第四十七章:赤備え、味方に在り
てっきり口封じに来たかと思えば、まさかの味方でした。
世の中、何が起こるか分からないものです。
深紅の外套が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ヴァンは無意識のうちに、右手の魔導回路を起動していた。
指先から手の甲にかけて、うっすらと光が滲んだ。
(間合いは——十五歩)
「……旦那」
ワイルドが、小声で言った。
そして、ヴァンが指示を出すよりも早く。
ワイルドはてくてくと前に出ると——深々と、腰から折るような見事なお辞儀をした。
「これはこれは、隊長殿! ご無沙汰いたしておりますァ!」
廃工場の前の、焦げた石畳。
オグラがぽかんと口を開け、続いてヴァンも、同じように口を開けた。
深紅の外套が、歩みを止めた。
ワイルドが直立不動のまま振り返り、ヴァンに向かって滑らかな口調で言う。
「ご紹介いたしやすァ、旦那。こちらは軍情局『制圧収容部』、灰燼の赤備えの隊長殿で——」
(灰燼の赤備え——制圧収容部が誇る精鋭部隊。反逆者や逃亡スパイを始末する、まさに軍情局の鉄槌だ)
「——その特待生は知っている」
感情のない低い声が、ワイルドの言葉を断ち切った。
深紅の外套が、ヴァンの前まで歩いてくる。
兜の奥の冷たい目が、ヴァンを見下ろした。
「ヴァン・ラーク。クラウス局長の命で、対象の身柄確保に参った。局長より、帝都への帰還途中、我々はあなたの指揮下に入るよう指示されている」
そのまま、視線がオグラへと流れる。
「オグラ。大人しくしろ」
沈黙が落ちた。
オグラが——ゆっくりと、信じられないものを見る目でヴァンを見た。
「……あなたたち、同じ側なの?」
ヴァンは少し間を置いてから、正直に答えることにした。
「俺も今知った。てっきり、俺ごと口封じに来た連中かと本気で思っていた」
「……」
オグラの肩から、ふっとすべての力が抜けた。
絶望、あるいは完全な諦観。
これだけの手回しをして、それでも軍情局の手のひらの上だったという事実が、彼女の商魂を完全にへし折ったのだ。
「……最悪」
乾いた声でそれだけ呟くと、オグラは抵抗する素振りも見せず、差し出された魔力拘束具を黙って受け入れた。
かちり、という冷たい金属音が響いた。
ワイルドが小走りで、遠巻きに見ている衛兵小隊の方へ向かった。
「いやァ、皆様ご苦労様でしたァ。ここから先はあっしらで引き受けやすんで——」
衛兵たちは、炭化した伏兵の死体と、血の匂いを纏う『赤備え』を交互に見比べ、顔を土気色にしていた。
「は、ハッ! 本隊へ帰還します!」
小隊長が裏返った声で叫ぶと、五人は脱兎のごとく駆け出していった。
それを見送りながら、ワイルドが感心したように呟く。
「おやおやァ、随分と足の速い方々で」
ヴァンは衛兵たちから視線を外し、深紅の外套に向き直った。
「一つ聞く。お前を派遣したのは、局長か」
「然り」
ヴァンは内心で舌を巻いた。クラウスは今、別の極秘任務で帝都を離れているはずだ。にもかかわらず、こちらの動きを完全に先読みし、絶妙なタイミングで最強の部隊を割いてきた。
(……化け物だな)
それ以上、言葉はなかった。
問題は、ここからだ。
ヴァンは腕を組んだ。
(オグラを帝都へ連れ戻す——それだけで済めばいいが)
窓の外の街道を見つめながら、脳裏に浮かぶのは、あの夜に死んだ二人の顔。
(奴らは、絶対に邪魔をする)
黒幕はまだ生きている。そして、オグラが帝都に着く前に——手を打つ。
ヴァンはワイルドを呼んだ。
「ワイルド、金を渡す。街道沿いの黒市商人に根回しをしろ。今から帝都まで、俺たちの動きを見張る目が欲しい。何かあれば——即座に俺に伝わるよう。まだ、『帝都の若き特待生が、軍情局の特務部隊を従えて大物間諜を捕らえ、堂々と凱旋中だ』という美談を流せ。尾ひれはいくらつけても構わない」
ワイルドが目を瞬かせた。
「……旦那、わざわざ目立つんですかァ? 道中、隠密に進んだ方が——」
「やれるか」
「……へひっ。仰せのままに」
馬車の中。
魔力拘束具を嵌められたオグラが、窓側の席に座っている。
ヴァンが向かいに乗り込んだ。
しばらくの沈黙の後、ヴァンが口を開く。
「俺たちが襲われた事件。誰が仕組んだ」
狭い馬車の中で、二人の視線が火花を散らした。
オグラは、ふっと鼻で笑った。口を開かず、ただ諦めきったような、それでいてどこか挑発的な目でヴァンを見つめ返した。
「……何が言いたい」
オグラは答えず、窓の外に視線を戻そうとした。
その時だ。
ヴァンが低く、静かに言った。
「お前は、あの襲撃の『実行役』だ」
オグラの動きが、ほんの一瞬止まった。
「だが、企画したのは別の誰かだ。お前は命令されたから動いた。それだけだろう」
「……」
「そして、現場に残された魔導器——あれは、お前が納品予定だったロットの中から、わざと抜き出したものだ。少し調べた、本来の納期は『襲撃の翌日』だったはずだ」
オグラの余裕の笑みが、わずかに深くなった。
「あら、よく調べたわねェ。ヴァン・ボーイ」
間を置く。
「お前自身の意思だろう。わざと現場に落とし、追跡の糸口を残した。軍の内部にいる、お前を脅した黒幕を売るためか?」
オグラは足を組み直し、挑発的に顎を上げた。
「想像力が豊か」
ヴァンは一切の同情を交えず、氷のような声で告げた。
「お前が仕込んだ保険の行き先——魔導器の納品に関わっていた工作員たち。……全員、数日前に『事故死』した」
オグラは窓の外を見たまま、微動だにしなかった。
だが。
ほんの一瞬だけ——彼女の肩が、わずかに震えた。
息を吸うでもない。咳をするでもない。
ただ、ほんのわずかな震え。
それを見逃さず、ヴァンは最後の一撃を放った。
「お前も、あいつらに脅されていたんだろう。家族か、自分の命か、それとも——」
「——軍情局の犬が」
低く、吐き捨てるような声。
オグラは振り返らなかった。
「お前に何が分かるって言うのよ」
だが、先ほどまでの挑発的な笑みが完全に消えていた。
無表情。
それこそが、彼女の最大の防御だった。
しかし——その無表情の奥で、彼女の指先がわずかに震えているのを、ヴァンは見逃さなかった。
ヴァンはそれ以上追及せず、背をシートに預けた。
沈黙が、再び馬車を包んだ。
だが、その沈黙の重さは、先ほどとは明らかに違っていた。
馬車は、歓声の中を進んでいった。
ワイルドの流した噂は予想以上に早く伝播しており、街道沿いの村を抜けるたび、沿道には『英雄』を一目見ようと群衆が集まっていた。
「あれが特待生か!」
「赤備えまで従えてるぞ!」
歓声が上がる中、赤備えの隊長が馬車の傍らを歩く。
ヴァンは窓から声をかけた。
「周囲五十メートルの立ち入りを禁じろ。市民も近づけるな。暗殺者が紛れる」
馬車の周囲五十メートルは、赤備えの放つ威圧感によって完全に真空地帯となっていた。
村人たちは不思議そうに顔を見合わせながら、それでも少し離れた場所から手を振り続けた。
窓外の熱狂を冷ややかな目で見下ろしながら、オグラが吐き捨てるように言った。
「……一般市民を盾にするなんて。本当にえげつないわね、ヴァン・ボーイ」
「戦術上の必要悪だ」
ヴァンは座席に深く背を預け、目を閉じた。
やがて、馬車が、石垣に挟まれた狭い道に差し掛かった時だった。
沿道の歓声が、最高潮に達しようとした、その瞬間。
ヴァンは閉じていた目を、カッと見開いた。
(——来た)
熱狂に混じる、氷のように冷たく異質な殺気。
次の瞬間、人々の歓声は——鼓膜を劈くような悲鳴へと変わった
ざわっ、という空気の引き裂かれる感覚。
【第四十七章・終】
頼もしい増援が現れ、状況は一度安定したように見えましたが——
物語は、そう簡単には落ち着かないようです。
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