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4-1 砂大トカゲ

 乾荒原は、強烈な日の光に照らされて真っ白だった。

 そびえたつ岩山も白く、その岩がくだけた地面の石や砂も純白だ。


 檻は岩山の洞窟にあった。前面だけが鉄の柵になっている作りだ。


「これで気温が低ければ、きれいって思えるのに」


 沙蓮は、檻の中で呟いた。


 ふだんの乾荒原なら汗をかいても、すぐに乾燥してしまうはずだが。大雨の後で湿気が残っているせいか、したたり落ちる汗に体力を奪われる。

 竹の水筒に水をかなり用意してきたけれど。いつまでもつか分からない。


「とにかく外へ出なくっちゃ」


 鉄でできた檻を掴むと、てのひらに赤さびの粉がついた。

 これは相当古くなっている。

 それに乾荒原は岩塩の産地。昼夜の寒暖差と塩分で、この檻ももろくなっているはずだ。


「こんなこともあろうかと!」


 沙蓮はふとももに着けた革紐から、小型ののこぎりを取りだした。檻まで馬で護送した刑吏は荷の確認はしたが、さすがに裳をめくることまではしなかった。


「アシアの言うとおりね」


 刃に巻いた布を解き、赤茶けた柵に当てる。


 ぎこぎこ、ぎこぎこ。

 ……ぎ、ぎこ。ぎぎ……ぎ。


 最初は快調に動いていたのこぎりも、徐々に動きが遅くなる。


「のこぎりで切るって、こんなに重いものなの?」


 アシアが買ってきてくれたのは、金属切断用の特殊なのこだ。

 切れ味はいいと言っていたが、それはアシアの腕力あってのことだろう。


「だめだ……」


 手が痺れて、心が萎えそうになる。

 でも、アシアの言うことは信じられる。この鉄はきっと中は空洞だし、相当に劣化している。


「負けるな、わたし。ふぐぐぐぐ」


 愛ゆえにな!




 結局、檻の柵が折れたのは二日後の夕方だった。

 疲れ果てた沙蓮は、洞窟の中で横たわっていた。


「ムリ。もう動けないって」


 手がじんじんすると思ったら、マメがつぶれてしまっていた。


「痛いよー」


 檻の床は、そのまま洞窟の地面だ。

 ごつごつとした岩肌と、ざらつく砂がわずらわしい。


 そもそも檻が劣化していることは、図書庁の人だって分かっているはず。

 なのに、わざわざその中に放り込むとは、意味不明だ。

 時間をかければ、抜け出すことは可能なのに。


 これも藍人に対する嫌がらせなんだろう。きっと。


(家の寝台か、葡萄棚の縁台で寝たいなぁ)


 できることならしばらく休んで、体力を戻したい。



 喉が渇き、水筒にしている竹筒に手を伸ばす。

 空だ。次の一本。空だ。その次、さらに二本。どれも軽い。

 掴んだ五本、どれも空だった。


「うっそぉ。知らない間に飲んじゃったの?」


 慣れないのこぎりを手に格闘し、やたらと喉が渇いたのは覚えている。

 檻に持ち込んだ布カバンを確認すると、防寒具と保存食の硬パン、干し肉に数種の果物が入っている。残る竹筒は二本、これはずっしりと重い。


「長居はできないわ。早く行かなくちゃ」


 荷物を檻の外に放り、沙蓮も外へと出た。


 日中は白い乾荒原は、今は夕暮れの色を反射して薄紅に染まっている。

 空を見上げると、遥かな高みに、輝きはじめた車輪星。


(大丈夫。きっと戻るから)


 辺りが宵に包まれると、なじみのある星座が現れた。

 東の弓星ゆみぼし。藍国は魚釣星の方角。

 だが方角は分かっても、藍国は決して狭いわけではない。


「えーと。藍国の都だった藍都らんとは、確か金目きんめ銀目ぎんめの二重星の方向」


 これまで学芸司書見習いとして、たくさんの本を補修してきた。その時に、書かれている内容を確認していたのが役に立った。


 ずし……ずしぃ。


 何かを引きずるような音が聞こえた。


 岩山を移動するヤギだろうか。それにしては音が重いというか。蹄の音ってこんなのじゃないよね。


 ずしぃ……。


 音は近づいてくる。

 恐る恐る沙蓮はふり返った。


 月の光に照らされて、てらてらと光るそれは砂大すなおおトカゲだった。

 赤紫の細長い舌を出しながら、沙蓮のことをぎょろりと見つめる。


「知ってるわよ。動物図鑑に載っていたもの。砂大トカゲは人の子ども並みの大きさで、肉食。主にウサギやヤギ、まれに人を襲って食うこともある。って、わたしがエサってこと?」


 悲鳴をあげながら、沙蓮は走った。

 湿った砂をまきあげ必死に進むが、砂大トカゲとの距離は変わらない。


「まだ藍国にも到着してないのよ。家に帰るって約束したんだから」


 ふいに沙蓮は硬いものにつまずいた。

 そのまま均衡を崩して転んでしまう。


 ずし……ずしぃ。


 トカゲの足音が近づいてくる。


(どうしよう。逃げられない)


 立ち上がろうとしても、足に力が入らない。

 鋭い爪、鱗におおわれた太い足。先の割れた舌が、ちろちろと動く。


「いやよ、来ないで」


 両腕で這うように、沙蓮は後ずさった。

 砂大トカゲの放つ、異様な臭気が鼻をつく。ぬめった舌先にほおをなめられた。


 くわっ! と大きな口が開く。


 もうだめだ、と沙蓮はきつくまぶたを閉じた。



 その時だった。


「息を止めるのです」


 突然、声が響いた。

 命じられるままに沙蓮は息を止めた。

 目を開けると、砂大トカゲは白い煙に包まれていた。


 ずしん、と重い音がしてトカゲが地面に倒れる。


(なに、どうなってるの?)


 トカゲの側には、何か二つに割れた殻のようなものが落ちている。


 訳が分からないけれど。助かったようだ。

 あれは幻聴だろうか。


 沙蓮は荷物を持って、立ち上がった。


 さっき硬いものにつまずいたと思ったが、辺りには青い色の破片が散乱していた。


「藍色のタイルのかけら?」


 深迦から聞いたことがある。


 藍国は、どの建物も青いタイルで彩られていた。だから藍国と呼ばれたのだと。

 そう教えてくれた時の……藍国について語る時の、彼の寂しげな表情が忘れられない。


 魚釣星を見上げ、沙蓮は願った。


「アシア。どうか深迦を守ってね」



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