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(健之その七)赤の地球


 スカイラウンジを出て、売店の横の扉を開けた。狭いその部屋には男が一人いた。その他には扉が二つ、どこかへ繋がる入口が一つあった。

「この入口が順路になっております。どちらか一人の方だけ、こちらの入口へお進み下さい」

 胸に案内人という名札をつけた男がいった。名札には回廊の印が刻まれている。つまりこの男は意味のないことをいわない。

「もう一人は?」

「もう一人の方は、どちらかの扉を選択し、入って頂きます」

 不安を抱えた真愛の瞳が、僕をみる。

「二人とも、そっちの順路から進むことは?」

「できません。二人以上の人間が入りますと、酸素と二酸化炭素比率が極端に変動します」

「じゃあ、二人はここで別れなければならないと、いうことですか?」

「いいえ。道は分かれますが、すぐに一つになります。再会できます。ただし」

「ただし?」

「選択する扉によっては、二度と再会できません」

「どちらかの扉は迷宮に続いている、というか抜けられない場所にいってしまうと?」

 案内人の住人は何も答えない。灰色のシャツ。ボタンを一番上までかけて着ている。それを黒っぽいジーンズの中に仕舞って、足元は似た色のショートブーツ。男の顔は色白で、表情がない。

「じゃあ、開ける扉によっては別々のルートになっちゃうわけですね? それとも死んでしまうとか?」

 男は答えない。僕の目を真っ直ぐ見つめたまま、何の問いも受けていない、という顔をしている。

 僕は相棒の顔を見た。例によって青い顔をしている。その青い顔の彼女が質問した。

「こ、こっちの順路に進む人は、安全なんですか?」

「安全です」

 男は即答した。

「扉を選択する人も、安全なんですか?」

 男は答えない。

「じゃあ、き、危険なんですか?」

 それも答えない。僕たちは、役割を分担しなければならなくなった。扉に進むものと、入口に進むもの。いったい、どうやって決めろというのか。

「なにか、扉を選ぶ上でのヒント、あります?」

 男は答えない。

「何でも良いんで、知っていることがあれば教えてください」

「ステータス項目、運。その測定値が高いほうの方が扉を選択されることをお薦め致します」

 つまりは二分の一ということか。赤い扉と、黒い扉。ルーレットの赤と黒、というわけだ。どちらか一つが正解で、それは運次第。

「久遠さん、試しにジャンケンを?」

「う、うん」

 三回やって、僕の三勝。役割分担は決まった。

「僕が、いくよ。久遠さんは、順路に進んで、待っててよ」

 膝が震えたりはしなかった。僕に少しの勇敢さを付与してくれた、チョウザメ男や雷神に感謝する。

「い、いいの? 星川さん・・・。確かに、わたし、自信はないですけど、でも」

「いや、いいんだ。じゃーんけーん」

 ぽい。やはり僕が勝つ。

「ね? 大丈夫だよ。五十パーセントなら、ジャンケンより遥かに勝率が高いわけだし」

「あ、でも」

 と、口を開いた彼女の肩をつかんだ。そして頷く。どういうわけか、自信はあった。理由はわからない。

「この赤い扉、なんて書いてあるんですか?」

「テール」

「じゃあ、こっちの黒い扉は?」

「ドゥズィエン」

 真愛が首を傾げた。なるほど僕の知り得る言葉でギリギリ理解できるように設定されているらしい。つまりテールは一度目の世界。ドゥズィエンは二度目の世界という意味だろう。だがそれがわかったところで、何のヒントにもならない。ああなるほどそうか、と二度目の世界の扉をあけたらそれは罠だった。という落ちも考えられる。

「扉に進む方には規則がございます。扉のノブを回したら、もう後戻りはできません。すみやかに扉を開き、中にお進み下さい。再び閉める、体を後退させる、その場で立ち止まる、その他扉の中に進む、という以外の行動は全て禁止となります。もし、この規則に反する場合は、お二人の生命に関わります」

「て、天国行き、と、いうことですか?」

 案内人の男は、はいといって頷いた。

(そんなプレッシャーもあるのか。迷ったら、選べなくなるな)

 僕は直ぐ行動を起こすことにした。

「よし、決まった。じゃあ、また後で」

 また後・・・、があることを願う。

「あ、え、もう、いくの? あ、そっか。うん。星川さん、き、気をつけて」

 僕は頷いて、すぐに歩き出した。赤。地球の扉へ。

(だいじょうぶ。僕は、運が良い)

 そう、言い聞かせて前へ出ると、スピーカーから音声が流れた。

「コボレオチタミズ、サバクニシミコミ、コウゲンヨリワキデル、ヒトツノバショニトドマラズ」

 回廊の烙印が押された古びたスピーカーは、壊れたように何度もそう喋った。僕は、その言葉を聞きながら、躊躇することなく進み、扉を開けた。すると中は真っ暗だった。何も見えない。しかし恐れてはいけない。すみやかに進まねば、二人とも死んでしまう。僕は第一歩を踏み入れた。そして思い知った。

 部屋の中は暗かったわけではない。空間そのものが存在しなかったのだ。そこに在ったのは無限に広がっている闇。それに気がついた時は遅かった。僕はその深く冷ややかな無限の闇に向かって、既に取り返しのつかない重心移動をおこなっていた。前のめりに体が墜落を始める。

「いやぁーっ!」

 真愛の悲鳴が上からやってきて、僕を追い抜いた。僕は次第に加速度を増しながら、ひたすらに続く沈黙と暗黒の世界に落ちていく。

◇◇◇


「ねえ、聞いてるの?」

 目の前にはそういって小首を傾げる彼女がいた。ビルの屋上らしき場所。不規則に置かれた洗濯台にティーシャツや寝間着、タオルが干されていた。ピンク色の割れた洗濯籠が落ちていて、干からびた靴下のようなものが見えていた。僕らの周囲を金網フェンスが囲っていて、その外に塗装の剥げた丸環が並んでいる。

 なぜ、ここにいるのかがわからない。思い出せることもない。ただ僕は今イスに座っている。そして時折吹く風が揺らす、洗濯物をみていた。

「どうしてここにいるの?」

 僕は彼女に話しかけた。

「もう。あなたが自分で来たのよ。骨折した足で松葉杖を使って、エレベーターにのって、それから階段を一段ずつのぼってここまで来たの。誰に連れて来られた訳でもないわ」

 智茶都は溜め息を吐きながらそう答えた。 

「この手、と足、骨折してるの?」

 僕の右足には大きなギブスと包帯があり、左腕にも似たような処置が施されていた。

 智沙都はふぅ、と息を吐いた。

「そうですよ。骨折で全治六ヶ月以上」

 なにも思い出せない。だが不快感がない。

「じゃあ。なんで僕と智茶都さんが一緒にいるんだ?」

「その質問、昨日から三度目よ。今度同じ事聞いたらいいかげん私も怒るからね、もーう。

 ねえ、今度は先に自分で思い出してみて? なにも思い出せなかったらまた教えてあげるから」

 溜め息混じりにそう言われて僕は思い出してみた。僕にある彼女の記憶。

 思えばいつも嫉妬ばかりしていた。そして不機嫌になっては彼女を困らせる。智茶都と僕が交際していた二年の間。僕は年上の彼女にいつも甘えていたように思う。

 智茶都は友達や家族のことをとても大事にする人だった。自分が親を蔑ろにしていたつもりもないが、兄弟のいない僕にとって彼女の距離感のない家族との付き合い方は見ていてつまらなかった。その感情が嫉妬なのだと気がつかないまま。

 つまらないことで喧嘩をすると、彼女が先に折れた。僕がすねていても、機嫌を直すまで付き合ってくれた。僕は子供っぽく、嫉妬深く、彼女の行動を次々と制限した。小さなことでも勝手に疑心暗鬼になった。まともな恋愛をした事がなかったからなのか・・・。

 自分にはもったいないくらいの人が、自分を心から求めてくれている。どういうわけかその事が僕を息苦しくさせていた。

 やがて僕は、うまくバランスがとれなくなり、そして自滅するかのように彼女の元を去った。

◇◇◇




 彼女は何度か連絡をくれた。その度にとても胸が苦しくなったが自分では、どうして良いのかわからなかった。

 しばらくの後、智茶都から最後のメールが届いた。

「健之とお別れしようと決心がつきました。さようなら。でも。私は健之に会えて良かった」

 最後の言葉がとても印象深く、いつまでもあたまの中に残った。そのメールを読んでから、後頭部が漬物石でものったかのように重苦しかった。

 そして取り返しのつかないことをしてしまったのだと後悔した。


 その相手が今目の前にいる。それも昔と変わらない微笑をたたえて。

 なぜそれでは今、僕と彼女が一緒にいるのか? 僕は彼女と別れて、程なく事故に遭っている。

 勢い良く走ってくるダンプカーの前に、コントロール不能になったラジコンカーが進み出た。そしてそれを追ってコントローラーを手に持った少年が車道に飛び出る。それは僕の目の前だった。

 僕は工事現場のフェンスの前にいて、走れば少年を救える地点にいた。だがその瞬間、走っても彼を助けられなかったらどうする、それが元で二人ともが車に跳ね飛ばされる結果となったら。僅か一秒にも満たない刹那。僕がとった行動は勇敢に少年を助ける行動でもなく、「危ない!」と声を発することでもなく、ただ言い訳をいくつも並べることだった。その場に立ちつくしたまま。

 目の前でタイヤが高音の叫び声をあげる、少年はラジコンカーを拾いあげる途中の姿勢で硬直したまま、車が自分に向かってくるのを見つめていた。そして少年と車の衝突の瞬間。それよりも少し早く、さっきまで不自然に斜めになっていた鉄骨が、音もなくクレーン車のワイヤーをすり抜けて僕を潰した。


 そのあと、僕は長い暗闇の中をさ迷った。湿度が高くて、息苦しく、目を開けているはずなのに何も見えない。何も聞こえない。そういった空間に漂って、僕は死んだ事を実感した。そして色々なことを考えた。色々なことの終点はすべて一様だった。終点はみな後悔だった。

 自分の人生に意味はあったのか。親は悲しんでいるだろうか。お父さん、お母さんに申し訳ない。いったい僕は何を成し得たのか。色々な記憶が意識の上を通過するなかで、その言葉が最も強烈だった。その文字が何度も下から上へ、上に消えてはまた下から浮かんできた。

「健之に会えてよかった」

「健之に会えてよかった」

 映画のエンドロールみたいに。

 死んでまで後悔している。これほど辛いなら、なぜどんなことをしてでも彼女と共に歩くことをしなかったのか。少しの努力があればずっと彼女の隣で笑っていることができたのではないのか。どうしてできなかったのか。そんなことばかりが浮かんでは消えた。死んだ人間はもっと安らかに眠るのだと安易に考えて、死がこれほどまでに・・・、ん? まてよ。

「そうだ! 僕は死んだんだ。ここは天国か! まてよ、と、ということは」

 僕は体中から血の気が引くのがわかった。嫌な想像が頭を過ぎる。

「君も死んだのか?」

 慌ててそういうと、彼女はがっかりした表情をつくって失笑した。

「あ~あ。相当重症ね。先生の話しでは一時的なものだから、退院する頃には記憶は戻るだろう、って言ってたけど。もっと時間かかるかもね、この分だと」

「何のことだ? それより君はどうなんだ? 無事なのか?」

「はいはい。ありがとう。おかげさまで五体満足で暮らしております。でも、あなたは五日前に工事現場の前で事故に遭って頭を打って、それからここ最近の記憶がまったくないの」

 彼女の落ち着いた話かたで、事態はそれほどわるくないのだと理解できる。しかしそれにしてもまるで状況がわからない。大きく息を吐いて顔を少し上げると、大きな雲が二つに割れようとしているのが見えた。たしか・・・、僕はあの時鉄の塊を頭に受けたはずだ。工事現場まで歩いてくる時に、僕はクレーン車が吊った鉄骨をみていた。奇妙な角度で鉄骨が斜めになっていたので目に入った。だから頭上を覆った黒い影が、自身に覆い被さってくる直前にこれはさっきみた鉄骨だろうとわかった。

「僕が頭を打った? 打った、という程度ではないはずだ」

 僕の顔の近くで、智茶都は小さい溜め息をついた。

「ダンプカーにひかれそうになった小学生の男の子を健之が助けたの。それでその男の子、光君ていうんだけど、健之は光君の代わりにはねられたのね。光君は健之に跳ね飛ばされて軽い打撲。健之は骨折と、一部の記憶がなくなった。でも健之が走り出した時にね、頭の上に工事現場の機械用足場が倒れてきていたらしいの。だからその時健之が光君を助けようと思わなかったら、健之は死んでたらしいよ。歩道のガードマンの人がそういったらしいわ。歩行者をとめなければいけないもう一人の誘導員さんが真っ先に逃げてしまって、それが倒れてくる場所には健之だけが立っていたらしくて。

 機械用足場横転っていうニュースになったの。でもいつのまにかその横転事故のことより、健之の事故のほうが騒ぎになっちゃって」

「え? 僕がさわぎになった?」

「そう。あなた新聞や雑誌にたくさん載ったのよ。小さな記事だけど「記憶と引き換えに少年を救う」って見出しつけられて。この病室にも何人か取材の人がきたのよ。

 僕の記憶がないのは、直近の数週間ほどだと彼女はいった。それ以前はしっかりしていると。頭部に衝撃を受けて健忘症という症状が出ることは知っているが、数週間も思い出せないというのはどういうことなのか。それに僕が潰されかけたのは落下した鉄骨ではなく、倒れてきた足場だ、という。

「ねえ。私が健之にこの説明をするのは四回目ぐらいよ? あなたは寝て起きると必ずもう忘れていて、今みたいに同じ質問するの。今回なんてそこに座って、少し転寝しただけで、いきなりスタート地点に戻ってるし。少しは私の苦労もわかって?」

「僕が少年を助けた? それは、なにかの間違いだ・・・、でも、どうして? どうし」

「どうして君がいるの? でしょ?」

「あっ。うん」

 彼女は、聞きわけの悪い弟にでも、言い聞かせるような顔でこたえた。

「今度はちゃんと覚えてね、もう。これ説明するの恥ずかしいんだから」

「私と健之が、善福寺の近くの公園で喧嘩したところまではおぼえてるでしょ? 健之がもう別れる、とか勝手に言い出していなくなっちゃった」

 僕はうなずいた。覚えているに決まっている。これほどの後悔を人生に携えた事はないのだから。

「それからしばらくしてあなたが訪ねてきたの。ごめんなさい、て」

「そ、それだけ・・・?」

「お気に召しませんか? ごめんなさい、の続きもありますがお聞きになりますか」

「そ、そうなんだ。うん、続きはいいや。十分」

 そこまで聞いただけで恥ずかしくなり、下を向いた。

 だがどうであろう。我ながら自分の行動とは思えない。智茶都に対して素直に謝り、そして子供の命を救う? この僕がか。

「うそみたいだ」

 半信半疑ながらそれらの話は「最も僕が理想的とする選択肢」その選択行動とその結果ばかりだった。少しずつではあるが喜びがこみ上げてくる。

「でもね、わるいことばかりじゃないわ。同じ説明するの」

 智茶都が目線をおとしてそういった。洗濯物を揺らしながら爽やかな風が通り過ぎる。

「どうして?」

「一通り話し終わると、健之が毎回今みたいな顔するから」

「今みたいな顔?」

「うん。恥ずかしそうに・・・、でも嬉しそうな顔」

 頬をつねっている僕に向かって智茶都がそう言った。顔をみ合わせて笑う。智茶都の髪が揺れて長方形の細長いピアスが見えた。

(ああ、そうだ。これを買うのはとても大変だったんだっけ)

 生まれて始めて一人で行った百貨店の貴金属売場。「贈り物でございますか?」と話しかけられる度に額の汗を拭いた。店を出た時には脇も背中も冷たかった。だがその包みを開けた時の智茶都の顔は忘れらない。

「さあ、あんまり外にいると看護師さん達に心配されちゃうから。戻ろう」

 智茶都がそういって、先に屋内へと続く階段室の踊り場に歩いていった。

「段差があるから気をつけて?」

(そう。この笑顔だ)

 僕にとってこの上なく大切なもの。

 僕は立ち上がって、身長に松葉杖を抱えた。そして片足で一歩。また一歩とゆっくり歩いた。胴に巻かれた布製のコルセットのせいで歩きづらい。だが骨折して足が不自由なことなど、どれほどであろう。僕はこれほど大事なものを失わずに、今もここにいるのだから。

「気をつけてね。ゆっくりで良いから」

(そうだ。この立ち姿)

 いつも主張しない服装、で、あるのにとてもおしゃれな女性に見えてしまう彼女の立ち姿。その細い胴回りには、フロントに大きなブラントロゴがついたベルトが通っていた。ロゴマークは鏡面仕上げされたステンレス製で「電車の吊革につかまってるとね。座ってる人が私のベルトで髪型チェックしたりするんだよ?」そう智茶都が話していたのを思い出す。

 そして智茶都のベルトの鏡面には偶然に写っていた。僕の死角でしゃがみこみ、僕を待ち伏せているのであろう男の姿が。

(まさか、あやめる番人!)

 瞬く間に回廊、という記憶が蘇る。だが次の瞬間視界が暗闇に覆われた。

◇◇◇

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