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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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第七話(最終)表舞台に現れ出づる



「ルカ様もこちらにおいでとは存じ上げませんでした」


 黒の教皇ヒヨリ付のシスターレミィは、出されたお茶にホッと一息ついて穏やかな笑みを浮かべて静かに述べた。

 だがその表情には疲れが滲む。

 パッと見た感じでは気付きにくいが、足下や黒に近い濃紺の修道服のトゥニカの汚れを見るに、強行軍でここまで移動してきたことが窺えた。

 ルカは無表情のまま対面に座るレミィを見据える。

 今この時にバルチェスタからわざわざやって来たヒヨリの腹心への警戒は非常に強いが、警戒心関係なくルカはいつも無表情なので怪しまれることはないだろう。

 隣に座るアネリーフェはルカとは対照的に不安げな表情を隠しもしない。

 ルカと違ってヒヨリに近しい位置にいた二人はそれなりに親しいのだろう。


「それで、教皇様付のシスターがこんな遠いところまで何故やって来た?」


 慎重に言葉を選びながら問いかける。

 ルカは、バルチェスタで起こった事を知っている。

 アザレアやディラード、シスターテレシアから計画を聞かされていたし、ヒヨリが黒の聖女セレーネに身体を奪われたことも、彼女を最奥の間に縛り付けていること、ガルシアを始めとするセスパーダ(教会執行機関)の管理官達が全員命を落としていることも知っている。

 セレーネが自らを女神セレスフィーネだと名乗りシュエルディスタ(修道女機関)を支配し、それをロレッティオが潰したこともディラードから共有されている。

 ただ、ランチェスやアネリーフェ達には伝えていないだけだ。

 アネリーフェがここへやって来た理由も、ヒヨリから遠ざけ今回の騒動に巻き込まれて命を落とすことを回避するためだ。そうする程度にはアネリーフェはディラードに重宝されているし、ルカも同じ気持ちだ。

 故に、本部にいて諸々を知っている筈のレミィの来訪に警戒していた。

 突然のことだったので、ディラード達に彼女のことを確認する暇がなかったし、ルカはこれまで彼女の存在など気にも留めていなかったので情報がない。それが心配だ。

 彼女は誰の味方で何のためにここにやって来たのか。

 状況によっては消さねばならない。

 無表情でそんな危険なことを考えているルカに気付いていないのか、あるいはわかった上であえて気付かぬように装っているのか。ヒヨリのお気に入りが愚鈍な訳はないので、気付かないフリであればやはり警戒に値する。

 レミィはルカの質問に、カチャリとティーカップをテーブルに置くと居住まいを正した。


「コルテリオのお二人は、バルチェスタで何が起こったかをご存じでしょうか」

「いいえ。ここでは何の情報も入らないの。ぜひ教えて欲しいわ」


 幾分食い気味に尋ねるアネリーフェに、背後に立つバイセンが気遣わしそうにぴくりと動いたのがわかった。彼も事実は知らなくとも何らかの良くないことが起こっていて、妹のアネリーフェが巻き込まれることを恐れているのだろう。

 レミィは微笑を貼り付けたまま不安げなアネリーフェをジッと見つめ、瞬きを落としてルカを窺った。その視線にはなんの感情も見られない。

 ふ、と吐き出された吐息には、どこか自嘲めいた響きが感じられた。


「ヒヨリ様は——セレスフィーネと名乗る神に身体を奪われ……お隠れあそばされました」


 ひゅ、と息を飲んだのはバイセンとランチェスだ。

 ルカは僅かに眉をひそめてレミィを見据える。

 アネリーフェはすぐには理解出来なかったのか、目を瞬いてレミィを見つめている。


「……え? お隠れ……?」

「神に身体を奪われたというのはどういう意味だ。正神殿の神か?」


 ディラードから話は聞いているし、そのセレスフィーネとやらが千数百年前にアザレアと敵対した異世界の聖女だということももちろん知っているが、初めて聞いたような反応を心がける。

 誰がどのような情報を齎すのかを知ることも重要だ。それによって、敵か味方かの判断がつく。今の教会には必要なことだ。 

 ルカの問いに、いいえ、とレミィは緩く頭を振った。


「アネリーフェ様はご存じかと思いますが……ソリタルア神の預言を受けた教皇様は、体調をお崩しになった」

「ええ……聖女……御使い、が、治療を行って……」


 レミィの言葉にアネリーフェがぽつりぽつりと言葉を返す。だがまだ事実を理解していないように見えた。


「その時に、何かが教皇様に()()()()()()()()、とお聞きになったのはアネリーフェ様でした」

「……! ま、さか……」


 愕然として口元を覆ったアネリーフェに、はい、とレミィが頷く。


「その教皇様に取り憑いていたモノが、教皇様のお身体を奪ったのです」


 声にならない悲鳴を飲み込み、アネリーフェが口元を押さえたまま身体を震わせる。


「そんな事が可能なのか……?」


 実際に見ていないルカも、話に聞いただけではよくわからなかった部分だ。故にするりと疑問が口を突いて出た。

 レミィはルカに向き直り、疲れたような笑みを浮かべた。


「私は使いに出されていたため場面を見ていません。ですが、その場に居合わせたダルセニアン様にお話しを伺ったので確かなことです」


 ダルセニアン——死の森討伐にも参加した東方方面騎士団長だ。

 その彼が言ったのであれば嘘ではあるまい。


「最奥の聖堂で、死の森討伐が無事に済んだことの感謝を捧げておられた広間に、突如魔法陣が浮かび上がり、その場で共に祈りを捧げていた者達を糧になんらかの魔術が発動したとのことにございます。教皇様の声なき悲鳴を、ダルセニアン様はお聞きになり、その身体が教皇様とは似ても似つかぬ女の姿に変容したのだと話してくださりました」

「そ、そのようなことが……!」


 あまりに驚いたのか、常であれば立場を弁え本部の者との会話に口を差し挟むことなどしないランチェスが、驚愕の声を上げて動揺している。

 ふむ、と顎に手を当て考える。


「……まだ存命であられる可能性は?」

「……あり得ない、と」


 今にも泣きそうな顔で笑ったレミィにルカも押し黙るしかなかった。

 教会騎士団のダルセニアンは嘘などつくまい。

 彼がその場を見てそう判断したのであれば、間違いなく命を落としたのだろう。アザレアは言葉を濁していたが、今回の作戦でヒヨリが命を落とすのは織り込み済みだとディラードは言っていた。そこにルカも思うところはない。この教会とシスターテレシア達が無事であればそれでいいのだ。——まあ、今はそこに僅かながらもアザレアの無事が入っているのは、テレシア達のためだ。


 故に、ヒヨリの事は残念だとも思っていない。姿も変わらず長く生きてきたという者故に、常では考えられない方法で命が終わっても不思議ではない。そもそもの存在が不思議であったのだから。ただ、身体を乗っ取られただけでヒヨリが本当に命を落としたのかを危惧していた。万が一にも乗っ取ったというセレーネをアザレアが討ち果たした後にヒヨリが復活し、害になるなら厄介だ。

 だが、その場面を見ていたダルセニアンがそう断言したのなら、ヒヨリは確実に死んだのだ。


「本部はどう動いているのだ。アザレア様が聖女であると公表されたのだ。その女は騎士団に討たれたのか?」


 最奥の間に縛られ、その後はどうなっているのか。

 彼女は、レミィはその情報を掴んでいるのだろうか。そして、その話をここでする目的はなんだ?

 ルカはモノクルに手を触れ、レミィをひたりと見据える。彼女の表情からは、ヒヨリを喪った悲しみしか汲み取れない。


「その者はアザレア様のお力により、最奥の間に今も縛り付けられています。ですが、その者を信奉する裏切り者がまだ教会内部にいます」

「う、裏切り者!? 何故です! 教皇様のお身体を乗っ取った者の味方が、何故に既に存在するのですか! そういった者はルカが——コルテリオが討ってきた筈ではないのですか!?」


 叫んで身体を乗り出したランチェスを、バイセンが慌てて止める。バイセンも動揺を隠せていないが、彼が気にしているのはランチェスでもヒヨリでもなく、真っ青な顔で黙り込んでいるアネリーフェだろう。


「上手く隠れていたのだろう。教皇様すらご存じなかったのであれば無理もない」


 ここを発つとき、アザレアが最も警戒していたのはヒヨリだった。正確には、ヒヨリに取り憑いたセレーネなる古の聖女を警戒していた。その者は魔王と同様、この世界やソリタルア神にとって恐るべき敵なのだと話してくれた。セレーネなる者があのヒヨリの上手を行く者であるならば、非常に厄介な話だ。


「そ、そんな……っ、……アザレア様は、ご無事だろうか……」


 ぎゅうっと拳を握り締め、俯き唇を噛み締めながら呟いたランチェスをチラリと見遣り、レミィを再び見据えた。


「それで。教皇様付であった者がわざわざその事を伝えに来たのか? ディラード隊長から裏切り者を駆除するような指令でもコルテリオに下ったか? ——まあ、そうだとしても、まずお前が裏切者ではないという証拠がないがな」


 冷ややかな口調で問い詰めるようにそう言い放つ。

 その声音にランチェスが驚いたように顔を上げたのがわかったが無視しておく。

 隣のアネリーフェは未だ茫然とレミィを見つめているだけだ。

 こちらの疑うような視線を真正面から受けて、レミィはしばし無言でルカを見つめていた。

 瞬きを落とし、寂し気な笑みを口元に浮かべる。


「教皇様付であってもシュエルディスタ出身であった者は、今も本部の監視下に置かれています。……私がシュエルディスタの所属ではないと述べたところで、ルカ様の疑念を払拭できるとは考えていません。何より——私はディラード隊長やアザレア様に断りを入れてここに来た訳ではありませんから」


 勝手にやって来たという言葉に眉をひそめて睨みつけた。


 こちらが疑っている事を知りながら、勝手に動いたことをここで暴露する狙いはなんだ?

 あえてここで疑われることを強調することで信用を得ようとしているのか?

 ルカが冷ややかな空気を纏ったままレミィをひたりと見据えれば、彼女は何かを堪えるようにルカの目を見つめ返し、ふいと視線を逸らしてアネリーフェを見つめた。


「私はただ……アネリーフェ様にお会いしたかった」


 膝の上で拳を握り締め、未だ茫然としたままのアネリーフェに訴えるように呟く。

 唇を戦慄かせ、震える声で紡ぐ。


「アネリーフェ様ならば……私と、同じ気持ちで——悼んで、……くださると……」


 ぽろり、とひと雫の涙がレミィの瞳から零れ落ちた。

 その涙に、アネリーフェが息を呑んだ。

 レミィが瞬きをするたびに、涙がぽろぽろと零れ落ちる。まるで今までずっと我慢してきたのだと言わんばかりの大粒の涙を溢しながら、レミィはただひたすらにアネリーフェを見つめていた。


「誰も……誰も、教皇様の、死を悼まない……現れた脅威の、話、ばかり。あの方は、……これまで、教会のために、尽力っ、されて、きたというのに……っ」

「レミィっ……!」


 アネリーフェがガタリと立ち上がり、その小さな身体でレミィを抱きしめた。


「アネリーフェ様ならっ……共に同じ気持ちで、教皇様にお仕えしていた、アネリーフェ様ならっ、……私の気持ちを、ただしく、ご理解いただけるとっ……」


 一言吐き出したらもう止まらなくなったのか、レミィが声を震わせながらアネリーフェに縋り付いて慟哭する。


「教皇様がっ……ヒヨリ、様が、もう……いらっしゃらない、など……! そのご遺体すら、ないなど……」

「レミィ……!」


 ようやくアネリーフェも実感したのか、はらはらと涙を流しながらレミィを抱きしめる姿に、背後のランチェスが腕で口元を押さえて二人から背を向けた。


「っ……!」


 二人に感化されて泣いているらしい。声を出して邪魔をしないように腕を嚙んで堪えているのを見て内心で嘆息する。

 相変わらず単純で感化されやすい奴だ。

 普段は弱みとなる感情を表に出さないアネリーフェがこうやって周囲を憚らず涙を見せるのは珍しい。

 レミィの感情に引き摺られ、ヒヨリが亡くなった事実を否応無しに突き付けられ受け止めた結果か。

 ああ、だが涙するというのは感情を整理する上では重要な事だ。これで今後アネリーフェが使い物にならない状態になることはあるまい。

 冷静にそう分析しながら、ルカはお茶を飲みながら二人を眺めていた。


 ——背後からの隠しきれない嗚咽は聞かなかったことにしてバイセンを盗み見れば、こちらはランチェスと異なり複雑な感情を瞳に浮かべて二人を見つめていた。

 どれぐらいそうしていただろうか。

 二人がようやく泣き止み、視線で何かを語り合うのを黙って見ていたルカは足を組み直し、カチャリと音を立ててカップを置いた。

 その音に二人の注意がルカに向く。


「——もういいか」

「……っ、これは、失礼いたしました……お恥ずかしいところをお見せして」


 アネリーフェから身体を離して涙を拭い、レミィが苦笑しながら謝罪する。


「相変わらず冷たい物言いね」


 不満そうに唇を尖らせ、ルカの態度に呆れたように返すアネリーフェはすっかりいつも通りだ。

 何を今さらと肩を竦めて見せて、ジロリと背後を睨みつける。


「お前もいい加減泣き止め。見苦しい」

「ふぐぅっ……、ぐぅぅ、そ、うは言うが……」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔に頬が引き攣る。

 大の男が泣きすぎだろう。


「ふふっ、ランチェスったら酷い顔」


 アネリーフェとレミィが屈託なく笑えば、ランチェスがわたわたと慌てて掌で顔をゴシゴシ擦ったためさらに酷い様相を呈する事になり、ルカは頭を押さえて大仰に溜息を吐いた。


「……貴様はまず顔を洗ってこい」


 顔を洗ったランチェスが戻ってくると、場を仕切り直すようにルカは嘆息して改めてレミィに目を向けた。


「来訪理由は理解した。それで今後どうするつもりだ。ここに修道士と子供を連れて来ていただろう」


 そう。この女は一人ではなかった。


「修道士はアネリーフェ様直属の方です。彼らもアネリーフェ様を心配されていたので、私の護衛を兼ねて共に参りました。子供は、教皇様が面倒を見ておられた教会内孤児院の年長の子です。お手伝いが出来ると思いまして」


 修道士はわかるが孤児院の子供を連れてくる意味がわからない。


「教皇様のために何かしたいと懇願されたのです」


 ルカの疑問を読み取り、レミィが微笑しながらそう話す。


「ある程度の訓練を積んだ者です」


 付け加えられた言葉に目を細める。

 再び厳しくなったルカの空気に、レミィが笑みを深くした。


「教皇様の手の者は地方にもおられます。彼らをまとめ上げ教皇様の無念を晴らすため、動きたいとお考えなのです」

()()だ」


 ヒヨリの忠実なる犬であったガルシアは命を落とした。

 まだ他にもヒヨリに傾倒する権力者がいたとは驚きだ。あるいは——単にその勢力を取り込もうと目を付けた者がいるのか。

 ルカの鋭く殺気を伴った言葉に臆する事なく、レミィは静かに目を瞬いた。


「アザレア様を害したりお立場を奪おうなどと考えている方ではございません。——ただ、今回の事態は急なことでしたので、私を含め教皇様を慕う者達はこれからどうすべきなのか戸惑っているのです」


 それはそうだろう。教皇の子飼いの者達ならば独自の指揮系統があった筈だ。彼らからすれば突然指揮系統のトップ連中が軒並みいなくなったのだ。惑うのも当然で、瓦解を防ごうと動く気持ちもわからないではない。

 ——だが。


「その者達が教会の害にならないとは言えないな」

「ルカ!」

「お気持ちはわかります」


 咎めるアネリーフェとは異なり、レミィは静かに頷き理解を示した。


「この説明だけでルカ様に信用いただけるなどと考えてはおりませんし、信用を示される事の方が恐ろしく感じますわ」


 疑われた方が安心すると言われて閉口する。


「しばらくはこの教会を拠点とさせていただければと考えております。私の事はすべてディラード隊長にご報告いただいて構いません」


 後ろ暗いところはございませんのでどうぞご随意に、と微笑されて目を眇めて見据える。

 なるほど。さすが教皇のお気に入りだっただけはある。

 ルカがディラードと連絡を取り合っている事は既に把握済みか。ならば、今回の事態についてルカが既に承知していたことも知っていたのだろう。

 アネリーフェが知っていたのかと咎めるような視線を投げて来たがスルーしておく。


「動いているのはお前だけなのか」


 アネリーフェの険しい表情を受け流しながら教皇の勢力を把握するため尋ねれば、レミィは肯定も否定もせずに曖昧に微笑した。


「今は信用できる者を慎重に見極める必要がございます。——時に、セレスフィーネなる者の恐るべき力についてはお聞き及びでしょうか」

「恐るべき力?」

「……信仰を書き換えるというものか?」

「信仰を書き換える?」


 眉根を寄せて答えたルカに、レミィは頷きアネリーフェは首を傾げた。


「我々のソリタルア神への信仰心を、そっくりそのままセレスフィーネという輩への信仰心に書き換える力を持っているそうだな。そのせいで迂闊に近付けないと聞いている」


 ディラードやアザレアが一番気にしている点だ。話を聞いただけではピンとこないのだが、随分と警戒していた。


「そんな事が可能なの? 洗脳や隷属紋とはどう違うの?」


 アネリーフェが訝る気持ちもわかる。ルカだって未だ半信半疑だ。


「根本から異なります。それは、術とは無関係なので解けないのだと聞いております」

「解けない……?」


 それが本当ならば厄介なのは確かだ。それをされてしまうと、本人には書き換えられたことすらわからないのだとディラード隊長が言っていた。


「解けない事はないが、御使いや剣聖の力が必要であった筈だ。最奥の間で書き換えられた衛兵たちを元に戻したと聞いている」


 そう話してやれば、アネリーフェが眦をキリリとつり上げて、不機嫌を隠しもせずにルカを睨み付けてきた。色々情報を得ていながら、僅かたりとも情報共有をしていない事がわかったからだろう。


「さすがはルカ様。その通りでございます。そして——ロレッティオ様がセレスフィーネの手に落ちました」

「……殺されたのか?」


 それは初耳だ。

 どこで知ったのか、ルカがディラードから話を聞くよりも前に、教皇はセレーネの操り人形で教会を裏切っていると、怒り狂ったロレッティオがここにやって来たのはそう昔でもない。シュエルディスタを襲撃したことから考えれば、怒りに任せてセレーネに突撃しても不思議ではない。

 だが、そんな話はディラードからも聞いていない。


「いいえ、命はご無事です。ロレッティオ様はシュエルディスタ強襲後、お一人で最奥の間のセレスフィーネの元に赴き、返り討ちにあって信仰心を書き換えられてしまったようです。斬られたノトアディスタの者がそう証言したので間違いございません」


 ——ロレッティオが信仰心を書き換えられた?


 呆れるほどソリタルア神を敬い敬虔で苛烈な信徒であるロレッティオが?

 あの男がソリタルア神以外を神と仰ぐなどあり得るか?

 だがもし、それが本当であれば。

 背筋に薄ら寒いものを感じて知らず拳に力が籠もる。


「それが本当ならば……そのセレスフィーネの力は侮れないわね……」


 アネリーフェも顔を強ばらせ、ごくりと息を飲んでそう呟いた。

 あの男のイカれた信徒っぷりは誰でも知っている。その対象がソリタルア神からそのセレスフィーネにそっくり移ったなど……そのような事が本当に可能だとするならば、許し難い所業だ。

 セレーネへの恐れと同時に、沸々とロレッティオへの怒りも湧き起こる。


 何をやっているんだ、アイツは! また単独行動で足を引っ張るのか!

 返り討ちにあっただと? ハインリヒの時にラースを失った失敗から何も学んでいないのか!


 内心で盛大に舌打ちを落とし、感じた不安を怒りで上書きする。

 ディラードはあえてその情報をこちらに流さなかったのか、それとも流す間がなかったのか。あるいは……。

 ルカは腕組みをして口元に手を当て考え込む。

 アネリーフェもそんなルカの様子を窺いながら、レミィに視線を向けた。


「ロレッティオは今どこに?」

「行方知れずです」


 そうだろうとは思ったが、やはりそうかと二人とも頭を押さえてため息を吐いた。ディラードからも最近は独断で色々動いているとは聞いていた。元々自由奔放なところがあったが、ラースがいなくなってからは拍車がかかっていたという。それを見過ごされていたのは、教会の害になることをしないという信頼からだ。

 それに、アイツの性格から言ってセレスフィーネなど許せるはずがない。

 大人しくしていろと言われても無理な話だ。


「……次に会ったときは要注意だな」

「いきなり攻撃を仕掛けてくるだろうか」


 不安そうなランチェスに、それはないだろうと頭を振る。アネリーフェもないでしょうとルカの意見に同意を返した。


「あれで抜け目ない奴だ。こちらを害すのか仲間に引き入れようとするかで対応が変わるだろう。だが、こちらも最初は知らぬふりで対応して奴の出方を見るのが重要だ」


 それによりセレスフィーネとやらの思惑も知れる、筈だ。操られていると一目でわかる状態なのか、本人の思考や性格は残っていて信奉する神だけが変わっているのか。あるいはセレスフィーネに行動を縛られているのか。今後のためにも見極める必要がある。

 厄介だが。


「し、知らぬふり……」


 むうう、と唸ったランチェスを、アネリーフェがクスリと笑った。


「ランチェスには難しい話ね」

「確かに、隠し事ができない性格だからな」


 バイセンにも苦笑され、ランチェスがさらに苦渋に満ちた顔をしたのを見て、ルカも肩を竦める。


「派手に驚くだけ驚いて、余計な事を言わずに俺の元に誘導すればいい」


 お前に多くは望んでいない、と冷ややかに言い捨ててやれば、何故だかランチェスがぱあっと嬉しそうに笑った。貶したのに何が嬉しいのかめでたい奴だ。

 ふん、と鼻を鳴らしてレミィに向き直った。

 レミィの背後にいる者が誰なのかを誤魔化されたままだが、今はいい。ここに滞在するというのであれば見極めてやろう。ディラード隊長がレミィについてどこまで把握しているのかを確認しておく必要がある。

 それに、ルカにとってはセレスフィーネよりもこの地にある魔王の塔の方が重要だ。

 町に集まっている冒険者達が塔周囲の魔物を駆除しているし塔から魔物が出てくることはないが、魔王の塔の探索は遅々として進んでいないと聞いている。

 西大陸に続きクレーベルに出現した塔も突然消えたのだ。理由はわからないが、魔王の意図であれば油断はできない。

 この地にはルカが守るべき教会とシスターがいる。

 アザレアもここを守ることに尽力していいと言ってくれている以上、本部のゴタゴタに積極的に関わるつもりはない。


「では私はレミィ達が滞在する部屋についてシスターノリアに相談してくるわ。バイセン、ここに来ている修道士から話を聞いておいて」

「わかりました」

「俺も行こう」

「ルカが行くなら私も!」


 話は終わりだと立ち上がり、さっさと扉に向かうルカの背に「ありがとうございます」とレミィのホッとした声がかかった。


「ルカ様やアネリーフェ様であれば、絶対に教会の味方だと思っていましたが、少し不安だったのです。ここにいる間は私にできることはお手伝いさせていただきます」


 ルカは肩越しにレミィを振り返り、冷ややかな視線を投げた。


「俺はまだお前を信用していない」

「ルカ!」


 アネリーフェが咎めるように叫んだが、それを無視して睨み付ける。


「ええ、心得ております。重要なお手伝いは信をいただいてから。この教会はシスターも少ないのですよね。しばらくは掃除洗濯炊事などのお手伝いをさせていただきますのでご安心ください」


 立ち上がり、胸に手を当て微笑する姿に何も返さず、鼻を鳴らして部屋を後にした。ランチェスとバイセンが後に続く。

 ロレッティオがここに現れるかはルカにもわからないが、優先順位を違える気はない。この教会は巻き込まれぬように何者からも守りたい。ただそれだけだ。


 ——だが、この想いさえも書き換えられるとしたら、それは恐ろしいな。


 感じた不安が背中にのし掛かるように張り付き、それを振りほどけぬまま、ルカは歩を進めた。



 * * *



 ゼノとリタは、最初に転移してきた時と同じ部屋に案内された。

 普通にこの都市を出て行くか、ギルドの転移陣でルクシリア皇国に戻るのかと考えていたが、ここへ通されたということは、ノクトアの転移魔石を使うようだ。


「ハインリヒから何か連絡はあったか?」


 部屋にいた女将に尋ねれば、直接は何も、と微笑を返される。


「ただ、こちらの転移魔石で移動してもらうようにと言付かっているだけさね」

「もう都市を出てもいいって?」

「すべて片付いたからねぇ」


 晴れやかな笑顔の女将に肩を竦めてみせたのは、やはりハインリヒからある程度は話を聞いていたのだろうとわかったからだ。上手く躱すのは女郎の得意技だが、アザレアといい女将といい、この手のタイプには手玉に取られる事が多いので微妙な心持ちになる。


「フランシスの事はよろしくね。ルルノとロロマにも頼んでるんだけど、お子ちゃまだからよくわかっていないと思うの」


 リタの言葉に一緒に部屋にやって来た黒鳳蝶が口元を押さえて、ふふ、と笑った。


「セリオン殿は見ものでござりぃしたね」


 その時の事を思い出しているのだろう。その気持ちはゼノもわかる。

 フランシスはセリオンと友達から始める付き合いをする事にしたという。

 今と何が違うのかよくわからなかったが、セリオンが舞い上がっていたので二人の関係は一歩前進したのだろう。ゼノからすればわざわざ面倒な事をと思わないでもなかったが、色恋が絡むことに第三者が口を挟むものでもない。注意すべきだということは既に伝えているのだ。あとは当人同士の話だろう。

 だが同じように心配したリタが、なんとルルノとロロマにセリオンがフランシスを困らせないように見張っておいてと「お願い」したのだ。

 人から頼られる事が嬉しかったのか、二人が大喜びで快諾し、どんな事がダメかをリタに事細かに叩き込まれていた。詳しい内容まではゼノは知らないが、ルニエットがドン引きしセリオンが「そんな事まで!?」と青い顔をしていたので、かなり細かかったに違いない。


 アインス達っていうストッパーがいねぇからな……


 オードレンも楽しそうだったので、やり過ぎている訳ではないだろう。きっと、多分。

 まあ、女性の扱いについてリタに語らせたらどうなるかはおして知るべし。ゼノは絶対に口を挟む気はない。ルルノとロロマはきっと女性に優しい魔族に育つだろう。


「ええ、もちろん。魔族にフランシス嬢の味方がいると分かっただけで心強い話だよ。ふふ、それにしても、あの魔族っ子達が随分と御使い殿に懐いたもんだねぇ」

「あんなに怯えてたのにな」


 そこがゼノには謎だ。

 ロロマはリタが怒った姿を見ていないのでわかる。だがルルノはあんなにも怯えていたのによくわからない。何か仲良くなるきっかけでもあっただろうかと首を捻るばかりだ。

 ゼノは知らない。

 二人の中のヒエラルキーで「ゼノよりもリタの方が強い」と位置付けられてしまったことを。故に、リタに従えばゼノはなんとかなる、と思われていることを。


「あの子達は見込みがあるわ。とても飲み込みが早かったもの」


 まあ、オードレンが何も言わなかったのだ。ゼノが口を挟むことではあるまい。


「今回も花街のために動いてくれて助かったよ、ゼノ殿。お陰様で通り魔に怯えなくて済むようになった」

「どうせハインリヒのこった。魔剣も噛んでるって知ってたんじゃねぇのか」

「さぁ、どうだろうねぇ」


 艶やかに笑う姿は、さすが花街一丁目黒蝶屋の女将だ。

 色々知っていたとしても言うまいよ、とゼノは肩を竦めた。


「まぁいいさ。とにかく帰るぞ。アーシェ達もそろそろ皇国に戻る筈だしな」


 先日連絡をとったところでは、まだタケルと一緒にいるようだった。国元でアーシェ達に会ったらしいサントリノ商会のアンドリューから、しっかりした娘さん達だと褒められたのはゼノも鼻が高いが、ゼノが留守にしていたために娘達に面倒をかけてしまったのを申し訳なく思う。


「もうちょっと黒鳳蝶達と一緒にいたかったけれど、気になる事もあるものね。また絶対に遊びにくるから!」


 名残惜しそうに黒鳳蝶の手を握り、別れを惜しむリタの首根っこを掴んで、ゼノはさっさと女将の掌から転移魔石を手にとる。


「ほれ、帰るぞ」

「ちょっと! どこ持ってるよの!!」


 むきぃっと暴れるリタの手を避け転移魔石を叩きつけようと手を上げれば、黒鳳蝶と女将が深々と頭を下げた。


「ゼノ殿、御使いさま。ほんにありがとうござりぃした。またのお越しをお待ちしておりぃす。ご武運を」

「御身、大切に」


 丁寧な見送りに、ゼノも笑顔を返した。生憎両手が塞がっているため手を振れないが、ああ、と鷹揚に頷き返した。


「息災にな」

「二人とも元気でね! 絶対にまた遊びに来るから——」


 足元に叩きつけた魔石が起動し、リタの最後の言葉をかき消す。

 足元に現れた魔法陣から眩い光が発し、それが収まった瞬きの間に二人の姿はそこから消え去っていた。

 それを見届けて、黒鳳蝶が物憂げな溜息を落とした。


「便利でござりぃすが……なんとも味気ない別れでありぃすね」


 去り行く背中すら眺められぬとは、と溢れた吐息に、女将が肩を竦める。


「効率を重んじる情緒のない男の命で開発されたものだからね、当然さ」


 利があれば手助けはしてくれるが、いいように振り回されるのはいつもの事だ。

 ゼノ殿も気の毒に。

 預けられた魔石の転移先が、ルクシリア皇国でないことをついぞ告げることは出来なかった。

 ゼノよりもハインリヒ(あの男)の機嫌を損ねる方が面倒なのだから仕方ない。心の中で堪忍だよ、と手を合わせ、女将は未だ名残を惜しむ黒鳳蝶の背を押し、部屋を後にした。




 転移の揺らぎが収まり、ひやりと冷たい風を感じてゼノはそっと目を開けた。

 目に飛び込んできた針葉樹の木々に、森の中かと周囲を見渡す。これまでハインリヒから渡された場合は室内への転移が多かったので、外は珍しいなと頭をがしがしとかく。


「……どこかしら、ここ」


 リタも数歩進んでぐるりと周囲を見渡した。

 周囲には木々しかなく、道どころか目印となるものも見えなくて途方にくれる。

 どことなく見知った空気を感じたが、それがどこだったかまではゼノも思い出せない。


「ここからどうしろと?」

「何考えてるの、あのストーカー。こんな所に転移させてどういうつもり?」


 リタの口調も自然と厳しいものになる。


 ふふっ。


 それは微かな声であったのに、不思議にはっきりと二人の耳に届いた。


「!」

「っ!?」


 すぐに二人は背中合わせに周囲を素早く見渡し警戒する。

 人の気配も魔族の気配も感じられない。

 遠くで囀る鳥の鳴き声と緩やかな風に揺れる葉擦れの音が響くだけだ。


 ——いや、いる。


 神経を研ぎ澄ませ、それを感じる。

 悪意も敵意も感じない。

 だが、こちらの様子を窺い見ているのがわかる。

 こちらが気づくか気づかないかのギリギリまで魔の気配を削ぎ落とし、試しているかのような態度。

 実に魔族らしいと言うべきか。

 それを捉えた瞬間に、懐から取り出したナイフを投げる。

 見極められたナイフは、そのまま空中でピタリと止まった。

 ゼノの動きにリタもそちらを振り返る。


「——()()()()だね、ゼノ」


 周囲と同化していた姿が、その声を合図にゆるりとそこに現れた。

 その、本来であれば存在しない筈の男の姿に目を瞠る。


「直接あい見えるのは、ざっと二百十五年ぶりかな?」


 楽しそうに笑う男と会ったのは、確かに遠い遠い昔の話だ。

 後ろでひとつに束ねられた肩までの緩いウェーブのかかった黒髪は、一房だけ顔の横に落ちている。研究者よろしく白衣を纏ったクライツと同じ年頃にしか見えない男。男の語った通り、二百年以上昔に会った時と変わらぬ容貌。


 ——君も知る者の筈だが、君が会った時の姿と名ではないかもしれないな


 自然と思い出されたハインリヒの言葉。そして最近聞いた名前で連想した男だ。


「ノクトアの、ベドフェリオン……」

「え? 彼が?」


 思わず呟いた言葉にリタが驚き、男――ベドフェリオンは忍び笑いを落とした。その癖のある笑顔は誰かに似ている。


「《ベドフェリオン》……」


 リタの発音に、ハッとそちらを振り返れば、ふふふっと今度は楽しげな声を立てて笑う。


「そう呼ばれるのは随分と久方ぶりだ。さすがは黄金(きん)の聖女。この名に気づいてくれたんだね」


 それだけで目の前の男が、盟主達と同じく前世世界の魔族だと知れる。

 この男が魔族であることを、ゼノは今の今までわからなかった。核すら見えなくして完全に人に同化していたとするならば、相当の力を持つ魔族に違いない。

 一気に警戒心を強めてリタを庇うように立ち位置を変えたゼノを、ベドフェリオンは眩しいものを見るように目を細めて微笑する。

 その視線からは先程と同じく悪意や敵意を感じず、それどころかどこか親しみや慈しみすら感じて落ち着かなくなる。

 何故そのような目を向けるのか、と訝しみ眉根を寄せたゼノに、ふふ、と笑いをひとつ落とし、すいと目元に手を当てた。


「っ……!」

「神魔……」


 男の目が赤く煌めき、纏う空気ががらりと変わる。

 ああ、そうか。

 それでゼノにも男が誰に似ているのかを理解した。


 ——ヘルゼーエン。


 知の魔族、ヘルゼーエンに似ている。

 理解した途端にひやりと背筋にうすら寒いものを感じた。

 ゼノ達の前世世界の知の魔族。

 この世界のヘルゼーエンともしも同じ存在であるならば、何故ここにいる?

 それはつまり、危惧していたとおり——


 背後のリタが息を飲んだのがわかった。リタも恐らくゼノと同じ答えに辿り着いたに違いない。


「私がハインリヒに頼んで君達をここに招いたんだよ。帰る途中に悪かったね。——けれど、どうしても君達に会う必要があったんだ」


 ベドフェリオンは衝撃に固まるゼノとリタの様子には何も触れずに、ここに招いた理由を笑顔で告げる。

 懐かしむようにゼノ達を見つめていた視線が一転、非常に冷酷で獰猛な光を纏い、瞬時にゼノも身構えた。


「君達に、黒の聖女セレーネを完全に消し去る(殺す)術を伝えるために」

 

 

 

 


いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。

第六話の最終と似たような引きですね…。

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