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私が好きな冒険者の話

作者: てけすと
掲載日:2026/05/16


冒険者なんて、ろくな仕事じゃない。


ドゥガおじさんは、酒臭い息を吐きながら、会うたびにそう言っていた。


ドゥガおじさんは、革と酒の匂いがした。


馬の匂い。

焚き火の煙。

雨に濡れた革鎧。


季節が変わる頃、その匂いが村にやって来る。


山道を越えてやってくる荷馬車には、塩、小麦、干し肉、薬草、布なんかが積まれていた。

山と畑しかないこの村にとって、行商隊は外の世界そのものだった。


春の雪解け。

夏前の湿った風。

葡萄の収穫が終わる頃。

冬支度を始める冷たい季節。


季節が巡るたび、私は村の入口を見に行った。


そして荷馬車より先に、護衛の男を探した。


「ドゥガおじさん!」


村の入口まで駆けていくと、馬の手綱を引いていた大男が顔をしかめる。


「うるせえなミーナ。耳元で叫ぶな」


「なんか面白いもの持ってきた?」


「挨拶より先にそれかよ」


ドゥガおじさんは呆れた顔をしながら、腰袋を漁る。


出てきたのは、干からびた赤い果実だった。


「うわ、なにこれ」


「南のほうの果物だ。辛えぞ」


「果物なのに?」


「食ってみろ」


恐る恐る齧った瞬間、私は飛び上がった。


「からっ!? 痛っ!? なにこれ!?」


「ははっ、馬鹿だなお前」


ドゥガおじさんは腹を揺らして笑った。


潰れた鼻。

無精髭。

分厚い革鎧。

右手には古い火傷の痕。


革鎧には、獣の爪みたいな傷が何本も走っていた。


強そうというより、くたびれたおじさんだった。


しかも酒癖が悪い。


酔うとすぐ同じ話をするし、機嫌が悪い日は返事も適当だった。


「またその話?」


「いいんだよ。二回目のほうが面白ぇから」


「前も聞いた」


「じゃあ三回目だな」


そんな適当なおじさんだった。


でも私は、ドゥガおじさんが好きだった。


次の行商隊が来るまでの間、私はずっと外の世界を想像していた。


山の向こう。

知らない街。

知らない匂い。

知らない空。


この村で見る空より、もっと広い空がどこかにあるのだと思っていた。


季節が変わる頃になると、落ち着かなくなる。


村の入口を見に行っては、まだか、と空を見上げた。


仕事終わり、葡萄酒蔵の裏で話を聞く時間が好きだった。


樽の隙間に座り込み、葡萄を潰して紫になった手を拭きながら、私は何度も質問した。


「ねえ、海って本当に端が見えないの?」


「見えねえな」


「嘘だ」


「ほんとだよ。水が馬鹿みてえに続いてる」


「何が面白いのそれ」


「見りゃわかる」


そう言う時のおじさんは、少しだけ楽しそうだった。


私は、あの顔が好きだった。


魔物の話も好きだった。


角の生えた熊。

人間を真似して笑う化け物。

夜中に森を歩く巨大な鹿。


「で、その熊ってどれくらい大きかった?」


「お前三人分」


「嘘だ」


「盛った」


「なんだそれ!」


くだらない話で笑っている時間が、たまらなく好きだった。


けれど、ドゥガおじさんは時々途中で黙り込んだ。


「それで、その魔物どうしたの?」


焚き火の向こうで、おじさんは酒瓶を傾ける。


「……倒したよ」


「強かった?」


「まあな」


「怪我した?」


ドゥガおじさんは、しばらく黙っていた。


焚き火が、ぱちりと鳴る。


「……昔の話だ」


その声は、少しだけ疲れていた。


もっと聞きたかった。

もっと外の世界を知りたかった。


私は、多分。


おじさんが思っていたより、ずっと前から冒険者になりたかった。


村は嫌いじゃなかった。


でも、好きでもなかった。


毎日同じ景色で。


同じ顔ぶれで。


大人になれば畑を耕して、結婚して、年を取っていく。


その先が、全部見えてしまう気がしていた。


だから。


ドゥガおじさんの話だけが、世界の匂いがした。


だから何度も言った。


「私、大人になったら冒険者になる」


するとドゥガおじさんは、決まって嫌そうな顔をする。


「やめとけ」


「なんでさ」


「ろくな仕事じゃねえ」


「でもおじさん、冒険者じゃん」


ドゥガおじさんは、しばらく黙っていた。


焚き火が、ぱちりと鳴る。


「……まあな」


低い声だった。


「そんなに嫌なら、やめればいいのに」


おじさんは、一瞬だけ変な顔をした。


笑ったような。

困ったような。


「ガキにはわかんねえよ」


そう言って酒を飲む。


そして珍しく、ぽつりと呟いた。


「歳食ったらさ。暖かい街で、昼から酒飲んで暮らしたい」


「なにそれ」


「最高だろ」


「だらけてるだけじゃん」


「それがいいんだよ」


その時のおじさんは、本当に少しだけ嬉しそうだった。


その意味を、あの頃の私は考えもしなかった。


どうせまた適当なことを言ってるのだと思っていた。


次の瞬間には、おじさんはいつもの調子に戻る。


「お前は村で葡萄踏んでるほうが向いてる」


「やだよ」


「じゃあ嫁にでも行け」


「もっとやだ」


「わがままなガキだな」


そう言って、おじさんは乱暴に私の頭を撫でた。


その手は、大きくて硬かった。


荷馬車が村を出る日、私はいつも見送りに行った。


遠ざかる背中を見るたび、胸の奥が苦しくなった。


ドゥガおじさんは、その世界を知っている。


それがたまらなく羨ましかった。


ある冬前の別れ際。


吐く息が白くなる寒さの中、おじさんは馬の手綱を握っていた。


「次来る頃には、お前も酒飲める歳か」


「もう飲んでるし」


「違法だろ、それ」


「ちょっとだけだもん」


おじさんは呆れたように笑ったあと、不意に目を細めた。


「……まあ、元気ならそれでいい」


「?」


「なんでもねえよ」


冷たい風が吹く。


馬と革の匂いが、冬の空気に混ざっていた。


荷馬車の幌が、ばさりと鳴った。


その時の顔を、少しだけ不思議に思った。


でも、すぐ忘れた。


雪が溶ける頃には、また会えると思っていたから。


――そして、私は大人になった。


成人祝いの日。

村では朝から酒樽が開けられ、広場には肉の焼ける匂いが漂っていた。


浮かれる村人たちを横目に、私は村の入口を見続けていた。


昼過ぎになって、ようやく行商隊が現れる。


だが。


馬車の横に、ドゥガおじさんの姿はなかった。


胸の奥が、妙に冷えた。


駆け出す。


「ドゥガおじさんは?」


行商人のおじさんは、すぐには答えなかった。


代わりに、小さな包みを差し出す。


嫌な予感がした。


包みの中には、短剣が入っていた。


擦り切れた革の柄。

無数の傷がついた鞘。


見間違えるはずがない。


いつもドゥガおじさんが腰に下げていた短剣だった。


その下に、一通の手紙。


震える指で封を切る。


『ミーナへ』


見慣れた、乱暴な字だった。


成人祝いの言葉が少し。


酒はほどほどにしろ、とか。

無茶するな、とか。


らしくもないことが並んでいた。


そして、そのあとに。


一人の冒険者の話が書かれていた。


吹雪の山村へ向かった時には、もう全部終わっていたこと。


崩れた家の梁の下から、小さな手だけが見えていたこと。


遺跡の崩落で、仲間の声が途中で聞こえなくなったこと。


助けると約束した子供に、間に合わなかったこと。


冒険者は、多くの場所へ行った。


多くの人と出会った。


けれど。


何一つ、救えなかった。


最後のほうは、文字が少し乱れていた。


『だから、お前は冒険者になるな』


そこまで読んで。


ようやく理解した。


おじさんが聞かせてくれた冒険譚は、英雄の話じゃなかった。


救えなかった人たちの話だったのだ。


焚き火を見ながら黙り込んでいた理由も。


あのため息も。


「冒険者になるな」という言葉も。


全部、本気だった。


ふと、最後に交わした会話を思い出す。


『……まあ、元気ならそれでいい』


あの時のおじさんは、何を思っていたのだろう。


もう帰ってこないつもりだったのか。


それとも。


帰れない気がしていたのか。


手紙を持つ指に力が入る。


もう二度と、あの大きな手で頭を撫でられることはない。


そう思った瞬間。


急に息が苦しくなった。


なんで短剣なんか寄越すんだ。


本人が持って帰ってくればよかっただろ。


村では、まだ誰かが笑っていた。


祝宴の音が遠く聞こえる。


けれど、その場から動けなかった。


「……馬鹿だなあ」


思わず、そんな言葉が漏れた。


嫌だ嫌だって、あんなに言っていたくせに。


冒険者なんて、ろくな仕事じゃないって。


それなのに。


おじさんは、話をする時だけ、少し楽しそうだった。


きっと好きだったのだ。


苦しくても。


後悔していても。


それでも旅を続けてしまうくらいには。


暖かい街で昼から酒を飲む。


そんな小さな夢さえ、叶わないくらいには。


『お前は、多分なるんだろうな』


手紙の最後には、小さくそう書き足されていた。


ずるい、と思った。


止めるなら。


最後まで止めてくれればよかったのに。


手紙を握り締めたまま、私はしばらく泣いた。


本当に、ろくな仕事じゃなかった。


私はきっと、まだ何もわかっていない。


それでも。


あの人が見た景色を、見てみたかった。


今日は、私が冒険者になった日だ。



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