第30景 筆話兵
極楽蝶が群れて舞っています。
中庭の尾籠の木陰・・・。
長椅子に座り、涼んでいる兵隊さんが居ました。
その方は首に包帯を巻いております。
私は近寄って話し掛けると、何か喋っているのですが声が出ません。
喉を負傷したらしいのです。
私はポケットからメモ帳を取り出し『筆話』で会話をしました。
メモ帳を渡すと、その兵隊さんは、
「身体中が痛痒くて、寝て居られない。莚に蟻が居る。だから此処で涼んでい居る」
と書いて渡してくれました。
時折、海側から涼しい風が通り抜けて行きます。
私は「喉の傷」の事を聞いてみました。
すると兵隊さんは私のメモ帳を取り上げ、
「自分の名前は後藤孝介。ポートモレスビー攻略中、転進の命が下り、コゴダで大敗して逃げた。仲間と六人で海岸線をラエへ向かって敗走中、戦闘機に狙い撃ちにされ、仲間二人はやられた。ジブンは首に貫通銃創。弾は急所を外れたが声帯をやられた」
と書いて私に渡しました。
私は、
「運が良かったですね」
と書いて見せたら、後藤さんは私をきつい眼で見て怒り始めました。
そして私のメモ帳を奪い取り、こう書き始めたのです。
「この戦いには運なんてない。上手く死ねる事が運が良い事だ!」
まあ、その通りかもしれませんね。
暫く筆話して居ると後藤さんは突然、また私のメモ帳を取り上げて少し大きな文字で、
『近々此処に、病院船が来る』
と、とても希望が持てる事を書いて私に渡したのです。
私は内心、半信半疑で笑って渡されたメモ帳を見てました。
後藤さんは私の笑った顔を見て怒った様に、
「三日後にラエの港に着く」
と指と手で力強く表現しました。
そして、・・・その「三日」が経ちました。
案の定、船は来ません。
私は病院の中で後藤さんを探しましたが分かりません。河村看護兵にその後藤さんの事を聞いてみました。
すると、
「後藤? ・・・下の港に行けば居るはずだ」
と教えてくれました。
私は河村看護兵に
「病院船が来るらしいですね」
と尋ねてみました。
すると、
「ああ、あの患者はこの病院に着た時から、ずっとそんな事を言ってる。朝と夕方になると、毎日、下の海岸に船を探しに行くんだ。そして病院に戻ると必ず軍医長に、不動の姿勢で、『報告します! 船は来ませんでした』と伝えるんだよ。声が出ない口でパクパクとね。あの患者も、もし故国に帰る事が出来ても、誰も相手にはしてくれないな」
酷いじゃないですか。
あまりにも酷過ぎる話しです。
でも、・・・その通りなのかも知れません。
後藤孝介 陸軍二等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて行方不明)




