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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第四部
42/52

(42)第一級のペテン師

 エリコの透視を信じる限り、いったん危機は回避されたとみなして、レンレンの運転でビークルは市街地へと戻ることになった。喉が渇いた二人は、途中見かけたバラックみたいな商店でメーカー不明の怪しげな炭酸飲料を買い込み、得体の知れない味に互いに神妙な顔をした。

「リネットに連絡はつけた。そっちは?」

「アンダルに顛末を説明したら、フェンリルでも網を張ってくれるそうだ。ただし」

 通信端末を閉じたレンレンはハーブの香りがする炭酸飲料を飲み干すと、やや渋い顔を向けた。

「フェンリルの拠点があるここバリクパパンで、好き勝手に動いているということは、私達を撃ってきた連中は相当にうまく統率された集団に違いない、だそうだ」

「僕らの三倍生きてる海賊の中間管理職が言うんだから、そうなんだろうな」

 エリコはピンク色の派手なボトルをベコベコに畳むと、腕組みして考えこんだ。

「ノアを含めた三人の少女は、明らかに普通じゃない何かを感じさせた。本人は『方舟』じゃないと言い張っているが、少なくともそれに匹敵する能力は持っている」

「同感だ」

「レンレン、お前とアンダルが戦った奴らは、ビークルのエネルギーを落としたり草に火をつけたり、そんな明らかに人知を超えた力は見せなかったんだろう?」

 エリコの指摘に、レンレンはビークルの運転に集中しながらも、病院の地下や海上での銃撃戦を思い起こしてみた。

 たしかに、手練れのアンダルを苦戦に追い込む戦闘能力は持っていたが、仮に何らかの手段を伴っていたとしても、あくまで人間の能力の範囲を超えるほどのものではない。エリコは、なるほどと頷いた。

「だんだん見えてきた。敵が何をしているのか。ビークルの中じゃ落ち着いて話もできない。リネットと合流してからにしよう」

 午後の陽射しが強くなり、眼前には再びビル群や立体道路のシルエットが浮かび上がった。



 ホテルのカフェテラスで、ほんの数時間ぶりにエリコの前に現れたリネットは、ゆったりとした白いトップスに、ゆったりとした濃いブラウンのパンツを履いていた。が、靴をよく見るとミュールなどではなく、足首まできっちり締める動きやすい、というより行動しやすいシューズである。ふくらみのあるトップスの生地の内側には、ブラスターがいつでも取り出せるようにスタンバイしているんだろうな、とエリコは思った。

「そんな事があったの!?」

 リネットは、自分がエグゼクティブルームで寛いでいた間、エリコ達がそれなりに壮絶な目に遭っていたことに目を丸くした。が、その手は休みなく、アイスクリームグラスに載った黒いプディング状のお菓子を口に運んでいた。原材料は不明である。

「よく無事だったわね」

「無事とも言えない。血は流れた」

 エリコは、三人の少女をブラスターで撃ち抜いた右手を睨んだ。もう、この段階になるとリネットは、いちいちエリコを励ましたり、諌めたりする事もなくなって、報告を受け取りました、という程度に留まる事がほとんどだった。これは無関心なのでも、突き放しているのでもなく、今のエリコならもう自分で気持ちの整理をつけられる、という信頼からくるものである。

「わかった。それで、あなた達を銃撃してきた奴らって、何者なのかはわからないのね」

「探りは入れたけれど、どうも上手くいかない。あるいは僕の能力の限界なのか」

「超能力者の専門領域になると、私はなんとも言えないけど」

 黒いプディングが載ったスプーンを向けて、リネットは言った。

「あなたはもう、何らかの推測を立ててるんじゃないの? 超能力だけが特技じゃないでしょ、名探偵エリコさん」

 プディングを口に放り込むと、化学合成品ではあるが庶民が飲むよりは上質なコーヒーを傾けて、リネットは興味ありげな視線を向けた。レンレンも、そうなのかという期待の目を向ける。エリコは、真っ赤な酸味のあるドリンクを口にして、予想以上の酸っぱさに眉をしかめた。

「あの銃撃には、ふたつの意味があったように感じるんだ」

「どういうこと?」

「僕は最初、僕らを何者かが試している、と考えた。例えば、クリシュナのような得体の知れない奴がね。けれど、ノアという少女たちが僕らを救ってくれた事からすると、どうやら相手は、本当に僕らを殺そうとしていたんじゃないだろうか、と思うんだ」

 その推測に、レンレンはわずかに青ざめた。

「運が良かったってことか?」

「お前の回避能力が、狙撃を上回ったのもあるかも知れない。あるいは僕の能力との、相乗効果かもな。とにかく、姿が視えない何者かは、本気で僕らを殺そうとしていた可能性は高い」

「何のために? 私達を殺して、何の利益がある?」

「それも『試験』だったのさ。殺すつもりで仕掛けなきゃ、僕らの能力が本物かどうかはわからないだろう」

「ちょっと待て、エリコ」

 レンレンは、持ち上げていたティーカップを置いて訊ねた。

「つまりお前はこう言いたいのか。それが仮に『試験』だとするなら――」

「そうだ。要するに、僕らを引き抜きたい、と考えているんだ、相手は」

「誰が!?」

 レンレンの問いかけに、沈黙があった。エリコは肩でひとつ息をすると、指を折る仕草をしてみせた。

「ひとつひとつ見ていこう。タラカン島からだ。まず、僕とリネットが『偶然に』あの島を選択した」

 

 偶然選択して上陸したタラカン島でエリコとリネットは、偶然にレンレンの目に留まった。エリコを妙にライバル視していたレンレンは、互いに素性を確認する。

 その後、偶然にもタラカン島で、フェンリル団員に捜索命令が出ていたジェームズ・ベケット元死刑囚が、行き倒れた死体で発見される。ベケットの解剖を、島の医者に頼んだところ、その病院が何者かに襲撃され、医者は死亡する。敵の行動からしてベケットの遺体回収が目的と思われたが、アンダル、レンレンの奮戦と、エリコの協力で遺体の保護には成功する。

 タラカン島からバリクパパンへの、ベケットの遺体輸送命令が下る。その輸送中、海上で再び、何者かに襲われ、またしてもエリコの機転と協力で事なきを得る。その直後、遺体の後頭部が謎の爆発を起こしてしまう。遺体はそのままバリクパパンに送り届けられ、ジェルメーヌ・ホーリィ医師の手で解剖が行われた。遺体は内側から破裂しており、脳と脊椎に埋め込まれていた、謎の装置の破片が発見された。


「そして、ひとまず片付いたから街に出よう、となった僕とレンレンが、立体道路で何者かに襲われ、ノアという正体不明の少女に出会い、現在に至る、というわけだ」

「端折ったのか、詳細なのかはわからんが」

 レンレンは、態度とは裏腹の優雅な手つきで紅茶を一口飲んだ。一瞬眉間にしわが寄ったのを見て、どうやらレンレンは味にうるさい少年らしい、とリネットは再確認した。

「要するに、それらの点と点がどう繋がるのか、ということだな」

「いや、もうわかってるんだ」

「なに?」

 なんだか諦観したようなエリコを、レンレンとリネットは怪訝そうに見た。

「敵が何者なのか、わかったってことか?」

「そうじゃない」

「じゃあ何だ」

「よくよく考えたら、その出来事の全ての場面に、僕が関わっている」

 平然と語るエリコに、レンレンとリネットは一瞬、血の気が引いた気がした。

「そうなんだ。出来事を順に追っていくと、それらは全て、僕が直接あるいは間接的に関わっている。いや、そうじゃない。今だから言うが、なんとなく『誘導されている』ような気がするんだ」

「まさかだろう」

「そう思うか? じゃあレンレン、例えばお前は、自分の能力で誰かを誘導した事はないか?」

 エリコの指摘に、レンレンは愕然とした。レンレンは孤児院にいた時、異常才覚者矯正法の適用を逃れるため、検査員をその能力で騙したのだ。生きるために、能力を用いて詐欺、窃盗も繰り返した。

「レンレンだけじゃない。僕だって、因果律を読み取るこの能力で、何度も状況を変化させてきた」

「ちょっと待て、つまりお前が言っているのは、この一連の出来事は」

「そうだ。何者かが、それと気付かないようなレベルで、僕を――エリコ・シュレーディンガーをタラカン島に向かわせ、お前と出会うように仕組んだんだ」


 エリコの結論に、レンレンとリネットは即座には首肯しかねた。いくら何でも、上手く出来すぎているのではないか。リネットは空になったアイスクリームグラスを脇に寄せると、手を組んで斜め上に視線を泳がせた。

「どっちかというと、そんなふうに人を上手いこと引っ掛けて誘導するのはエリコ、あなたの十八番だと思うのだけれど」

「人を詐欺師みたいに言わないでくれる?」

「違うの?」

 違う、と断言できないのがエリコにとっての弱みだった。矯正施設島を脱出する際の下準備からして、リネットを含めた大人たちを騙し、自分に都合よく事をはこんだのだ。だが、リネットはエリコをからかうために言ったのでもない。

「まあ皮肉はともかくとして、エリコ。あなたみたいな用意周到な人間を、そうそう思い通りに引っ掛けられる相手って、そんなにいないと思うわ。ルーカスの目論見に気づいたとたん、あなたは即座に作戦を練って、彼の二手も三手も先を行ってみせた。まあ言っちゃなんだけど、そもそも超能力を抜きにしても、ペテン師としては第一級よ」

「ここまで褒められた気がしない称賛も初めてだけど」

 少しずつ酸味がクセになってきたドリンクをあおると、エリコはリネットに細い目を向けた。レンレンが訊ねる。

「しかし、そこまで言うからには、何か違和感のようなものを感じているっていうことか?例えば、誰かの術中にはめられているような感覚だとかだ」

「いや、ない」

 あっさりと、エリコは認めた。レンレンは肩すかしをくったように、脱力してみせた。

「だったら……」

「そうじゃない、レンレン」

 エリコは、それまでのどこかリラックスした様子が鳴りを潜め、かわって微かに深刻な表情で、真っ白なテーブルに視線を落とした。

「一級の詐欺師というのは、騙されていることを最後の最後まで悟らせないものだ。被害者がそれに気付くのは、金や権利を失い、取り返しがつかなくなった時だ。僕を――言ってしまうが、このエリコ・シュレーディンガーを誘導している何者かがいたとしたら? 僕がここまで、その何者かの能力の高さゆえに、そのことに気付かなかったとしたら?」

 エリコの話は、どこか雲をつかむような話ではあった。だが、エリコは状況証拠から、あまりにも偶然が連続していることに気がついた。そこでレンレンは、ハッとしてエリコの目を見た。

「まさか、エリコ。お前が言っていた例の可能性とは、そういうことか」

「断定はできない。そもそも敵が何人いて、味方が何人いるのか。あるいは全員敵なのか、全員味方なのか、何もかもわからない。全ては状況証拠の段階だ。それでも」

 『方舟』どうしの会話について行けないリネットは、どういうことだ、と二人へ交互に視線を送った。

「敵か味方かはわからないが、『方舟』――それも、僕らを上回るような実力を持った相手が、僕を導いている。いや、ひょっとしたら僕は、始めからずっと、そいつに操られ続けていたのかも知れない」

 それはリネットにはまるで、エリコ自身のこれまでの全てを、否定しかねない言葉に聞こえた。



 バリクパパン市内にある、数年前に廃業したデパートの地下駐車場に、艶のある漆黒のホバービークルが停車していた。そこへ、同じような黒い、しかしラバー製のタイヤを履いた、旧式の水素エンジン式地上車が静かにやって来て、かすかにラバーがコンクリートを擦る音を立てて停止した。

 地上車から降りてきたのは、白衣をまとった一人の青年だった。アジア人らしい色の濃い肌と、首まである黒髪が印象的だった。黒いホバービークルからは、青年と同じように白衣をまとった金髪の女性、ジェルメーヌ・ホーリィ医師が降りてきた。ジェルメーヌは、両手に抱えている超硬度炭素ケースを青年に手渡した。

「頼んだわよ、ジョアン」

「お急ぎですか」

「洗濯屋じゃないんだから」

 笑いながら、ジョアンと呼ばれた青年はケースをしっかりと受け取った。

「先生、帰っていらっしゃる気はないのですか」

 ジョアンが訊ねると、ジェルメーヌは申し訳なさそうに肩をすくめた。

「今の私は、こうしているのが性に合ってるの」

「けれど、ここだっていつ戦争になるか、わかりません。先生はもう十分、人の命を救ってきたと思います。もう、ご自分の命のことを大事になさっても、誰も責めませんよ」

 それは、ジェルメーヌが軍医、国境のない医師として、戦地を渡り歩いてきた事に対する敬意からの進言だった。ジェルメーヌに同行した事もあるジョアンは、戦地での彼女がいかに勇敢で、慈悲深いかをよく知っていた。だが、ジェルメーヌは言った。

「そうね。実は今、私のポリシー以外にも、ちょっと興味深いことが出来てしまったから」

「例の、少年ですか。赤毛の」

「そう」

 ジェルメーヌは、通信端末のモニターに表示された、赤毛で金色の目をした少年のデータを眺めた。

「エリコ・シュレーディンガー。彼がどの程度の存在なのか、私は知りたい」

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