第十四柱 清算
ようやく心を通わせ始めたイブキとディオルコだったが、集落に辿り着こうかというときディオルコが砂漠に倒れた。
この世界に 誰かが足りないと 感じたことはないだろうか。
◆
乾き、日に焼けた砂の匂い。家屋を遠目に、横たわる体が埋もれていく。目、鼻、口、…ありとあらゆる部分から砂が侵入してくるが痛みはない。
待て、これは砂に埋もれているのではない、溶けている。同じ砂として、体が大地に溶け出している。もう身体は半分以上砂になった。右半身の目が少女の影を捕える。
「…!!」
呼び止めようとするも声は出ない。腕も上がらない。砂時計で落ちていく砂の、まるで最後の一滴となったように、青年は砂になり地底へと落ちた。
落ちて、落ちて、落ちて―――…
羽毛布団の重みを感じてうっすらと目を開ける。
見慣れた天井のアーチ、焚き染められた香、暖炉の温もり…覚えがあった。おそらく万人に経験があるように、現実で起きた出来事が夢の中の何らかの形で再現されることがある。彼は今回も、それだと感づいた。だからこそ早くも胸をえぐられる思いになった。
全ては泡沫の夢。
聞き慣れた、大理石の上を多数の人間が歩きまわる音。だがそんなものはどうでもいい。
体が金縛りのように動かない。ベッドに横たわるディオルコは目だけで自分の左脇を凝視した。
向こうを向いた女がいる。
ふっくらとした紅茶の湯気を携えた女の豊かな黒髪は絹のベールとなり、夜の帳のようなドレスの大きく開いた背からは少女のそれとはまた違う、白磁のような肌が惜しげもなく晒されている。
白い蛇のような腕が末広がりのレース袖から伸び、慣れた手つきでカップへ紅茶を注いでいる。
後姿だろうが、決して見紛うことはない。
「―――エリス……」
体は決まった動きしかしない。彼は上半身を起こした。
『エリス』と呼ばれた華奢で、意外にも長身なこの女性は柔らかく振り返る。夢の顔はぼやけて上手く見えない。
くそっ…
いつも、こうだった。覚えているはずなのに、思い出せているはずなのに…はっきり映し出されたのは、彼女の両の目だけだ。
右目は豊かな葉の深緑、左目は凍った朝露の薄緑。
珍しいことに、彼女は同じ緑でも微妙に両目の色が違った。そのため左右で全く違う表情を見せる。横顔によっては思慮深くも、冷徹にも見えたが、正面はいつも同じ。
ティーカップをディオルコに手渡し、しなやかに彼女は赤いビロードの椅子に腰を下ろした。
青年へと眼差しを向け柔和に、ぼやけた唇で月のように微笑む。
「…―――笑いなさ……オルコ―――…」
ザ、と音がして彼女の肉が灰に変わり一度に地に落ちた。
ディオルコは飛び起き呆然と立ち尽くす。
黒いドレスを纏った白骨が、寂しげに赤いビロードにもたれていた。
「―――エリ―――…」
花が一輪、落ちた。
◆
『エリス!』
そう叫ぼうと上半身を起こしたが、その声は「えぃう!」と固まる前の未熟な状態で出てきただけだった。
混乱してしばし視界がチカチカした。
どうやら俺はまだ御役御免とはならないらしい。
彼は薄暗い小さな部屋の、茣蓙を引かれた冷たい床の上に寝かされていた。冷たいのは床だけで、相変わらず空気はカラリと乾き暑い。泥を焼いた水瓶が水の入った状態で大量に置いてあるところからして、どうやら誰かの家に世話になっている。激しい頭痛の中、鬱陶しい砂の香りでディオルコはようやく現実へと戻ってきた。ここは―――…
「イブキ!…コモド!」
「なんだい、起きたのかい?」
隣の部屋から焼けた肌の恰幅のいい婦人が顔を出した。両手に何かの根菜で満たされたザルを抱えている。
「起きて早々騒がしいね!」
婦人はザルをどんと床に置き、不愛想に言った。
「暑さにやられたのかしらないけど、時々うなされてたよ…アンタ相当疲れが溜まってたんじゃないのかい?ウチの旦那が助けてなきゃ今頃干からびてたかもしれないじゃないの。」
そうかもしれない。駆け抜けてきた数年間の疲労がこの暑さと重なり倒れたのかもしれないが、それが自分では情けなくもあった。だが今はそれどころではない。
「でも運がいいよアンタは。酷かっただろう、今度の砂漠は…この村でも帰ってこなかったやつが何人もいるよ。」
「介抱していただき、ありがとうございます。あの、…俺の他に、女の子が」
落ち着かないままディオルコは聞いた。
「え、なんだって?」
鼓動が早鐘を打った。
イブキが―――まさか、ここの世話になっていない?
「いたでしょう、助けを呼んでくれた子が!色の白い…恐らく貴方のご主人に助けを求めた子が!」
「いいや、いたのはアンタだけだったよ。」
ディオルコはどん底に突き落とされた。頭が真っ白になった。
なぜ?何かの間違いだ。あの時確かに、イブキを見届けたはず、一体どこへ、どこから探せば―――…
目の前のむくんだような顔の婦人が、突然腹を抱えて大笑いした。
「すまないね!つい…あんたを見てたら面白くってね。その子ならいたさ。無事だよ、裏庭にいるさ。」
息を吐き胸を撫で下ろす。その様子に婦人はまた笑った。
からかわれた。余程自分が神妙な顔をしていたのだろう。
にしても人が悪い、この世は曲者ばかりだ…とディオルコは自分を棚に上げて思った。
顔立ちでいえば少年のようなお坊ちゃん顔をしたディオルコは、昔からこの愛嬌により年配の人の気を惹きやすいのか、しばしばこのようなことがあった。その数々が今では彼のイブキへの態度に反映されているわけだが。
裏庭ですか、と立ち上がろうとするディオルコを婦人は制止した。
「いい子じゃないか、なんにもお礼できないからって、今は裏で洗濯物干してるんだよ。熱射病は寝てな。呼んできてやるよ、お詫びにね。」
婦人は不愛想なまま姿を消した。なんとなくこの地域では裕福な家庭のように感じる。
細かいことだが落ち着いてみれば、恐らく熱射病ではなく低血糖を機に倒れたのではなかろうかとディオルコは思ったが、この南の僻地には概念すらなさそうだ。
意気込んで連れ出したにも関わらずこのザマだ。少女は見損ない、俺をなじるだろうか。
…それもいいか。それぐらいの関係の方がいい。
元気のいい足音が勢いよく聞こえたが、音の主は部屋の前で一旦立ち止まった。
止まったかと思えばそろりと姿を現した。イブキだ。
「み…水っ。」
土でできたデキャンタのようなものを持っている。
ディオルコはとりあえず飲み干した。美味いとか不味いではなく速攻で体の一部になっていくようだ。
「ありがとう、イブキ。」
「もういいの?体は。」
「ああ、もう大丈夫だ。」
ディオルコが微笑むとイブキの顔が輝いた。今までにないイブキの態度にディオルコは面食らった。
「よかった!まだ水、いる?」
跳ね回らんばかりに、もらってくるよと言うイブキをやんわりと断った。あんまり頂いてはこのお宅にも悪いだろう。それよりこの変わりようはどういうことだ。
「バイク…コモドがねっ、手伝ってもらって持ってこようとしたけど重くてどうしても無理で…まだ砂漠に置いてきたままなんだけど」
「ああ、あいつなら多分今は大丈夫だと思う…」
直感的にそう感じる。コモドが自分の一部なのか、自分がコモドの一部なのか、それはわからない。
「イブキ…その、なんかあったか?」
「え?」
「機嫌が良さそうというか、俺に対しての態度が前と違わないか。」
「ディオルコ、倒れる前に言ったこと、覚えてないの?」
イブキが彼の名前を間違えずに完璧に呼んだことにも驚いたが、俺が?倒れる前に?
あの時は正直言葉を発するだけで必死だった。頭が痛い。
もう少しで思い出せそうな気もするが、なんかまあまあ恥ずかしいことを言ったような。
「うーん、俺なんて言った?」
「あっ覚えてないならいい、いい。」
イブキは慌ててぱたぱた手を振った。
そう言われると気になる。
『俺はこの五年間、お前と旅をしてきたんだよ!何の情も湧かない訳がないじゃないか…!』
「ディオルコ、私…誤解してた。誤解しようとしてた。」
「?」
イブキは視線を落とした。
「貴方がいい人だってことは私、最初に助けてもらった時からとっくにわかってた。なのに―――…」
歪んだ目的を持ったトギニを、青筋立てて怒り、殺してくれた。行為自体は恐ろしいが、どれだけ私が安堵したか。同時に私の存在は間違ってないって、あの時言ってくれた気がした。
「だからこそ、納得いかなかったの。だって、貴方がもし本当にいい人で、強い人なら…私の友達はどうして死ななきゃならなかったのかって」
イブキは顔を上げた。
…あの少年のことか。
ディオルコがあの場に行き着いたときにはもう遅く、イブキの友人が殺されるのを阻止できなかった。それを思い出した。
「もっと早く来てくれたら助かってたかも、貴方が間に合わなかったから死んじゃったなんて、そんなの納得できないって―――なんの為に死んだのかって」
イブキが大きな瞳にみるみる涙をためて、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出したのでディオルコは狼狽えた。『泣くなって』と言うのもなんだか違う気がするし、衝撃を受けただ見ているしかなかった。
「そんなこと貴方には関係ないって思うよね。でも考え始めたら全然素直になれなくて、受け入れられなくなっちゃって…邪魔ばっかりして手伝いもせずにこんなことに…」
「まさか!邪魔とはなんだ、お前のおかげで今俺は人里にありついてる!」
「私、非協力的だったよ…!ずっと助けてもらってたのに、酷いことも言った…!」
「酷いこと?」
ディオルコは首を傾げた。
『…何でよりによって来たのがアンタなの!?アンタみたいなどうしようもないヤツ、父ちゃんが私を託したのでもなきゃ、絶対ついていかなかった!』
「最低だなんて思ってない。」
「…わたし、探しに来てくれたのが、ディオルコでよかっだっ…!」
イブキはそこまでギリギリ言い終えて、せき止めていた色々なものが溢れてぎくぎく泣き出した。
出会ってからこの十日あまり、友人を喪ったにしては少女の様子はずっと変だった。涙の一粒も流さないことが気がかりだった。それが安心を得た今、清算されている。
ディオルコは呆気にとられて絶句していたが、イブキが泣き止むのを静かに見守った。
◆
「…落ち着いたか?」
「…」
ぐすぐす言いながらイブキはただ頷いた。
「これ、返すよ。」
イブキが赤くなった目をやると、ディオルコは懐から拳銃を取り出した。
「これ…!」
イブキがトギニから奪ったものだった。
「自分の為に使え。…お前、これからどうする?」
「何言ってんの、行くっ!ディオルコにとりあえずついて行くに決まってるでしょっ!!」
「…だろうと思った。」
単純な奴。予想していた答えにディオルコは自嘲的に薄く笑った。
罪悪感に、胸が少し痛んだ。
「話は済んだかい!」
部屋の入り口から色黒の婦人が威勢よく現れた。ディオルコは気付いていたが、イブキはギャアッと悲鳴を上げた。
「どういう関係か知らないけど、なに女の子泣かせてんだい、心配かけさせてんじゃないよ可哀想に!」
肥えたおばさんに一喝された。なるほど、厳しい環境下にしてはなかなか豊かな感覚を持った村らしい。旦那さんは尻に敷かれていることだろう。
「ほらっ、さっさとこれ食べて出ていきな!一気に食べるんじゃないよ、胃がびっくりするからね」
差し出された粥状の芋を見て、その心配はなさそうだ、とディオルコは思った。あまり食欲はない…むしろサングリアが飲みたい、と思ったのだからこの男も大概病気ではあるが、完食出来るか?という悩みは杞憂に終わった。
一度口をつけた途端体が空腹を思い出し、婦人とイブキに怒られながらなんとかゆっくり食べ進めた。
◆
ちょうど旅の準備が整ったというこの家の『ブク』という主人と息子達に会うことが出来た。紫のターバンの主人は奥さんに養分を吸い取られているような容貌ではあったが、やはり旅商人でそこそこ裕福であるらしく、金貨と酒をお礼に受け取ってもらうことが出来た。あまりに貧しいと金すら役に立たないことがあるのでこれは幸いだ。
「金貨!おめ、金持ちかぁ、商売しねが。塩はいらんか。鉄砲水に砂嵐だろ。こっちも旅に出られなくて商売滞ってなぁ、ちったあ損失が出たのよ。三本ヤシの家のサムス達も帰ってこねえんだど。ここはジェネ村っつーんだけど。」
なぜこの人だけ訛りが強いのかとか、サムスが誰かとかは知らないが、村では名士であるこの主人から礼のおつりとして少しの情報をもらうことが出来た。
「そっだらおめ、キルピス目指すしかねっげよ。山を回らねど、北へはいけねえよ、このルートじゃ。」
「やはりそうですか…キルピスを訪れたことはないんですが。」
酒を軽く酌み交わしながら地図を見つつディオルコと主人が話し込む。ちなみに主人が副業として作成した地図をディオルコは購入した。
「癖の強い連中がいっからなぁ、それにあそこへはほら、秘密は持って入っちゃならねって言うだろ。」
「……」
「そんならいっぺん戻るか?もと来た道をよ、金は持っとるんだろう」
ディオルコは少し沈黙したが、
「ブクさん、存じております。それに関しては心配には及びません。…キルピスへ向かいます。」
「んぁ、それがいい。普段なら俺も勧めねが、今はなんでもまずい。」
「というと」
「おめ、最初このルートで来たっつーことはよ、鉄砲水がなけりゃ涸れ川超える予定だったんだろ。すっだらハマヌ村を中継する予定だったはずだ。最短だもんな。」
「仰る通りです。」
「ハマヌはこの間、鉄砲水が直撃して壊滅状態だぁ。みーんな寝てる時だったんだよ、酷いもんだ。おめ、運がええな。巻き込まれなんだだけでもえがったのに、あっこ辿り着いても今はなんも無いでよ、みーんな村を捨てちまった。」
「「えっ」」
思わぬ情報にイブキもディオルコも反応した。
最初に何事もなく進んでいたら、おそらくコモドのペースでは村に辿り着き、鉄砲水に巻き込まれていた。最悪自然災害に殺されていたかもしれない。
「…なっ、俺、悪運が強いって言ったろ。」
「何言ってんの!そういう問題じゃないでしょ!」
ディオルコはイブキに冗談めかして言いながらも、自分の悪運の胡散臭さに鳥肌が立った。
生かされている―――…
「途中ファルマって村もあっけど、あすこはなんもね…すっだらおめ、ここさで色々こしらえてけ。ジェネはええど、栄えとる。水はちいとばかし足んねえけど。あとキルピスは人が悪い。女に気ぃつけろ、ぜーんぶ掏られて、おっかぁにしこたま怒られた…」
「どの『おっかぁ』だい、そりゃあ」
ふくよかな婦人がお腹だけで喋った。仁王立ちすると首から上が隠れるほど太っている。
どうやら主人は各地に現地妻がいて、商いの助けにさせる代わりに養っているようだ。そういえば息子達もそれぞれ顔つきが違う。この地で名士と呼ばれるのは奥さんの方だけかもしれない。
「赤字だよ、そいでも女が好きでよ。どうだぃ嬢ちゃん。」
ブクさんは指先をチロチロさせた。イブキは「ひっ」と言ってディオルコの後ろに隠れた。
冗談だよ、土地に繋がらねえもんとブクさんは弁解した。
◆
その晩までお世話になり、旅立つ主人と別れイブキとディオルコは翌昼にブク宅を御暇した。
暑さの為、マーケットが開かれるのは昼過ぎから夜にかけてだ。
外に出てみればブクさんの家の脇に自走してきたコモドがきちんと鎮座していたので、イブキは驚いた。彼がここにきてすぐは恐らく少しの間人だかりが出来ただろうが、誰も手を出せずに解散しただろう。
いつのまに…本当に賢い。
しかし目立つのでコモドは一旦ここで待機させる。
一方のディオルコもジェネが思っていたより栄えていることに驚いた。
「わぁーーーっ♡この時間はこんなに賑やかなんだね!」
イブキの声が弾む。
整然と並んだマーケットの屋台から、大小色彩様々な屋根が突き出ている。動きを持った人の群れが流れる。犬と子供が駆け回る。
南で栄えているのはエルディーダだけだと思っていたディオルコはある種の感動すら覚えた。確かにここで色々揃えてしまおう。
きょそきょそしているイブキを引きずって、食糧も資源も素通りして、真っ先に立ち寄ったのは衣料品の屋台だ。目立ちすぎるから、と言ってディオルコはイブキに青いキャップのような帽子を買ってくれた。
「あんたら兄妹かい?…石膏みたいな娘だね。」
おかみさんはイブキを一瞥すると、気味悪そうに言った。
神秘的だと思う自分とは別に、こういう意見もあるかとディオルコは怒りもせず聞いていた。
イブキも久々に自分の見え方を思い出した。
孤児院でははっきり言って、みんなイブキに慣れてしまっていた。差別や侮蔑の言葉もある意味マンネリ化していたし、どちらかと言えば皆避けていく方が多かったので、ジェネでの一般人の反応は新鮮でもあるし、改めて少し傷ついた。しかし短時間でそれすらあまり気にしなくなるのが彼女の長所である。
自分は自分だ。…化け物でもない限りは。
◆
次に二人が向かった飲食店の店主を見て、イブキは血の気が引いた。
「…ト…!」
「いらっしゃい!」
背の高い痩せた店主が、真っ黒な顔に白目をギョロつかせ、白い歯を浮かべ笑っていた。
「トギニ…!」
主人の顔から笑顔が消えた。
「よく見ろバカ、別人だ!」
とディオルコがイブキの前にさっと出て店主に頭を下げた。彼も恐らく各地に点在する原住民の一人だが、『食人族』と間違えるのはあまりに無礼だ。『クバタ』としての『トギニ』は名が知れていた。
店を変えようかとディオルコは考えたが、イブキが「ごめんなさい、おじさん。お店には何がありますか?」と謝ったのでとりあえず注文してみることにした。
「イブキ、好きなだけ食っていいぞ。」
「えっ!?」
「正直人んちじゃあんまり好き勝手食えなかったろ、お代は気にするな。」
このやりとりに主人は気をよくした。
「うちではバナナの包み焼、芋菜とかしわのスープ、ヒナトカゲの煎餅なんかご用意できますがどうします?」
「じゃあ、じゃあそれ15個ずつとりあえずくださいっ!」
店主は少し青ざめたが「かしこまりました」と慌てて調理に取り掛かった。
そんなこったろうと思っていたディオルコは
「それ俺の分は入ってんのかぁ?」と聞いたが、当然のように全くイブキの考えになかったので追加した。
「ところでお客さん…さっき『トギニ』って言いました?」
火を扱いながら店主が話を蒸し返した。
「えっあっ…知ってる人に似てて…」
「『クバタ』の『トギニ』じゃありません?」
イブキは言葉に詰まった。
「いいんですいいんです、僕はクバタに会ったことはないけど、そうですか僕はやっぱりクバタに似ているんですか…」
ふてくされたような店主は火を見つめたまま目は全く笑っていない。ディオルコは言わんこっちゃない、と思った。
「あ、あの、何で『トギニ』が『クバタ』って知ってるんですか」
「え?だって有名でしょ?悲劇の食人族の生き残りで、随一の豪族の末裔…クバタの代名詞みたいな人でしょ。小さい頃殺されたとか、逃げ延びて今も人を食ってるとか、そもそも存在すら嘘だとか…色んな噂もあるけど、子供の頃はそういう話題で盛り上がったりしましたからね。」
よく見ると店主はトギニより一回り若そうで、まるで都市伝説や妖怪のような扱いをした。
「でもお嬢さん?妹さん?はクバタに会ったことがあるんですね。どんな人でした?あれ、でも生き残りってトギニって人しかいないって話だったような…」
「妹って、俺らそんなに似てるか?」
ディオルコは無理やり話を変えた。
「似てるも何も、他に何があるんですか。赤の他人?はい、どうぞ。」
最初の料理がカウンターにまとまって置かれた。
「わぁ、おいしそう!」
とイブキが黄色い声を上げた。
「いっただっきまーす!」
そういって三口くらいで最初の皿が空になった。ディオルコは目を疑った。店主の目も点になった。
別に犬食いしているわけではない。…一口が、デカい。
「はっふぅ、美味しい!これどうやって作ってるんですか?」
「ば、バナナの皮に潰した芋と水を混ぜて包んで焼いてくださいね…」
と言いながら店主は急いで料理という名の作業に戻った。今にもストックがなくなる。
「お、お嬢さんよく見ると色が白いですね。この辺の人じゃないでしょう…」
店主が再びいらぬ方向へ話を持って行った。
「もしかして北の人ですか、ほらこっちの人より白いって言うでしょう」
「あっはっはー…そう、わかる?でもこいつ北人の中でも飛びぬけて白いんだよ」
愛想笑いのディオルコが割って入る。イブキがさっきと全く同じだけ追加注文した。
「あっ、やっぱりそうでしたかー。よく南人って北人に対して差別的だって言われてますけど僕はそんなことないですからね。でも北の人なら僕をクバタと思っても仕方ないですねー」
「…し、白い黒いって言っても人口に対する比率の問題で、実際はそうそう肌の色は変わらないけどなぁ」
「でもお客さんあれですね、北の人にしては訛り無いですね。ところで妹さん、まだ食べます?」
ディオルコと店主は同時に全ての皿を空けたイブキを見た。
「えっとねーー…あるだけください!」
イブキが満面の笑みで頼んだ。
ディオルコが「ちょっと待てそれはお前!」と止めに入ると同時に、店主が屋台の裏路地に向かってついに叫んだ!
「おい!湿気た煙草売ってる場合じゃねえ、こっちを手伝え!」
ディオルコ君も嫌いな真夏の救急車エピソード・その2
夏休みの記憶です。
朝方目が覚めると、ベッドの脇に人が立っているのです。(※エリスではありません。)
全身真っ黒な人が、真横に立ってこちらを見下ろしているのです。いえ、真っ黒なので視線などわかるわけがありません。ですが直感で感じるのです。
何故かびょんびょんと、輪ゴムを弾いたような音がしていました。体がとにかくだるくて動けません。そのまま私は再び眠りに落ちました。きっと夢だったのでしょう。
ところが翌日もその人は現れました。なんとベッドに腰かけています。相変わらず輪ゴムの音がしました。
ここまでが前座です。一週間後、そのことはすっかり忘れ夏風邪をひいて寝込みました。
トイレに行き用を足した後、突然経験したことのないほど心臓がバクバクしだしました。汗が滝のように流れ、水たまりが出来ました。体が熱くてあちこちが妙に痛い。某名探偵コ○ンとかで体が伸び縮みするときのアレを思い出しました。
這うようにしてトイレを出ましたが、正直「死ぬ!」と思い、妙なことに最初に危惧したのは孤独に死ぬことで発見が遅れ、この蒸し暑い部屋でぐちゃぐちゃに腐って発見されたらどうしよう、ということでした。朦朧と携帯に手を伸ばし110番しました。それでも苦しくて仕方がない私は、まさに藁をも掴む…その場にあった適当な薬を引っ掴んで口にしました。(後で確認したらバファリンでした。危険なのでマネしないでくださいね。)
もがきながらマンションの部屋を出て、文字通り階段を転げ降りました。やはり部屋で死ぬのは嫌だったのでしょうか。すると不思議なことに、症状が少しずつ引いていきました。部屋が何か良くなかったのか、薬が効いたのかそれはわかりません。ですが依然ぐったりしていました。
ようやく救急車が来てくれて、経緯は忘れましたが、女医さんに隊員さんの電話が繋がったのですが、女医さんに「くだらないことで救急車使わないで!」と怒られ、反論する元気もなかった私は大人しくそれを受け入れました。隊員さんが「いいと思うのになぁ…」って気の毒そうに言ったのを覚えています。
落ち着いてから救外にタクシーで行きましたが、原因はよくわかりませんでした。
その2~3日後、似たように熱中症で110番し、受け答えがしっかりしていただけに断られ死んでしまった女子高生のニュースが話題になりました。
大げさなようですが、死が近づくと黒い影が見えることがある、という話を思い出しました。あの人影は果たして幻覚だったのでしょうか?




