第1基音:役立たずの調律師
「お前みたいな無能、これ以上連れて歩けるかよ!」
怒声がダンジョン深層の重苦しい空気を震わせた。
松明の火に照らされたリーダーのヴァンは、唾を撒き散らしながら俺――アルトを突き飛ばした。
「ダンジョン最深部の一歩手前まで来て、お前がやったことと言えば剣をカンカン叩いて『調律』とかいう気休めをしてるだけだ! 戦闘にも参加しねえゴミが、Sランクパーティー『銀翼』のツラをして歩いてんじゃねえ!」
地面に尻もちをついた俺を見下ろし、パーティーの仲間たちも呆れた視線を向けてくる。
魔導師のミリアが溜息をついた。
「アルト、悪いけどヴァンの言う通りよ。あなたの『調律』スキル、道具の音が少し良くなるだけで、何の戦力にもなってないもの」
「……待ってくれ。俺が毎日道具や装備の歪んだ『音』を直して整えてるから、お前たちの装備は壊れずに済んでるんだ。俺がいなくなったら――」
「ハッ! 苦しい言い訳言ってんじゃねえよ!」
ヴァンは俺の言葉を嘲笑い、足元にあった俺の荷物袋をダンジョンの奥へと蹴り飛ばした。
「ここはお前みたいな非戦闘員が一人で生きて帰れる場所じゃねえ。せいぜい魔物の餌にでもなってろ」
そう言い捨てると、彼らは踵を返し、来た道を戻っていった。
俺は静かに立ち上がり、服についた塵を払った。
「……困ったな。あいつら、明日からの道具のチューニングはどうするんだろ」
俺の魔法『調律』。
世の中のあらゆる物質や魔法には固有の『音(波長)』があって、それがズレると道具は切れ味が落ちたり壊れたりする。俺はパチンと音を立ててそれを正調に戻しているだけなのだが……どうやら世間では「戦闘に役立たないハズレスキル」扱いらしい。
自分が非戦闘員の無能であることは自覚している。
だからこそ、こんな危険な場所に一人置き去りにされたのは致命的だった。
その時――
ゴゴゴゴゴ……ッ!
ダンジョンの壁が鳴動し、暗闇の奥から血のような赤目を光らせた巨大な影が現れた。
この階層の主――Sランク魔物『グラン・ガルム』。巨木のような体躯を持つ双頭の巨大狼だ。
「っ……!? う、嘘だろ……!?」
「グルゥゥァァァアアアッ!」
地響きのような咆哮。巨狼が空気を切り裂く速度でこちらへ躍りかかってくる。
「ひぃっ、死ぬ死ぬ死ぬ!!」
俺は半狂乱になりながら踵を返し、脇目も振らずに走り出した。
戦うなんて到底無理だ。俺は剣すらまともに振れないただの裏方なのだから。
「ハァ、ハァ……っ! どこか逃げ込める場所は……!」
背後から迫る圧倒的な殺気と疾風。命の危機に焦る中、崩れかけた壁の隙間に小さな亀裂を見つけた。
俺は迷わずそこへ頭から滑り込む。
ガラガラガッ!
「うわぁぁぁっ!?」
足元が崩れ、俺は暗闇の斜面をどこまでも転がり落ちていった。
どれくらい落ちただろうか。強打した腰を押さえながら顔を上げると、そこは湿った広大な地下空洞だった。
だが、安心したのも束の間。
ズシンッ! ズシンッ!
「ガアァァァッ!」
上の壁を食い破り、グランガルムが追ってきたのだ。
着地の衝撃で退路は完全に塞がり、背後は行き止まりの重厚な鉄の扉。完全に詰んだ。
「ここまでかよ……っ!」
巨狼が牙を剥き出しにし、俺の首元へ跳びかかる。
死を覚悟したその瞬間、巨狼が身に纏う魔力の『音』が強烈に耳に飛び込んできた。
ガタガタと耳を刺す、あまりにも醜く酷い不協和音。
(……くそっ、なんで死ぬ間際にこんな不快な音を聴かなきゃいけないんだよ!)
頭が割れるような不快感と恐怖が限界に達し、俺はパニックのまま右手を掲げて叫んだ。
「静かにしろ!!」
パチン――!
恐怖で震える指が、無意識に澄んだ音を鳴らした。
耳障りな巨狼の波長に、無理やり「ゼロ」の調律をぶつけた瞬間――
チュドォォォォンッ!!
「ひぎゃっ!?」
凄まじい爆風が吹き荒れ、俺は後方へ吹き飛ばされた。
目を丸くして前を見ると、さっきまで目の前にいたはずの巨狼の姿はなく、そこには転々と転がる魔石と、爆破されたようなクレーターだけが残されていた。
「は、はあ……? な、なにが起きたんだ……?」
俺は腰を抜かしたまま絶句した。
「……そっか。Sランク魔物なんて大層な名前がついてたけど、全身の波長がガタガタの欠陥品だったんだな。だから俺がちょっと波長を正調に戻そうとしただけの振動に耐えきれず、勝手に自爆しちゃったんだ」
俺は納得してポンと手を打った。
道具だってメンテナンスを怠って歪みが限界を超えると、少しの衝撃で粉々に割れる。それと同じだ。
「あー、びっくりした……。やっぱり調律の行き届いてない魔物は脆くて危ないな」
胸を撫でおろし冷や汗を拭うと、背後の鉄の扉――『封印の間』から、かすかな音が漏れて聞こえてきた。
キーン……キーン……
痛みに耐えかねた悲鳴のような、酷く乱れた波長。
「……なんだこの音。あの巨狼の奴より酷いぞ」
俺は恐る恐る扉を押し開けた。
部屋の中央、巨大な結晶の中に、漆黒の髪を持つ美しい少女が閉じ込められていた。
彼女を包む膨大な魔力が暴走し、激しい雑音となって彼女の身体を苛んでいる。
「助け……て……あつ、い……」
「……こんな綺麗な女の子が、こんな不快な音に晒されてたら頭がおかしくなっちゃうよ」
自分が非戦闘員であることも忘れ、俺は吸い寄せられるように結晶へ歩み寄った。
「大丈夫だぞ。今、綺麗にチューニングしてやるからな」
自分のスキルの真価に気づかないまま、俺は少女の暴走する魔力へそっと手をかざした――。




