その37 魔女さんの記憶……?
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部屋の中には本が山の様に積み上げられている。
あー、映画で銀行強盗に成功した悪者が、倉庫にこんな感じでお金を積んでいたなぁ。
「はい、理子。これが魔女さんが生まれてから100年間の記憶よ。軽く目を通したら、あの辺の本棚に時系列順に並べといて」
私の現実逃避など無視して、アリスがその山の一角をふわふと浮かして渡してきた。その量は全体の1割にも満たない。
「ねぇ、これ全部整理しなきゃならないの?」
「当たり前じゃない。今こうしているのも、体が記憶の処理に追い付いていないからなのよ。それとも、ずっとここに居る?」
さすがにそれは嫌だ。しかし、この山を見るだけで気が滅入ってくる。本当に一週間で終わるんだろうか。
「アリスちゃん、これ追加ね」
空から魔女さんが降ってきた。その上にはここにあるのと同じくらいの本が浮かんでいる。
「んひゃ!? 魔女さん、まだあるの!」
「ん? ああ、あとこの量が二セット位だね」
「うげー、まーじーでー」
へろへろとその場に座り込む。
私たちは今、精神世界にて魔女さんの記憶を整理中である。体の操作を放棄する事で、全身を記憶の処理に充てているのだ。
だけど、本の量が半端じゃない。彼女は二千年以上生きているんだから記憶が多いと思ってはいたが、現物を目の前にするとぐんぐんやる気が無くなっていく。
「いいじゃない。これでも普通にやるよりは楽なのよ」
「そうなの?」
「ドラゴンとかロイの時はフラッシュバックみたいに記憶を体験してたでしょ? この体は記憶の保存方法が似ているから、効率よく整理できるわ」
アリスはなんだか生き生きしている。なんでも、こういった作業が大好きなんだそうだ。私には分からない感覚である。
「ほら、あなたも手を進めないと、いつまでたってもロイに会えないわよ」
うぐっ。私の弱点を的確につかれた。そう言われたら頑張らないわけにいかないじゃないか。
◆
ざっくりと魔女さんの記憶を覗いて、アリスが事前に渡してきたタグを張りつけて本棚に入れる。
タグは大体の時期や内容を示したもので、後で検索がしやくするためのものだ。どういう理屈なのかはよく分かんないけど。
うーん。これは宇宙遊泳しているところ? ああ、これが月の結界を破壊した時の記憶か。魔導船から射出された後は自力で月まで飛んで行ったんだ。あの時は大変だったなぁ。
えーと、ならこれとこのタグを張ってこの辺に……ん?
「魔女さん? どうかしたの?」
気がついたら魔女さんが私のことをじっと見ていた。その顔は珍しく驚いているように見える。
「いや、聞いていたけど、本当に他人の記憶が平気なんだねぇ」
「え? ああ、普通は拒否感があるんでしたっけ」
ふと魔女さんの手元を見ると、何か薄い本を持っていた。
題名は『プライバシーに配慮した理子の記憶――理子の世界の基礎知識編――』とある。……おい。
「アリスちゃんに頼んで君の記憶を見せてもらったんだけど、やっぱり私にはだめだね」
「あれ? さっきの話では人前で体の再現をしたんですよね。吸収した時に記憶は見なかったんですか?」
生物を吸収した時は、その記憶を処理するためフラッシュバックみたいに体験してしまう。
私の場合はアリスが代わりに記憶を処理していたので、ドラゴンさんのように記憶が多くなければ大丈夫だったが。
「私は記憶の少ない虫を吸収したのさ。蜘蛛とか蝶とかだね。あいつもせっかくの成功例を壊したくなかったから、下手に記憶を増やさないように加減したんだろう」
『あいつ』とはあの世界であった男のことか。魔女さんの父であり、アリスの製作者。そして、私をこの世界に呼び出した張本人である。
「でも、なんだってこんな能力を探してたかしら。あの人は二千年近く私を探していたみたいだし」
「おいおい、もっと自分の重要性を認識したまえ。それは、とんでもない能力なんだよ」
「んー? そう言われても、よく分からないです」
「はぁ。なら簡単な例で言おう。君はこの世界の言葉を知らなかっただろう? それをどれくらいの時間で習得した?」
「時間……と言ってもロイの記憶を得ただけだから、実質ゼロ……ああ、なるほど」
「そう。他人の記憶を見るだけなら魔法でもできる。だけど、それをすぐに覚えて完璧に扱うなんて不可能さ」
確かに。私は学校で何年も英語の勉強をしていたが、いまだにネイティブ並みには話せない。
この能力は、それを一瞬で達成させてしまったんだ。
「それに、私の記憶を得れば君はこの世界トップの魔術師だ。いったいどれだけの人がそれを目指して、たどり着けないでいると思う?」
うーむ。この能力があれば、その分野を知っている人を吸収するだけで、それに並ぶことができる。
言われてみれば、とんでもないことな気がしてきた。
「あいつは君の能力を得る方法を思いついたんだろう。それが実行されたら世界中の。いや、異世界全ての記憶を奪おうとするだろうね。それは、なんとしても止めないといけない」
はぁ、ずいぶんとスケールの大きさ話である。
「何で、あの人はそんなことをするんでしょうか?」
「あいつは、知識欲の権化なのさ。そのためには倫理も感情もなんだって無視する。簡単に言えば、わがままな最低野郎だよ」
魔女さんの顔には怒りがにじみ出ている。普段は無表情な人がこんなになるなだから、よっぽど溜め込んだものがあるようだ。
自分の娘を悪魔化の実験体にするようなやつなんだから、まともな奴ではないのは間違いない。きっと、それ以前にも酷い目にあわされていたのだろう。
まあ、つらい思い出みたいだし、本人には聞かないでおくか。私は記憶の続きを確認しないと。
◆
悪魔がいたころはまだ良かった。悪魔を狩っている時は、自分に存在意義があると思えたから。
すでにほとんどの悪魔は狩りつくした。中には太陽の光の届かない所に隠れたものもいたが、それらを探し出す気にはならなかった。
もし、悪魔がいなくなってしまったら、自分は何のために生きればいいのか、分からなくなってしまうから。
人類が滅びてから百年以上経った。もう、何十年も悪魔を見ていない。私は世界を何周しただろう?
数える気はない。きりの良い数字になった時に諦めてしまいそうだから。
大丈夫、まだ、きっと、どこかの地中や深い森の奥にでも悪魔が眠っているはずだ。
掘り返して探す気はない。何も無かったら、心が折れてしまいそうだから。
死のうと思ったことは何度もあった。でも、それはあの4人の意思を無駄にすることになる。それだけはできない。
寿命で死ねるならそれがいいかと思ったが、肉体を作る魔法――治癒魔法の応用で簡単にできた――を使えば、この体はしばらく生き続けるだろう。せめて、そのあいだは抗ってやる。
数十年ぶりに大規模な地震が起きた。様子を見に行ってみると、地面に大きな穴が空き、人工的な石の建造物が埋まっていたのが分かった。
どうやら、月の光から逃げようとした人類が作った施設のようだ。内部にはまだ悪魔の生き残りがいるかもしれない。私は淡い期待を持って内部を捜索することにした。
私の予想よりもその施設は保存状態が良く、内部に入るには生きている結界を解除しなければならなかった。そのため、私の期待は裏切られた。
内部にあったのは人間の死体のみ。悪魔もこの施設には侵入しなかったようだ。
しかし、悪魔が侵入しなかったのになぜ死んでいるんだ? 生き延びていたのなら、月の魔力が減衰したことに気づいたはずだ。
施設内の資料やデータを確認してみると、なんとなく当時の状況が分かってきた。
この施設も初期には月への対抗策を検討していたようだ。しかし、一部の研究者がそれに異を唱えた。そんなことよりも、この世界に適応できる人類を作るべきだと。
理論上、悪魔を百年近く放置すれば、太陽光による対消滅や自壊により、人類でも対応可能なレベルに減少するはず。
ならば、月の魔力に耐えられる人類を作れば、その後に地上を取り戻すことが可能であると提唱したようだ。
しかし、世界が団結している中、自国だけ別の研究をするわけにもいかない。もちろん、中には自国の利益を中心に考えた者もいるだろう。
つまり、この施設は内部分裂を起こしたのだ。
どうやら新人類を作るチームが勝ち残ったようだが、彼らはコミュニティを維持できるほどの人数ではなかった。その結果、誰もいなくなった施設は地中で放置されることとなった。
バカバカしい。彼らがもう少しでも理性的であれば、地上に戻ることができたというのに。
だが、彼らの研究成果には利用価値があるかもしれない。
彼らの作ろうとしていたもの、魔力の適応性を下げた人類。それは、もしかしたらこの世界で生きていけるのではないか?
崩壊する前の世界では、ホムンクルスなどの生命を創造する技術は禁忌であり、国家の機密事項だった。いま、その資料がここにある。
私が、この研究を完成されば、世界に人類が戻る。
抗えない誘惑だった。久しぶりにやりたいこと出来た。
その理論を完成させるのに5年。理論の再検証にはさらに5年かけた。
私はまず、魔力の適応力が無い動物の作成を行うことにした。
いま、ガラスに覆われた実験槽の溶液の中で、完成間近の猫が眠っている。
この子が無事に生まれれば理論が正しいことが証明される。あとはこのボタンを押して猫を覚醒させ、溶液を排出するだけだ。
だが、そのボタンを押すのに一月ほど悩んだ。本当に間違いはないのか、猫の体に異常はないのか、不安は尽きなかった。
遂に心を決めてボタンを押す。やっとこの子が水槽から出られる時が来た。溶液が排出されると同時に猫が目を開ける。
突然、機械から大きな警告音が響いた。
何だ! 一体何が起きた!
魔力の流れに問題はない。溶液の成分に異常はない。
しかし、猫は大きく目を見開き、苦しそうに口から泡を吐いている。
私は水槽を叩き壊して猫を取り出す。
「大丈夫か! すぐに治してやる!」
必死に治癒魔法を放つが、猫の体は内部から組織が崩壊していく。
猫は最後にパクパクと口を痙攣させると、私の腕の中で息を引き取った。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
すでに動かなくなった猫に、私は何度も許しを求める。
私が実験を再開したのは、十年後のことだった。
◆
「どうしたの? リコ」
私は今、テーブルに突っ伏して死体になっている。テーブルはただのイメージだ。精神世界なのでこの辺は自由が利くのである。
「いや、マジ無理。これ読むの辛すぎる」
さっきの記憶を読んで心が折れました。
いや、ドラゴンさんの記憶にも辛い所はあったよ?
ても、あの人はそれほど引きづらないタイプだから、そこまでじゃなかったのよ。楽しい事もいっぱいあったし。
それに比べて魔女さんの記憶は、心が安らぐ場面が無いのよ。
新しい人類や獣人を作った後は比較的穏やかだけど、そこにたどり着くまでが長すぎるわ。
「ああ、私が読んだ所にも、育てていた子どもに正体を見られて『化け物』呼ばわりされてるシーンがあったわね」
「やーめーてー。聞きたくない聞きたくない」
「いやぁ、何だかんだ恥ずかしいねぇ。記憶を見られるってのは」
当の本人は、そんなことを話していてもどこ吹く風である。こんな人生を歩んできたから、感情なんて起こらないくらい心が擦り切れてしまったのだろうか。
「真面目な話、あなたは吸収されてよかったの? 死に場所を探してたようにも思えるけど?」
アリスが魔女さんに問いかける。
魔女さんは、もともと私と同じようなただの少女だった。いくら魔法がある世界でも、人間は二千年も生きる生物ではない。
「んー? 実際は死ぬんでしょ? なら、心機一転、人生をやり直したくてね」
ふむ。気持ちは分からなくもない。
「特に青春とか青春とか青春とか。いや、まったく。恋も出来なかったのに、子育てから始まっちゃって。さすがに途中から、私とは別のホムンクルスを作って任せたんだけどね。老けない人間がずっと一緒にいるのは難しいんだよ?」
って、そんな理由かい。そりゃ愚痴りたくなるもなるだろうけど。
「それに、時々は良い雰囲気になることもあったんだよ。でも、結局は私の子どもみたいなもんじゃん? どうしても母親目線で見ちゃうっていうか」
魔女さんは相づちも打ってないのにどんどん語り出す。いやぁ、ロイに出会えた私は幸せだったんだなぁ。
「そこに現れたのが君たちさ。異世界ならそういう心配が無くなるでしょ? いやぁ、アリスちゃんの話を聞いたときには、『これだ!』って思ったよ」
そろそろあんまり聞いていなかったが、不意に魔女さんの表情が変わった。
「ま、本音はさておき。確かに死のうと思ったこともあるよ。でも、せっかく生き長らえる方法が見つかったんだ。もう少し、生きて、世界を見ていようと思ってね」
魔女さんの顔は、まるで母親のように優しいものだった。
ああ、そうか。この世界では魔女さんは全ての生物の母なんだ。
きっと、今の私では分からないような想いが、魔女さんを支えていたのだろう。
「もう、それなら早く記憶を整理して、また世界を見ててもらわないとね」
「理子がやる気を出してくれて嬉しいわ。じゃあこれ追加ね」
アリスはまた山のように積み上がった本を置いていく。
はい、分かりました。でも、もうちょっと加減してくれないかなあ。




