死闘 3
「はやく、にげろ、ルメ」
いや、確かにハクトの声だ。フルフェイスのヘルメット越しに聞こえる。
まさか、意識があるのか?
「ハクト? 自我があるのか?」
「かろうじて、だ。だが体は言うことを聞かない。早く、逃げてくれ。このままじゃ……」
声に悲痛さがみえる。ハクトの苦しむ声は私の心も締め上げていく。
世界もむごい真似を。意識など残していても苦しむだけだろうに。
「どうして抗う? その力を受け入れろ。苦しむ必要はない。その力を受け入れるんだ」
「な、にを」
困惑したその声を聞くだけで、どんな表情をしているのかがわかる。それほどまでに一緒にいた時間が長いという事。
更に距離を詰めて、囁くように言った。
「聞け、この戦争は恐らく派邪の負けに終わるだろう。ニュークス様は常々仰っている。世界に選ばれた方が勝つのだと。今日ほどお膳立てされた作戦さえ勝ちを取りこぼすのだから、世界がどちらに傾いているかはわかるだろう? 何も、負ける方に付くことはない。人間として生まれたのなら、人間として生き延びろ」
驚くハクトの声が聞こえてくる。
「まさか、ルメ、このことに気が付いて、いたのか?」
「薄々、な。ヒーローがどうして正義感だけで死地を駆けられるのだと思う? それは自我を殺されているからだ。そうでなければ人間ごときに背負える運命ではない」
私の答えに、裏切られたと言わんばかりの声が被さった。
「どうして教えてくれなかった!」
「それでも。どんな姿形でも、君に生きていて欲しいから――」
私は自分の体を、心を、ハクトにぶつける。
「聞け、ハクト! 君に自爆命令が下っている。こちらにいても長くは生きられないのだ。それならば、どんな形になっても生きていて欲しい。自我が無くなってもきっと心は残るだろう。人間として生きていけるのなら、その方がいい。生きてさえいれば、新しい幸せも見つけられる」
「ふざ、けるなあ!!」
厳つい面のヘルメットから、叫び声が響く。
「ふざけるなよ? 俺は破邪のハクトだ。人間になどならない。俺は破邪の世界を作る。そして、ルメと一緒に陽の下を歩ける世界を作る」
「君は私と心中でもする気か?」
「このまま人間になるぐらいならその方がいい」
くぐもった声が湿っぽい。
泣いているのかい? 嬉しくないと言えば、嘘になるが。
近距離で見上げるものの、その面はカミキリムシの様な気の強そうな表情で固定されている。最期に泣き顔をみたのはいつだったろうか。その顔を見られないのは少し勿体ない気もする。
力が尽きてきた。この体勢も長くは持たないだろう。
このまま斬り殺されるのも、もしかしたら幸せなのかもしれないと少しだけ思ったが、それでは青い炎に召される中で後悔する気がして止めた。
右の腕の力を徐々に緩めると、大剣がゆっくりと迫ってきた。
「あ……あ」
切羽詰まったハクトの声。
大剣が私の体に切り込んできた。痛みはない。鋭すぎる刃物だ。恐らく後から激痛が襲って来るのだろう。
剣幅の半分ほどで、力を入れ直し、刃を留める。
「どうだい? 君の体は私を殺したくてしょうがないらしい。やはり、君は世界のヒーローだよ」
「違う! 信じてくれ。こんな事はしたくないんだ。俺がお前を斬りたいわけ無いだろ! 体が、体が動かないんだ、操られてるんだよ」
そんなに必死にならなくてもわかっているさ。君が私を大事に思っている事ぐらいは、ね。
「操られているんだ!」
私はハクトを睨み上げた。
「操られている? 君はそんな理由で好きな相手に傷を付けるのかい?」
息を飲む微かな音が、耳に届いた。
体を後ろに倒し、反動で彼の体を持ち上げる。地上の生き物は足を地に着けていないと本来の力を出せない。ハクトの右腕を掴んで剣を抜き、勢いをつけて振り回して、元いた場所へと投げつけた。
右腕を半分ほど切り取られたが、安い代償だろう。
宙で体勢を立て直したシルバーは、音もなくゴールドの隣に立った。
こちらは満身創痍。だが、正直、体より心の方が痛かった。
「手助け出来なくてすいません、ルメ様! 歩けますか?」
私たちが離れたことで、手を出せずにいた手下達が私の周りを壁のように囲む。肉の盾になるつもりなのだろう。しかし、あの大剣が相手ならば盾どころか、紙一枚の代わりになるかどうか。
それでも、私は拒否できる立場ではなかった。彼らを犠牲にしても生き延びなければならない地位にいる。
手下の肩越しに見えるシルバーが、悠々と構えを取り直す。私たちを逃がすつもりはなさそうだ。
退路の海まではやや遠い。このままでは全滅もあり得る。
この場で死にたくはなかったのだが。
シルバーが、大剣の先を後ろに引いた。
皆の緊張が伝わってくる。
加速。一歩、二歩と駆けだしたシルバーだったが、急に失速して止まった。
カランと甲高い音を響かせて、大剣を落とす。
そして、絶叫。
「ああああああああ!!!!!!」
頭を抱えて振り乱し、ひざを突いて天高く吠えたときには、変身は解けてハクトが姿を現していた。
「ああああああ、頭が! 意識がああああ」
意識を食われている。
ハクトの本来の意識など、世界のヒーローにとって邪魔以外の何物でもないのだから。
耐えてくれ。君が生き残るにはその道しかない。
どんな姿であれ、生きてくれれば私は嬉しいんだ。
苦しむハクトを前に、敵味方双方に混乱が広がった。
「おい、あんた、大丈夫か!」
ゴールドがハクトに近寄り、自分の細剣で私たちを牽制する。
こちらはこちらで手下達がハクトの姿に驚きを隠せないでいた。一人が私に近づいてくる。
「ルメ様……あれは、まさか、ハクト様じゃ」
私は無事だった左腕で、その手下を締め上げた。
「様!? お前! 今なんと言った!」
「う、え”、げ……」
更に上へと吊し上げる。
「奴は我らに牙をむいたのだぞ。破邪に逆らい、あろう事か私を殺そうとしたのだ。そんな奴に敬称を付ける? お前も奴の仲間か!」
青い顔で必死に首を振る手下を、地面へと叩きつける。
「奴は破邪の裏切り者だ。二度と裏切り者の名を呼ぶな!」
突然の剣幕に、事実確認をしようとした手下の数名が足を止めた。
裏切り者。
私欲を捨て、破邪のために力を尽くしてきた者を裏切り者と呼ばなければ、生かしておけない。派邪は組織としても、長くは持たないかもしれないな。
どちらにしろ、か。
「退くぞ」
手下に声をかけて、波止場へと下がる。仲間を見捨てることが『不可能』なゴールドは、案の定追って来ない。
手下を促し、先に海へ潜らせた。長く泳げる者はそのまま海を渡って本拠地の島へと向かい、それ以外の者は、近くに隠していたボートまで泳ぐ。
皆の姿が消えるのを待って、私も避難を開始する。
ああ、そうだ。捨て台詞ぐらいは置いていかなければな。私たち怪人の美学に反する。
左の腕をゴールドに突きつけ、高らかに告げる。
「貴様等の命、預けておく。次に会ったときは必ず息の根を止めてやろう。残された時間を、せいぜい楽しむがいい」
私の声に反応したのか、ハクトが顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃに濡れ、恐怖と心細さに怯えていた。
そんな顔を見せるなよ。駆け寄って、慰めたくなるじゃないか。
一瞬だけ目が合った。
彼が、手を伸ばしたように見えた。
私は背中から海へと飛び込んだ。
海から見た空は、いつも通りゆがんで見えた。
泣くとはどうゆう事なのだろう。
子供の頃、ハクトは泣き虫だった。泣くことのできない私は、彼が泣くのを黙って見ていた。
いろんな理由で泣いていたと思う。泣いた後は疲れて眠っていた。起きた頃にはすっかり元気になっていた。
涙を流すと疲れるのだろうか。すっきりするのだろうか。
どんな気分なのだろう。私はそれを知りたかった。
海に深く沈むほど、空の色は揺れてゆがみ、ぼやけてゆく。
次第に空は見えなくなった。
きっと、今泣けなければ、もう一生泣けないのだろう。
そう、思う。
「さよなら、私の愛しい人」。
私は、ゆがむ視界を墨色に塗りつぶした。




