(四十七)愛のかたち
「フランシス嬢」
名を呼ばれて、フランシスはゆっくりと振り返った。
そこに居たのは予想通りこの館の主、セリオンだ。
眉尻を下げてこちらを窺うセリオンの心許ない表情に、彼が魔族であることを一瞬忘れる。だが、彼が魔族——それも盟主に匹敵する程の力を持つ高位魔族であるのは事実だ。
その彼らは世で聞くような魔族らしい非道な行いをアンノデスタでは行っていないので、彼らが魔族であることを忘れてしまうのだ。
彼らとの考え方の違いは、黒鳳蝶の事で知った。黒鳳蝶は傷一つなく戻って来たが、魔族に攫われたせいで教会からウェルゼルの屋敷にまで連れて行かれたと聞けば、穏やかな気持ちではいられない。ここから攫われなければ起こらなかった事だ。
そのお陰で盗まれたフランシスの絵画も戻って来たし、攫った魔族がちゃんと守ってくれたので、ウェルゼルには指一本触れられていないから問題ないと、当の黒鳳蝶に笑って言われたが、考えさせられたのは事実だ。
あれから、セリオンとどのような顔をして話せばいいのかわからなくなってなんとなく避けていた。父アンドリューも国元から戻り、ウェルゼルも捕まった今、フランシスがここに留まる理由もない。
黒鳳蝶やリタ達が花街に戻るのに合わせてフランシスも家に戻るつもりだ。
だが、このまま彼と別れるわけにはいかない。世話になった挨拶をして……
——魔族と人が本気でわかり合って仲良くやっていくつもりなら、魔族にも、それこそ人にもお互いに歩み寄り理解しようとする努力が必要な話なんだ。
ゼノの言葉が蘇る。
種族が違う。そんなのわかりきっていた筈なのに、なぜフランシスはセリオンに理解して貰えると思ったのだろう。
それはひとえに、彼が人と同じような姿で同じような言葉を吐き、これまでのやり取りで大きな違いを感じてこなかったからだ。
人だって、生まれや育ちが違えばわかり合えない。種族が違えば当然のことだ。
「……フランシス嬢」
いつまでも返事をせずにジッと見つめるだけのフランシスに、セリオンが困ったような表情で再び名を呼ぶ。
ここ数日、彼から距離を取っていた。それはもちろんリタが寄せ付けなかったこともあるが、フランシスも積極的に関わろうとはしてこなかったせいでもある。
それでも、彼はこうしてフランシスに声を掛けてきたのだ。
ならば。
「私……あなたの絵を描いてみたいわ」
穏やかに微笑して、フランシスは告げた。
* * *
提供された書類を静かに読みふけるグラニウスを見て、ゼノがはぁ、と大きなため息を吐いて頭をがしがしとかいた。それからギルド職員とやり取りしているアッカードを見遣る。
リタはそんなゼノの隣で、頬杖をつきながらテーブルの上に置かれた書類を手に取った。
「あなたの目的ってこれ? 教会の屍操術なんか調べてどうするの?」
ゼノが斬ったとされた広場での騒動は、魔術の発動による攻撃であったということが正式に証明されたため、ゼノは無実だと公に認定された。加えてアーケイシアレコードの内容もゼノは正当防衛であると、バルチェスタ本部が正式に発表する運びとなっているらしい。略式には各国の教会を通じて既に公表されいて、今回の異教徒の件と合わせてもう少し踏み込んだ内容がいずれ世界に向けて公表されるのだという。
昨日一日ゼノがルルノとロロマの相手をしていたので、まだセリオン邸に滞在していたが、今日中には黒鳳蝶を伴って花街に戻るつもりだ。その前に例の広場の件について話を聞いておこうとゼノとリタはレーヴェンシェルツのアンノデスタ支部にやって来ていた。情報が漏れる事を恐れたのか、あるいは忙しくてこちらに話をする間がなかったのか、尋問会までゼノとリタも詳しい話は一切知らされていなかったのだ。
世界最大規模の管轄冒険者数を誇るアンノデスタ支部は、ルクシリア皇国にある支部とは趣は異なるが堅牢な石造りであるところは変わらず、だがそこかしこに装飾が施され、細部までお金がかけられているところがさすがは商人都市にある支部だ。さにありながら、高級志向という訳でもない雰囲気がリタも気に入った。
受付嬢達もみんな素敵な笑顔だし、働きやすそうな雰囲気だわ。
——評価の基準が少しズレているのはリタらしいといえばリタらしい。
「御使い殿は屍操術をご存じですか?」
書類から顔を上げることなく問われ、リタは肩を竦めた。
「軽くは。レコードで流れた場面には私もいたもの。そこで初めてそういった術があるのだと知った程度で、それまでは知らなかったわ」
その使い手であったアヴェリアとかいうシスターには会ったことがあるが、彼女が使役する屍操術を実際に見た訳ではない。セレーネのものよりは格段に劣る筈だが、魔獣とは言え死体を操るというのは気分が悪い。
「うちの町を襲い滅ぼした魔獣が普通の魔獣ではなかったという情報を掴みまして、それを調べるために魔塔へ入ったのですよ。魔獣を操る術や独特の香りという手がかりを元に色々調べ回ったのですが決定打となる情報もなく困っていたところ、あのレコードで、剣聖殿が何かご存じなのではと魔剣の引き取りという名目でここにやって来たのです」
さらりと説明された内容に眉根を寄せた。
「待って。それが屍操術だとするなら、教会が魔獣をけしかけて町を滅ぼしたという事? 一体何のため——あなたの町は教会と敵対していたの?」
何の理由で、と言いかけてコルテリオの存在を思い出し、ああ、敵対する者には容赦なさそうねと質問の言葉を変える。
グラニウスは、ふ、と口元を歪ませた。
「うちの町には教会も神殿もありませんでしたが、町は隣町にある神殿を信仰していました。教会を建立させて欲しいと話があって断ったのだと知ったのは後のことです。魔獣について調べを進めて行くと、面白いことに襲撃の前後に教会と何らかの関わりがあった町や村が多かったんですよ」
「それって——」
ええ、と頷いてそれ以上を口にしなかったが、リタにもわかった。
恐らくは脅しや見せしめ、もしくは報復といった意味合いのものだろう。
はぁ、と息を吐いて額を押さえる。
「最悪な連中ね」
「まぁ、そういうのはヒヨリの前からもチラホラあったっぽいけどな。ヒヨリが牛耳ってからは多くなったのは確かだ」
彼女に同情の余地はない、ということね。
ハイネの町に来たフェリモ司祭を見ていたらわかる。自分達のやりたいように進めるためなら手段を選ばないのはシグレン家なら身をもって知っている。彼らだけでなくそういった感覚で動いている者達が一定数以上いるという事だろう。その筆頭が黒の教皇であるヒヨリであった、と。
「だが、危ねぇから手ぇ出すなって言ったろ」
二人の間でどういう話がなされたのかリタは知らないが、ゼノは渋面でグラニウスを睨んでいる。睨まれたグラニウスはとてもいい笑顔をゼノに返しているところを見ると、はなから忠告を聞く気はなかったに違いない。
「折角情報を得られたのに、大人しく手をこまねいてはいられません。ここで教会と剣聖殿の間に一悶着ありそうだと思って、交渉材料を探していたんですよ」
「どんな交渉を持ちかけられても俺は受けねぇぞ」
ゼノがジロリと睨みながら言い放つ。
ゼノが心配するのはよくわかる。
リタだって初めて会った時、ゼノを巻き込むことを躊躇った。それほど、教会を敵に回すというのは厄介なのだ。リタ達は身をもって知っているが、長い年月を生きてきたゼノはもっとずっと詳しく理解しているに違いない。
故に、忠告したのに探っているグラニウスの事を本気で心配しているのだろう。
「交渉の相手は剣聖殿じゃありません。彼——花街自警団の団長ですよ」
「アッカード?」
そう言われていまだギルド職員と話しているアッカードを振り返った。
「ギルドが屍操術の情報を知っていると教えてくれたのは彼ですし、彼は元クラスSパーティのメンバーの一人で、今もギルドに顔が利くのはわかっていましたからね。剣聖殿の無実の証拠と引き換えに教会との交渉をお願いしました」
「教会と交渉って……またなんてヤバいことを。アイツらに敵認定されると後々面倒だぞ」
なんだってアッカードはそんな事を、とゼノはまだ渋い顔だが、リタはふぅんと頷いた。
アッカードはきっとグラニウスの身の安全よりゼノの潔白を優先した訳ね。
いえ、きっと今の教会相手ならグラニウスの身の安全も勝ち得ると判断したのだわ。
「アザレアさんが聖女として復活した今この時なら、これまでの教会の悪事は潜んでいたセレスフィーネ達の仕業だとして片付けられるというメリットが教会にもある。黒の教皇ではなくセレスフィーネの仕業だとしておけば、内部に残っている教皇の部下達を味方に引き入れやすい。レコードと合わせて屍操術を公にすることでグラニウスの目的も達せられるし、ゼノの無実と引き換えに彼らの悪事の証拠が手に入る」
そう持ちかけられたなら、ゼノの無実ぐらいいくらでも宣言してくれるだろう。ゼノを陥れるために目撃者を集めたことが翻って彼らの悪事の証人ともなったのだ。ソレルが異教徒でソリタルア神の裁きを受けたことは尋問会に出席した者を含め、教会前広場にいた者達なら誰でも知っている。
「ご明察」
「いい気味」
ふふふ、と笑い合う二人にゼノが呆れたようなため息を吐いた。
「アザレア側は何もしねぇかも知れねぇが、セレーネの方はわからねぇぞ。まあ、命を狙われるというよりは、洗脳して手先にしようとするかもしれねぇがな」
そのあたりはまったくもって腹立たしい。
隷属紋もそうだがソレルの洗脳や一番タチの悪い魂の書き換えまで、本当に許せない連中だ。
セレーネの魂の書き換えが一番許せないけれど。
何故そんなことが出来るのかがわからない。フィリシアでさえ、魂に干渉することなど出来なかったというのに。
「そこは私も十分に注意を払います」
グラニウスも表情を改め、ゼノに頷いてみせた。
「まぁ、お前さんがいなければトリニスタを斬ってねぇって話は信じてもらえなかったろうからな。それは助かった。——だが本当に気ぃつけろ。何かあれば手を貸す」
「それは心強い」
にっこりと笑ったグラニウスに、ゼノも苦笑を返した。
「楽しそうですね~」
話が終わったらしいアッカードがテーブルまでやって来て、空いている椅子に腰を下ろした。
「別に楽しかねぇよ。証拠の礼を伝えただけだ」
「いやぁ、本当に助かりましたよ。ギルドの映像の記録だけでは意味がなかったですからね~。魔術の発動の記録は今後も有力な証拠として利用出来そうだとギルド長も興味を示していましたよ。魔道具とかで使えるようになりますかね?」
確かに一般にはあまり聞かない話だし、リタも今回初めて聞いた。ギルド長が興味を示すのも当然だろう。
「魔法陣が非常に複雑で魔道具に設定出来ないので、実用化にはもう少し改良が必要ですね。ですが研究費でご助力いただければ改良のスピードも変わるかと」
笑って金の無心をするあたりちゃっかりしている。
「なるほど。けれどお金を出す価値はありそうだ」
「うん、いいね」
アッカードの言葉に相づちを返したのはアッカードの後ろからひょこりと顔を覗かせたミリーナだ。いつの間に現れたのか気付かなかった。
ノクトアドゥクスの面々は気配を隠すのが上手いのでこういうことはよくある。完全に気配を殺すのではなく、周囲に馴染むように気配を薄くして自分の存在に注意を引かせないのだ。
「ミリーナ! あなたあれからどこにいたの?」
ミリーナとは商業ギルド前で別れて以来となる。その後見かけなかったから既にアンノデスタを出たのかと思っていたが、違ったようだ。
「ちょっと色々と。——さっきの魔術の発動を調べる魔道具の研究なら、うちと共同研究すればいい。研究費も出るし、うちの魔術研究員もとても優秀」
「へえ。ノクトアにもそういった部署があるのね。——ああ、転移魔石は魔塔とノクトアの共同開発だったわね」
確かそう聞いている。シモンの研究なのにヘスが勝手に持ち出したそれをリンデス王国でゼノが使われた。その後は魔王の塔を探索する冒険者に限り座標制限がある物をギルドで販売しているが、ハインリヒは座標の制限ない物を自由に使っている。ノクトアの目的は最初からそっちだったに違いない。
ノクトアは転移魔石以外にも人の位置を特定する魔道具を持っていたし、世界機構会議で部屋に仕掛けられていた声を拾う魔道具なんかもきっと持っている。一般には流通しないそういった魔道具をノクトアドゥクス内で開発製作しているのであれば、魔塔の魔術師やアザレアのように魔道具を開発できる部署があっても不思議ではない。
魔術発動を記録する魔道具もあれば便利だ。
「ああ、シモンから聞きましたよ。相当優秀な研究員だそうですね、ベドフェリオン氏は」
「……ん? ベドフェリオン?」
グラニウスが告げた名に反応したのはゼノだった。
だがリタは、ゼノが復唱した言葉の方に引っかかりを覚えた。
「ノクトアのベドフェリオン?」
はて、どっかで聞いたなと顎を擦りながら首を傾げたゼノに、ミリーナも小首を傾げた。
「長官から紹介された?」
「いや、ハインリヒから紹介されたのは担当と副長官だけだ。だがその名前には聞き覚えが……」
「ノクトアの研究員ならゼノも会った事があるんじゃないの? その人お年を召しているのかしら?」
感じた引っかかりに内心で首を傾げつつ、あり得そうな事を尋ねてみる。
ハインリヒと同じか年上なら、今じゃなく過去にゼノが会っていても不思議はない。ただ会っただけの人の名前をゼノが覚えているとは考えにくいので、なんらかの印象深い出来事があったのではないかと思う。そこにハインリヒが嚙んでいないとゼノが断言するなら、ハインリヒが担当になる前だと考えたのだ。
「まだ若い。実年齢は上だろうけど、見た目はクライツと同じぐらい」
それは確かに若い。だったら以前の担当者という線は消える。
「……まさか」
ハッと何かに気付いたようなゼノの様子に、皆の視線が集中する。けれどゼノは気づいていないのか、視線はテーブルに落としたまま考え込んでいる。
「あ? だったら……何者だ?」
「ベドフェリオンはちょっと色々不詳。長官は知っているみたいだけど、個人データは知られていない」
気にした事なかった、とミリーナが少し唇を尖らせながら呟けば、見た目もあいまって幼く見える。
実際はシュリーよりも上だというのは、リタの女性に対する確かなセンサーが告げている。
「一人で納得してないで教えなさいよ」
話が見えないのでゼノを突きながら言えば、困ったような顔でリタを見る。
「いや、俺も知ってる訳じゃあ……ただひょっとしてハインリヒが言ってたのはソイツのことかもって考えただけだ」
それ以上考えることを諦めたのか、ガシガシと頭をかきながら吐き出した言葉に、ミリーナが目をキラリと輝かせてすかさずゼノの腕に手を置き顔を寄せた。
「長官がなんて?」
声は小さいのに側から見ていても圧が強い。突然顔を寄せられたゼノが、ギョッとして身を仰け反らせて距離を取ろうとしたけれど、軽く置かれただけに見えたミリーナの手がそれを許さない。
ハインリヒの名に反応したのだろうが、クライツやシュリーには見られなかった顕著な反応だ。
「長官はなんて言ったの?」
ぐいぐい行く。
まあ確かに、ハインリヒなら部下とゼノに話す内容は異なるでしょうから、その研究員についてゼノに何を言ったのか気になるのはわかるわ。
圧が凄いけど。
「い、いや、そんな大した話は……アイツがまだ信憑性がねぇからって教えてくれなかった情報の出所がソイツじゃねえかってだけだ」
ゼノがミリーナの勢いに気圧されながら、かろうじて言葉を吐き出す。それだけでは先程のゼノの態度には結びつかない。
リタがそう思ったことは当然ミリーナも思ったようで、うん、とひとつ頷いて小首を傾げた。
「それから?」
続き、と視線で促されゼノが嫌な顔をする。
「続きもなにも……」
「それだけで研究員に対して『何者』って言葉は出てこない。口にされなかった情報か、他の事で何かあるはず」
裏付けがあるでしょ、と追及の手を緩めない。
それは確かに、とリタも頷く。ハインリヒの名が出ていたせいか、アッカードも興味深そうにゼノを見ているし、グラニウスも楽しげだ。
リタだって二人は何の話からその研究員が関係してくるのか気になる。ゼノの先程の態度はただの魔道具の話ではないように感じた。
それに先程感じた引っかかり。
グラニウスが口にした時は何も思わなかったのに、ゼノが口にした時にだけ何かが引っかかる。リタ自身は初めて聞く名だ。
一歩も引く気のなさそうなミリーナに、ゼノは渋面を作ったまま緩く頭を振った。
「話せねぇ」
「対価がいる?」
「関係ねぇ。——ノクトアなら引け」
続いた低い声に、ミリーナもしぶしぶといった体でゼノの腕から手を離した。
「……脳筋って聞いたのに」
とても残念そうな様子に、彼女は出会った時も同じような言葉を言っていたわねと思いだす。まあ、ゼノが脳筋なのは本当だけど、誰にそんな話を聞いたのだろうか。
「そんな明らかに食いつかれりゃ、ハインリヒの顔がチラついて思いとどまる」
うっかり話す前にさすがに気付く、と肩を竦めたゼノに、ちぇ、とミリーナは口を尖らせた。
そう言われてしまうと、ゼノにこれ以上不用意に話させないために、ミリーナはわざとあんな態度を取ったのかとも勘ぐってしまう。
……本気で残念そうにしか見えないけれど。
副長官付ならばミリーナも相当優秀な筈なので、どちらなのかはわからない。
「まあ、とにかくノクトアドゥクスにはベドフェリオンという優秀な研究員がいるってことね」
自分でその名前を口にして、どこに引っかかりを覚えたのかがわかった。
ああ……なるほど。発音ね。発音が違うと感じたんだわ。
《ベドフェリオン》——と発音されなかったから、違和感を感じた。
つまりその名前——いや、前世世界の言葉をこちらの発音で言われたから違和感を感じたのだ。無意識だろうが、ゼノの発した言葉に少しだけ前世世界の発音が混じっていた。だからリタが引っかかりを覚えたのだ。
そこまで理解すれば、先程のゼノの言葉の意味も見えてくる。
あえてその言葉を使っているのならば、ただの研究員であるはすがない。
「興味が湧きました。本気で共同研究を持ちかけてみましょうかね」
ふふ、と笑ったグラニウスにゼノは肩を竦めて見せた。それからチラリとこちらに向けられた視線は意味ありげで、リタも視線を鋭くした。
……やはり、あちらの世界が関係しているのだわ。
これは後で確認しておいた方がいいわね、と軽く頷き返した。ふ、と視線を感じて見やればミリーナがこちらを見ていたようで目が合う。
にま、と笑われたのは何かを確認されたのだろうか。
同じノクトアドゥクスでもシュリーとは随分と違うわね、とリタもニコリと笑顔を返しておく。するとミリーナはさらに笑みを深くして口を開いた。
「ここにいた神父達は全員取り調べ。シスターはソレルの腹心以外は保護。アンノデスタの教会は仮の建物でトリニスタ主任司祭と本部から新たに派遣されてくる神父達でしばらくは運営することになった。バルチェスタに確認とってるから間違いない」
後のことはあっちに任せておいたらいい、とアンノデスタ教会の情報を教えられてリタもホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとう。彼女達がどうなったのか気になっていたの」
商業ギルドとのやり取りをみるに、対外的にはアザレア達が主導権を握っているようだ。
まだセレーネは最奥の間から抜け出せていないようね。
「ヤルニアスはあのまま対応を考えるって。人目につくとこに置いておかないと罰にならないから閉じ込めることはしないみたい」
枷をつけて厳しい環境で奉仕活動に回されるはず、との言葉に大きく頷き返した。
「その通りね。クズの所業を周囲に公表して軽蔑されながら生きていけばいいのよ」
そんな事で酷い目にあった少女達の心は癒えやしないが、一時の罰だけでその後は何もなかったかのように生きていけるなんて絶対に許せない。それに、そんな罰を見た同類達への抑止力になればなおいい。
あの教会には他にも同じ罪を犯した神父が絶対にいたと思うのだけれど、もう移送されたのなら仕方ないわね。本部もまさか軽い罰で終わらせやしないでしょう。
そこはアザレアを信じるしかない。
満足そうなリタの様子にミリーナもこくりと頷いた。
「ちゃんと伝えたから。これで終わり」
帰るから、とくるりと背を向けられ、リタは慌てて立ち上がった。
「ありがとう! それを伝えるためにギルドに来てくれたのね」
「元々一連の情報提供をする約束でアンノデスタに居たから」
仕事をしただけ、とは随分ドライな言葉だ。そういうところもシュリー達とは違う。
「おう、影で色々手ェ貸してくれて助かった」
ゼノはこういう対応も慣れているのか、片手を挙げて軽く礼を述べるだけであっさりしたものだ。
ミリーナはゼノの言葉に肩越しに振り返るとニンマリと笑った。
「こっちも色々情報もらえて美味しかったから、また呼んで」
「……あからさまに言うなや。マズイことをやらかした気になるだろ……」
ゼノが非常に嫌そうな顔でげんなりとしたのは、ハインリヒに詰られる事を想像したからだろうか。
ノクトアの彼女にそう言われると確かに自身の言動を省みる。リタもぎくりと肩を揺らしたのは、同じくハインリヒの指導を思い出したからだ。
だ……だい、じょうぶ、の、筈よね。ハインリヒに知られても呆れられるような事は、していない、はず……。
少し狼狽えてしまうのは仕方ない。
リタ達の動揺した様子に、くふ、と独特の笑い声を落としてミリーナは足早に去って行った。
ミリーナは味方の筈だけど、気が抜けないわね……
あえてああ言ってくれたのはそれを知らせるためだろうか。ノクトア相手でも油断するなと。
ならばそれは心に留めおかなければ。
まあ、あの副長官の部下だ。一筋縄でいく相手ではないのだろう。
……ハインリヒのストーカーにはちょっと理解を示せそうにはないんだけれど。
読んだ魂情報の一部を思い出し、げんなりとした気分になる。
「教会は仮でも置いとくんだな」
気を取り直してアッカードにゼノが尋ねれば、そりゃあね、とアッカードが肩をすくめてため息を吐く。
「ソリタルア神への畏敬の念が強まっている信者は多いからね~。この都市は均衡を重んじる。神殿だけを置いておく訳にはいかないよ。それに、やらかしたのは異教徒で、教会は被害者になるからね」
確かに、その通りだ。
教会を排する事は均衡を崩すことになる。オードレン——オーディルドレッドの話を聞いた後では均衡がいかに重要かがわかる。提供した魔石で崩れた均衡を元に戻せたとは聞いているが、その努力は続けるべきなのだろう。
都市の上層部がそう考えて行動しているみたいだから、その考えは根付いているようね。
それこそがオードレンが長い年月をかけて都市を守ってきた結果なのだろう。
セリオンが「人に擬態して人のように生き、人としての一生を終えたら、また新たな人として子供からやり直す」ということを繰り返している事に疑問を抱いたが、オードレンこそがそれに近しいことをやってこの都市に存在し続けてきたのだ。モントレア商会とはそのための商会なのだとゼノに教えてもらった。いや、正確には代替わりしているように周囲の認識を変えて名前も微妙に変えつつそのまま商会トップに君臨し続けているのだったか。正体が神魔であれば、造作もないことだろう。
「アンノデスタは異教徒を排除できたけれど、まだまだ周辺はきな臭いからね」
「ああ、いくつかの国の教会が俺を叩いてるってオードレンが言ってたな」
教会本部からの指令を無視しての行動は、セレーネの拠点だと馬脚を現したも同じということだった。
ならば、レコードを流したのはセレーネサイドということになる。セレーネの手の者にアーケイシアと取引の出来る者がいるのだ。
そのことにリタは漠然とした不安を感じている。
アーケイシアの持つデータはこの世界のいわば大事な記録だ。ハインリヒのようにただレコードを引き出すだけならばそこまで気にする必要はないのかもしれないが、あの領域に入れる者がいる、という事実に落ち着かない気持ちになるのだ。
アーケイシアを喪うようなことがあれば、世界はあるべき姿を見失い自浄作用が働かずに理から外れたままとなるのだと、他ならぬアーケイシアが教えてくれた。
それは、リタ達の前世世界の事ではないのか。
聞いた時に、そう思った。——いや、理解した。
だからあの世界は歪みを正すことも出来ず、女神様の力も正しく働かないまま——滅んだのでは。
リタ達の世界のアーケイシアが本当に喪われたのであれば、その理由はなんだったのか。彼女が何者かに討たれたのか、あるいは歪みが酷すぎたためか。
ただ、アーケイシアが喪われる可能性は存在するのだと、ヘルゼーエンの心配具合から理解したのだ。
故に、アーケイシアの領域にセレーネの手の者が入り込めるという状況が不安で仕方ない。
「だが、そういう国は教会本部が放っておかねぇだろ」
そう言いながらもゼノが眉根を寄せたのは、ソレルのように厄介な力を持つ者がいたならば、いかにコルテリオを擁していたとしても危ういと見ているからだ。
セレーネをいつまで押さえておけるかも重要ね。
不安は尽きないが、今はアンノデスタが無事であったことを喜びたい。
アンノデスタで気になることはまだあるのだけれど。
ふ、とリタは小さく息を吐いた。
* * *
一心不乱に筆を走らせるフランシスから、黒鳳蝶は目を離せなかった。
彼女が絵を描く姿は黒鳳蝶もよく目にしてきたが、これまでとは違う何かを感じる。それは、モデルとなっているセリオンも感じているのか、フランシスと相対する際にいつも見せる照れや恥じらい、愛しさといったものよりも、すべてを見透かされるような視線に恐れ慄いているように見えた。
黒鳳蝶を描く時のフランシスも、確かに真摯で奥深いところを見ているのが感じられたが、今セリオンに向ける視線はさらにもう一歩踏み込み、本性を見抜くような、暴くような鋭さを秘めている。
それはただの厳しい目というよりは、フランシスなりに彼と対峙し見極めているような真摯さだ。
黒鳳蝶の位置からは描かれている絵を見ることが出来たが、まだ制作中のその絵を見ていても、フランシスがセリオンをどう捉えているのかがわかった。
黒鳳蝶がルルノに連れ去られた事で種族の考え方の違いを目の当たりにし、動揺したのだと聞かされた。フランシスなりにセリオンとのことを真剣に考える切っ掛けとなったのだろう。
魔族と人とでの恋愛は、確かに簡単ではない。元来は捕食者と被捕食者と言っても過言ではない関係だ。いかに人と同じ姿だとしても考え方の本質が異なるのは当然だ。
けれど。
色々な人を見てきた黒鳳蝶は思うのだ。
種族の違いは確かに大きな違いで本当に理解しあえることなどないかもしれない。だがそれは人同士でも同じ事だと。
種族が同じだとしても、生まれた国や生きてきた環境で考え方も習慣も異なる。それは当然のことだ。だったら、意思疎通を図るために努力を重ねてゆけば理解しあえることは出来る筈だ。
それは、フランシス嬢もわかっておりぃすね。
ふ、と微笑をこぼす。
そのキャンバスに描かれた色を見れば、フランシスがセリオンに抱く想いに、恐怖や怯えなどといった負の感情がないのはわかる。
コンコン、と遠慮がちにドアがノックされる音がして、黒鳳蝶は立ち上がり部屋の入口に向かう。音が小さい事もあったが、セリオンもフランシスも気付いていないようだ。それほど二人とも無言の対話に集中しているのだろう。
「おや、お戻りになりぃしたか」
ドアを開ければ心配そうな表情のリタと、面倒そうに腰に手を当て首を回すゼノが立っていた。
「フランシスの様子はどう?」
ここ数日塞ぎ込んでいたフランシスを知っているだけに、リタが心配するのも無理はない。黒鳳蝶は視線で部屋の中を示し、ふふ、と笑って見せた。
釣られるように部屋の中に目を向けたリタは、二人の様子に目を見開き、それからホッとしたように笑った。キャンバスの色を見たのだろう。
黒鳳蝶ももう一度二人に視線を投げ、それから部屋の外へ出てドアを閉める。
「あの様子なら大丈夫そうね」
「ええ。セリオン殿と向き合うお覚悟が出来たのでありぃしょう」
リタも微笑して頷いた。ゼノは頭をガシガシとかいて、はぁ、と大きなため息を吐いている。
「俺ぁ、あんまおすすめしねぇけど、あの嬢ちゃんも普通ではない肝の座り方をしていそうだな」
流石はアンドリューの娘だ、と一応褒め言葉を吐きながらも、酔狂な、とその目は雄弁に語っている。
ゼノが魔族を嫌っているのは黒鳳蝶もよく知っているので、その気持ちもよくわかる。セリオンの事を敵だと恐れることはなくとも信を寄せるほど心を近づけることも黒鳳蝶には出来ない。
それは心の深い所に根ざしたどうしても消せない憎しみと恐れがあるからだ。
人にもウェルゼルやソレルのように許せないクズは存在するし、リタやゼノのように心から信頼できる者がいる。ここアンノデスタに限って言えば、魔性の者だからと言って無闇に恐れる必要はないとわかっていても、生物として上位の者への本能の恐れまでは誤魔化せない。
けれど、それを軽々と飛び越えていけるのが、恋心——いや、愛だろうか。
そこまで考えて、黒鳳蝶は内心で笑った。
自分には縁のない力だ。
「それで、私達はこれから花街経由でルクシリア皇国に戻るということでいいのかしら?」
すっきりとした表情のリタがゼノを見上げて尋ねた。
ああ、お二人もお戻りになる頃合いになりぃしたか。
それはそうだ。通り魔が使っていたという魔剣も、アンノデスタの教会の件も片付いた。ゼノにかけられた冤罪も魔塔の魔術師のおかげで晴れたし、アーケイシアレコードについても教会が正式に問題ないことが発表された。ゼノがここに留まる理由がない。
結局ゼノと過ごす時間は取れなかった。きっともう、ゼノが花街にやってくる事はないだろう。
それを寂しく思いながらも、過ぎた望みだと心にそっと蓋をする。
「ハインリヒが俺達をここに放り込んだのが魔剣とアンノデスタのためだとするなら、まあもう帰っても文句は言われねぇと思うがな」
ガシガシと頭をかきながら、やれやれといった風に答えるゼノの姿を目を細めて見つめる。
変わらない癖。
それでも、以前はその仕草に確かにあったどこか投げやりな雰囲気や諦観が、今ではまったく感じられない。その目に宿る力強さが黒鳳蝶には眩しく感じる。
「だったら準備をしてくるわ!」
そう言ってリタが軽やかな足取りで部屋に戻ろうとしたので、黒鳳蝶もそれに続こうと一歩を踏み出せば、くるりと振り返ったリタに止められた。
「黒鳳蝶はまだここにいて。フランシスのことも気になるからもう少し様子を見ていて欲しいの! ゼノ。いい機会だから危険な目に合わせた事をちゃんと謝るのよ!」
いいわね!とビシッと指を突き立てゼノに言い放つと、黒鳳蝶に軽くウィンクをして駆けて行った。
黒鳳蝶が止める間もない。
「……」
呆気に取られて茫然とリタの背を見送った黒鳳蝶の耳に、「んんっ……」とゼノの咳払いが聞こえてそちらに視線を投げる。
「あ~……悪かった」
明後日の方向を向いたまま、ぼそり、とバツが悪そうにゼノが呟く。
「俺がお前を無理にここに連れてきたせいで、嫌な目に合わせちまった。——教会で、ソレルに酷えことされなかったか?」
そっぽを向いていたゼノが、教会について問う時は心配そうに黒鳳蝶の顔を覗き込んできた。ソレルの異常な力は商業ギルドで黒鳳蝶も目にしたし、彼女の本性を知っていたから心配もしてくれたのだろう。
ふ、と口元に手を当て微笑してみせる。
「ロロマがいてくれましたから。それに——」
目を閉じてあの偽りの聖職者を思い出す。
シスター達を暴力で従わせ、神父達に当てがい教会を支配していた女衒のような女。あの女の本性を見抜けず聖女だと慕っていたという都市の連中はなんとおめでたいことか。
あのように女を食い物にする女など、花街であれば一目で見抜かれ引き摺り下ろされる。
事実、ちょいと煽ってやっただけで、醜い本性を無様に曝け出した。あの程度では五丁目の遊女すら務まるまい。
「格下の女衒ごときが、黒蝶屋の元花魁、黒鳳蝶の敵になるとでも?」
艶やかに笑って言い放つ。
ゼノは虚を突かれたような顔をして黒鳳蝶をしばらく見つめ——それから、豪快に笑った。
「違いねぇ! お前の足元どころか影すら踏めねぇレベルの女だ! 黒鳳蝶にやられこそすれ、逆はねぇな!」
当然だ!と笑うゼノに、黒鳳蝶も本心から笑う。
こんなつまらないことでゼノの気を煩わせるつもりもないし、事実、ソレルやウェルゼルといった小物の相手など黒鳳蝶からすれば苦痛でもなんでもない。変に権力を持っているのは厄介だったが、ここアンノデスタであれば、黒鳳蝶だって権力を持っている。あの二人はそんな事は知らないようだったが。
「——だが、議場で危険な目にあわせちまった。あの空間にも、巻き込んで悪かった」
笑いを収めて静かに謝罪され、ゆるりと頭を振る。
あれは不可抗力というものだ。それに、ゼノやリタが生きている世界を垣間見れたことは少しだけ嬉しい。二度と経験したくはないが、少しだけ彼らのことが理解ができたような気がしたのだ。
オードレンがセリオンよりも上位の魔族——第一盟主と呼ばれる者と同等であったというのは驚きだが、アンノデスタを守る者であれば恐怖よりも安堵が広がる。
す、と頬にゼノの手が伸びてきて、視線を落としていた黒鳳蝶はついと顔を上げた。
思いの外優しい目で見つめられていて息を呑む。
「無事でよかった」
声に宿る安堵に、議場でのことが蘇る。
同じ言葉をかけられ、抱きしめられた。それを思い出し、頬に添えられた手に頬を寄せ上から手を重ねる。
「ゼノ殿も」
目を閉じてそう返せば、ぐいと抱きしめられた。
ああ……とその胸に頬を寄せながら静かに息を吐く。
罪悪感からくる行動だとしても、このひと時は甘えてもいいだろうか。
多くは望まない。花街の者らしく今宵ひととき、その僅かな時を共にできるなら。
それで僥倖。
黒鳳蝶はうっとりと微笑した。
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