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私がこの国を世直しして差し上げましょう  作者: 逆立ちハムスター


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貪欲な伯爵の破滅

夕暮れ時の帝都副都市ルテティアは、黄金色と薄紫色のグラデーションに染まっていた。

大通りの喧騒から一本外れた路地裏。そこには、石畳の隙間から雑草が顔を覗かせる、お世辞にも上品とは言えない下町が広がっている。排気と、安酒の匂い、そしてどこか泥臭くも活気のある人間の営みの気配。


「はい、お待ち遠さま! エラちゃん、今日もよく働いてくれたから、特別に焼き立ての林檎アップルパイを一皿オマケしとくよ!」


「まあ、嬉しい! ありがとう、マルタさん。ここのアップルパイは、帝国で一番美味しいわ」


私は、粗末な麻のワンピースの裾を揺らしながら、満面の笑みを浮かべた。

私の名はエラ。ここでは、身寄りがなく、下町の定食屋『ふくろうの寝床』で時折給仕の手伝いをしては日銭を稼いでいる、しがない娘ということになっている。


店主のマルタさんは、恰幅が良く、肝っ玉の据わった中年女性だ。彼女は私の言葉に「およしよ、お世辞が上手いんだから」と照れくさそうに笑いながら、私の頭を乱暴に、けれど温かく撫で回した。その手のひらの固いタコが、彼女が実直に生きてきた証拠だった。


ここでの時間は、私にとって唯一、人間らしく呼吸ができる息抜きの場だった。

身分を隠し、ただの「エラ」として庶民の輪に混ざる。彼らは、貴族たちのように言葉の裏に毒を仕込むこともなければ、利益のために微笑みを張り付かせることもしない。怒るときは怒り、笑うときは腹の底から笑う。その素朴な温かさが、私の凍えそうな心をどれほど救ってくれているか、彼らは知りもしないだろう。


だが、そんな穏やかな空間に、不穏な影が落ちたのは、まさにその時だった。


「ひっ……! お、お願いします、もう数日、あと三日だけ待ってください……!」


店の奥から、マルタさんの娘であるルチアの悲痛な泣き声が聞こえてきた。

私は手に持っていた盆をそっと置き、声のする方へと視線を向ける。そこには、仕立ての悪い、しかし成金趣味な派手な上着を着た男たちが数人、泥靴のまま店に上がり込んでいた。


男たちの中心にいるのは、嫌らしい薄笑いを浮かべた、いかにも下卑た風貌の男――バルタザール伯爵の配下である、借金取りの役人だった。


「三日だと? ふん、一週間前も同じことを言っていたな、小娘。バルタザール伯爵領の法律が変わったのだ。この区画の地代は今月から三倍。払えないと言うのなら、この店を没収し、お前を『西の鉱山』へ労働力として売り飛ばすまでのこと」


「三倍だなんて、そんな無茶な! 国の定めた税率よりも遥かに高いじゃないですか! 私たちはちゃんと、毎月遅れずに納めてきたのに……!」


マルタさんが血相を変えて割って入るが、役人は鼻で笑い、彼女の胸元を乱暴に突き飛ばした。


「うるさい、老婆! 皇帝陛下が戦場に釘付けの今、この帝都のまつりごとを預かっているのはどなただと思っている? バルタザール伯爵閣下だ。閣下の言葉こそが、この街の法律なのだよ」


マルタさんは床に倒れ込み、ルチアは怯えて母親にしがみつく。

周りの客たちも、怒りに拳を震わせながらも、相手が『貴族』の威光を傘に着ているがゆえに、手を出すことができずに俯いていた。


(――ああ、またか)


私の胸の奥で、冷たい、けれど激しい怒りの炎が静かに燃え上がった。


我が父、偉大なる神聖ルテティア帝国皇帝は、現在、北方の異民族との大規模な国境戦のため、一年の大半を戦場で過ごしている。皇帝が信頼を置く、まともな側近や有能な将軍たちの多くも、すべてその遠征に同行していた。

その結果、何が起きたか。

留守を任された各地の都の貴族どもは、猫のいない隙のネズミよろしく、肥え太るための悪巧みを始めたのだ。法を歪め、庶民から搾取し、私腹を肥やす。母が崩御して以来、内政の綻びを繕う者がいなくなった帝国は、今や内側から急速に腐りつつあった。


「お母さん……ルチア……」


震える親子を見つめながら、私は静かに歩み寄った。

そして、マルタさんとルチアの肩をそっと抱きすくめる。


「エラちゃん……ごめんね、巻き込んじまって。早く逃げなさい……」


マルタさんが蚊の鳴くような声で呟く。私はその耳元で、確かな、そして酷く落ち着いた声で囁いた。


「大丈夫です、マルタさん。神様は、悪党をそのままにはなさいません。……絶対に」


役人の男は、私の姿を見て下品な視線を這わせてきた。

「ほう、そっちの小娘も中々上珠じゃないか。代わりに連れて行ってやっても――」

言葉が終わる前に、私は冷たい一瞥を男にくれた。それだけで、男は一瞬、蛇に睨まれた蛙のように言葉を詰まらせた。


「おい、行くぞ。明日だ。明日までに金を用意できなければ、容赦はせん」


男たちは吐き捨てるように言うと、店を去っていった。

嵐が去った後のような静けさの中、私は泣き崩れる親子を慰めながら、心の中で完全に『エラ』の仮面を脱ぎ捨てていた。


待って居なさい、バルタザール伯爵。

私の愛する庭(帝国)を荒らす蛆虫は、一匹残らず排除せねばならない。


────


下町の路地裏を抜け、夜の闇に紛れるようにして、私は帝宮の裏門へと向かった。

粗末な麻のワンピースを脱ぎ捨て、隠し通路を通って私室へと戻る。


そこは、下町の喧騒とは無縁の、静寂と贅沢に満ちた空間。

鏡の前に立てば、そこには泥にまみれた給仕の娘ではなく、高貴な血を引く一人の美しい女性がいた。輝く金髪、深く澄んだ紫の瞳。神聖ルテティア帝国第一皇女、エレオノーラ。それが私の表の顔だ。


しかし私にはもう一つの顔がある。

皇帝直属、帝国内のあらゆる腐敗を調査し、独断で処刑・断罪する権利を与えられた秘匿機関の長――『査察皇女』。


「おかえりなさいませ、エレオノーラ様」


闇の中から、音もなく二人の男が現れ、私の前に片膝を突いた。


一人は、漆黒の髪に鋭い切れ長の目を持つ、大柄な男。帝国内最強の武を誇る影護官えいごかんの筆頭、ラインハルト。その佇まいは、研ぎ澄まされた一本の銘刀のようだ。

もう一人は、蜂蜜色の髪を緩く結い、常に不敵な笑みを浮かべている細身の美男子、ギルバート。彼は諜報と暗殺の達人であり、私の手足となって動く。


「ラインハルト、ギルバート。待たせたわね」


私は豪奢な椅子に深く腰掛け、足を組んだ。先ほどまでの「エラ」の甘い声は消え失せ、そこにあるのは、凍てつくような威厳に満ちた皇女の声だった。


「バルタザール伯爵の身辺調査、すべて完了しております」


ギルバートが懐から一冊の厚い書類束を取り出し、恭しく差し出してきた。

私はそれを受け取り、パラパラとページをめくる。書かれている内容は、目を見張るほどの悪行のオンパレードだった。


「ふん……下町での不当な地代の徴収、公金の横領、さらには、払えなくなった平民の治安維持名目での強制労働。……いえ、これは労働ではないわね。『西の鉱山』を隠れ蓑にした、裏社会への奴隷売買。買い手は近隣の敵対国か」


「左様です。バルタザールは、皇帝陛下の不在を良いことに、帝都の南区画一帯を己の私有地のように扱い、暴利を貪っております。すでに被害に遭った平民は数百名に上ります」


ラインハルトが、低く地響きのような声で補足した。彼の周囲の空気が、怒りによって僅かに歪む。彼ら影護官もまた、帝国の闇に虐げられた過去を持ち、私に救われた者たちだ。悪徳貴族への怒りは、私と等しい。


「お父様が戦場で血を流している間に、その足元でシロアリのように帝国を食い荒らすとはね。万死に値するわ」


私は書類を机に叩きつけた。

パァン、と乾いた音が室内に響く。


「ギルバート、証拠の裏付けは? 伯爵の邸宅にある本物の帳簿は押さえた?」


「当然です。先ほど、私の部下が伯爵の書斎の隠し金庫から『本物』を拝借し、代わりに精巧な偽物を置いてきました。今頃、彼は何も気づかずに、今夜開かれる自身の息子の生誕夜会パーティーで、ワインを傾けていることでしょう」


ギルバートが楽しそうに目を細める。


「素晴らしいわ。完璧な仕事ね。……ラインハルト、今夜の夜会に突入するわよ。連れて行く影護官は、貴方とギルバート、それから数名で十分ね」


「御意。エレオノーラ様の御心のままに。蛆虫どもを根絶やしにいたしましょう」


ラインハルトが深く頭を垂れる。


私は立ち上がり、クローゼットから一着のドレスを選んだ。それは、夜の闇をそのまま紡いで作られたかのような、深い漆黒のドレス。胸元には、皇帝から授かった『査察皇女』の証である、金色の双頭の鷲の勲章が鈍く光っている。


「さあ、お仕置きの時間よ。悪党には、それに相応しい絶望の舞台を用意してあげなくてはね」


鏡の中の私は、冷酷極まりない、しかし酷く美しい微笑を浮かべていた。


────


都の一等地に建つ、バルタザール伯爵の邸宅。

そこは目も眩むような光の洪水と、贅を尽くした料理、そして着飾った貴族たちの笑い声で満ち溢れていた。


「いやはや、バルタザール伯爵閣下! 今宵の夜会も実に見事なものだ。閣下が都の財政を握られてから、我々貴族の暮らしは一段と豊かになりましたな!」


「ははは! 何、当然のことをしたまでよ。皇帝陛下は戦馬鹿だからな。内政の何たるかも分からん平民どもから、少しばかり余剰分を回収し、我々選ばれた者が有効に使う。これこそが正しい帝国の姿よ」


中央の雛壇で、まるまると太った豚のような男――バルタザール伯爵が、金の刺繍が施された衣服に身を包み、大笑いしていた。その手にある杯には、下町の平民が一生かかっても飲めないような最高級の古酒が注がれている。


その時だった。


どぉん!! と、重厚な大広間の扉が、爆音と共に内側へと吹き飛んだ。


「な、何事だ!?」

「曲者か!?」


悲鳴を上げる貴族たち。硝煙と埃が舞う中、ゆっくりと歩を進めてくる影があった。


ヒールの音が、静まり返った広間に規則正しく響く。

現れたのは、漆黒のドレスを纏った、息を呑むほどに美しい少女。そしてその背後には、威圧感だけで並の騎士を卒倒させそうな、異様な気配を放つ黒衣の男たちが控えていた。


「何者だ、貴様! ここをどこの邸宅と心得――」


警備の騎士が剣を抜いて駆け寄ろうとした瞬間、少女の背後にいた蜂蜜色の髪の男――ギルバートが、目にも留まらぬ速さで動き、騎士の顎を蹴り上げた。騎士は一言も発せず、天井まで吹き飛んだ後、床に叩きつけられて気絶した。


「静かにしてくれないかしら。耳障りだわ」


少女――私、エレオノーラは、冷徹な声を響かせた。

その声の、そしてその容姿の圧倒的な既視感に、雛壇のバルタザール伯爵の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「お、お前は……いえ、あなたは、まさか、エレオノーラ第一皇女様……!?」


伯爵の声に、広間がガタガタと震え出した。

貴族たちが一斉にざわつき、そして慌ててその場に平伏し始める。いくら皇帝が不在とはいえ、その直系であり、皇位継承権を持つ皇女の威光は絶対だ。


バルタザール伯爵もまた、肥満体を揺らしながら大急ぎで雛壇から転げ落ち、床に額を擦り付けた。


「こ、これは、エレオノーラ様! 事前の連絡もなく、このようなむさ苦しい場所にお越しいただけるとは、我がバルタザール家にとって最大の誉れ……! しかし、一体何用でございましょうか?」


平伏しながらも、バルタザールの声には「まさか自分の悪事が露見しているわけがない」という傲慢な計算が見え隠れしていた。


私は彼の前まで歩みを進め、冷たい視線で見下ろした。


「用件? 決まっているでしょう、バルタザール伯爵。……貴方の査察、および断罪よ」


その言葉に、バルタザールの肩がビクリと跳ね上がった。


「さ、査察……断罪、でございますか? はは、何かの間違いでございましょう。私は常に帝国のため、皇帝陛下のために尽力して――」


「見苦しいわね」


私は、ギルバートから受け取った本物の台帳を、バルタザールの目の前の床に放り投げた。

パラパラと開いたページには、彼が下町から巻き上げた不当な地代の記録、そして『西の鉱山』を介した奴隷売買の金額、取引先の敵国の名前が克明に記されていた。


「なっ……! これ、これは……!?」


バルタザールは目を見開いた。それが、自分が隠し金庫に厳重に保管していたはずの『本物の台帳』であると気づいたからだ。


「バルタザール伯爵。貴方の罪状を列挙します。

一、帝都南区画における、法外な地代の強制徴収および平民への暴行。

二、国庫に納めるべき税の横領、計四億銀貨。

三、そして最大の罪――帝国平民を拉致し、敵国へと売り飛ばした国家反逆罪」


私の声が広間に凛烈と響き渡る。周囲の貴族たちは、その罪状の重さに息を呑み、バルタザールからじりじりと距離を置き始めた。国家反逆罪となれば、一族郎党処刑は免れない。


「証拠は出揃っているわ。言い訳の余地はないわね。……バルタザール、大人しく捕縛されなさい」


追い詰められたバルタザール伯爵。

彼の顔は、恐怖から怒りへと、急速に赤黒く変色していった。額に青筋を立て、ハァハァと荒い息を吐きながら、彼は床から立ち上がった。その目は、完全に理性を失い、狂気に染まっている。


ここで大人しく捕まれば、待っているのは処刑台のみ。ならば、やることは一つしかなかった。

悪党が最後に選ぶ、いつもの、お決まりの悪足掻きだ。


「……ふ、ふふん。証拠だと? 笑わせるな! 騙されるな、皆の者! 落ち着いてあの女の顔を見るがいい!」


バルタザールは狂ったように笑い出し、私を指差した。


「エレオノーラ皇女殿下が、このような夜更けに、僅かな供だけを連れて、このような場所に来られるはずがない! 皇帝陛下が遠征中で不在なのを良いことに、我がバルタザール家を貶めようとする不届きな曲者だ! あの勲章も、ドレスも、すべて精巧に作られた偽物だ!!」


広間の貴族たちが、再びざわつく。

「偽物……?」「まさか……しかし、確かに供が少なすぎる……」


バルタザールは、己の私兵たちに向かって絶叫した。


「出会え! 出会え!! 我が邸宅の精鋭騎士どもよ! この皇女の皮を被った偽物を、一匹残らず斬り捨てい! 賊を討ち取った者には、金一封と望むだけの地位をやるぞ!!」


その言葉に応じて、広間の壁際に控えていた、伯爵が金で雇った私兵や傭兵上がりの騎士たち、総勢五十名あまりが一斉に剣を抜いた。ギラギラとした欲望の目を剥き、彼らが私へと殺到してくる。


「殿下の名を騙る偽物め! 死ねぇ!」


突撃してくる男たちの怒号。

だが私は一歩も動かない。髪の毛一本すら揺らさず、ただ哀れみの目をバルタザールへと向けた。


「本当に……愚かね。どこの悪党も、追い詰められると同じセリフを吐くのね」


私は小さくため息をつき、背後の男たちに合図を送った。


「……不浄の者を、片付けなさい」


「――御意」


影護官達の声が重なった。


次の瞬間、大広間は静かな、しかし圧倒的な屠殺場へと変貌した。


「ふん」


短く息を吐いたラインハルトが、一歩前に出る。彼の腰から放たれた剣閃は、もはや凡人の目では捉えきれなかった。

キィィン、という、空間を切り裂くような高音が響いたかと思うと、最前列にいた私兵たちの剣が、一斉に半ばからへし折れた。それだけではない。ラインハルトが凄まじい脚力で踏み込むたび、衝撃波だけで十数名の私兵が壁へと叩きつけられ、骨を砕かれて昏倒していく。


彼が振るうのは、剣の形をした天災だ。一切の無駄がない、絶対的な武。


「おっと、僕の獲物も残しておいてくださいよ、ラインハルト」


ギルバートは、まるでダンスでも踊るかのような軽やかなステップで、敵の群れへと飛び込んでいった。

彼の両手には、いつの間にか細身の短剣が握られている。私兵たちが剣を振り下ろすよりも早く、ギルバートはその懐へと潜り込み、手首の腱を切り、膝の皿を砕いていく。

「あがっ!?」「ひ、ひいい!」

悲鳴が上がるが、ギルバートは楽しげに微笑んだまま、一切の手加減なく、機械的な正確さで敵を無力化していく。


五十名いたはずの伯爵の精鋭は、三分と経たないうちに、全員が床に転がり、呻き声を上げる肉の塊と化していた。

返り血の一滴すら、私のドレスに届くことはない。ラインハルトとギルバートは、息一つ乱さず、私の前に再び整列した。


「ば、馬鹿な……我が家の精鋭が、たった二人、いや、数人に……!?」


バルタザールは、腰を抜かして床にへたり込んでいた。ガチガチと歯の根が合わない音を立て、恐怖で失禁している。


私は無様に這いつくばる彼の前へと歩み寄り、冷たく、静かに告げた。


「これでも、私が偽物だと言い張るかしら? バルタザール。……もっとも、貴方の言い分など、もうどうでもいいのだけけれど」


私は、懐からもう一つ、皇帝の直筆サインと国璽が押された『即決処刑執行書』を取り出し、彼の目の前に突きつけた。


「神聖ルテティア帝国査察皇女エレオノーラの国権に基づき、バルタザール伯爵、汝の爵位を剥奪、財産を没収。そして――」


私はラインハルトに視線を送った。

ラインハルトが静かに剣を抜き、バルタザールの首筋に刃を添える。


「ひっ、ひいいい! 助けてくれ! 悪かった! 金ならいくらでも出す! 命だけは、命だけは助けて――!」


「その命で、虐げられた庶民への贖罪としなさい。……執行やりなさい


「御意」


冷徹な断罪の言葉と共に、銀光が走った。

帝国の癌が、また一つ、確実に切除された瞬間だった。残された貴族たちは、恐怖のあまり誰もが声を失い、ただただ私を本物の『死神』を見るかのような目で見つめ、深く頭を垂れていた。


────


翌朝。

東の空から、眩しい太陽の光が帝都を照らし始めていた。


下町の『ふくろうの寝床』には、いつもの賑わいが戻っていた。

バルタザール伯爵が国家反逆罪で処刑され、不当な地代や借金がすべて帳消しになったという報せは、早朝のうちに都中に広まっていたのだ。


「本当に良かったわね、お母さん! これで店を続けられるわ!」

「ああ、本当に、神様は見捨ててくださらなかったんだねえ……!」


マルタさんとルチアは、涙を流して喜び合っていた。他の常連客たちも、朝からエール(麦酒)を掲げてお祭り騒ぎだ。


私は店の一角で、いつもの麻のワンピース姿に戻り、給仕の手伝いをしていた。


「エラちゃん! ほら、昨日食べ損ねたアップルパイだよ。今日は特別に、二皿持っていきな!」


マルタさんが満面の笑顔で、お皿に乗った大きな林檎派を差し出してくれた。


「わあ……! ありがとうございます、マルタさん。本当に良かったですね」


私はアップルパイを受け取り、一口、小さく口に運んだ。

甘酸っぱい林檎の果汁と、サクサクとした生地の食感が口いっぱいに広がる。


「……うん、やっぱり美味しい。帝国で一番だわ」


私はふふ、と、皇女としての威厳など微塵もない、年相応の少女の笑みを浮かべた。


宮殿での冷酷な戦いも、血に塗れた断罪も、すべては真面目で誠実な人々の笑顔を守るためのもの。

お父様が帰るその日まで、私はこの帝国の光と影を背負い、戦い続ける。この、甘くて温かい国の景色を守り抜くために。


私の『査察皇女』としての日常は、まだまだ始まったばかりなのだから。

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