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第二章:祈りの姫と夢の声 ──光の継承者、目覚めの時──

夜明け前。


アステリオスの庭園では、花々がまだ深い眠りの中にあった。


ここはラザールの中でも最も清浄な場所。

かつて創造神ゼウスが愛でたこの地は、主を失ってなお、透き通るような白銀の静寂に守られている。


だが、その静寂は今や、変化を拒む「檻」のようでもあった。


「……また、あの夢を」


アスティシアは寝台の上で身を起こした。


長い銀髪が肩からこぼれ落ち、薄い衣の下で胸が小さく波打っている。


まぶたの裏には、まだ鮮烈な「紅」が焼き付いていた。


空を焼き尽くす巨大な翼。灰の地平を駆ける黒鉄の鎧。


恐ろしいはずのその光景が、なぜか彼女の心を激しく揺さぶる。


「父上……」


彼女は胸の前で細い指を組み、祈りを捧げた。


窓の外からは、黎明の柔らかな白が差し込み始めている。


アステリオスの主、ゼウスの血を引く彼女の祈りは、この界の均衡を保つための「糸」だ。


だが近頃、その糸が細く、脆くなっているのを彼女は感じていた。


鏡の前で、彼女は震える手で髪を編みながら呟いた。


「なぜ……こんなにも、胸が痛むのでしょう」


その時、重厚な扉の向こうから、控えめな、けれど力強い足音が聞こえた。


コツ、コツと、蹄が石床を叩く独特のリズム。


「姫……お目覚めですか?」


アモルだった。


半人半馬の騎神にして、彼女が幼い頃からその背を守ってきた守護者。


扉が開くと、朝の冷気と共にアモルの堂々たる影が差し込んだ。


「また、同じ夢を……?」


「ええ。燃える空と、孤独な神の夢。……アモル、あれは不吉な予兆なのでしょうか」


アモルは静かに歩み寄り、その大きな瞳を少しだけ細めた。


「それは、“紅蓮のフェニックス”の再誕かもしれません」


「鳳の……?」


「古の伝承にございます。火の神が絶望の淵に立ち、その涙が灰を濡らす時、鳳が舞い降りて焔を還す、と」


「還す……?」


「ええ、破壊ではなく再生へ。鳳は滅びの象徴ではなく、命の循環を司る神鳥。

ですから姫、その夢は、止まっていた時が動き出す“兆し”なのです」


アスティシアは小さく頷いた。

けれど、鏡に映る自分の顔はどこか暗い。


「……ならば、私は何を為すべきでしょう。この庭で、ただ枯れていく光を祈り続けるだけで良いのでしょうか」


アモルの瞳が一瞬、痛みをこらえたように揺れた。


「姫。あなたの祈りこそが、この世界を繋ぎ止める楔です。戦いではなく、想いで結ぶことが……」


「でも、想いだけではもう届かない。そうでしょう?」


アスティシアの静かな、けれど芯の通った声に、アモルは言葉を失った。


彼女は立ち上がり、裸足のまま光の庭へと向かった。


朝露に濡れた花びらが彼女の足首を冷やす。


彼女は両手を大きく広げ、まだ星の残る空を仰いだ。


「……紅蓮の鳳よ。もしあなたが、本当にこの世界に還ってきたのなら。私に、この声を届ける力をください。守るために、戦う力を」


その瞬間。


凪いでいた空気が、急に渦を巻いた。


庭園の中央にある聖なる泉――ゼウスの涙から成ると言われる水面が淡く輝き、

その中から一羽の小さな、光り輝く鳥が舞い上がった。


アスティシアは息を呑んだ。


それは巨大な鳳ではない。手のひらに乗るほどに小さな、光の欠片。


けれど、その小さな羽は、間違いなく彼女が夢に見た「紅蓮」の色を宿していた。


「……あなたは、あの方の残光なの?」


鳥は一度、澄んだ声で鳴くと、弾けるように空の彼方へと消えた。


残されたのは、アスティシアの掌に残った、ほんの微かな、けれど確かな「熱」。


アスティシアはその温もりを愛おしむように握りしめ、小さく、けれど晴れやかに笑った。


「ありがとう。私は……もう、恐れません」


背後でその姿を見守っていたアモルは、静かに膝をついた。


姫の背中に、かつての創造神が持っていた「意志」の光が宿り始めていた。


それは、穏やかなアステリオスの終焉であり、新たな神話の幕開けでもあった。


「……姫様。このアモル、どこまでもお供いたしましょう」

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