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存在のパラドックス  作者: レモンティー


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1/9

第一話:観測者

それは、あまりにも些細な「条件」だった。

水があったこと。

月があったこと。

ただ、それだけの違い。

彼は、観測室で一人、地球のシミュレーションを眺めていた。

名前は飯田正晴イイダ・マサハル

この時代では、誰もがただの「観測者」だった。

人類はすでに、数十万の惑星を解析している。

生命の可能性を数値化し、文明の発生確率を算出する。

そして結論は、いつも同じだった。

> 「人類のような知的生命が生まれる確率:ほぼゼロ」

だが――例外が一つだけあった。

地球。

「なぜだ?」

彼は何度も計算をやり直した。

水の量。

恒星との距離。

大気の組成。

磁場の強さ。

どれも重要だ。だが、決定的ではない。

その中で、ただ一つ――

異様な値を示す変数があった。

月。

地球の月は、大きすぎた。

通常、惑星の衛星はもっと小さい。

だが地球は、まるで“双子”のような巨大な月を持っている。

その結果――

潮汐が生まれた。

月の引力により海が満ちて、引く。

満ちて、引く。

永遠に続くリズム。

最初の生命は、海の底で生まれた。

だが、進化はそこに留まらなかった。

波に打ち上げられ、また海へ戻る。

その繰り返しの中で、

「外に出る」生物が現れた。

「もし潮汐がなければ……」

彼は呟く。

「一生、海の中だった」

だが、それだけではない。

月は、地球の自転軸を安定させていた。

もし月がなければ――

地球は激しく揺れ続ける。

氷に覆われる時代。

灼熱に焼かれる時代。

それが何度も繰り返される。

生命は続かない。

進化は積み重ならない。

彼は手を止めた。

新しいデータが届いている。

別の惑星の報告書。

そこにも、水があった。

大気もあった。

温度も適切だった。

だが――

月がなかった。

シミュレーションを走らせる。

数百万年。

数億年。

変化は、ない。

生命は単細胞のまま、止まる。

次の惑星。

小さな月はあった。

だが潮汐は弱すぎる。

結果は同じ。

「ほんの少し……足りないだけで」

彼は呟く。

「永遠に届かない」

そのとき、彼の視界に別のデータが重なった。

宇宙航行に関する統計。

・ 1光年 = 約9.46兆km

・ 光速(秒速30万km)で1年

だが現実は違う。

人類最速クラスの探査機。

ボイジャー。

速度:秒速約17km。

光速の、約1万7000分の1。

つまり――

1光年進むのに、約1万7000年。

仮に技術が進んでも。

秒速300km。

それでも――

人類の最先端の技術をもってしても1光年先に移動するのに約1000年かかる。


宇宙望遠鏡が集めた膨大な観測データ。

銀河。恒星。惑星。

その中に――

説明できない“静けさ”がある。

「星が多すぎる」

飯田はモニターを睨みながら呟いた。

恒星の数は10の22乗 約100垓個 (1兆が10の12乗、1京が10の16乗、1垓が10の20乗)。

惑星の数も同じくらい。

生命が生まれる確率が、仮に100万分の1だとしても――

それでも、宇宙には無数の生命が存在するはずだった。


彼は、ゆっくりと椅子にもたれた。

「届かないな」

どれだけ奇跡的に生まれても。

どれだけ進化しても。

どれだけ文明を築いても。

太陽系を出て他の星に行くには、遠すぎる。

そして、もう一つ。

彼は気づいてしまった。

「そもそも……」

「他に“いる”のか?」

観測データを広げる。

似た条件の惑星は無数にある。

水がある星。

大気がある星。

適温の星。

だが――

地球のような“組み合わせ”は、一つもない。

月。

巨大衝突。

偶然の角度。

偶然の速度。

ほんのわずかな違い。

それが――

宇宙で一度きりの結果を生んだ。

観測室は静まり返っていた。

彼は、記録を残す。

> 「人類が誕生した理由は、存在しない」

> 「それは理由ではなく、事故である」

> 「水があり、月があった」

> 「ただ、それだけだ」

そして、もう一行。

> 「そしてその“ただそれだけ”は、宇宙で一度しか起きていない」

送信。

記録は、深宇宙アーカイブへと保存される。

だが彼は知っている。

誰にも届かない。

距離が、遠すぎる。

1光年。

それだけで、最先端技術で1000年から1万7000年。

文明が存在する時間よりも、長い。

つまり――

太陽系を出て他の星に行くには寿命が最大100年程度の人類からすると途方もない無理な話だ。


夜。

地球では、ひとりの人間が空を見上げていた。

月が浮かんでいる。

静かに。

ただ、そこにある。

何も知らずに。

その光が、

どれほどありえない奇跡かも知らずに。

そしてその奇跡が――

宇宙で、たった一度しか起きていないことも。

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