第四十八章:その口は開かない
追跡と戦闘を経て、舞台は再び帝都へ。
ですが、ここからは別の意味で厄介な局面に入りました。
相手は口を割らないと決めている。
金色の光が、右手に満ちた。
ヴァンは身を乗り出し——
(——来たか)
頭の中で、素早く整理される。
事前に流した二つの「穴」。
一つは、群衆の歓声。
英雄譚に群がる民衆の中に刺客を潜り込ませれば、こちらは容易に手が出せなくなる——相手がそう考えるなら、必ずここで仕掛けてくる。
もう一つは、闇の情報網。
帝都までの道中、ワイルドに手配させた黒市商人たち。だが、相手の方が金はある。奴らが情報を買い叩けば、こちらの動きは筒抜けだ——いや、むしろ、わざと掴ませた偽情報を、相手が信じるかどうか。
(二つ、賭けに出た)
どちらが当たるかは分からない。だが、どちらかの「穴」を相手が突いてくれば、奴らの思考回路が見える。
そして今——襲撃があった。
(群衆の中から)
ヴァンが次の手を読もうとした、その瞬間。
「——車内に戻れ」
馬車の窓枠に、手が添えられた。
深紅の外套。
赤備え隊長が、感情の一切抜け落ちた声で言った。
「平民に化けた刺客が六名。四名は処理した。二名は拘束したが——」
少し間があった。
「歯の中に魔薬の小瓶を仕込んでいた。自殺した。両名、死亡。現場の痕跡は全て処理済みだ」
ヴァンは、右手の魔力をゆっくりと散らした。
金色の光が、指先から消えていく。
窓の外を見る。
五十メートルの圏内に死体は一つもない。血の匂いも、遠くから風に乗ってくるだけだ。
赤備えが展開した警戒網が、一般市民を巻き込む前に刺客たちを排除し、痕跡まで消し去っていたのだ。
(……なるほど)
ヴァンは座席に戻るようにして、座席に深く背を預けた。
向かいで、オグラが窓の外を見ていた。
「——お前があいつらを本気で怖がった理由が、分かった気がする」
ヴァンは冷たく言い放った。
オグラは窓の外を見たまま、答えなかった。
ただ——魔力拘束具を嵌められた両手が、静かに膝の上で強く握りしめられた。
それだけで、十分だった。
二度目の襲撃は、街を出て半日後だった。
ワイルドが手配した闇の情報屋から届いた報せが——最初から偽物だった。
(本道は危険だ、迂回路を使え)
あえてその誘導に乗って、谷間の道に入った瞬間、両側の木立から高火力の魔力弾が土砂降りのように降ってきた。
だが、ヴァンが迎撃の魔導回路を起動させるより早く。
赤備えの隊員たちが、既に動いていた。
無言のまま散開し、木立の中へ消える。
十秒も経たないうちに、絶叫が響き——そして、木立の中が水を打ったように静かになった。
ヴァンは馬車の中で、その一部始終を聞いていた。
ただ、聞いているだけだった。
馬車が再び動き出したとき、ヴァンは天井を仰いで小さく舌打ちした。
(二度目の襲撃も、俺が指一つ動かす前に『処理』が終わっていた)
視線を窓の外に移すと、深紅の外套たちは、返り血一つ浴びていない涼しい顔で隊列を維持していた。
(俺が盤面を動かす前に、あいつらが暴力で盤面ごと叩き割ってしまった)
それが、この軍事帝国の真理。
戦術を無意味にする、純粋な暴力の壁。
向かいの席で、オグラがぼそりと言った。
「……顔に書いてあるわよ」
「何が」
「『俺の作戦が全然活きなかった』って。不満そうな顔」
ヴァンは鼻で笑った。
「別にいいじゃないの」
オグラが、冷ややかな声で言った。
これから自分がどうなるか分かっている人間の、乾いた声だった。
「あなたはまだ若い。頭で戦ってるうちは、勝てないわよ、力で全部すり潰せる戦力が手元にあるなら——素直に甘えていればいいのよ。それが帝国のやり方でしょ」
「……随分と投げやりだな」
「死にに行く人間の前で、余裕ぶらないでくれる?」
鋭い言葉が飛んだ。
オグラの目が、ヴァンを射抜く。
「軍情局の地下に入れられれば、待っているのは拷問と薬漬けよ。頭の中を全部掻き回されて、最後は廃人になって捨てられる。……私をここまで引っ張ってきたのは、あなたよ。少しは自覚しなさい」
ヴァンは答えなかった。
その通りだった。
帝都の巨大な城壁が、夕暮れの空に浮かんだ。
鉄と石の要塞、アイゼングラード。
軍情局の庁舎。
重厚な石造りの正門をくぐった瞬間、赤備えの任務は終わった。
オグラはすぐに制圧収容部の局員に引き渡された。
両脇を固められ、抵抗する素振りも見せずに連行されていく。
その背中に、ヴァンは声をかけた。
「おい」
オグラの足が止まった。
振り返らなかった。
「約束通り、ここに着いたぞ。名前を言え」
沈黙。
数秒待ったが、返答はなかった。
オグラはそのまま、薄暗い廊下の奥へ連れて行かれた。
ワイルドが、ヴァンの横に並んだ。
「……旦那」
「分かってる」
「あの様子じゃ、口を割るのは——」
「言われなくても分かってる」
ヴァンは苛立たしげに腕を組んだ。
内部に内通者がいる以上、オグラは最高レベルの隔離施設に入れられる。クラウス局長が戻るまで、誰も接触できないはずだ。
(だが——局長が戻るまで待てば、黒幕に先手を打たれる)
(オグラが口封じに殺されるか、記憶を焼かれる可能性もある)
死んだのはブルーノとディーターだ。
彼らの死を無駄にしないためには、今動くしかない。
ヴァンは廊下を歩き出し、ワイルドを振り返った。
「お前はここで待機だ」
「……旦那、どこへ行く気で——」
「少し、無茶を通す」
軍情局の地下、最下層へ降りる階段。
完全武装の衛兵が二人、道を塞いでいた。
ヴァンは懐から『特別監察官』のバッジを取り出し、冷たい声で言った。
「クラウス局長の命だ。対象・オグラへの事前聴取を行う。道を開けろ」
衛兵が顔を見合わせた。
「……そのような通達は受けておりません。局長は現在——」
「極秘任務で不在だ。だから俺が全権を代行している」
ヴァンは一歩踏み込み、低い声で威圧した。
「このバッジの意味が分からないのか? これは局長直々の任命の証だ。これを見せても通さないなら、お前たちは『局長の意志』に逆らう反逆者として処理するが——構わないな?」
沈黙。
特別監察官という役職は、本来クラウス局長しか与えられない特例中の特例。
衛兵たちは完全に気圧され、道を譲った。
「……一名のみ、通過を許可します」
「十分だ」
地下の廊下は、墓所のように冷たかった。
魔力灯の青白い光だけが、石の壁を照らしている。
最奥の独房。
何重もの魔法封じの術式が刻まれた鉄格子の向こうで、オグラが石の床に座っていた。
拘束具はまだ外れていない。
ヴァンが格子に近づく。
「——また来たの」
オグラが、顔を上げもせずに言った。
「本当に、執念深いのね」
ヴァンが口を開こうとした、その瞬間。
「——随分と手際よく潜り込んだものだな」
背後から、ひび割れた声がした。
ヴァンは背筋を走った悪寒を押し殺し、ゆっくりと振り返った。
薄暗い廊下に、永遠に洗われない白衣を着た人影が立っていた。
乱れた灰白の髪。深い皺。
「……師匠」
軍情局魔薬部部長、ヘルマン・クリークが、薄気味悪い笑みを浮かべて立っていた。
「……俺を始末しに来たわけじゃ、ないですよね」
ヴァンは、内心の冷や汗を隠して言った。
クリークは、肩を揺らして乾いた笑いを漏らした。
「ひひっ……怖がらんでもいい。思う存分やれ。お前が引き出せなければ、私が引き継ぐ」
格子の向こうで、オグラが微かに息を呑む音がした。
「……魔薬部の“解剖魔”か」
掠れた声だった。恐怖を押し殺そうとする、かすかな震えを含んでいた。
「へえ、軍情局の化物どもが揃い踏みってわけね」
彼女の目が、一瞬だけヴァンを射抜く。冷たい嘲笑を込めて——「お前もか」と。
「局長の指示ですか? 師匠がこんなことをして、あなたの立場が——」
「局長の意思だ。お前がここへ来ることも、すべて預かっている」
クリークは、格子の向こうのオグラをちらりと見た。
それから、ヴァンに向き直り、懐中時計を取り出した。
「時間は二時間だけだ。それまでに、あのネズミから名前を引き出せ」
「……もし引き出せなかったら?」
「私が『仕事』を始める」
ヴァンは顔をしかめた。
「心配するな」
クリークはにやりと笑い、踵を返した。
白衣が薄暗い廊下に溶けていく。
その背中に、ヴァンが声をかけた。
「師匠……ありがとうございます」
クリークは立ち止まらなかった。
だが、歩きながら背中越しに、低く言った。
「二時間だ。早く終わらせろ」
少しだけ間があって——声のトーンが変わった。
「……さっさと帰って寝ろ、馬鹿弟子が」
足音が遠ざかり、静寂が戻った。
鉄扉の奥に、再び重い静寂が戻った。
ヴァンは格子の前に向き直り、冷たい石の床に腰を下ろした。
鉄格子越しに、オグラを見据える。
先に沈黙を破ったのは、オグラだった。
「二時間、ねェ」
彼女は壁にもたれかかったまま、自嘲気味に天井を見上げた。
「あんたの師匠さん、本気よ。あの人は冗談で『解剖』なんて言わない。ここに入ったらジ・エンドね……私をスクラップにする気満々じゃない……っ」
ヴァンは黙っていた。
「でもね、ヴァン・ラーク」
オグラは視線を下げ、虚勢を張るように薄く笑った。
「あんたが何を言おうと、私は口を割らない。そのつもりでここに座ってる」
「なら、答えは一つだろう」
ヴァンは静かに、だが逃げ場のない声で問うた。
「誰に売った。あの襲撃用の魔導器を」
オグラは答えなかった。魔力拘束具を嵌められた両腕を抱え込み、ただ虚空を見つめている。
「お前を口封じに殺そうとした黒幕の名前だ。それを吐けば、お前の命は俺が保証する」
「……笑わせないで」
掠れた、だが刺々しい声だった。
「特待生風情に、軍情局の最下層から罪人を引っ張り出す権力があるとでも? 今だって、適当なハッタリで入り込んだんでしょ。……自分の立場がどうなるか、分かってるの?」
「どうなろうと構わない」
ヴァンは即答した。
「お前が消されるのを待っている時間はない」
その言葉に、オグラの目に宿っていた挑発的な光が、わずかに揺らいだ。
「……どうして、そこまでするの。あなたは将来を約束された特待生でしょ。たかが護衛二人が死んだくらいで——」
「たかが、じゃない」
ヴァンは冷たく、だが刃のような声で遮った。
「『ブルーノ』と『ディーター』。名前を知ってた。顔を知ってた。俺の命令で死んだ。……それだけだ」
沈黙が、地下の牢獄に満ちた。
魔力灯の青白い光だけが、冷たい石の床を照らしている。
オグラは目を閉じたまま、動かなかった。
ヴァンは格子の前に腰を下ろしたまま、ただ静かに、その口が開くのを待った。
懐中時計の針が、わずかに進んでいた。
【第四十八章・終】
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