第10話 遠き記憶と響き合う魂③
あの夜、地に倒れた瞬間から、どれほどの時間が経ったのか。
零士自身にも、わからなかった。
意識がゆっくりと戻ってくる。
周囲の気配が変わっていた。
風の音すら遠く感じられ、すべてが微細に揺れて見える。
(……俺は……生きて……いや、違う。これは……)
手を見た。
透き通るように揺らぐ指先。
感覚はあるが、確かな重みはない。
肉体は、もうない。
その事実が、ようやく彼の中に降りてきた瞬間、零士の中で『記憶の扉』が開いた。
断片だった夢の記憶が、ひとつに繋がる。
剣を握った手、命を賭して誰かを守ろうとした記憶。
廃神殿の薄暗い回廊。
冷たい指先。
額に触れた、あの夜の温度。
(……キルハ…。そして俺は……セインだった……)
全てを思い出した。
自らが過去に犯した禁忌、そして交わした約束。
魂を裂いてまで望んだ『再会』と『救済』の願い。
「帰ってこい」と言ったのは、自分自身だった。
そしてその約束をまだ、果たしていない。
全身を貫くような衝撃とともに、零士の霊体は静かに震えた。
(まだ終わっていない。俺はまだ……あの誓いを果たしていない)
霊体となった今も、体の奥には死神としての力が微かに残っていた。
完全な術は扱えない。
だが、霊気を読み、気配を探り、影を追うだけの力は残されていた。
(この力があるなら……まだ、やれることはある)
そう思えた瞬間、零士の中に再び熱が灯る。
使命の名残。
誓いの光。
それが彼を再び、歩かせる原動力になった。
彼は静かに町を巡り、霊障の痕跡を辿っていった。
そこに確かにあったのは、ネザリウスの影である混沌と瘴気、そして『死の名残』だった。
***
やがて彼は、とある霊的異常が集中する学校の敷地内に辿り着く。
その瞬間だった。
(気配を感じる)
懐かしい、けれど確かに今の存在。
零士が顔を上げたとき、そこには、制服姿の少年がいた。
(……昇也?)
かつて守ろうとした弟。
その姿を見た瞬間、零士の中に走ったのは懐かしさだけではなかった。
胸の奥で、何かがはっきりと『繋がった感覚』。
(……この魂……いや、この半身……)
前世の記憶がすべて蘇っていた零士は、確信する。
かつてセインとして生きていた自分は、冥界最終戦で『魂の強制復活』という禁忌の術を使った。
死の淵にあったキルハの魂を救うため、自らの魂を裂き、彼を現世へ導く楔としたのだ。
その代償として、セイン自身の魂も完全な昇華を失い、二つに分かれて世界へ漂うことになった。
自分はその分かれた魂の一方。
そしてもう一方が、今目の前に立つ少年——昇也だった。
(お前は……セインのもう一つの魂。俺が守ろうとした『存在』そのものだったんだ)
それは、昇也にとっても同じだった。
その日、昇也はいつもの帰り道、校門近くで微かな霊気の乱れを感じ取った。
「……兄さん……?」
思わず呟いたその言葉と同時に、昇也の目に一つの影が映る。
視線が交わる。
「……兄さん……なのか?」
「すまない。でも、こうして再び会えたことが……今は、嬉しい」
昇也は拳を握りしめ、唇を震わせながら言った。
「俺は……兄さんがいなくなって、ずっと後悔してた」
「……昇也、お前の中にも、きっと残ってる。彼の想いが」
「……彼?」
零士は少し微笑むと、静かに頷いた。
「いつか、すべてを話そう」
***
視聴覚室に沈黙が落ちる。
静寂の中、葵はそっと顔を上げた。
「……二人とも」
その声はかすかに震えていた。
頭の中で、言葉と感情がせめぎ合っていた。
重く、深く、知らなければよかったと思うほどの過去の真実。
けれど、同時に彼女はそれを聞けたことに、確かに意味があると感じていた。
深く息を吸い込む。
目を上げたとき、そこにはもう迷いはなかった。
「正直、まだ全部を理解できてるわけじゃない。でも……聞かせてもらって、ちゃんとわかった」
零士と昇也が静かに彼女に目を向ける。
「誰かが、過去に何かを守ろうとして……その想いが、今の私たちに繋がってる。だったら……私はもう、逃げない」
葵は胸に手を当て、静かに息を整えると、はっきりと言った。
「私も、あなたたちと一緒に進む。戦うよ、これから先のこと全部、ちゃんと自分の目で見届けたいから」
その瞬間、葵の瞳がきらりと光った。
それは涙でも迷いでもない。
まっすぐに見据えた、固い意志の輝きだった。
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