尾を咥えた龍
久し振りにソファで一晩過ごしたら、体中が硬くなっていた。
大きく伸びをすると体中がバキバキと音を立てる。四年前、布団が無いからと眠ったときはもう少し楽だった気がするが、背が小さかったからだろうか。
伸びに加えて欠伸も一つして立ち上がる。何の気なしに振り返ったところで――――丁度寝室から出てきた真弓と目が合った。
脳裏を過ぎるのは、昨日の光景。唇に当たった柔らかい感触。至近距離の顔。意味深な言葉。
――――今からなら、私の入り込む余地くらいは残ってるかしら?
それがどういう意味だったのか、思い当たる事象がないほど鈍感ではない。
だからと言って解決できるかと言われれば、首を横に振るしかない。自慢じゃないが、生まれてこの方そんなものの経験は、十歳で強制終了した初恋しかない。一般的な同年代の男性諸君からしてみれば、経験も知識も圧倒的に不足しているのだ。
「……え、あ……おはよ」
結局、ぎこちなくなってしまう。こんなこと、本意では無いのだが。
まあ、そんなことを言ったところで、目を合わせるどころか顔を見ることすらできないこの状況では説得力の欠片も無いのだが。
「……」
しかしまあ、真弓はと言えば無言で顔を逸らし、そそくさと洗面所へ消えてしまった。なんだ、これなら俺の方がマシじゃないか。
「お兄ちゃんおはよ!」
昨日とは見違えるほど明るく元気になった結衣が寝室から出てくるまで、俺は洗面所の扉を凝視したまま案山子のように突っ立っていた。
微妙にタイミングをずらして食堂に入ると、既に全員揃っていた。三々五々、と言っても、個々人が食事を摂るのに邪魔にならない距離で固まってはいるのだが。
結衣と俺の分の朝食を温め、わざわざ大回りして真弓とは反対側の椅子に座る。
「いただきます」
「いっただっきまーす!」
心底楽しそうに食事を摂る結衣の姿に口元を緩ませながら、自分も口へ運ぶ。
慣れてしまえば、結衣は明朗快活な少女だった。学校でも、友達が多いような。
そんな少女でも、球体保有者であるというだけの理由で虐待や差別の対象になるのだから、改めてやりきれなさを感じる。
「ごちそうさま」
そんな言葉が聞こえてきた方へと顔を向けると、半分以上が残った皿を台所へ戻した真弓が、戸口からどこかへ消えていくところだった。
「なぁオイ、あいつなんかあったんかよ?」
「あれだけ食べないのは、いささか心配になりますね」
口々に疑問を零す四人の声には応えないまま、目の前の食べ物を無心で口に運ぶ。斜め下から心配そうな視線が突き刺さっているが、この際お構い無しだ。
「あ、柊君、食べ終わったらちょっといいかしら」
無心で朝食を口に運ぶ。
「……柊君?」
箸で掴む、持ち上げる、口に入れる。
「ちょっと、柊君?」
掴む、上げる、入れる。
「柊君、聞こえてないの?」
「……お兄ちゃん?」
掴む、上げる、入れ……
「柊君!」「お兄ちゃん!」
「うわっ!」
至近距離で放たれた大声に、思わず声が漏れる。
ふと顔を上げると、至近距離に隊長と結衣の顔があった。
「……あ、すいません。なんですか?」
「朝ごはん終わったら、隊長室まで来て」
「了解」
どうやら、無心を志すあまり外界からの接触すらシャットアウトしていたらしい。
それにしても、隊長室とは珍しい呼び出しだな。任務ならここでもいいだろうに。
まあ、それを考えても詮無いことか。
無心すぎて周囲からの視線が痛いので、ほどほどに結衣と会話しながら皿を空にする。影のように付き添う結衣と共にシンクの中に皿を沈め、食堂を出る。
袖を掴んで付いて来る結衣を引き連れたまま、角から出てくるかもしれない真弓にびくびくしながら隊長室へと向かう。
結局、真弓には会わなかった。普段なら、どこかの角から偶然出てくるのだが。
食堂を出てモニタールームを通り過ぎ、隊長室と書かれたプレートの下がる扉の前にたどり着く。
俺を見上げる結衣の頭を軽く撫でて、軽くノックした。
「あ、いいわよ」
「失礼します」
俯きがちに扉を開けることで会釈を代用して、隊長室の中に足を踏み入れる。
整頓された部屋の中には、大き目の机と、応接用のソファやテーブルと、待ち構えていたと思しき隊長、そして、驚愕と後悔に顔を歪める真弓。
即座に回れ右して逃げ出したい衝動を必死に抑えて隊長に視線をやる。せめてもの抵抗に睨みつけると、隊長は驚いたように声を上げた。
「そんなに怖い顔でどうしたのよ?」
あまりにも素っ頓狂な言葉に、全身から力が抜ける。どうやら、謀ったわけでも事情聴取なわけでもないらしい。
「いえ、まだ眠くて。何の用ですか?」
適当にごまかして、話題を進める。一刻も早くここから逃げ出したかった。
「まず一つ目、これはスフィアフォースの隊長としての話よ。リッパー、ジャンパー、二人には人と会ってもらいます。場所は、東京スカイツリー。向こうの指定よ」
「性別、人種、それから外見的特長は?」
「日本人、声からして男性、とうきょうスカイツリー駅の東口にいるそうよ」
頷いた真弓とは逆に、俺は隊長の一言が引っかかってならなかった。
誰もそれについて言及しないのを感じて、仕方なく声に出す。
「『声からして男性』? どういうことですか」
俺の問いに対する応えは、微かなため息だった。
「昨日、電話で呼び出されたのよ。『ウロボロス』を名乗る組織にね」
空気に緊張が走る。その中で、隊長は机上のノートパソコンをいくつか操作すると、その画面を俺たちの方へと向けた。
そこに表示されていたのは、音声解析ソフトの画面。再生がクリックされ、肉声と思しき人間の声が流れ出した。
……どこか、聞き覚えのある声だった。何で聞いたのかは、さっぱり思い出せないが。
『こんにちは、スフィアフォース隊長、長戸翠さんですね? 私は『ウロボロス』のリーダー、まあ、仮に『K』として置きましょうか。今日、連絡させていただいたのは他でもありません。あなた方を、我々が主催するショーへご招待しましょう。時間は明日の午後二時、場所は東京スカイツリー。おっと、とうきょうスカイツリー駅、東口にいらしていただければ、私自らご案内いたしましょう。それでは、本日は失礼させていただきます』
態度自体は慇懃だが、どこか相手を馬鹿にしたような声音と、隊長が一言も挟まないうちにさっさと切るその行動。いわゆる、慇懃無礼という奴だ。
真弓もそれを感じているらしく、渋い顔でノートパソコンの画面を見つめている。
「あなたたちを危険に晒す事になるのは心苦しいけど……行ってくれるわね」
「ええ。午後二時ってことは、ここからだとスカイツリーまで二時間と少し……十二時前くらいに出れば間に合うわね」
「ってことは、昼飯は早めか……材料はまだありましたよね」
怖くないわけではない。自分は相手を知らないのに、相手は自分を知っている。その得体の知れなさが生理的な恐怖を呼び起こしている。そして、ウロボロスという名前。
そのどれもが、悪い可能性ばかりを考えさせる。
けど、断るわけにはいかない。俺が断れば、木和田や芦刈さん、副隊長が向かうだろう。もちろん、真弓も。
誰かの後ろで怖がるだけの自分は、もう嫌だから。
今度は俺が、誰かの前に立てるように。
「ありがとう。お願いね。用件は以上よ」
ほっとしたような隊長の前を辞そうとしたところで、呼び止められた。
「あ、柊君はまだ残っててくれる?」
そのいたずらっ子のような顔は、本当に真弓とそっくりだ。血は繋がっていないはずなのだが。
「ここからは、まゆちゃんの母代わりとしての用件よ」
嫌な予感がする。
「昨日、まゆちゃんに告白されたんでしょ?」
ほら来た。
図星を指されてうろたえる俺に、してやったりといった表情を浮かべる隊長。
その顔で、俺は鎌を掛けられたのだと悟った。
「……ダメよ、ごまかそうとしても。で、どうしたの?」
「まだ告白だったのかどうかすらわかりませんから、なんとも」
「あれだけ気まずくなっておいて、告白以外の何があるの?」
昨日のアレを思い出す。告白って、こう、面と向かって手紙を手渡すとか、『好き』って言うとか、そういうものじゃないのだろうか。
「いや、でも……」
言いよどむ俺のパーカーの裾が、控えめに二度引かれる。
「どうした?」
「お兄ちゃん、あれは告白だよ」
唐突な宣告に、頭が真っ白になる。というか、見てたのか。
「あれ、結衣ちゃん知ってるの?」
「うん。見てた」
別に嫌だったわけじゃないが、真弓、何してくれたんだ。




