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第10景 ツンボ(聾)と歩く兵隊

 『藤田 フジタ・イサム兵長』もヤマイに侵されている兵隊さんでした。


藤田さんの病名は「デング熱」です。

この病院に辿り着くまでジャングルの中を、熱で朦朧モウロウとしながら彷徨サマヨっていたそうです。

頭の中は朦朧としているが、気持ちだけは妙に冴え渡っていたそうです。

子供の頃に遊んだ道端の石コロさえ、はっきりと思い出したと言ってました。


そして・・・ジブンが自分の中に二人、居た? そうです。

「思い出すジブン」と、「考えるジブン」。

二人の『ジブン』が頭の中で喋ったり、笑ったり、怒ったり、悔やんだりしていたそうです。

そして最後に『もう一人の自分』が。

その自分が二人の話を聞いているそうです。


ジャングルの道はとても静かで、たまに風が通り過ぎて行くと、その風は爽やかではなく、生臭いき気をもよおす様な風だったそうです。

そして時々、風に乗って「囁く様な声」が聞こえて来るそうです。

その声が聞こえ始めると自分の頭の中に「死神」が現れるそうです。

それはまさしく、自分が『万華鏡』の中に閉じ込められて居る様だと言ってました。


 何日経った事か・・・、

地図も無い、どこまで歩いたのかも分からない、そんなある日の事。


藤田さんは歩く気力も無くなり、腐った樹の株に腰をおろし、例によって「二人の死神」の話を聞いていたそうです。


すると、ぬかるんだ道を一人の正常マトモな兵隊がフラフラ、ユラユラと揺れる様にして自分の前を通り過ぎて行ったそうです。

藤田サンは通り過ぎて行く兵隊の後ろ姿を、下から上までマジマジと見ていたそうです。

その兵隊はどう見ても悪い所は無い様に見えました。

藤田さんは「脱走兵」かと思って呼び止めたそうです。

しかし藤田さんが呼んでも、兵隊は何の反応も示さなかったそうです。

背嚢に提げた飯盒には『山崎』と書いて有りました。

耳が聞こえないのかと思い、急いで兵隊の前に歩み寄り「杖と手」で話し掛けたそうです。

すると山崎と云う兵隊はニコニコと笑いながら、自分の『耳』と地べたの『蟻』を指差し、


 「アリに耳をやられた」


と言ったそうです。

山崎は人の良さそうな兵隊でニコニコと笑いながら、耳が聞こえなく成った理由ワケを細かく説明してくれたそうです。

聞いていると、


 「夜、塹壕を掘って寝て居たら、両耳に蟻が入って鼓膜を齧られた」


と言うのです。

それだけではなくその後、正常に歩けなく成ってしまったそうです。


 「このジャングルの蟻は何でも齧って行く」


と笑いながら話したそうです。

藤田さんとしては、


 「ま〜あ、こんな兵隊でも、話す相手が出来た」


と心強く思ったそうです。

耳の聞こえない『ツンボの山崎』と独り言を話す『気狂い自分』。

妙な珍道中だったそうです。


山崎は真っ直ぐ歩けないと言うので、藤田さんはカズラを握らせ、自分が先導して進んだそうです。

藤田さんが振り向くと、いつも山崎はニコニコと笑っていたそうです。

私が何を言ってもニコニコ、ニコニコ。

藤田さんは途中、野垂れ死んで居る兵隊を何人も見たそうです。

藤田さんが振り返り、山崎に向かって「立って死んでいる兵隊」の真似をすると山崎はニコニコ、ニコニコ。

まるでアンタは『笑い地蔵』だとイヤミを言ってやったそうです。

しかし山崎は耳に手をやり、ニコニコと笑っているだけでした。

暫く歩いて行くと、樹に寄り掛って死んでいる骨と皮の兵隊がりました。

その兵隊は「フンドシ一枚」だったそうです。

藤田さんは後ろから付いて来る笑い地蔵(山崎)にフンドシを指さし、


 「何でフンドシで一枚で死んでいるのだ?」


と身振り手振りで尋ねたら、ニコニコと笑いながら、


 「追い剥ぎにやられた」


と答えたそうです。

後から来る『追い剥ぎの兵隊』が階級章以外、靴から靴下、帽子、メガネまで剥ぎ取って行くのだそうです。

剥ぎ取った兵隊も野垂れ死ぬと、また剥ぎ取られ、そしてまた次の誰かが剥ぎ取って行く。

藤田さんは子供の頃、寺の坊さんが見せてくれた『鳥獣戯画』と謂う絵が、頭の中をヨギったそうです。

思わず自分も笑いながら後ろを振り向くと、耳の聞こえ無い山崎も、藤田さんを見てニッコリと笑ったそうです。

ハタから見たら気狂キチガいが二人、歩いて居る様にしか見えないでしょうね・・・。


 藤田 勇 陸軍兵長(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

 山崎一八 陸軍二等兵(昭和十九年東部ニューギニアにて行方不明)

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