第八伝: 出逢いは藤の花と共に
<首都ヴィシュティア>
「紫音。長船紫音だ。君もヴァルメール都立士官学校の生徒だろう? よろしく頼む」
「お、おう! フェイト・エクスヴェルンだ。よろしく! えっと……長船さん? 」
「ふふ、紫音でいい。君は面白い人だな」
互いに握手を交わしながら二人は住宅地区から学生寮へ戻る道へと歩き始めた。普段とは違う彼女――――紫音の絵画のような美しい風貌に思わずフェイトは瞳を奪われる。夕暮れの暖かい光が刀袋と荷物を手に歩く紫音の美しさをより一層惹き立て、薫風が二人の間に流れた。
「あっ! 俺お店に買ったもの預けたままだった……。紫音、一緒に来るか? 」
「同行させて貰おう。ついさっきここに着いたばかりなんだ」
「そっか、紫音はどこから来たんだ? 」
「和之生国だ。ヴァルスカの極東に位置する島国さ」
「それじゃあすっごく遠かっただろ、荷物持つか? 」
「そこまでやわじゃないが、ありがとう。フェイトは優しいな」
真正面からの好意によりフェイトは思わず頬を赤く染めながら紫音から視線を逸らす。そんな彼を怪訝そうな表情を浮かべつつ見つめる紫音は、やがて自身が商業地区にやってきたことを察知した。先ほどの日用品店にフェイトは戻ると、店主に預けていた品物を受け取る。その後、泥棒に遭った女性に彼女の鞄を返すと、感謝の印として二人は5000ブランドずつ受け取ることとなった。
「ううむ……。路銀を稼ぐつもりではなかったのだが……」
「事実助けたのは紫音だし、受け取っておきなよ。それよりもそろそろ夕飯時だし、その……一緒にご飯でもどうかな? 」
「いきなり会って夕食か? 見かけによらず大胆なんだな、君は」
「えっ、いやあの……! 」
「冗談だ。ちょうど腹も空いていたところだ、一緒に行こう」
そのまま紫音に腕を惹かれ、フェイトは商店街の中にあった飲食店に入店することとなる。先に入った紫音が人数を告げ、席まで案内されると二人は向かい合う形で腰を落ち着けた。
『ほう、お前も中々大胆な事をするな。いきなり見知った女を食事に誘うとは。案外隅に置けん』
「ばっ、ディル! 今出てくんじゃねえよ⁉ 」
いきなり姿を現したディルグリウスに思わずフェイトは驚いた表情と共に声を上げ、即座に我に帰る。恐る恐る紫音の方に視線を向けると、彼女は口元に手を当てながら笑みを浮かべていた。フェイトは気まずい雰囲気に苦笑いを浮かべながらもゆっくりとその場に座り直し、僅かばかり視線を俯かせる。
「あー、いや、その俺は……多少霊感が強いというか……見えるというか……」
「ほう。君とその精霊は随分と仲が良いのだな」
「! 紫音、君も見えるのか……? 」
「あぁ。そしてこの通り。私もどうやら選ばれた人間らしい」
紫音がそう告げると彼女の背後から長い水色の髪を揺らしながら女物の着物を身に纏い、腰に二振りの刀を差す美しい女性が姿を現した。フェイトはその姿に視線を奪われ、同じようにしてディルグリウスもその女性の姿に言葉を失っている。
『ヴィ、ヴィネキア……』
『ふん。その暑苦しい風貌はディルグリウスか』
「なんだヴィネキア、彼と知り合いか? 」
『……まあ生きていた頃、少しな』
「なんだなんだディル、お前も隅に置けねえじゃんか~? 」
『うるさい馬鹿! 余計なことを言うな! 』
珍しく狼狽えた様子を見せるディルグリウスにフェイトはすかさず追撃を仕掛けるも一蹴された。馬鹿って言いすぎだろ、と彼がふてくされた表情を見せたその時、店の店員が二人の前に姿を現す。
「いらっしゃいませ、ご注文はどうされますか? 」
「あー、俺日替わり定食で! 紫音は? 」
「私は焼き魚の定食で。飲み物は……コーヒーを頂こうかな」
「じゃあそれで! あ、俺は水で大丈夫です」
かしこまりました、とウェイトレスが二人の席を立ち去っていく様子を一瞥しつつ、フェイトは再び紫音に目を向けた。
「でも珍しいよな。まさか二人とも契約者で、その精霊が知り合い同士だなんてさ」
「私もまさかとは思ったよ。ヴィネキアのあんな表情、初めて見た」
『……紫音、いくらお主が契約者とは言え戯れが過ぎるぞ』
「悪かったよヴィネキア。だが、二人の話をもっと聞いてみたいな」
『聞いても何も面白くはないぞ。今より生活はもっと不便なものだったからな。今のように魔法具や蒸気機関などは発明されていなかった』
『我らは創国歴という暦ができる以前の人間なのだ。人間としての肉体を失った後、この世界に結び付けられている』
昔を懐かしむかのように儚げな表情を浮かべるディルグリウスに対して、紫音の隣で宙を浮いているヴィネキアは訝し気な視線を彼に向ける。
『幾千の刻が経ったというのに貴様は相変わらず……まあ、そんなところが……』
『なんだヴィネキア。何か言ったか』
『……なんでもない』
「うっわ、今のはないぞディル。お前が嫌われる理由がなんとなくわかった気がする」
『ちぃっ、敵しかいないのかここは……! 』
『ふふ、お前の契約者の方がよくわかってるようだ。フェイトと言ったか? お主、気に入ったぞ』
「いやー、お互い苦労させられるよね。こいつ戦うときとかも口下手だから指示あいまいなんだよ」
そんな軽口を叩いた拍子にディルグリウスの両手がフェイトの頭部を掴み、そのまま無造作に揺さぶった。テーブルの上にうつ伏せになった状態でフェイトが目を回していると、先ほどの店員が両手に別々の料理を持ちながら彼らの前に姿を現す。
「お待たせしました、日替わり定食と焼き魚定食になります」
「おおっ、いい匂い! 」
「ご注文は以上でしょうか? 」
「はい、ありがとうございます」
紫音が礼を告げると店員はにこやかな笑顔を浮かべてその場を立ち去り、二人は温かい食事の前に唾を呑んだ。
「ふ、フェイト……」
「ん、どした紫音? 」
「その……食い意地が張っているようで恥ずかしいんだが、一口分けてくれないか……? 」
「おう、いいぞ。ちょっと待っててな」
目の前に置かれた日替わり定食――――デミグラスソースハンバーグをフェイトは意外にも器用に一口だけ切り分け、フォークで刺して紫音にそのまま肉塊を向ける。対する紫音は僅かに頬を赤らめながらフェイトが差し出したハンバーグの一切れに口元を近づけ、茶褐色のソースに包まれた肉を口に含んだ。先ほどの落ち着いた様子とは打って変わり、甲高い感嘆の声を上げる。
『……ディルグリウス』
『なんだ』
『……その、若いころを思い出すな……』
『何千年前だと思っているんだ』
『そういうところだぞ貴様』
後ろでなぜか夫婦漫才を繰り広げているディルグリウスとヴィネキアを差し置いて、フェイトと紫音は各々の食事を楽しんでいる。茹でて甘みが出たニンジンを頬張ってから飲み込むと、口を開く。
「そういやさ、俺たちの他に契約者っているのかな? 」
「私たちを含めて7人いると聞いている。士官学校の教師を務めるカミエール殿は無論のこと、他の契約者は全てあの学校の生徒らしいな」
「そんなにいるのか……。そいつらとも早く会ってみたいなぁ」
「まあ、明日になれば会えるさ」
「はは、そうだな」
そんな談笑を交わしながら二人は食事を食べ終えた。ソースがついた口元を拭うとフェイトはコップに注がれていた水を飲み干す。ちょうど紫音の方もアイスコーヒーを飲み終えたようで、隣に置いていた肩提げの鞄を手にしていた。
「ここは俺が払うよ」
「止してくれ、明日から共に同じ学校に行くんだ。私も出すよ。お互い後腐れないようにしよう」
「でも……」
「いいんだ。食事に誘ってくれた礼と思ってくれ」
笑顔でそう言い放つ紫音に気圧され、二人はそのまま会計へと向かう。お互い同じ金額を店に払うと、店を後にした。食事が思ったよりも長引いたのか、既に外の景色は夕闇に隠れており、濃紺の空が近づいている。
「フェイトは寮に住むのか? 」
「あぁ。ここから随分離れたとこが実家だしな。紫音も寮住みなんだろ?
「もともと国が違うし、初めて親元を離れての生活だ。正直寂しくもあるが、わくわくしている自分もいる」
「わかるわかる! なんか自分ひとりだけだと何していいかわかんないよな」
「それもいずれは無くなるだろう。おっと、女子寮はこっちなんだ」
会話を交わしながら二人は士官学校の寮へと向かう道で二手に分かれた町の通りに差し掛かった。道の中心にはそれぞれの行き先を示した看板が立てられており、左手には「ヴァルメール都立士官学校・女子寮」、右手には男子寮の文字が記されている。
「おう、また明日な紫音! これからよろしく! 」
「あぁ、また明日。夜更かしはするなよ」
しないよ、とだけ言い残しフェイトと紫音はそれぞれ別の道を歩き始めた。寮に向かう道の途中、彼の手にしていた導話媒体からディルグリウスが姿を現す。
『ふん、あのような女子と知り合えたからと言っていい気になるなよフェイト』
「何言ってんだよ。別に偶然だって」
『とか言いつつ、お前実は気になっているだろう』
「ばっ、んなわけねえだろ! 紫音は別に……」
『ははは、そう隠すな。我が手ほどきしてやってもいいんだぞ? 』
「絶対失敗しそうな気がするからいい」
『案外酷いなお前……』
そうして、二人は寮に戻っていった。明日はいよいよ、フェイトの学び舎となるヴァルメール都立士官学校の入学式だ。期待と不安に胸を膨らませながら、彼は帰路へとついた。