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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第四部
41/63

(41)ヴィジャヤラクシュミの涙

 リネット・アンドルー元少尉はホテルの逗留がそろそろ一日も過ぎようかという頃になると、元来アクティブな性格のせいか、早々に身体のなまりを感じ始めていた。といって、フィットネスルームなどは単調な器具ばかりで面白みがない。

 そこでようやくリネットは、レンレン・デ・ロス・レイエス少年とともに元死刑囚の遺体解剖に同行したエリコ・シュレーディンガーから、いまだ連絡がないことに気がついた。朝八時すぎにはホテルを出て、すでに正午を過ぎている。確か解剖箇所は頭の後ろあたりだけで、もうとっくに終わっていても良さそうだった。

「レンレンと街をぶらついてるのかな」

 まだ一五の少年、同い年と時間を持て余せば、どこか行こうぜ、となるのも自然だ。まあ超能力者ふたりが一緒なら心配も要らないだろう、と考え、もう少しだけ寛ぐことにして、ルーム備え付けの全方位立体ビジョンの映画を再生した。タイトルは「エイリアン・ニンジャVS巨大シャーク」という、二一〇六年製作のB級映画だった。



 エリコの指示で慎重に隠れた道をビークルで進みながら、黙っていたレンレンがようやく口を開いた。

「説明してくれ。どうして彼女たちを撃った」

 エリコの行為に、抗議するようにレンレンは訊ねた。エリコは、三人の少女を貫いたブラスターの銃口を自らに向けながら答えた。

「僕が撃たなければ、彼女たちは殺されていた。彼女たちを操っている何者かに」

「お前が言う、因果の転移というやつか。お前が撃つことで、運命が変わった。彼女たちを救うには、それしかなかった。そういう事なのか」

「雑に言えばな」

 そう語るエリコ自身の表情は重かった。できれば人を撃つなどしたくない、と考えているのが、レンレンにもよくわかった。

「彼女たちの命は助かるんだな。それだけは答えろ、もう一度」

「信心深くもないが、神に誓って」

 エリコは、右手を掲げてそう断じた。

「彼女たちはどうやら、ただの兵士とは一線を画した存在であるらしい。そうなれば、負傷した場合、彼女たちを『回収』しに来るはずだ。そしてバレッタを頭脳に埋め込むような技術を持った連中に、負傷の治療ができないはずはない。さらに、僕に撃たれたとなれば、彼女たちが裏切ったなどと疑われる事もなくなる」

「そのために撃ったっていうのか!」

 エリコの決断と行動力に、レンレンは呆れ、敬服し、そして恐れをなしていた。敵を欺くためだけに、エリコは少女の胸を撃ったのだ。

「あの負傷で生きていられるのか!?」

「僕のビジョンでは、彼女たちは死なない」

 ほとんど頑然と、エリコは言い張った。それが強情であるのか、確信によるものか、レンレンにはわからない。だがそれでもレンレンは、過去に二度もエリコの判断で自身が助かったことを思い出し、承服しがたい、といった表情のまま頷いた。

「わかった、お前の能力と判断を信じる」

 重い息を吐きながら、レンレンはその事についてはもう追求しない、と言った。ビークルは、ますます鬱蒼とした森の中に入っていく。

「それで、その何者かの正体は、お前の能力で視えたのか?」

「あの、ノアという少女を通して、彼女を操る者の正体を探ってみたが、さっきのとおり、障壁によってその追跡が阻まれた」

「どういうことだ? お前の能力が通用しないなんて事があるのか?」

「さっきも言及したが、もし敵側に『方舟』がいるとしたら、可能だろう」

 方舟、とはクリシュナがいうところの、異星人だか何だかの生まれ変わりであるらしい。だが、とエリコは言った。

「『方舟』が善人だ、という保証はどこにもない。こんなふうに、平気で人を撃てるような奴もいる」

「わざとらしい自嘲はいい。敵が方舟だとして、問題は三つだ」

「ああ、三つだ」

 エリコは、指折りでひとつずつ、要素を挙げていった。ひとつ、それは何者で、何人いるのか。ひとつ、その能力はどのようなものなのか。そして、最後のひとつは。

「僕らの能力で立ち向かえる相手なのか、ということだ」

 エリコの表情に戦慄が走る。現に今、エリコは自身の能力による透視を阻まれている。少なくともその点において、すでに相手に一本取られているのだ。

「あのノアたちは間違いなく、後頭部に例の『バレッタ』を埋め込まれている。それが、彼女たちの持つ能力の根源だ」

「つまり、彼女たちは『方舟』ではないにもかかわらず、超能力を使える、と?」

「レンレン。これから言うことは、お前には理解しがたいかも知れない。だが、同じ『方舟』として、聞いておいてほしい」


 涼しい木陰にビークルを停めさせたエリコは、レンレンと出会う前に海上で遭遇した、クリシュナという謎の男が語ったこと、そしてそのことでエリコ自身が得たビジョンを説明した。

 人類は外宇宙から降り立った『神々』と、絶滅しかけていた類人猿の遺伝子を掛け合わせて創られた、人工の種であること。全ての人類のDNAの『非コード領域』に『神のブラックボックス』と呼ばれる、神の肉体を創り上げる暗号が仕掛けてあったこと。クリシュナやエリコは『方舟』と呼ばれる、太古この地球に降臨した『神々』の生まれ変わりであり、神の肉体と頭脳を持ち、『神のブラックボックス』にアクセスできる存在であること。また、厳密には全ての人類が『方舟』と呼べること、などである。

 ひととおり聞き終えたレンレンは、ステアリングに手をかけながら、唸りつつ首をほとんど水平にまで傾げた。

「じゃあ何か、そこいらを歩いている老若男女は全員、半分異星人だ、っていうことなのか」

「そういうことらしいな」

「そして、その中でもあたしやお前は、魂までも異星人だ、っていうのか?」

「異星人がこんなに口が悪いかどうかは知らないが、そうらしい」

 余計な一言でエリコの脇腹にエルボーが炸裂し、うずくまるエリコを尻目にレンレンは自分の掌をじっと見つめた。この手を形成している細胞、DNAの全てが、元をたどると異星人によって創られた試験管ベイビーだというのか。にわかには信じ難い話だった。そのときレンレンは、自分がいた孤児院を訊ねてきた、奇妙な女性のことを思い出した。

「エリコ。ヴィジャヤラクシュミ、という女に心当たりはあるか」

「なんだって?」

「ヴィジャヤラクシュミ、という名の女だ。孤児院にいた時、突然私を訊ねてきた。髪型は私に似てるが、もっと輝くような銀髪で、お前や、私のような金色の瞳をしていた。いま思い出したが、私を『方舟』だと告げたのは彼女だったんだ」

 その情報に、エリコは何か既知感を覚えた。そこでエリコは、レンレンの手を取り、そのイメージを辿ってみることにした。

「おい!」

「誤解するな。僕にそういう趣味はない」

「そういう趣味とは何だ!」

「いいから静かにしてろ。お前のビジョンを辿る」

 エリコの金色の瞳が輝き、レンレンの孤児院にいた時の記憶が辿られた。レンレンは、ごくプライベートな情景まで盗み見られているのではないかと思い叫んだ。

「変なものまで覗いてるんじゃないだろうな!」

「大丈夫だよ、集中してるキーワードとかテーマしか辿れないんだ。……今のところは」

 それはエリコが今後成長すれば、人の頭の中を好き放題に覗ける、ということなのではないか。レンレンは非常な危険を感じ、今すぐこの赤毛の少年の脳天にブラスターをぶち込むべきではないか、と考えた。

「やめろ。冗談でも殺意は」

「やっぱ読み取れてるんじゃねーか!」

「いいからちょっと静かにしろ! 集中できねーんだよ!」

 ほとんど小学生レベルの応酬のすえ、ようやくエリコはレンレンが出会った、ヴィジャヤラクシュミという女性のビジョンに到達した。孤児院の風景などはおぼろげでハッキリしないが、その艷やかな銀髪、雪のように白い肌が、エリコのビジョンに浮かび上がった。

 美しい、とエリコは思った。リネットが直に熱を発する太陽だとするなら、ヴィジャヤラクシュミはまるで、雪原に反射する冷たい陽光のようだった。

 だが次の瞬間、エリコは全身の毛穴から汗が吹き出すような恐怖を感じることになる。

「うわっ!?」

 エリコは背筋をバネのように仰け反らせて、握っていたレンレンの手を離した。

「なんだ」

「なっ、何なんだ」

「だから、どうしたんだ」

 訝るレンレンに、エリコは顔面蒼白で目をむいた。首筋には汗が噴き出している。

「あっ、あの女が……」

「なに?」

「あの女が、僕の精神の内側にアクセスしてきた!」

 それは、エリコにとって信じ難い体験だった。ビジョン、感覚の世界は、あくまでもエリコが情報を得る場にすぎない、そう思っていた。

 今まで、無数の意識が押し寄せてきたり、アクセスを妨害された事はあったが、エリコの精神の内側まで干渉される事はなかった。だが今確かに、あの銀髪の女性は、エリコの精神の内面に向かって、視えない手を伸ばしてきたのだ。その、気味が悪いほどの心地よさに、エリコは恐れをなしてアクセスを遮断してしまった。過去のビジョンを辿って、そこから干渉されることなど、あり得るのか。

「何なんだ……何なんだ、あの女は」

 動悸で高鳴る胸を押さえ、エリコは必死で恐怖と戦っていた。クリシュナと対峙した時も言い知れない薄気味悪さは感じたが、そんなものではない、魂の奥底まで凍てつかせるような恐ろしさが、ヴィジャヤラクシュミという女性にはあった。

「レンレン、お前、あの女と面と向かった時、何も感じなかったのか」

「え? まあ……確かに、どこか不気味だとは感じたが」

「それだけか」

 どうやら、レンレンは直にヴィジャヤラクシュミと対面しても、特段恐怖を感じたわけではなさそうだった。そしてそれは丁度、エリコがクリシュナと対面しても、必要以上に恐怖を感じなかったことと、似ているように思えた。

「つまり、ヴィジャヤラクシュミも何らかの能力、それも桁違いの力を持っている、ということか」

 レンレンの指摘に、エリコは身震いした。もし、あのヴィジャヤラクシュミという女がノアたちの背後にいるとしたら。だが、ヴィジャヤラクシュミは恐ろしい存在には感じても、人間を道具として扱うような非道さ、残酷さは感じなかった。むしろそれは、恐ろしいまでの優しさだった。

「それでエリコ、どうするんだ。こんな森の奥で息を切らせていても、仕方ないだろう」

 レンレンは自分のミネラルウォーターの栓を開けると、エリコに差し出した。エリコはありがたく受け取ると、一気に半分くらいを喉に流す。

「あと一五…いや、二〇分だ。二〇分経ったらリネットに連絡して、いったんホテルに戻る。ただしルートは僕が選択する」

「任せるよ、好きに選択してくれ。私はちょっと仮眠を取る」

 そう言って背中を向けるレンレンは、また少し口調が女性のそれに近くなったな、とエリコは思った。やっぱり、本質的に女性なのだろうか。だが攻撃的な態度はいまだ変わらない。エリコも疲労を自覚していたので、シートを倒して目を閉じた。



 カンチェンジュンガ山群の数ある峰のひとつ、標高七〇〇〇メートルを超えた場所に、雪と氷で閉ざされた、誰も知らない深い石窟があった。

 石窟の奥深くには、首から上が欠けた女神の裸像が鎮座し、その手前には精巧な平面で岩盤を掘り上げた人工の泉があった。

 冷たい、不思議と凍てつくことなく張られた水の中に、銀髪の女がひとり、その白い裸身で歩み入った。人が生きてはいられないであろう酷寒の水の中にあって、女はまるで湯浴みでもするかのように、ゆっくりとその白い裸身を沈めた。長い銀髪が水面に広がり、無数の波紋が煌めいた。

 女は――ヴィジャヤラクシュミは、水面にその黄水晶の瞳を向けた。刹那、その面には、赤い髪の少年が映った。少年の瞳は、ヴィジャヤラクシュミと同じ、透き通る金色だった。

「待ち遠しいわ、エリコ。いいえ――」

 ヴィジャヤラクシュミは、口にしかけた名を飲み込んだ。

「真の名を思い出した時、あなたはほんとうの目覚めの時を迎えるでしょう。それは、全てが終わる合図。そして、全ての始まりの時。全てが終わる……」

 冷たい水面に、ヴィジャヤラクシュミの涙が落ちた。天高く吹き抜ける風の音は、冷たい空の哭き声のようだった。

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