第四十二章:泥沼
襲撃事件の調査が、少しずつ動き始めます。
ですが、糸を辿れば辿るほど——
どうにも嫌な匂いがしてきました。
ワイルドは口を開く前に、両手をもみ手のようにすり合わせた。
ヴァンはそれを一瞥し、無言でポケットを探った。
銀貨を数枚つまみ出し、ワイルドの掌に押し付けた。
「……これだけだ。生憎と、今は細かいのしか持ってないでな」
ワイルドの顔に、露骨な不満が浮かんだ。
「旦那ァ……いくらなんでも、こりゃあ渋すぎまさァ。あっしがこのネタを仕入れるのに——」
ヴァンはワイルドの言葉を遮るように、静かに言った。
「俺は今、お前の直属の上官と同格の『特別監察官』だ」
「へ?」
ヴァンは冷たく見下ろした。
「上官の命令に逆らう気か? さっさと話せ。この端金は、仕事上がりの安酒代だ。……手柄を立てれば、正規の経費で三倍にしてやる」
その言葉に、ワイルドは肩をすくめていつもの卑屈な笑みに戻った。
「へ、へへっ……こりゃあ一本取られやした。さすがはヴァン旦那……いやさ、監察官殿ですなァ。権力の使い方が実にエグい! あっし、若旦那に仕えることができて、つくづく——」
ドスッ。
「あぎっ!?」
ヴァンの軍靴の先端が、ワイルドの脛に入った。
「無駄口はいい。俺は今、冗談に付き合える気分じゃないんだ」
底冷えするようなヴァンの声に、ワイルドは片足で跳ねながらもピタリと口をつぐんだ。
「へ、へひっ……失礼しやしたァ!」
「——襲撃現場のあの路地で、『魔導器』の残骸が見つかりましてねェ」
「魔導器だと」
「へえ。今は証拠品として軍情局が押さえてやすが……あっし、つい小耳に挟んじまいまして」
ワイルドの細い目が、さらに糸のように細くなる。
「帝都の市内衛隊に納品されたばかりのロットらしいんですァ。ところが、納品日に数が合わなかった。欠品が出た、と。で、その納品日ってのが——」
「襲撃当日の、少し後か」
「へへっ、さすがはヴァン旦那! いや、監察官殿! あっしがたった一言、日付がどうのこうの言っただけで、すぐに話の筋道を見抜きやがる! それがこのワイルド、いや、帝都中が認める慧眼ってもんでさァ! 旦那のその洞察力、まるで闇夜に光る灯台のように、あっしのようなドブネズミでも迷わず進めるってもんよ! まさに軍情局が誇る特別監察官、いや、帝国の至宝——」
ドスッ。
「あぎゃッ!?」
ヴァンは無言で、二度目の蹴りをワイルドの脛に叩き込んでいた。
ヴァンは答えなかった。
歩幅も変えずに歩きながら、脳裏で、何かがひとつ噛み合った。
(——襲撃の前日)
ふと、情報屋のオグラの態度を思い出す。
いつもなら指定の場所まで品を運んでくる、あの鼠の亜人が、その時に限って『最近は風向きが悪い。警戒網が敷かれてるから、今回はお前が直接倉庫まで荷を取りに来てくれ』と、妙に神経質に要求してきたのだ。
あの時は気にも留めなかった。あいつの臆病な勘がまた働いたのだろうと、軽く流していた。
だが。
(襲撃当日——俺が荷を取りに向かったあの倉庫は)
『帝国戦棋』の拡張パックに使う、魔導器の違法な保管倉庫。
しかも襲撃された路地のすぐ近くだ。
(偶然か? ……いや、出来すぎだ)
ヴァンは不意に足を止めた。
「ワイルド」
「へえ」
「軍の購買担当を洗え。その魔導器の発注から検品、納品まで、承認印を押した連中を全員だ」
「なるほど、そっちから辿りやすか」
「仕事が早ければ、色をつけて報奨を出す」
途端に、ワイルドの顔がパッと輝いた。
「——ほォ! 報奨、ですかァ!」
「ああ」
「へひっ! それを聞いちゃあ、あっしァ黙ってられやせん! たとえ相手が大元帥府であろうとも、靴底舐めてでも探りを入れてきやしょう! 旦那のためなら——」
「行け」
「へへっ、只今!」
深くお辞儀をすると、ワイルドは野良猫のように人混みに紛れて消えた。
宿舎の一室。
扉を開けると、ルームメイトのローランが机の上に帳簿を広げ、羽根ペンを猛烈な勢いで走らせていた。
ヴァンの姿を視界の端に捉えるなり、ローランは大きなため息をついた。
「おい、その腕どうしたんだ?」
「ちょっと擦りむいただけだ」
「擦りむいただけであの包帯の量かよ。……お前、また何かやらかしたな?」
ヴァンは答えず、パイプ椅子を引き、ローランの向かいにどっかと腰を下ろした。
ローランはしばらくじっとヴァンの顔を睨んでいたが、やがて肩を落とした。
「……まあいいや。お前が言いたくないことは聞かない主義だからな。で、オグラの件だ」
「ああ」
「戦棋の仕入れで、最後に動かした荷の件なんだけどさ」
ローランは少し顔をしかめ、羽根ペンをインク壺に置いた。
「オグラのやつ、もう帝都にいないんだよ」
「……いない?」
「ああ。他の商人連中から聞いた話だが、密輸のルートで当局に目をつけられたらしくてな。ほとぼりが冷めるまで姿をくらますんだとさ。荷の代金は前払いで清算済みだから、こっちに迷惑はかけないって言い残して——まあ、実際ちゃんと届いてたし、注文したパーツの数も揃ってたから実害はないんだけど」
ヴァンは低い声で遮った。
「いつ消えた」
ローランは少し考える素振りを見せた。
「倉庫に荷を取りに行った日、あれからだよ。……お前が襲われた、あの日だ」
沈黙が落ちる。
ローランが訝しげにヴァンの顔を覗き込んだ。
「……なんだよ。眉間にシワが寄ってるぞ。もしかして、お前が襲われた件とオグラの失踪に何か——」
「関係ない」
間髪入れずに首を横に振った。
「——俺の分配はどこだ」
ローランはじっとヴァンの顔を見つめていたが、やがて大げさなため息をついた。
「はいはい、毎度あり」
机の引き出しを開け、ずっしりと重い革袋を二つ取り出す。
どさり、と無造作に卓上に放り投げた。
「ついでに言っとくけどな」
腕を組み、ローランがジロリと睨んでくる。
「お前が企画した『拡張パック』、まだ完成してないだろ? もう一週間も遅れてるんだぞ。正直言って、あれがないと新規顧客の食いつきが悪くて、売上が日に日に落ちてきてる。そろそろ本気で完成させてもらわないと——」
「分かってる。色々と面倒事が重なっただけだ。必ず仕上げる」
「『必ず』ね。信じてるよ、僕の優秀なビジネスパートナー」
「ああ」
ヴァンは二つの革袋を掴み、立ち上がった。
「また出かけるのか?」
背中に投げかけられたローランの問いに、ヴァンは答えなかった。
そのまま扉を閉め、廊下に出て足を速めた。
軍情局の裏手。
人気のない路地裏で、ワイルドが待っていた。
いつもの人懐こい、胡散臭い作り笑いは消え失せている。
「——旦那」
声が、異様に低かった。
「どうした」
「購買担当の件ですがね」
ワイルドは背後と路地の入り口を素早く確認してから、さらに声を殺した。
「発注を担当していた兵士……三日前に、死んでやす。飲み屋の帰りに、足を滑らせて池に落ちたとかで。水死ですァ」
「死んだか」
「へえ」
一拍の、重い間。
「それだけじゃありやせん。納品の受け取りで署名した検品担当者も——昨日、急死とのことで。死因は『魔力の逆流』だそうです。魔薬部の発表じゃ、風邪薬と魔力回復薬を飲み間違えた事故だとか何とか」
ヴァンは動かなかった。
冷たい石畳の上に立ったまま、表情ひとつ変えずに虚空を見つめる。
池に落ちた。
薬を飲み間違えた。
どちらも、ありきたりな死に方だ。
あの魔薬部の検死すら掻い潜る、完璧な事故死の偽装。誰も疑う理由などない。
(——深いな)
想像していたよりも、闇が深い。
見えない糸を引いている黒幕は、証拠となる駒を丁寧に、ひとつひとつ確実にもみ消している。
焦りはない。完全にこちらを出し抜く準備ができている手口だ。
ヴァンはゆっくりと、肺の奥に溜まった息を吐き出した。
「……そうか」
それだけを呟き、空を仰ぐ。
分厚い灰色の雲が、帝都の空を音もなく流れていた。
【第四十二章・終】
ワイルドの情報から始まった調査ですが、
どうやら思っていた以上に厄介な相手のようです。
関係者が次々と消えていく状況は、
ヴァンにとってもかなり嫌な展開かもしれません。
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