは窓の外を眺める事が日課だったソナタの視界は、今では彼女一色である。
微笑を向けるソナタの表情が歪んだ。
「いっ──つつ……」
「あら、また左腕が痛むのかしら?」
「あ、ああ……。なんなんだろ」
「保健室に行きましょ」
「い、いいよ別に──」
「先生」
ホームルームが始まった矢先、エミリカは迷わず手を挙げる。
「何かしら、諏皇魅さん?」
「私の愛する彼の腕が痛むの。保健室に連れて行っても宜しくて?」
「愛っ……⁉ こほんっ。早めにお願いするわね。直ぐに一限目よ」
「時間は掛けませんわ。行きましょう、ソナタ」
「お、おいっ! 相変わらず強引だなぁ……」
エミリカはソナタの右手を引き、足早に教室を飛び出した。
他の生徒達はザワザワと噂話を始めている。
「ヒソヒソ──」
「“私の愛する彼〟だって」
「ああ見えて大胆よねー」
「クスクス──」
「皆さん、お静かにー! ホームルームを再開しますよ! えー、それでは、昨今問題になっている通り魔事件について──」
誰も居ない保健室に着いた二人はベッドの上に座り込む。
寝不足の保健医は慌ただしくトイレへと駆けていった。コーヒーの飲み過ぎだろう。
「ソナタ」
「なんだよ……? お、おいっ!」
今はソナタの左腕だが、且つては“別の者のカラダ〟だった腕に唇を重ねるエミリカ。
先程迄、激痛に支配されていた左腕は嘘の様に痛みが引いていく。
「えっ? あれ、痛く……ない?」
「もう大丈夫かしらね」
「何したんだ?」
「うふふ。おまじないよ」
「へぇー、大したもんだな。将来は女医さんかぁ?」
「ただのおまじないよ。そう……、只の“御呪い〟……ね」
「ふーん」
「えいっ」
「おわっ⁉」
彼女は無理矢理に彼をベッドに押し倒し、胸の鼓動に耳を傾ける。
「チク──タク──チク──タク────機械みたいね、ソナタの心臓」
「そ、そらぁ心臓は正確に動くモンだろうよ」
青春の一ページを破り去る怒号にも似た声が響き渡る。
「こらーー‼ ここはそういう事をする場ではありません! 元気なら教室に戻りなさいっ‼」
「「はーーい」」
逃げる様に其の場を後にする二人。エミリカの頬は白く、ソナタの頬は紅く染まっていた。
同日黄昏時、ソナタの頬は夕日よりも赤く紅く染まるのは言うまでもなく──
『其方の継ぎ接ぎと対話せよ──靈㸚蘇拿佗────』
──第一針『ソナタの‡ツギハギ‡』縫合完了〆──




