新学期初日、とある姉の記憶
――いつからだろうか。
セリア=アルタナシアは思い起こす。
いつからだろうか。自分の中に、奇妙な二つが渦巻くようになったのは。
新品の制服を着た多くの生徒たちが、校門をくぐる光景を遠目に眺めながら、セリアは考える。
一つは、既視感だ。普段の生活の中で、ふと、目の前に広がる光景を、どこかで見たような感覚に襲われるのだ。それは、似たような光景を見たことがある、という程度ではない。
セリアは自信をもって、初めて見る光景であると、初めて体験することであると言えた。
だがそれと同じくらいハッキリと、見たことがあるとも言えた。
初めてある人に、見覚えがあった。
初めて立ち入る建物に、見覚えがあった。
そして、今もそうだ。
校門から、学園の正面玄関へと続く緩やかな階段。セリアはその中ほどで腰掛け、頬杖を突きながら、退屈そうに登校する生徒たちを眺める。
明るい声で、登校する生徒たち。その光景を、どこかで見たことがあるのだ。
「……見つけた」
既視感を覚えながらも、人ごみの中、生徒の顔に目を向ける。あくびを噛み殺しながらも、目を細め、一人ひとり、自身の中にある、もう一つの感覚に身をゆだね、目当ての人物を探す。
そして、見つけた。
距離があるから、その違和感がはっきりとわかった。人だかりが、校門から正面玄関に向かうにつれ、徐々に割れていくのだ。その異様な光景の中心を歩く、二人の人物。
一人は、同年代の女子にしては長身で、大人びた印象を受ける少女だ。
もう一人は、同年代の女子にしては小柄で、幼さを残す少女だ。
二人とも、セリアがよく知る人物だ。そして、その中の一人が、セリアの探す人物だ。
アリア=アルタナシア。セリアが愛すべき、腹違いの妹だ。
「――っ!?」
唐突に、今までにないほどの強い既視感がセリアを襲った。
それは、ほんの数秒ほどではあったが、セリアにとっては、数年、数十年にも感じるほどの、長い時間だった。それほどの膨大な情報が、セリアの脳内に叩き込まれた。
そして、現実に戻るのも、また唐突だった。
「――!! ハァ……ハァ」
知らない間に、呼吸を止めていたようだ。
肺が酸素を求め、荒い呼吸を繰り返す。額を手で押さえながら、めまいで倒れそうな身体を懸命に支える。
そんなセリアの様子を、気に掛ける者はいない。近くにいる生徒たちは皆、アリアの登校風景を見物するのに忙しいのだ。
セリアの異変に気付くものなど、誰もいない。
「……いや、違うわね」
すぐ近くのはずなのに、どこか遠い場所で話しているような、アリアに対する歓声を聞きながら、自虐的に呟く。
人気者のアリアと違い、横暴な振る舞いが目立つセリアと、下心抜きで親しく接している人物など学園にはいないのだ。
ゆえに、たとえ気が付いたとしても、声をかける人物などいないのだ。
そう、セリアとアリアは違う。
常に、人に好かれるのはアリアなのだ。
常に、大事にされるのはアリアなのだ。
常に、愛されるのはアリアなのだ。
常に、セリアが欲するものを手に入れるのはアリアなのだ。
そんな醜くてどす黒い嫉妬が、セリアの中に広がる。自分でも抑えることができないような、愛すべき妹を汚そうとする、悪意に満ちた欲望が、セリアを支配する。
「さてさて、これはどういうことなのかしら」
懸命に、自分の中の悪意を抑えながら、セリアはたった今、自分が思い出した事実について考察する。
セリアが、前世の記憶を持つ転生者であるということ。
今セリアが生きるこの世界が、生前遊んでいた女の子同士の恋愛を描くノベルゲーム。所謂百合ゲーの世界だということ。
その自分でも夢物語か、質の悪い冗談としか思えない二つの事実について、必死に考えを巡らせる。
まずは、自身の前世について、思い出す。
セリアは生前、今生きているこの時代どころか、世界そのものが違う、地球という惑星の日本という島国に住んでいた。
セリアはそこで第一王女などというたいそうな肩書もなく、どこにでもいる一般的な平民生活を送っていた。
ごくごく普通に生きて、学校を卒業して、就職して、そして死んだ。
具体的な死亡時期や、死亡理由などは覚えていない。それどころか、他の個人情報も碌に覚えていない。霞がかかったように、というわけでもなく、ところどころ虫に喰われたような感覚が近い。
それは、生前ゆえに記憶が摩耗しているのか、それとも別の理由化は定かではない。
とにかく、ぼんやりと、だがハッキリと、自分は今いる世界とは別の世界で生きていたことだけは思い出した。
そんなあやふやでいい加減な記憶の中、奇跡的に思い出したのが、この世界のこと。この世界に新たな生を受け、十七年と少しの間に積み上げた記憶とは違う、別の角度、別の視点で見たことがあるという記憶。
それは、ある意味ではセリアがまるっきり存在を信じていない神々が――前世を思い出すなどというオカルト的な経験で多少は信じてもいい――遥か高みから俯瞰しているようなものだ。
つまり、セリアの前世において、今生きるこの世界は創作物、コンピュータゲームの世界だった。
未だに科学技術が発展段階にあるこの世界では、放送技術や通信技術の最先端は、ラジオ放送や固定電話がせいぜいだ。
それも、国土全土に電話線が張り巡らされているわけでもなく、大都市の中限定で使用されるに留まる。
元より、文化や風土、科学技術の発達するベクトルが違うのだから、単純に比較できるものではないが、まるで魔法のような技術であるコンピュータゲームの中でも、取り分け恋愛ADVと呼べるジャンルの一作、「姫と恋と少しの魔法」という作品の舞台が、今セリアがいるこの世界なのだ。
内容は、主人公であるアリア=アルタナシアが、学園の生活の中で、それぞれ個性の異なる三人の女の子と親交を重ね、最終的には恋を実らせるという女の子同士の恋愛を描いた作品。
所謂、百合ゲーというものだ。
前世のセリアが、女の子同士の恋愛模様を眺めて楽しむ男性だったのか、本人が同性愛者だった女性だったのかは、今となってはどうでもいい。
記憶はあるとはいえ、前世の自分は、セリアとは別人の他人だ。そんな相手の性癖について悩むほど、セリアには精神的な余裕はない。
今は、ゲームの内容が問題だ。満足に思い出せない多くの記憶の中、生前の一時嗜んでいたゲームの記憶など、もっと覚えておくべきものがあるだろうと文句の一つも言いたいが、それでも、今セリアが置かれている状況では、これ以上のものはない。
セリアを絶えず襲う、この衝動を抑えるために。
「って、もう限界か――」
アリアとの距離が近づくにつれ、セリアを襲う衝動が強くなる。気が付けば、アリアとの距離はもう間近に迫っていた。
すぐに、アリアの方も、セリアの存在に気が付くだろう。
距離が近づけば近くづくほど、アリアがどのような存在かよくわかる。
その愛らしい姿も、周囲から向けられる好意的な視線の多さも。第一王女であるセリアを差し置いて、次期国王に任じられたという事実を、否応もなく見せつけられる。
セリアの中で、声がする。その声はやがて、黒い影のような人型となる。それは、一人の少女の姿だ。濁った眼に、加虐的な笑みを浮かべた、セリアの姿だ。
セリアの姿をした黒い影が囁く。
かわいらしい容姿のアリアが憎い
影が、一歩近づく。
多くの人から愛されるアリアが憎い。
影が、一歩近づく。
光に照らされて生きるアリアが憎い
影が、セリアに重なる。
憎い、憎い、憎い……。
そして、影がセリアを飲み込んだ。
「――ハハッ」
小さく笑うと、セリアは立ち上がった。その顔には、先ほどまで苦悩に満ちた表情はない。
そこにあるのは、ただただ、邪悪に笑う一人の少女。
アリアを害することだけを考える、悪役令嬢の姿だった。




