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第二十七章:好事と凶報

人生相談に乗っただけなのに、

なぜか盤面が爆発することってありますよね。


知りません。


週末は、嵐の前の静けさのように穏やかに過ぎていった。


オグラが納入した魔導器の部品は、品質も量も申し分なかった。

提出された書類の通り、帝国の厳しい検品基準を完全にクリアしている。出所がどこであれ、彼女が「約束を守る優秀な商人」であることだけは確認できた。


そして週明け。

軍務総長リンドガルド家から、ヴァレリアン邸に一通の親書が届いた。

『ヴァン・ラーク殿との縁談、前向きに検討いたす』――大元帥の介入が功を奏したのか、先方の同意を告げる内容だった。


(……これで、当面の命の保証は手に入ったな)


ヴァンは自室の窓から帝都の青空を眺めながら、珍しく素直に安堵の息を吐いた。

こういう平穏な日が続けばいい。

……もちろん、そんなぬるま湯が長く続かないことくらい、痛いほどわかっているが。



学院に戻り、午後の講義がすべて終わった後。

ヴァンは一人で大図書館へ足を運んだ。


目的は、『帝国戦棋』の次期拡張パックに組み込むための魔導工学の基礎理論の確認だ。

静かな閲覧室の隅の席に座り、棚から引き抜いた分厚い専門書をパラパラとめくる。しかし、目は文字を追いながらも、脳の半分は別のことを考えていた。


(……軍務総長という後ろ盾を得た。次は、奪われた『フィロメラ工房』の権利をどうやって切り崩すかだ)


一時間が過ぎた。

二時間が過ぎた。


他の学生が出入りし、司書が本の整理をしていく。窓から差し込む斜陽の角度が、徐々に低くなっていく。


(……今日はあの『模型仲間』は現れないか。まあいい、帰るか)


本を閉じて立ち上がりかけた、その時だった。


「あの……ローラン、君?」


背後から、遠慮がちな声が降ってきた。

ヴァンは一瞬、自分が呼ばれたことに気づけなかった。


「ローラン君……ですよね?」


もう一度呼ばれて、ようやく思い出す。

(……そうだ、俺はこの子には『ローラン』と名乗っていたんだった)


振り返った。

リヴィア――大切そうに布包みを抱えた小柄な少女が、本棚の間に立っていた。

今日もこの図書館には不釣り合いな上等な生地の外套を着ている。だが、その袖口にはまたしても薄黒い機油の染みがついていた。


「ああ、リリアか。今日は一人か?」


「はい……」


リヴィアはヴァンの向かいの席に、ちょこんと腰を下ろした。

膝の上に置かれた布包みを、そっと解く。


「あの、これ……見てもらっても、いいですか」


「どうぞ」


包みの中から現れたのは、見事な改造が施された魔導機兵の模型だった。


上半身は標準的な人型の機体。胸部の重装甲板、肩の駆動関節、頭部のバイザー。

だが、腰から下が根本的に違った。


『履帯』の底盤。

二本の無骨な連装履帯が、人型の重い胴体をしっかりと支えている。接続部の処理が非常に丁寧で、全体のスケールバランスも完璧に計算されていた。


ヴァンは感心して身を乗り出した。


「……下半身の駆動系を、まるごと換装したのか」


「はい。先日、ローラン君に聞いたお話を元にして……上半身の重火力と、下半身の悪路での安定走行を組み合わせたら、どうなるかなと思って……」


「接続部のトルク強度はどう解決した?」


「ここのジョイント部分、魔導銀の細いワイヤーで補強して、います……です。理論上は、これで歩行時の振動吸収率が格段に上がるはず……だと、思いますっ」


たぶん、と言いながらも、その組み上げられたパーツの精度は確かだった。

ヴァンは機体を様々な角度から確認しながら、動力伝達や装甲の干渉についていくつか専門的な質問を投げた。

リヴィアは最初は少し吃りながら、しかし正確に答えていく。話が噛み合っていくにつれ、彼女の小さな声に熱が帯びていく。


(……いい。こういう顔をする人間は、本当に技術価値をわかっている人間だ)


そう思いながら機体の解説を聞いていたヴァンは、ふと違和感に気づいた。


リヴィアの目に、わずかに翳りがある。

口では楽しそうに模型の話をしているが、その瞳の奥には、どこか重い憂鬱を抱え込んでいるような色があった。


「どうかしたか」


「……えっ?」


「さっきから、少し顔が暗いぞ」


ヴァンの直球の指摘に、リヴィアは模型の履帯に視線を落とした。

しばらく、長い沈黙が落ちた。


それから、彼女は深く、深く息を吸い込んだ。


「……ローラン君は」


「ん」


「『やりたくないこと』だけど、周りの大人が喜んでくれることと……『本当にやりたいこと』だけど、周りのみんなが反対することだったら……どっちを選びますか?」


ヴァンは少し思考を回した。


(……なるほど。趣味の模型作りのことだろうな。どうせ親に『家柄にふさわしい淑女の振る舞い』を強要されて、やりたくもないお茶会でも押し付けられているんだろう)


貴族社会のありふれた抑圧だ。ヴァンは勝手にそう結論づけ、人生の先輩のような落ち着いたトーンで口を開いた。


「本当にお前のことを大切に思っている人間なら、お前が本当に嫌がることを無理強いはしないはずだ。それが大前提だ」


リヴィアが、弾かれたように顔を上げた。ヴァンはさらに駄目押しを重ねる。


「それから、口に出して言わないと絶対に伝わらないことがある。お前が『やりたくない』と黙って我慢して、親の言う通りに人形みたいに生きていれば、周りの連中はお前の本当の苦痛を知らないままだ」


「……!」


「はっきりと『ノー』と意思表示をして初めて、盤面は動く。自分の人生の選択権を、他人に握らせるな」


リヴィアの大きな瞳が、かすかに揺れた。

ヴァンの言葉を、一つ一つ脳内で噛み砕き、自分の置かれた状況に当てはめているような、深く重い沈黙だった。


「……ありがとうございます」


やがて、彼女は吹っ切れたような顔で立ち上がった。


「急に、変なことを聞いてしまってすみません。……わたし、行きます。言わないと、伝わらないから」


そう言って、決意を固めたように踵を返し、早足で歩き出す。


「おい、模型」


「え?」


「忘れてるぞ」


ヴァンが机の上を顎でしゃくると、リヴィアはハッとして顔を真っ赤にした。

ヴァンのアドバイスで頭が一杯になり、一番大切にしていたはずの履帯型機兵を完全に置き忘れていたのだ。


「あっ……! すみませんっ!」


慌てて戻ってきて模型を胸に抱え込み、今度こそ小走りで図書館から出ていった。

ヴァンはその小さな背中を見送りながら、少しだけ満足した気分になった。


(……まあ、美少女の青春の悩みを一つ解決してやったと思えば、悪い気はしないな)


彼女の悩みの実態など知る由もないが、少なくとも何かの背中を押す役には立ったはずだ。


(……政略結婚なんて面倒なことになったら、こういう静かな時間も減るのだろうか)


そんなことをとりとめもなく考えながら、ヴァンも席を立った。



図書館の出口では、エレナと、護衛のブルーノ、ディーターの三人が待っていた。


エレナが不満げに歩み寄ってくる。

「随分と遅かったですわね、兄さん。何を調べていらっしゃったの?」


「少し、知り合いと話していた」


「誰とですの?」

エレナの目が、スッと細くなった。


「ただの知り合いだ」


エレナはヴァンの顔をじっと見つめた。何かを言いたげだったが、護衛の手前もあってか、ふいっと顔を逸らした。

四人で学院の正門を抜ける。

家路につく帝都の石畳は、夕暮れの陽光で血のような橙色に染まっていた。



その日の夕刻。

ヴァレリアン邸へ戻る道中、ヴァンの歩みを遮るように、見慣れぬ豪奢な軍服を着た男が前方に立ちはだかった。


第二軍団の高位の伝令将校だ。

ブルーノが即座にヴァンの前に出て、警戒の姿勢をとる。ディーターも半歩後ろから。


「ヴァン・ラーク殿ですね。第二軍団長、ルキウス・ソル閣下よりの親書をお持ちいたしました」


ヴァンはブルーノを軽く手で制し、前に出た。


「聞こう」


「明後日の午後、お時間を頂戴したく存じます。リンドガルド家とのご婚約の慶事を祝し、ルキウス閣下の私邸にてささやかな茶会を催したいとのことです」

伝令は慇懃無礼な態度で、羊皮紙の封筒を差し出した。


「ルキウス閣下はこうも仰せでした。『余興として帝国戦棋の一局を交えたい。また、我が陣営が管理する工房から、最新型の魔導器の試作品が届いている。卿にもぜひ、その圧倒的な性能を御覧いただきたい』と」


ヴァンは封筒を受け取りながら、内心で冷たく笑った。


(フィロメラ工房の最新魔導器を『見物させてやる』、か)


それは明らかに、上から目線の政治的な牽制だ。

工房の実質的な支配権がどちらの派閥にあるのかを見せつけ、同時に「軍務総長との婚約」という極秘事項をすでに把握しているという情報網のひけらかし。

相変わらず、ルキウスという男は底意地が悪い。


「承った。明後日の午後、喜んで伺うとルキウス閣下にお伝えしてくれ」


伝令は仰々しく一礼し、去っていった。


(……ルキウスか。一筋縄ではいかない毒蛇なのは分かっているが、奪われた工房の最新技術を直に見る機会は逃したくない)


ヴァンは手の中の封筒を弄りながら、明後日の盤面の戦略を組み立て始めた。



だが、翌日の朝。

事態は、ヴァンの予測を完全に裏切る形で動いた。


朝食を済ませ、自室に戻ろうとしたヴァンは、顔面を蒼白にした執事に呼び止められ、ベルンハルトの執務室へと急行した。


執務室に入ると、老将軍は頭を抱えるようにして長椅子に深く沈み込んでいた。

その手には、一枚の真新しい書状が握られている。


「読め」


ベルンハルトの声は、ひどく掠れていた。

ヴァンは差し出された書状を受け取った。


封蝋は、軍務総長リンドガルド家のもの。

ヴァンは無言で文面に目を通した。


読んだ。

もう一度、信じられない思いで読み直した。


「……破談、だと?」


「そうだ」

ベルンハルトは重い溜め息を吐き出した。


「つい先ほど、特使が飛ぶようにやってきてこれを置いていった。理由は一切書かれていない。ただ、『一身上の都合により、昨日の縁談の同意は白紙撤回させていただく』とだけな」


「理由が書かれていない……」


ヴァンは書状を机に放り投げた。

昨日、あんなにもトントン拍子で『同意』の返書が来ていたのだ。それが、わずか一晩で完全な『拒絶』へと反転した。


(……なぜだ? 大元帥が裏で手を回したのか? それとも、マルクスかルキウスがリンドガルド家に強烈な政治的圧力をかけたのか? )


ヴァンは自身の持つ全ての情報網と、帝国におけるあらゆる高度な政治的陰謀の可能性を脳内でフル稼働させた。だが、どれもしっくりこない。


盤上の駒の動きとして、あまりにも唐突で、不自然すぎるのだ。


まさか、昨日自分が図書館の片隅で、名も知らぬ『模型仲間の病弱令嬢』に対して――

『やりたくないことには、はっきりとノーと言え。自分の人生の選択権を他人に握らせるな』


などと偉そうに人生訓を垂れたことが、たった一晩で『自分自身の最高最善の生存戦略』を『爆裂魔法』級の威力で吹き飛ばす原因になったなどと、この時のヴァンが気づけるはずもなかった。


「……全く、見当もつかない。見えざる巨大な手が動いているとしか思えん」


ヴァンは忌々しげにそれだけを呟いた。


せっかく手に入れた軍務総長という最大の『盾』を理不尽に失った状態で、明日、ルキウスという毒蛇の巣に丸腰で乗り込まなければならない。


ベルンハルトは何も言えず、目を閉じていた。


窓の外で、帝都の空を舞う鳥が一羽、呑気な声で鳴いた。




【第二十七章・終】

善意は時に、爆裂魔法よりも破壊力がある――

そんな回でした。


もちろんヴァンは、まだ何も知りません。


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